平成新選組捕物帳面




第二話



 皆が待ち合わせに使う奇妙な形をしたモニュメント。
そこの下に、彼女は立っていた。
近頃珍しい真っ黒な髪は横で緩く一つに結んでいる。淡いピンクのシュシュが、彼女の肌をさらに白く繊細に見せていて美しい。シンプルな綿の白いワンピースを着て、素足に華奢なミュール。
どこからみても彼女は『女性』だった。
彼女の事は結構前から知っていた。朝の電車で火曜日以外はいつも一緒になるのだ。
 清潔で女性らしい雰囲気、ピンと伸びた背筋で仕草も柔らかく、男なら自然と目がいき好感を持つ。同じ車両で毎回顔を合わせる他の男どもも、彼女を意識しているのはまるわかりだった。
 そしてもちろん「その男」も。
 話しかけたりするような勇気はもちろんない。彼女に比べて自分はあまりにもさえないし、女っ気など全くない。自分がもてないことはよくわかっている。でも、あんな子がもし自分の彼女だったら……と思うぐらいは自由だと、「その男」は思っていた。
 そして驚いたことに昨日の夜、偶然また同じ車両に彼女が乗っているのを見つけた。夜に彼女に会うのは初めてだった。しかも彼女は隣に立ち、電車の急ブレーキのせいで自分に倒れかかってきたのだ。
 やわらかくていい匂いで……
その男は、その感触が忘れられなかった。抱きしめたらどんなふうなのだろうか、恥ずかしそうな顔でもしてくれたらたまらない……ぼんやりとそんなことを考えて……
そして彼女の携帯を盗んだ。
もちろん男は、家で携帯を隅から隅まで見た。特定の男からの着信が異常に多く、写真のデータにも一人の男が必ずいつも写っている。
 ……男がいたのか……
全く筋違いなのだが、男は腸が煮えくり返るようだった。                        
あんな清純そうな顔をして、やることはやりやがって!
 くそっ!思い知らせてやる……!
 
 待ち合わせの時間を三十分すぎても彼女は待っていた。
彼女が時折不安そうにあたりを見渡すのが、男の支配欲を満足させる。いつもあこがれているだけだった彼女を、ああして三十分以上待たせて、行動をコントロールしているのは自分なのだと思うと、楽しくなる。彼女の男に「ざまぁみろ」と言ってやりたいものだ。
 男は、駅構内にある喫茶店の窓ガラス越しに、彼女を見ていた。そこからは待ち合わせの場所がよく見える。しばらくすると彼女はどこかに行き、「その男」が持っているパールホワイトの携帯が着信を告げる。
男が何も言わずに通話ボタンを押すと、彼女の可愛らしい声が耳元から聞こえてきた。             
『あの…携帯を落とした者ですが、待ち合わせの時間、二時でよかったのでしょうか…?』
思い通りの彼女の行動に、男の口が笑みの形になった。そして考えていた台詞を言う。
「急用ができていけなくなりました。別の日にしてもらえませんか?」
二日後、千鶴は溜息をついて自宅のドアを開けた。
薫がいるかと思ったのだが、家には誰もいなかった。
夕方の長い西日が部屋に差し込んでいる。千鶴は我知らず溜息をついた。
今日も、携帯を渡してもらうための待ち合わせだった。
一昨日、急用のため来れなくなってしまったという拾ってくれた人が指示したのは、一日空けた次の日の今日、昼の一時、前と同じ駅だった。
千鶴はそこで一時間待ったのだが、今日も誰も現れなかった。自分の携帯に電話をしてみても、コール音のみで誰も出ない。
 月曜日に携帯を失くして、もうこれで三日目だ。総司ともまったくしゃべっていないし、友達とも連絡が取れない。
拾ってくれた人も忙しいのだろうとは思う。しかし待ち合わせにも来てくれないのはこれで二回目だ。返してくれると信用していてもいいのだろうか。すっぱり古い携帯はあきらめサービス停止をして新しく購入した方がいいのだろうか……。でもそうなるとお金もかかるし、古い携帯に入っているデータすべて捨てることになってしまう。
ガランとしたリビングのソファに、千鶴は疲れたように座り込んで溜息をつく。と、家の電話が鳴る。千鶴は何も考えずに電話にでた。
「はい雪村です」
『……』
「……もしもし?」
無言のままの電話に、千鶴は耳から離して受話器を見た。切ろうかどうしようか迷っていると、人の声が通話口から聞こえてくる。千鶴は慌ててもう一度受話器を耳にあてた。
「はい?」
『今日のポニーテール、かわいかったね』
「……え?」
『あのモニュメントの下で、一番かわいかった』
感情がこもっていない淡々とした口調。にもかかわらず妙に押し付けがましく馴れ馴れしい。
千鶴は知り合いの顔を思い浮かべるが、心当たりがない。
 モニュメント……今日……
「あの……携帯を拾ってくださった方…ですか?」
『今日もずっと待っていてくれてありがとう』
どうやら待ち合わせの相手だったようだ。それにしては会話がかみ合わない。
「あの……今日も予定が入ってしまったんでしょうか?お忙しいなら携帯電話は郵送でも……」
『次はいつにする?』
「……」
千鶴は黙り込んだ。
おかしい。いくら鈍い千鶴でも、この相手が話していることはおかしいとわかる。
 どうしよう……なんて言えば……
千鶴は誰もいない家の中を、助けを求めるように見渡した。
とりあえず、携帯電話はもう契約解除をして新しく買おう。あ、でもデータとかが全部……どうしよう……
『次は明日にしようか?お兄ちゃんもしばらく泊まりでいなくなっちゃうみたいだしね』
「え?」
薫の話だろうか?千鶴は目を見開いた。
兄の薫が泊まりでしばらくいなくなる、などと初耳だが…
「何を……」
『明日また連絡するよ』
千鶴の問いかけにかぶせるように、相手の男はそう言うと、ガチャンと電話を切った。

「え?泊まり?」
千鶴は、薫の言葉に驚いて顔をあげた。
あの電話の後、しばらくして帰ってきた薫と夕飯を食べながら、千鶴はおずおずと薫に、どこか行く予定でもあるのか、と聞いた。薫は千鶴の質問に頷きながら続ける。
「そうなんだよ。南雲の法事で十日間あっちだってさ。ったく…!早くあそこんちの娘が婿とってくれないかなぁ」
薫は苛立たしそうにそう言った。
 薫と千鶴の母の実家である四国の南雲家は、かなりの旧家で本家だった。そこの跡取り息子夫婦に子供ができず、薫は南雲家に養子に入り、本家を継ぐことになっていた。が、ぽこっと跡取り息子夫婦に女の子が生まれたのだ。そのため薫は元通り千鶴達の家に帰ってきて一緒に暮らすようになったものの、正式にはまだ南雲家の養子で本家の跡取りとなっているのだ。多分跡取り息子夫婦の本当の娘が成人して、婿をとれば本家を継ぐのはその娘夫婦になり、薫は正式にお役御免になるのだろうが、まだ現在は次期当主として、様々な行事に顔をださなくてはいけなかった。
「メールで言ったろ?」
薫が何の気もなしに言った言葉に、千鶴は固まった。ハンバーグを持ったままの箸が止まる。
「……メール?」
「夕方、南雲から連絡があってすぐメールしたろ?明日の朝早くに発つって」
そこまで言って薫ははっとした。
「あ、そういえばお前携帯失くしたんだっけ?誰か拾ってくれたんだろ?返ってきたのか?俺のメールは見た?」
薫の問いかけに、千鶴はあいまいに首を振った。
 ……見られてる……
薫からのメールも、多分他の人からの……メールも、携帯を拾ってくれた見知らぬ男に見られてている。おそらく携帯の中のデータも個人情報も全部見られているに違いない。
 薫に相談しようと顔をあげて、千鶴は言葉を呑みこんだ。
今相談したら、薫は心配して南雲に行くのを取りやめてしまうかもしれない。本家に娘ができたことで薫が邪魔になった南雲家の人々は、薫のささいな失敗をあげつらって非難する。そんな状況で薫に法事出席をキャンセルなんてさせたくない。
 実際携帯を拾ってくれた人から変な電話がかかってきただけで、実害はまだないのだ。もしかしたら明日の連絡を最後に携帯を渡してくれるかもしれないではないか。  
明日……様子を見て、進展がなかったら、もうその携帯は使えなくするって伝えて……電話帳に登録してある友達とかには、事情話して…… 
千鶴が下唇を噛んで今後の事を考えていると、薫がふと思い出したように言った。
「あ、そう言えば今日夕方、沖田が家に来た」
「え!?」
千鶴は、ぱっと顔をあげた。
「追い返したけど」
薫が得意げに言う。
「沖田先輩……何か言ってた?」
「あー……言ってたかもね。ほとんど聞かずに追い返したから知らない」
薫の言葉に千鶴はうつむいた。
「携帯失くしてから……全然連絡とれなくて」
「ちょうどいいじゃないか。あいつ浮気してケンカしてるんだろ?」
味噌汁を飲みながら楽しそうに言う薫を、千鶴は睨んだ。
「浮気じゃないもん。ケンカもしてないし……でも携帯失くしてから全然……家の電話にもかけてきてくれないし(薫が切ってる)、家のPCメールにもメールくれないし(薫が迷惑メールフォルダ行に設定している)」
しょんぽりとしている千鶴を慰めるように、薫はしゃあしゃあと言った。
「ま、あの男はそんなもんだよ。とっとと見切りつけて別れるんだね」
 沖田先輩に、携帯電話を拾ってくれた人の事相談出来たらな……なんて言うかな……
 (即死亡者リスト行きです)
もう明日には総司は近藤達と遠征に行ってしまうはずだ。千鶴は少し意固地な自分を後悔した。
 変なことを考えていないで素直に沖田先輩に会っておけばよかった……

千鶴はぼんやりとそんなことを考えながら、溜息をつき、ハンバーグをもう一口、口に入れた。
 

「あれ?千鶴?どうした?」
次の日の金曜日の夜遅く、居酒屋のホールで、平助は千鶴を見て驚いた。
「あの……今日何時まで?」
「俺?あと…一時間くらいかな?どうしたんだよ。こんな夜にこんなとこ」
何々?平助の彼女?と口ぐちに言いながら、平助のバイト仲間が千鶴を覗き込む。
「終わるの……待っててもいいかな……?」
お、おう、と言い、仲間にからかわれながら仕事に戻る平助を眺めながら、千鶴は隅の空いてる席に座りウーロン茶を頼んだ。
 金曜日の今日はもともと授業が夕方遅くまであり、家の最寄駅に着くのはもう暗くなってからだった。
昨日、『明日また連絡するよ』と言って切れた電話。家には薫もいなくて一人きり……
 千鶴は怖くて、どうしても家に帰れなかった。一人であの部屋であの電話をとるのは怖い。かといって電話をとらないでいるのも怖い。いろいろ考えた末、千鶴は誰かに相談しようと決めたのだった。
 そうなると一番に浮かんでくるのは幼馴染の平助。
平助は今夜は居酒屋で十一時までバイトの筈だ。とりあえず十時まで空いている大学の図書館で時間をつぶして、千鶴は平助のバイト先までやってきたのだった。
「はい、どーぞ」
にこやかな笑顔と共にウーロン茶が差し出された。差し出してくれた人は、千鶴も顔だけは知っている平助の友達だ。後ろから平助が心配そうに顔をのぞかせた。ありがとうございます、と言ってコップを受け取った千鶴に平助は聞く。
「なんかあったんか?」
「うん……今日、平助君の家に泊まっていいかなぁ……?」
千鶴の言葉に、平助の友達は口笛を吹いた。
「悪いね、おれお邪魔虫みたいで!じゃ仕事戻るわ!」
「ばっっ!ちがっ!おい!」
慌てて訂正しようと平助が呼び止めたが、彼はそのままひらひらと手をふって行ってしまう。
「どーすんだよ!あいつ総司とも友達なんだぜ!」
あわあわと青ざめている平助をぼんやりみつめて、千鶴はまた溜息をついた。
「家に帰りたくないなぁ……」
 本格的に様子のおかしい千鶴に、平助は慌てるのをやめて真顔になる。そしてポンと千鶴の頭に手を置いた。
「ん。話聞いてやるから、あと少し終わるの待っとけ」
頼もしい言葉に、千鶴は平助を見上げる。
 そして、幼いころから千鶴が泣いていたりいじめられていたりするといつも助けに来てくれたヒーローに、千鶴は久しぶりの笑顔になったのだった。    

 





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