薄桜学園夏合宿!




第三話




コンコンという窓ガラスからの音に、部屋の中にいた千鶴と一年生マネージャーは顔を見合わせた。
時間はあと少しで夜の十時。もしかして……と思い、窓ガラスを開けると、そこにいたのはやはり総司だった。
「お、沖田先輩、ここ三階ですよ!?」
「茶道部部室とはね〜。途中で部屋変えるとか、土方さんもなかなかやるよね」
一年生女子も寄ってきて、驚いたように総司を見ている。
「どうやって……」
恐る恐る窓の外を覗き込む千鶴に総司はにこやかに答えた。
「別にふつーに外階段で。それで外廊下でここまで」
「でも外階段の入口、鉄の門で鍵がかかってますよね?」
「ああ、あんなの簡単に乗り越えられるよ。校舎の入口側には色々トラップが仕掛けてあったけど外階段は開かずの門のせいで手薄だったしね。さ、千鶴ちゃんでかけようよ」
気軽〜に誘う総司に、千鶴は呆れた。
「沖田先輩……十時半に最後の見回りで土方先生が来るんですよ。いなかったりしたらたいへんなことになります。沖田先輩だって……」
「千鶴ちゃん」
滔々と行けない理由を挙げる千鶴に、総司は手のひらを挙げてストップをかけた。
「……行きたいの?行きたくないの?」
そのシンプルな問いに、千鶴は虚を突かれたように一瞬黙り込む。頭に浮かんだ答えは……
「……行きたいです……」
総司はにやっと笑って言った。
「そんなに牛丼食べたいんだ?」
「……やっぱり行きたくないです」
ぷぅっと膨れた千鶴に、総司が笑いながら謝った。
「ウソウソ!ごめん。行こ?」
差し出された総司の手を握ろうとして、千鶴は後ろに立っている一年生マネージャーたちを気遣わしげに見た。
「あの、土方先生が来たら……」
「大丈夫です!うまくごまかします!」
「行ってきてください!」
満面の笑みで千鶴の背中を押すようにして、一年マネージャー二人は千鶴を送りだす。
ごめんね、と謝りながら、千鶴は総司の手をとって外階段を降りて行ったのだった。
近くに国道が通っているので、牛丼屋は各種揃っていた。その中の一つに二人で入る。こんな夜遅くに総司と二人で外食するのは初めてで、千鶴は少し緊張する。手をつないで店に入り、二人で食券を選んで……総司の言うとおりすごく親密な感じがする。
 二人でカウンターに座ると、総司が言った。
「ところでさ、僕今日誕生日なんだよね」
「……」
千鶴は、目が点、という表現がぴったりの顔をした後、盛大に叫んだ。
「ええっ!?」
「千鶴ちゃんって女の子のくせにそーゆーの気にしないよね。記念日とかさ」
千鶴はがっくりと肩を落とした。
「た、誕生日は気にします……すいません。でも全然……考えてなかったですうううう……」
 総司と出会ってからは怒涛の毎日で、正直記念日を祝おうにも誕生日を祝おうにも次々と事件が起きて、とても考えていられなかった。誕生日がいつなのかすら……
 ううん、これは言い訳。私が気が利かないだけ……
奈落の底まで落ち込んでいると、総司が楽しそうに言った。
「プレゼントはもらえるんだよね?」
千鶴はぱっと顔をあげた。
「も、もちろんです!何がいいですか?あ、もう……時間がないので今日には贈れないんですが……」
「ん。別に日にはこだわらないからいいよ。とりあえず当日にもらえなかった残念賞として『おめでとうございます』って言ってちゅ〜してくれる?」
「………」
当然のように要求してくるが、ここは電気が煌々とついている牛丼屋さんで、店員の人はカウンターの中で忙しそうに働いてて、お客さんは一人で来てる男の人が多くて……
 声で発声はされていないが、『できるよね?』という総司のオーラが千鶴を包む。
 実際誕生日を忘れていた……というより知らなかった……いや、それよりもひどい、存在すら気にしていなかった千鶴は、圧倒的にまずかった。千鶴はごくりと唾を飲むと、さっと辺りを見渡して誰も自分たちを見ていないことを確認する。そしてぎゅっと目を閉じて、総司の唇に自分の唇を軽く合わせた。
「お、おめでとうございます……!」
総司は言ってはみたものの、まさか本当に千鶴がこの場でキスしてくれるとは思っていなかった。
多分まだ、泣きそうな上目使いで見られて、『場所をかえて人が誰もいないところで千鶴からキス』あたりがおとしどころかと……
正直驚いたのと、千鶴の恥ずかしがっている雰囲気が移ったのと、それと……なんだか妙に気恥ずかしくて嬉しくて照れくさくて、総司は自分の耳が熱くなるのを感じた。にやける口を手のひらで隠して、総司は言う。
「うん。よくできたね。じゃあプレゼント、何が欲しいか言ってもいい?」
「は、はい。なんでしょう……!」
「いろいろ考えたんだよね。モノは別に、今欲しいものないし、欲しいものって言ったら千鶴ちゃんくらいでさ」
手のひらで赤くなっている顔を扇ぎながら水を飲んでいた千鶴は、総司の言葉にぶっと水を噴き出した。
「だっだめですよ!え、え、え、えっちな方のプレゼントは、禁止令が解除になってからです……!」
「わかってるよ。だから禁止令にはひっかからないけど、僕が満足して多分千鶴ちゃんも満足するプレゼントを頑張って考えたんだよ」
総司は爽やかに笑いながら、千鶴の耳に唇を寄せてごにょごにょと何事かをささやいた。
それを聞いた千鶴は頬を真っ赤に染め微妙な表情で固まる。
「いつそれをさせてもらうかはまた言うよ。今日はちょっと……二人きりすぎて禁止令破っちゃいそうで危ないから、また別の機会にね」
総司がそう言ったとたん、『お待たせしました〜!』という元気な声とともに牛丼が二つ運ばれてきた。
いただきまーす♪と嬉しそうに割り箸を割る総司とは対照的に、千鶴はまだ固まったままだった。
 
「お腹いっぱいです……」
「僕はちょうどいいかな。合宿の食事、まずいんだよね〜」
そう言いながら総司は千鶴を抱き上げた。
「うわっ重っっ!千鶴ちゃん牛丼食べすぎ!」
冗談ぽくそういってよろけた総司を、千鶴がぽかりと叩く。
「もう!」
「ほら、はやく手すりにつかまって」
千鶴が手をのばし、開かずの外階段へとつながる扉の上に何とか昇ると、総司は下から彼女を見上げた。
「一人で部屋まで戻れる?僕もついていこうか?」
「大丈夫です」                   
総司は優しい瞳で微笑んだ。
「じゃあ、ここから見てるからもう行って」
「……」
門を乗り越えて後ろ側に飛び降りればいいだけなのだが、千鶴にはできなかった。
寂しい。もっとそばにいたい。でもそれを言うのは迷惑かもしれない。総司は明日も練習があるし、受験生だから夜遅くまで外にいて体調を崩してしまうかもしれないし……
思い悩んでいる千鶴に、総司が静かに言う。
「……言ってみたら?思ってること全部。千鶴ちゃんの気持ちが聞きたいな」
総司の、その励ますような言葉と瞳のきらめきに、千鶴はいつもは理性で抑えてしまう思いを素直に口にした。
「もうちょっとだけ……一緒に、いたいです……」

武道館の裏のベンチに座って、手をつないで。
千鶴と総司はずっと二人で話していた。笑ったり驚いたり、時々軽いキスをかわしたり、髪を梳いたり。
話が途切れても気まずい沈黙にはならず、つないでいる指でいつのまにか指相撲をしていたり。
 いつもは二人でいても昼間なので他の人がいる。それに何かすること……勉強だとか映画を見るとか、があるのでこんなに、まるで暇つぶしのように二人でいるようなぜいたくな時間はなかった。
二人でずっと一緒にいること……。そんな生活が急に現実に思い浮かべられるようになって、千鶴は少し赤くなった。
総司との毎日は楽しいけれどあまりにもいろんなことが起こって、今現在のことしか考えられなかった。
……というより考えないようにしていたのかもしれない。
『幸せな約束』が怖かったように、自分が臆病者だという自覚はある。総司が自分とつきあってくれているのも、時々本当なのだろうかと不安になる。これまでの総司の、女の子ととの付き合い方を見ても、飽きられるのは覚悟していた方がいいと思って、ずっと先の事は考えないようにしていたけど……
 でもそれだけじゃない気もする
心の深く、触れたくない部分で総司との未来を、何故か考えたくない自分がいる。そのことを思っただけで震えるような不安感と、足元にぽっかり空いた暗い穴のようなイメージが浮かび、体の芯から冷たくなるほど怖い。
 でも……
千鶴は、隣に座ってしゃべっている総司を見る。彼は今は自分の傍にいてくれる。手を伸ばせば触れられる距離にいて、にっこりとほほ笑む笑顔も、悪戯っぽい瞳のきらめきも、暖かい腕も、意地悪な言葉も、優しい行動も、すべて自分にむけてくれている。このままずっと、二人で過ごして行けるのではないかと思ってしまうくらいの幸せを、千鶴は感じていた。
 二人で全部……嬉しいことも悲しいことも楽しいこともつらいことも、分け合って行ければいいな
そう考えて、まるでプロポーズの言葉のようだと感じる。
そうか、結婚ってきっとこういうことなんだ……
 特別な事じゃなくて普通なことを好きな人と二人で……
 

「夜が明けてきたね……」
総司が、青色とオレンジ色が複雑に混ざり始めた空を見上げながらつぶやいた。
「ね?千鶴ちゃん……って……寝ちゃったの?」
返事がないので千鶴の方を見ると、彼女は総司の肩によりかかったまま、すぅすぅと気持ちよさそうに寝息を立てていた。
起こして部屋に帰してあげないといけないけど……
「もう少しだけ、このままでいいよね」
総司はそうつぶやいて、自分も顔を千鶴の頭に寄せて瞼を閉じた。
 
一晩中、総司と千鶴を探し回った土方が見つけたのは、そんな二人だった。
「……ったく……、しょうがねぇなぁ……」
すやすやとお互いに寄りかかりながら眠っている二人を見ると、怒る気も失せる。
 特に悪さもしなかったみてぇだし……
土方はガシガシと頭の後ろを掻くと、安らかに眠っている二人をチラリと見て、溜息をついて踵を返し校舎へと戻って行ったのだった。                







2011年10月発行
2013年11月発行
掲載誌:BLUE ROSE
 

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