薄桜学園夏合宿!
第一話
薄暗い古典準備室。土方は一にぼろぼろのパイプ椅子を薦め、自分は机の端に浅く腰かけた。
「……で?」
土方の言葉に、椅子に座った一が簡潔に告げた。
「バレました」
土方は舌打ちをすると煙草を取り出して咥える。火は点けないまま咥えタバコでガリガリと頭を掻いた。
「〜〜どこからだ?雪村か?やっぱりあいつに黙っておけってのは無理な話だったか……」
一は静かに首を横に振る。
「雪村ではありません。平助です」
「なにい!?」
「あいつはうかつな所がありますので、会話の流れでぽろりと……」
一はそう言い、その時の会話について説明しだした。
のどかな夏休み。
総司、一、平助たち高校三年生組は、殊勝なことに予備校の夏期講習に出ていた。昼ご飯を外の公園で食べ、次の授業が始まるまでだらだらと他愛もないことを話す。
「で、模試の結果はどうだったのだ、総司」
一が総司に聞くと、平助も身を乗り出してきた。
「そういやどうだったんだよ?なんか千鶴に無理矢理変な約束させてたろ。A判定だったら、エ、エ、エッチOKとかさ!なんだよお前!スケベオヤジかっつーの!!」
この変態!と言う平助の罵り言葉に、珍しく総司は無反応だった。視線をそらして、いい天気だな〜などと空を見ながらつぶやいている。
「……A判定ではなかった、ということだな。Bか?それともCか?」
一が言うと、総司は溜息をついて、しぶしぶ……という様子で返事をした。
「……Bだよ」
「びぃいいい〜!?」
驚く平助。一は静かに頷く。
「お前の志望先で現役で、今の時期でBならかなりいいのではないか」
「ずっりぃ〜!お前全然勉強してなさそ〜なのになんでそんなにいいんだよ!俺なんかDだぜ!」
噛みついてくる平助に、総司は答えた。
「受験なんて要領だよ。平助みたいに教科書を最初から順番に勉強してたらDは当然だろ。テストに出るところと、自分が苦手な所だけ勉強すればいいんだよ」
えらそうに答える総司に、一が心持ち楽しそうに言った。
「とにかくも千鶴は無事、と言うわけだな」
一の顔を横目でじろり、と見てから、総司はベンチの背もたれに腕を掛けて伸びをする。
「まぁAではなかったけど、Bだからね。『B』くらいはさせてもらわないとね」
平助は呆れる。
「おま……ってことはA判定をとったら『A』っつーことで……キスだけだぜ?」
「……」
黙り込む総司に、一が耐え切れず、ふっと笑う。総司はイライラと髪をかき上げた。
「……夏休み明けにまた模試があるよね。ぜっったいA判定とるから。死ぬ気で勉強する」
決意表明する総司に、平助がすがるように言った。
「ちょっとちょっと!一人で先に行かないで!俺にも教えて!テストにでるところと俺の苦手な所はどこ!」
「知ーらない!僕理数系なんてわかんないし」
平助は、『あ〜〜〜!!』と言うと髪をかきむしる。
「俺、ホントこの夏休み勉強する!頑張んねぇと『就職してガンダムを作る』という俺の夢が儚く消えちまうし!あ〜学園の剣道部合宿、でるのやっぱやめようかな〜。B判定の総司もでねぇんだし、そんなことしてる暇ないんだよな。でも最後だし、千鶴もでるしな〜…」
「平助!」
鋭い一の言葉に、平助はハッと口を手で抑えた。しかし時すでに遅く、総司が黒笑みを浮かべている。
「……千鶴ちゃん?千鶴ちゃんが何?」
「あ〜……、いや、ほら、千鶴もマネージャーだから学園でやる合宿にでるだろ?」
冷や汗をかきながら言う平助に、総司はさらに詰め寄る。
「でるよね。それは僕も知ってるよ?去年も家から通いで出てたよね。じゃあなんでさっき一君はあんなに焦って平助の言うことを止めたの?どうして平助はそんなにアワアワしてるのかな?」
「おっ俺は…!もとからいっつもアワアワしてんだよ!」
それもどうかと思うが、平助は必死だった。何しろ土方から厳命がでているのだ。『総司には絶対言うな!』と。
「……ふーん、土方さんがねぇ……何を言うなって?」
「だから今年は千鶴も学園に泊まって合宿するってこと……って、えーーー!!!なんで総司俺の考えてることわかんの!?ってか言っちゃったし〜!!一君ごめん!!」
「平助は頭の中で考えてること全部口に出して言っちゃってるからね。でもそうか……ふぅん、千鶴ちゃんがねぇ……今年は泊まりか……」
一が慌てて口を開いた。
「総司、泊まりとは言ってももちろん部屋は別だし千鶴は一年の女子マネージャー達と……」
「僕もでよっと」
鼻歌を歌いながら、食べ終えた後のゴミをゴミ箱に捨てて予備校へと総司は歩き出した。その背中を横目で見ながら、平助と一は青ざめた顔を見合わせたのだった。
「……と、いうわけで……」
一は説明を終えると、ガラリと古典準備室のドアを開けた。そこにいたのはにっこりとほほ笑み道着を来た総司とうなだれた平助。
「今日から始まる合宿の初日から三日間、参加してあげますよ」
総司がにこやかに告げた。
土方が、ちっと舌打ちをする。
「全国大会優勝者として合宿に顔だけでも出してくれって散々頼んだっつーのによ、断りまくりやがったどの口が言うんだか……」
苦虫をかみつぶしたような表情でいう土方に、平助がしょんぼりと謝った。
「土方先生ゴメン……」
「ったくおめーは……!」
土方は平助にそう言い、あきらめたように口をつぐんだ。そして総司に顔を向け続けた。
「いいか!絶対悪さはすんなよ。学園の名前でよそ様の御嬢さんを預かってんだ。そこに男子部員が夜這いしました、とかなってみろ!PTAは騒ぐ、マスコミは騒ぐ……近藤さんの立場が悪くなんだぞ、わかってるな!?」
土方が立ち上がって、ビシィッと総司に人差し指を向けてくぎを刺す。総司は欠伸をしながら言った。
「夜這いって……。いつの時代ですか。ホントに汚い大人は嫌だなぁ。僕はもっとピュアですよ」
しゃあしゃあという総司に、今度は一が尋ねる。
「じゃあお前の合宿参加の目的はなんだ。夜這い以外あるのか」
「ひどっ……!一君ってたまにひどいよね。そんな性欲魔人みたいに人を言わないでくれる?」
心外だ、という表情で土方を見て、総司は腕をくんだ。
「僕はね、夢があるんですよ。土方さんや一君みたいに汚れた性欲魔人には到底持ちえないピュアな夢が……」
そう言うと、総司はとうとうとしゃべり始めた。
「よくカップルが深い仲かどうかは、焼肉屋に二人で行くかどうかでわかる、とか言うじゃないですか。まぁ確かにアレは体力使うし焼肉屋は夜遅くまで開いてるし、そういう説があるのもわからないでもないんですが、その場合の『深い仲』って要はエッチしたかどうかって事だけで……」
「あー……長くなるのか?もうお前が夜這いしねぇってんなら別にてめぇの夢なんぞ聞いてる暇はねぇんだが……」
土方がさえぎると、一も言う。
「元部長としておれも早く合宿に行かねばならん。行ってもいいか?平助、聞いておいてやってくれ」
「ちょっとちょっと…!俺だって別に……!」
「……いい態度だね……」
もくもくと黒いオーラを発し始めた総司に、皆は溜息をついて聞く体勢に入った。
「まぁいいや。早く話せよ。どうせしょーもないノロケと乙女願望とが入り混じったドリーミー語りなんだろ?」
平助があきらめたように言うと、総司は否定した。
「ピュアな思いと言って欲しいな。つまりね、僕は世界中の人に千鶴ちゃんと『心も体も深い仲』なんです!と言いたいんだ。それには焼肉と言うより、牛丼だと思うんだよ」
はぁっ?という顔をした面々を満足気に眺めて、総司は続ける。
「夜中に牛丼屋とかに行くとさ、カップルで来てる人とかがたまにいるんだよ。それ見ていいなぁ〜って。牛丼屋に夜くるくらいだから、変な見栄とかはもうないってことじゃない?彼女をこじゃれたカフェにつれてかなきゃ、とかそーゆー段階はもう通り過ぎて、一緒に居ることが日常で裏も表も知ってる恋人同士って感じがするんだよね〜。で、僕も千鶴ちゃんと晴れてつきあうようになってそろそろ一年だからさ、夜に二人で牛丼屋とか行きたいわけ。でもあの子んち夜の九時ぐらいの女の子ひとりのコンビニとかはかまわない癖に、デートとかの門限は夜七時とかなんだよね。ありえないでしょ。やっぱ牛丼屋に二人で行くなら夕飯はとっくに終わった時間……十一時とかに行くのが、なんかこう……いいんだよね。その夢がもしかしたら今回の合宿で叶うじゃないかって……」
土方と一と平助は、周囲に飛び散っているハートマークの点ぴょうを手で払いのけながら歩き出した。
「あー……夢見てるとこ悪ぃが、合宿は外出厳禁。夜八時以降マネージャーとの接触も禁止だ」
土方はそう言い捨て歩き去る。
一もその後ろに続き、平助はまだ何か話している総司を後ろに置いて、気にしつつも一の隣に並んだ。
「いや、ほんと。総司人間変わったわ。恋っておそろし〜」
「人は恋をするとあそこまでバカになる物なのだな……」
スポーツドリンクを準備していた千鶴は、武道館の出口がざわめくのに気が付いて顔をあげた。
夏休み真っ最中の今、合宿初日の剣道部以外にも弓道部も柔道部も練習をしている。特に弓道部の女子部員達の黄色い声が目立って聞こえてくる。
「なんでしょうか?」
一緒に飲み物用意をしている一年生マネージャーが不思議そうに出口の辺りを見る。
「なんだろうね?」
千鶴も返事をしてまた作業に戻ろうとしたとき、人波が割れて、ざわめきの理由がはっきりとした。
「お、沖田先輩?平助君に……斎藤先輩も!?」
道着姿の三人が、取り囲む剣道部員や遠巻きに見ている弓道部の女子達の間からこちらに歩いてくるところだった。
「えっえっ?え三年の先輩方、合宿に参加するんですか?」
一年マネージャー達が驚き動揺している。学園剣道部の名物トリオが出るとなればかなり影響がある。合宿の見学と称してそれぞれのファンが集まって来るだろう。
しかし千鶴は初耳だった。平助は出るかどうか迷ってる、と聞いていたので、もしかしたら……とは思っていたのだが、一と総司については受験勉強のため合宿には参加しないと聞いていたのだ。そして千鶴は顧問の土方から、今回の合宿は去年と違って学園に泊まりこむことを総司には言うなとも言われていた。
千鶴はなぜ言ってはいけないのかわからなかった。まさか自分が学園に泊まりこむからといって受験で大事な時期の総司が合宿に参加するとは思えないが(考えが甘い)、もし……もしも、総司も合宿に参加できたのなら、一日中一緒にいることができる。それは千鶴にとってはとても嬉しいことで……
総司が三年生になってから、帰る時間もずれてしまったし週末も千鶴は部活、総司も勉強でなかなか会えない。昼休みはできるだけ一緒に食べたいと思ってはいるのだが、体育やら移動教室やらで二人きりでゆっくり……とはなかなかいかない。部活が休みの土曜日に時々図書館で一緒に勉強するぐらいが、ここ最近でゆっくりできる時間なのだ。
合宿だから『二人で一緒』は無理でも、でもずっと沖田先輩が見られる…!それに久しぶりに剣道している姿が見られるのも、すっごくすっごく嬉しい…!
圧倒的なパワーと技術の総司の剣道は、本当にきれいで千鶴は大好きだった。闘いの道具である剣を使う野蛮なスポーツという面もあるのだが、総司の体さばきは舞のようで、例えば刃物が持つ美しいきらめき、とか身体を焼いてしまう炎の美しさ、といったような残酷な魅力がある。
千鶴は知らず知らずのうちに両手を顎の下でギュッと握り合わせて、目をキラキラさせて総司を見つめていた。
当の総司は人垣の間をゆったりと歩き、挨拶や冗談を他の部員達とかわしながらも、目で何かを探すようにきょろきょろして……。千鶴を見つけると、にっこりとほほ笑んでまっすぐこちらに向かって歩いてきた。
隣にいる一年マネージャーは、遠くからしか見たことのない有名人がこちらに向かってくるのに驚いて、真っ赤になったまま固まっている。
千鶴も、メールや電話は頻繁にしているものの、夏休みになって総司に会ったのは本当に久しぶりで、道着姿の総司はさらに久しぶりで、ちょっと緊張する。
「千鶴ちゃん、元気だった?」
総司は、千鶴達のような気負いは全然ないようで、軽やかに千鶴の前で微笑む。
「は、はい…!沖田先輩、合宿に参加するんですか?」
目を見開いたまま聞いてくる千鶴に、総司はうなずいた。
「言ってなくてごめんね。僕もでるつもりはなかったんだけど、直前になっていろいろ情報が入ってね……。僕がこないほうがよかった?」
からかうように言う総司に、千鶴は即座に勢いよく言った。
「いいえ!!」
その勢いに少し驚いたように総司が目を見開く。それに気が付いた千鶴は、恥ずかしそうに頬を染めた。
「あ、あの……すっっっっごく、う、嬉しいです。嬉しすぎて……あの…」
少し離れたところで二人の会話を聞いていた平助は、呆れた。
「あれがバカップルってゆーものか……」
平助の言葉に、総司の背中を眺めながら一もしみじみと頷いた。
「背中を見るだけで、デレている、というのはわかるものなのだな……」
実際半径五メートル以内にいる人間全てには、総司の考えていることが手に取るようにわかった。
沖田先輩、絶対彼女のこと、『かわいくてかわいくてどうしてやろうか』って思ってる……
そうして、彼氏彼女ともウキウキワクワクの薄桜学園剣道部夏合宿がスタートしたのだった。
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