薄桜学園夏合宿!
第二話
しかし……一日目。
実際に二人きりになれる時間は皆無だった。土方の指令をうけている一と平助が、いつも総司と一緒に行動しているし、それに総司も千鶴も忙しかった。
総司には、全国大会優勝者に稽古をつけてもらいたがる者が後をたたない。そうなるともともと剣道には真剣な総司のことだから、真面目に全力で相手をしてしまう。
千鶴も、総司の代以降爆発的に増えた一年生と二年生の部員達の世話と練習のタイムチェック、道具の出し入れに細々とした用事をこなすだけで手が一杯だった。
夕飯も、マネージャーは部員たちが食べる前にささっと食べてしまい、配ぜんや片付けを手伝わなくてはいけない。風呂も、元が男子校だった学園には男風呂の設備があるため総司達男子部員はさっさと入り、女子マネージャーは土方が近所の銭湯まで車で連れて行くことになっていた。そのため、練習後は総司とはほとんど顔を合わすことがなかった。
女子マネ用に用意された学園長室横の和室の応接室で、千鶴と一年マネージャー二人の、計三人は、運んであった布団を引いた。
四階にあるその部屋の窓からは、夏の夕暮れの虫の声や群青色の空気に浸っている校庭が見える。
運動部の部員達がちらほらと歩いている校庭に、千鶴は総司の姿がないか目を凝らしたが、目当てのシルエットは見つけられなかった。
合宿中、携帯は職員室の金庫に預けることになっているので、個別に連絡をとることもできない。
千鶴はがっかりしたが、明日も朝から会えるんだし、と気を取り直した。
寝起きの沖田先輩とか見られるのかな……
低血圧とかで、機嫌悪かったりしたらかわいいな……
恋する女子特有の妄想で、千鶴がクスクスと笑っていると、扉のノックされる音が聞こえてきた。一年マネージャーの片方がドアを開けると、土方が立っていた。土方は中を確認するように覗き込むと、頷いた。
「よし、皆いるな。トイレは中にあるし、冷蔵庫もあるからもう夜は外に出るなよ。バカな奴らが来ねぇとも限らないから隣の学園長室には俺が寝る。合宿で浮かれて抜け出したりしたら……どうなるかわかってるだろうな?」
ぎろり、と土方から睨まれて、総司と夜会えたら……と思っていた千鶴は首をすくめた。
「わ、わかってます……」
一年マネージャーたちもうなずき、土方はもう一度頷くと、ドアを閉めた。
そして当然総司はその夜学園長室のドアを開けて、土方のドヤ顔を見せられたのだった。
次の日、昼食後の休み時間に千鶴は総司を探していた。もしかしたら、と思い武道館の裏のベンチに行ってみると、案の定道着姿で横になって眠っている総司を見つけた。真夏なので暑いは暑いが、風が通るとの木陰なのとで結構過ごしやすい。
千鶴は声をかけようか、それとも朝から眠そうだったからこのままそっとしておいた方がいいのか迷って、そっと傍に近寄ってみる。
「探しに来てくれたの?」
目をつぶったまま突然そう言った総司に、千鶴は驚いて思わず飛び上がった。
「お、沖田先輩、起きてたんですか?びっくりしました」
総司は伸びをしてからゆっくりと起き上って、ベンチの隣をポンポンと叩いて千鶴に座るように促す。千鶴はおずおずと、でも嬉しそうに隣にチョコンと座る。
揺れる千鶴のポニーテールを総司は楽しそうに見た。
「すいません、眠ってるところをお邪魔して……」
「……夕べ千鶴ちゃんのところに行こうとあれこれやってみてね、すっかり睡眠不足」
総司の言葉に、千鶴は『え?』と驚いた。
「沖田先輩、夕べ来てくださっていたんですか?」
「うん。土方先生の鉄壁の守りに阻まれたけどね。ね、千鶴ちゃん……?」
総司はそう言うと千鶴の方へ身を乗り出した。総司の茶色の髪がさらりと千鶴に触れ、千鶴はどきりとして後ずさる。
「な、なんですか?」
「……なんで逃げるの」
総司の表情が険しくなる。機嫌を悪くさせてしまったと千鶴は焦り、必死で理由を話した。
「あ、あの……私、汗をすごくかいてるんで……」
「なんだ、そんなこと?全然匂わないよ?それより僕の方が運動したから臭くない?」
くんくんと自分の腕の匂いを嗅いでいる総司に、千鶴は真っ赤になって言った。
「沖田先輩は……いい匂いがします」
千鶴の様子に、総司は面白がるように片眉をあげた。そして千鶴の頬に手を添えてこちらをむかせる。
ゆっくりと近づいてくる総司の唇に、千鶴は瞼をそっと閉じた。総司の唇が優しく探るように何度も合わさる。千鶴は緊張のあまり頭が爆発しそうだった。
武道館の裏はほとんど人が来ないとはいえ、誰かが総司を探しに来ないとも限らない。
それに総司と二人きりで会うのも本当に久しぶりで、キス自体も半月くらい前に図書館デートの帰りに家まで送ってもらった時以来だ。
千鶴がまとまらない頭で、とりとめのないことを考えていると、総司の手が頭をしっかりと固定し、角度をつけて深く唇を合わせてきた。舌で千鶴の唇をそっと舐め、唇を開くよう促す。千鶴が反射的に唇を開くと、するりと舌が入り込んできた。その感触に千鶴は思わずビクリとする。
「ん……」
思わず鼻に抜けるような声がでてしまう。唇の中だけではなく体の中に……頭の中にまで侵入してくるような総司の行為に、千鶴は先ほどまで気にしていたことを全て忘れた。
右も左も、上も下もわからなくなり、総司の道着にしがみつく。総司も反対の手で千鶴を抱き寄せた。
すっかり夢中になった千鶴が、自分からも求めて、体の力もすべて抜けて、総司の思うが儘の状態になったとき、総司はふっと唇を離した。千鶴は、思わず離れた唇を追い求めてしまいそうになって、はっと我に返る。
総司はそのまま唇を滑らせて、千鶴の耳にキスをして、うなじに顔をうずめてしばらく動かなかった。
「あの……沖田先輩?」
「あー……暴走しそう。千鶴ちゃんのその無防備さは凶悪だよね……」
あやうく性欲魔人になるとこだった……とつぶやいている総司の隣で、千鶴は黙っていた。
女の子がこんなこと思うなんてって思うけど……でももっと抱きしめていてもらいたかった。キスも……
そこまで考えて千鶴は真っ赤になった。熱い頬を自分の手で抑える。ここは学校で今は合宿中!やめてくれた総司に感謝しなくては。そう自分に言い聞かせてると、総司が髪をかき上げてこちらを見た。
「……もっと二人でいたいね」
その言葉は本当に的確に今の千鶴の心境を言い当てていて。
総司も同じ思いなんだと思うと、千鶴は嬉しくて切なかった。自分も同じ思いだと総司に言っても困らせるだけだろう思い、言葉にするのは我慢したが。
総司は、考えていることがそのまま顔にでる千鶴を、幸せそうに眺めて言った。
「ね、合宿中の夜、抜け出そ?」
「え?」
「僕の夢は、千鶴ちゃんと一緒に夜食を食べに行くことなんだ」
「?夜食を食べるのが夢、ですか?」
総司はにっこりとほほ笑んだ。
「うん。千鶴ちゃんと二人で牛丼食べに」
夜食に牛丼を食べに行くことの意味はさっぱり分からないが、総司の幸せそうな顔を見て、千鶴はコクリと頷いた。それが夢だというのなら、なんとかして叶えてあげたい。
「でも、土方先生が……」
「大丈夫、何か手を考えるからさ」
そう言って総司は黒い笑顔を浮かべた。
その夜、男子トイレですごい音がする、という警備員の訴えに、土方は夜の十時に男子トイレへと走った。確かに中からパンパン!パパパパンッ!と激しい破裂音がする。
「こりゃあ……花火が爆竹の音じゃねぇか?」
土方の後ろに隠れてトイレを覗いている警備員に、土方が呆れたように言う。縋り付いてくる警備員の手をめんどくさそうに振り払って、土方はずかずかと暗い男子トイレに入って行った。
壁際にある電気をつけ、音がしている個室のドアをあける。と、そこには想像したとおり大量のネズミ花火が置いてあり、いまだにパチパチと激しく跳ねている。煙もひどい。
「なんですかね?こりゃ。悪戯にしては夏休みのこの時間にやってもあまり意味がないような……?」
不思議そうに言う警備員に、土方はニヤリとほほ笑んだ。
「こりゃ陽動作戦だな。……すいません。多分うちの部員の悪戯です。あとで片付けさせますんで」
後半は警備員に言うと、土方は男子トイレを後にした。そこのトイレの場所はご丁寧にも学園長室から一番遠いトイレで……
「悪ぃな総司。残念ながらこっちの方が一枚上手なんだよ」
大方今頃、総司は学園長室に行って千鶴を連れ出そうとしている所だろう。そこまでわかっているのに何故か土方はニヤニヤと笑いながらゆっくりと歩き去ったのだった。
「……土方さん……!」
一方そのころ学園長室の隣の和室で、総司は怒りに体を震わせていた。
ドアを開けた時から少しおかしいとは感じた。まだ夜の十時だというのに部屋は真っ暗で、物音一つしない。
そう思いつつも携帯の光でぼんやりと見える布団の方へ、総司はそっと歩み寄る。千鶴が寝ている場所は、昼間にあらかじめ彼女と約束済みだ。入口に一番近いところに寝ていてね、と。
総司はそっと膨らんだ布団に手をのばし……そこでふと手を止めた。
何か手触りが変で、携帯の光を枕の辺りに向けてみると、そこには『バカは来る』と書いてある紙が貼ってある枕と、ご丁寧に人間のカラダに見えるようにぐるぐる巻きにされた布団とが置いてあった。
次の日の夕方、夕飯前のちょっとした時間に総司は千鶴を探していた。
一体昨日の夜からどこで寝ているのか聞いておかなければ。もう総司が合宿に参加する夜は今日が最後。つまりチャンスも最後なのだ。武道館から食堂へ行く渡り廊下に差し掛かったところで、総司は呼び止められた。
「総司!」
「近藤さん!?」
近藤が、にこにこ笑いながら近寄ってきた。大好きな近藤に会えたのが嬉しくて、総司は駆け寄る。
「合宿に参加してくれたそうだな。有難う。全国大会優勝者が出てくれると練習の気合いがかわってくるからな」
「一週間はさすがに無理なんで、最初の三日間だけですけどね。でも僕にとってもいろいろ有意義でした」
「そうだな。剣道はとにかく実戦、試合あるのみだからな。いろんな人間とあたるのは、たとえどんな相手からでも得るものはある」
うんうん、と近藤は嬉しそうにうなずくと、『お、そうだ』と思い出したようにズポンのポケットから紙切れのようなものを取り出し、総司に差し出した。
「?なんですか?……日本庭園?」
「先ほど来たお客さんにもらったんだよ。あそこに大きな公園があるだろう?そこに日本庭園があって今の時期は夜の十時ごろまで公開されているんだ。都会だが蛍を育てていて蛍庭園なんて呼ばれててな。受験の気晴らしに雪村君とでも行ってきたらどうだ?」
もちろんあまり遅い時間まで連れまわすんじゃないぞ、近藤はそう言いながら総司の髪をくしゃっとかき上げた。
「剣道に学業に……お前は最近ほんとにがんばってるな」
総司は、手元にあるチケットをから視線をあげた。満足気な優しい瞳が自分を見てくれている。
「……ありがとうございます」
妙に気恥ずかしくて誇らしくて、総司はなんとかそれだけを言った。
手元にある蛍の舞う日本庭園の写真が載っているチケットを見ながら、総司は上機嫌で廊下を歩いていた。花火の時に千鶴は、蛍はあまり好きではない、とかクマを思い出す、とか散々だったが、誘ってみようと思っていた。
前世でのつらい思いがあるのだとしたら、自分が一緒に彼女の傷を癒していきたい。前世の事が無かったとしても、舞飛ぶ蛍なんてカップルにぴったりのシチュエーションではないか。それをきっかけに夫婦だった時代について何か思い出してくれるかもしれないし。
なんとか夜八時までの門限にしてもらって……そんなことを考えながら千鶴を探していると、廊下の曲がり角の向こう、水飲み場の辺りから女子生徒の声が聞こえてきた。
千鶴ちゃんと……一年の女子マネの子たちの声かな?
総司が水飲み場に向かうと、ちょうど剣道部のマネージャー三人で水分補給用のボトルを洗っている所だった。
「沖田先輩ってかっこいいですよね!」
聞こえてきた一年女子マネの声に、総司は足を止めた。千鶴の返答が気になる。総司はさっと壁の陰に隠れた。
「いいなぁ、雪村先輩。あんな素敵な彼氏がいて」
もう一人の一年生マネージャーの声が聞こえる。肝心の千鶴は、あの、その……と口ごもるばかりだった。
最初に話した方の一年生マネがまた口を開く。
「私……でも、最初は雪村先輩は斎藤先輩とつきあっているんだと思ってました」
その言葉に、曲がり角の向こう側の総司は目を見開いた。
千鶴の驚いたような声が聞こえてくる。
「斎藤先輩と?」
「はい。雪村先輩が、引退した三年生の先輩とつきあってるというのは聞いていたんですが、誰と付き合っているのかまでは知らなくて。斎藤先輩、元部長なんでマネージャーと引き継ぎとかでよく雪村先輩と話しているのを見かけたんです。その時のお二人の……雰囲気というか……。斎藤先輩もすっごく優しい目をしてるし、雪村先輩もとても楽しそうで、ああ〜気があってるんだな〜と……」
千鶴の戸惑う声が訪ねる。
「そうなんだ…沖田先輩も結構来てたと思うけど……?」
「うーん……そうなんですよね。沖田先輩、雪村先輩のことすごくお気に入りなんだな〜とは思ってはいたんですけど、もう最初の印象で斎藤先輩と雪村先輩がつきあってると思い込んじゃってたんで……」
もう一人の一年マネが言う。
「私も、斎藤先輩があんなに長く楽しそうにお話されているのは雪村先輩だけなんで……そういう関係かと…私とかだと会話にならないっていうか……」
千鶴が答える。
「そ、そうかな?結構皆と話してると思うけどな……?」
「そんなことないですよ。雪村先輩が、波長があっているというのか、お似合いなんだなって」
総司は手に持っていたチケットをくしゃりと握り潰し、ジャージのポケットに突っ込んだ。そしてそのまま踵を返すと水飲み場を後にした。
部室で総司は蛍のチケットをびりびりに破っていた。
思い出したくないのに、脳裏に前世の屯所時代の思い出がよみがえる。千鶴の事をなんとも思っていなかった当時自分が呑気に散歩から帰ると、たいてい一と千鶴が二人で縁側でお茶をしていたり、庭の掃除を一が手伝っていたり…
その時の記憶の中でも、二人はいい雰囲気だった。実際総司も二人は相愛だと思っていたのだ。少し寂しさを感じたのは覚えているが、それは一に対する嫉妬なのか置いて行かれた孤独感なのかよくわからない。
多分、『魂の傷』の一つにかかわっている蛍……見る事で千鶴ちゃんの何かが変わってしまうかもしれない……
全てを思い出してもまた自分を選んでくれるとはとても思えない。屯所での斎藤との信頼関係。彼女を一人不安定な時代に置いたまま先に死んでしまった自分。その後の彼女の人生……
彼女の傷を癒したいというのは本当だ。けれども癒すことで彼女がすべてを思い出し、自分から去って行ってしまうことが怖い。想像するだけでどうなってしまうのかわからないくらい怖い。そんなことになるくらいなら、彼女は傷ついたままでもかまわないと思ってしまう。
自分が前世で彼女につけた、深い深い傷。それが彼女が自分のものであるという刻印なら……
こんな不安に思うのは、きっと自分が彼女を前世で幸せにできなかったという後ろめたさのせいなのだろう。そしてそのせいで現世でも幸せにできないのではないかと思ってしまう。そしてその事に千鶴が気づいてしまうのが怖い。
前世ではもう選びようのない状況だから自分についてきてくれた。現世では……過去を覚えていない彼女につけこんで強引につきあうことにさせた。
彼女は一見流されやすいように見えるが、その実相当意志が強い。すべてを知って、やはり……総司ではないと思ってしまったとしたら千鶴はきっと離れていくだろう。同情はしてくれるだろうが、自分で自分の人生を選んで生きていくだろう。
何も知らないままで、傍にいてくれるのならそれでいい。
総司は何も感情の現れていない透明な緑の瞳をして、破いた蛍のチケットをゴミ箱に捨てた。
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