シンデレラの嘘 9






「お先に―」
 平助がカバンをもって席を立った。斎藤もパソコンの電源を落としている。向かいの席で椅子にもたれてキングファイルを繰っている左之が、ちらりと総司を見た。
「帰らねえのか?」
総司は片づけるふうでもなく書類やファイルを乱雑に広げたままパソコンで仕事をしている。
「やることはたくさんありますからね」
幹部室のソファで先ほどまで平助と打ち合わせをしていた土方も言う。
「先週まではどんだけ鬼スケジュールでも一人であっさり定時で帰ってたじゃねえか」
「いろいろとうるさいなあ」
総司はめんどくさそうに言うと、ファイルを調べ始めた。
 あの土曜日の千鶴と男を見かけてから、総司はあまり家に帰っていない。当然千鶴は土曜の夜は帰ってこなくて日曜日も不在。日曜日の夜も帰ってこなかった。それは、休みを欲しいと言ったときに言われていたことだ。         
月曜日の朝、総司は一人で会社に行って、夜に自分のマンションに帰ったら、千鶴がいた。自分のマンションにいる千鶴を見て総司はびっくりし、びっくりした自分にまた驚く。心のどこかで千鶴はもう帰って来ないのではないかと思っていたらしい。三回目の金はまだ渡していないし契約期間内だから、千鶴が帰ってくるのは当然のことなのだが。
『お帰りなさい! 遅かったですね、晩御飯、どうしますか?』
以前と変わらぬ笑顔でそう聞かれ、総司は言葉に詰まった。
『連絡しなくてごめん。……ご飯はいいよ。えーっと……家で、仕事をしたくて』
『あ、はい。すいません』
 自宅にある総司の仕事部屋に、総司は籠った。幸い、例の案件でやらなくてはいけない仕事は山のようにある。寝るのは千鶴が寝静まった後、こっそりと寝室のベッドで。朝も不審に思われない程度に話しに付き合ってそそくさと会社に行く。
 なんで自分の家なのにこんなにこそこそしなくちゃいけないわけ。
 二日目、その日は本当に夜に会議が入り遅くなった。
『おかえりなさい』と嬉しそうな笑顔で迎えてくれる千鶴に、総司は複雑な思いだった。この笑顔ををあの男にも見せてたのかと、すっかり騙されていた自分に対して総司は冷笑した。何も知らずに浮かれて、出張中も電話して契約期間が終わっても会う約束をして、会えないと言われていた週末にまで彼女に会えないかと出かけて行って。     
これまで生きてきてありえないほどのコケにされっぷりだ。
『何か食べますか?』
『いや……』
ネクタイを外しながら、総司は総司の食器を片付けている千鶴を見た。
『……この前の週末さ』
『はい?』
千鶴は無邪気に振り向く。
『何してたの?』
千鶴は驚いたように目を瞠った。
『えーっと……パン屋でバイトをしてました』
 それじゃあわざわざ休みなんてとる必要ないのに、と突っ込まれたらどうするつもりなんだろうと総司は思う。何も考えずに本当にしたことを答えている。
『ふうん。夜も?』
総司は何気ない顔で視線をそらして聞く。
『いえ、パン屋さんは夕方で終わりなので』
『夜は何したの?』
 更なる追求に、千鶴は少し慌てた。目を何度か瞬く。ああ、この表情はこれまでも見たことがある。そうか、これが嘘をつくときのクセだったのか。
 嘘だった。
総司が気に入った女の子は、存在していなかった。
『普通に……ご飯を食べて、寝ました』
 誰と?
これは聞けない。金で買ったのは体と時間であって、心ではない。休みの時に好きな男と何をしようと千鶴の自由なのだ。
 男がいたことも嘘をつかれていたことも、総司の胸を傷つけた。これまで経験したことがないような重い痛みだ。処女だったのも嘘なのか? 痛がっていたのと狭かったのと……血は出なかった気がする。……でも、本当のところは男にはわからない。
 男がいたならその男と協力して八十万円をなんとかできなかったのだろうか。借りるとか一緒に稼ぐとか……千鶴の立場が弱くて頼れなかったのか。
 食事もあいつに作ってやっていたのだろう。あの日もあの後同じ部屋に行って作ってやり一緒に食べ、そのあとセックスしたに違いない。
『……』
 総司はネクタイを放ると、千鶴の手をとった。
唐突な総司の行為に千鶴が驚いている。
『セックスできる?』
千鶴の目がさらに大きく、零れ落ちそうなくらいになる。
『え? 今からですか? 帰ってきたばっかりですけど』
『うん』
 総司はそう言って、強引にキスをした。驚いて固くなっていた千鶴も、総司のキスが深まると体の力を抜く。
 ああ、どうして……
総司は嫌になった。自分の中はこんなに苦いものでいっぱいで、彼女の中は嘘ばかりなのに、どうしてこんなにキスは甘いのか。自分の体に沿うように柔らかく暖かくとろけていく体に、総司の熱は硬くなり、欲しいと言う思いが止められない。
 自分から離れられないくらい何度もいかせて、涙をこぼすくらい無茶苦茶にして……熱く暗い思いが総司の胸の奥から湧き上がった。
 そのままそこで千鶴の着ているシャツの下から手を入れて胸をつかむ。背中に手を回しブラを外した。そしてダイニングテーブルに押し倒す。
『え? 沖田さん、ちょっと――』
焦る千鶴にかまわずに、総司は千鶴のスカートに手を入れてショーツを取った。『きゃあ!』乱暴なしぐさに千鶴が驚いている。
 だが、そこまでだった。
 中に入ると千鶴はいつものように暖かく柔らかく総司を受け入れてくれる。華奢な両腕を総司の首に回して、切なげな吐息を漏らされると、総司はどうしても乱暴にできなかった。腹の底にある真っ黒な疑いと苛立ちが、泣きたくなるような哀しみに変わる。
 何度も何度も抽挿を繰り返す行為は、愛をささやく行為に似ている。全身で相手の反応を感じ、それに合わせて触れ方を変え、そして自分の快感も増える。そしてどこからかわからない場所から、自分ではどうしようもなく愛しさが零れ落ちてしまうのだ。
『お、きたさん……っいくっ』
 千鶴の弱いところを何度もこすりあげていると、もうすっかり総司の体に慣れた千鶴は簡単にいってしまった。心も体もリラックスして、総司に抱かれているのだ。あの男にも抱かれているのかとちらっと頭をよぎったが、総司を包む柔らかさにその毒も溶ける。
 うっすらと滲んでいた汗が総司の顎をつたい千鶴の真っ白な胸に滴り落ちた。まだ総司の抽挿は止まらない。
 二度、三度といかされた千鶴は、さすがに今日の沖田はどこか違うと思ったようで戸惑ったように総司に聞いた。
『沖田さん……何か、あったんですか?』
総司はふっと笑うと、千鶴の首筋に顔をうずめた。いい匂いだ。
『何もないよ』
 そしてまだ千鶴の奥深くへもぐる。胸を愛撫し、敏感なつぼみを親指の腹でこすりあげる。快感に理性をなくした千鶴が、総司しか見えなくなるように。

 その日から二日連続で、総司は会社に泊まった。もちろん千鶴には連絡して仕事が今は佳境だからと伝えて。
金曜日の今日もそうしようと思っていた。何の解決にもならないのはわかっているが、今は千鶴を抱くのも抱かないのもつらい。
 あんな無垢なふりをして嘘をつきまくり、自分は愚かにもそれに全く疑いを持たずにいたのかと総司は苦笑いをした。どこからどこまでが嘘で、どこからが本当だったのか。それともひとかけらも本当は無かったのか?
「最悪」
 総司が、だ。ここまでわかっているのなら、全部彼女に言って本当のことを言わせてなじってけなして軽蔑すればいいだけなのに、それができない。それをしたら彼女が泣くし、彼女が泣いたら総司もつらいし、それに何より決定的な破局になる。しかし、破局が嫌だからと何もなかったように彼女の前ではふるまえなくて……本当に最悪だ。     
総司がつぶやきに、土方がこちらを見た。
「なんだ?」
「いえ、独り言です」
左之が、「ああ、そういえば」と顔をあげた。
「総司、お前、例の店。予約とってあるぜ。パーティは日曜日の夜七時からだろ? 三時から予約しといた。ここのセンタータワーの四階だ」
 左之がそう言って人差し指と中指に挟まった名刺を総司に渡した。それは、薄いピンク色の名刺で、そこには飾り文字で女性名が書かれている。
「サロン……」
「そう。千鶴ちゃんをパーティ仕様にしなくちゃいけないから、服から髪から化粧から全部面倒見てくれるところないかって聞いてきただろ。ここの女の子と知り合いだから予約しといてもらった。日曜日三時にここに行くように千鶴ちゃんに言っといてくれよ」
「ああ、そうだっけ」
そう言えば、まだ千鶴の男のことを知る前にそんな話をした。姉のミツをはじめ沖田家の親戚が多く集まるとあるパーティに千鶴を連れていく話だ。
「明後日だっけ」
どこかぼんやりしている総司を、土方が覗き込んだ。
「どうした? 体調悪いのか?」
「なんでもないですよ」
「仲良くやってんだろ?」
「……やってますよ」
つと顔をそらせて仕事に戻る総司に、左之と土方は目を見合わせた。

 その夜も総司は帰ってこなかった。次の土曜日も。仕事で会社に泊まると、千鶴に連絡はあったけれど。
 千鶴は総司の広いベッドで一人で寝て、一人で起きた。
日曜日の朝。千鶴は一人でコーヒーを淹れてトーストを食べる。
 沖田さん……何かおかしい、よね……?
前までは忙しくても会社を抜けて来て夕ご飯を食べ、土日はべったり一緒だったのに、最近はほとんど家にいない。
 今日で約束の三ヶ月だし……彼女ごっこに飽きたのかもしれない。家に千鶴がいるのが邪魔で会社にばかりいるのかも。もう最後だから、会えなくなるから一緒にいたいなんて思うのは千鶴だけなのだろう。                 
今日の夜のパーティで、きっと最後の仕事になる。                     
パーティが終わって、じゃあ仕事も終わり、帰っていいよって言われたら……泣かずにうなずけるかな。ちゃんとお礼は言わなきゃね。
 今夜は、平凡な千鶴をシンデレラみたいに綺麗にしてパーティに連れて行ってくれるのだ。王子様と魔法使いの一人二役で、総司も大変に違いない。                        
痛くないように気を使ってもらって経験できた初体験も、初めて食べたフレンチも、セレブの人達が住む高級マンションも。全部すてきな思い出になる。本当にお世話になりましたって笑って挨拶しなきゃ。
 あっさりと切り捨てられて終わる痛みは、きっとその素敵な思い出の対価なのだろう。              
総司にとっては金を払うことによって、罪悪感や胸が悪くなるような罵り合いをせずに終わることができる対価だ。あっさりと千鶴を忘れて元の生活に戻ることができる。そう言えば三ヶ月の間買った『彼女』は、まあそれなりに楽しかったなと時々思い出す程度で。
 千鶴は食べたものを片付けると、自分の身の回りのものをまとめ始めた。持ってきたものやこっちに来て買ったもの、増やすつもりはなかったのに増えて行ってしまった。
 広い部屋は一人だけだと静かで寒い。思い出を集めるように千鶴は一つ一つ丁寧に片づけていった。

 来いと言われたサロンはきらびやかで、ジーンズのショートパンツにオーバーブラウスというカジュアルな千鶴の服装では入りづらかった。サロンの前でうろいろしていたら、中からこれまたきれいなお姉さんが顔をのぞかせた。
「雪村さん?」
「は、はい!」
「お待ちしてました。どうぞお入りください」
 優しく言われて千鶴はなぜか赤くなってキラキラしたサロンに入る。入って驚いた。総司が立っていたのだ。
 ポロシャツに斬りっぱなしのジーンズ、素足にデッキシューズというラフな格好だが、背の高さとイケメンぶりから女性っぽいきらびやかな内装にも負けていない……というかなじんでいる、とても。
「沖田さん」
 ずいぶん久しぶりなような気がして、千鶴は思わず駆け寄ってしまった。総司はにっこりとほほ笑んでくれたが、緑の瞳は以前と違ってやはりどこか冷たい。
「沖田さん……」
「ちゃんと来たね」総司はそう言うと、少し離れて立っているきれいな女性二人に言った。
「服から? 髪から?」
 女性二人が近寄って来て「失礼します」と、千鶴の髪に触れる。もう一人は千鶴の手をとって爪を見た。
「ドレスはサイズをうかがっていたので、もういくつか持ってきてるんです。まずは今夜のコンセプトを先に決めましょうか」
こんせぷと? と首をかしげている千鶴を置いて、総司は女性たちと話し合っている。
「そうだね、この子こういう格好したことがないからどういう風にするかをまず決めた方が良いね」
髪が長い女性がうなずいた。
「ええ、雪村様に似合うのはもちろんですけど、沖田さんの好みもお伺いしたいです」
総司はまじまじと千鶴を見た。
「派手なのとかセクシー路線は会わないよね」
 千鶴はひそかにグサッと来たが、他二人の女性も同意なようでウンウンとうなずいている。
「そうだなあ……」総司は腕を組んで考えている。
「FOXYみたいなお嬢様系がいいかな。持ってきてたドレスの中にある?」                    
そこにあったワンピースの中に総司が気に入るものがなく、総司はセンタータワーに入っている直営店に、髪の長い女性と二人で行ってしまった。
 しばらくして戻ってきたときに持っていたドレスは、光沢のある上品なグレーのかわいいワンピースだった。
「かわいい! 雪村様にぴったり!」と、店に残った髪の短い方のお姉さんも言う。千鶴も目を瞠った。トップスは丸い襟もあってボタンもついているスーツのようなデザインで体にぴったりと沿い、きゅっとしまった腰からふんわりとしたひざ丈のスカートが広がっている。
 シックだけれど女性らしく、女性らしいけれど少女っぽさもあり、千鶴にぴったりだった。
「かわいいです……」
「ほんとはもう一つの方がよかったんだけど、襟まわりに毛皮がついててさ。さすがにまだちょっと早いし」
「沖田さんが選んだんですか?」と千鶴が驚くと、髪の長いお姉さんが笑った。
「店に入った途端こういうの持ってきてって。選ぶのもテキパキしてて、もう完成のイメージをお持ちですね」
総司は腕を組む。
「まあね、靴は五センチくらいのヒールであんまり華奢じゃないやつでエナメルみたいに光るやつね。色はドレスと同じで。イヤリングは大きな真珠一粒で……」総司の指示をメモし、髪の長いお姉さんは店の奥の人を呼んでこまごまと指示を与える。その間に、髪の短いお姉さんは、千鶴の爪の手入れをし始めた。
「髪、少しだけ形を整えるために切っても構いませんか?」
あれよあれよと進んでいく事態に、追いつけていない千鶴はコクコクとうなずくだけだ。
「とてもきれいな黒い髪なのでこのままふんわりとまとめようと思うんですけど毛先を遊ばせたくて。少しだけカットしますね」
後ろで総司が椅子に座って足を組んで見ている。やっぱりいつもと違う。
 沖田さん、怒ってる。ううん、私を嫌ってる?
いつもなら、あれこれと千鶴に話しかけてきたりからかったりしてたのに、今は表情を変えずに見ているだけ。
 何かしちゃったんだろうか……
先週末、お休みをもらった後からだ、おかしくなったのは。仕事が忙しいって言われてそうなのかと思ってたけど、やっぱり何か違う。
 前みたいに戻りたいけど……
でも今日が契約の最後の日だ。戻ったとしても二人で過ごす時間などない。また他人同士になるだけ。へんに聞かない方が良いのか、聞いた方が良いのか、千鶴は迷うが、機嫌の悪い総司は近寄りがたくて、結局何も言えなかった。
それからはあっという間だった。途中で総司は、じゃあ僕は自分の用意があるからと出て行ってしまったが、最初に指示を出していたおかげでつつがなく進む。髪のカットとアレンジと並行して爪をピンクと白のフレンチネイルにすると、次はメイクだ。聞いたこともないメイク用具が次々と出てきて、千鶴は鏡の中の自分の変わりようにびっくりした。
 目が……なんだろう? 深みがあると言うかキラキラしているというか、色っぽい。彫りもはっきりして肌も透明感のあるきれいな肌に変身している。
「じゃあ、ドレスに着替えましょうか」
ストッキングもすでに用意され、千鶴はあっとというまにお姫様に変身した。
 最後に全身の姿見で自分の姿を茫然として見ていると、サロンのお姉さん二人が、総司が言ったことをメモした紙を見ながら二人で何事か話しながら厳しい目で仕上がりをチェックしている。
 総司はこういったことに慣れているんだなあと、千鶴はまた総司と自分の違いを思い知らされた。パーティドレスなんて千鶴のこれまでの人生に縁がなかった。これからも冠婚葬祭ぐらいだろう。ドレスに合わせた髪型とかアクセサリーとか。ドレスのブランドとか。総司は普段そういうのが普通の世界に属しているのだ。
 千鶴の属している世界は……ユニクロとか。
図書館の正職員になれたとしても、たぶんそれは変わらない。もうちょっと高級なお店にたまには行けると思うけど、こんなドレスは買えないし、着ていく場所もない。
「完璧です! これで沖田様にもご満足いただけると思いますわ」
「時間もびったりですね、かわいらしいしお綺麗だし。素敵です」
 口々に褒められて千鶴は姿見に映る自分を見た。    
確かにこれまでの千鶴と違って、お姫様だ。
 でも本物じゃない。全部嘘。
そして嘘を重ねに舞踏会へ行く。             
現実の自分と今鏡に映っている自分の差が大きくなればなるほど、千鶴の気持ちは沈んでいく。王子様はその差に気が付いて冷たくなったのだろうか?
そしてサロンの扉を開けてもらって外へ出ると、そこには王子様が待っていた。
「おわった?」
 ピッタリとしたブラックスーツに、シックなエメラルドグリーンのネクタイとチーフ。頭が小さくて手足の長い総司にはスーツが似合う。かっこよくて素敵で……でもお互いの住む世界の違いをまざまざと見せつけられる。
 きれいなドレスを着た千鶴の後ろに重なるように、職場をクビになって必死でバイトしている千鶴がいる。そっちの方が本物だということは千鶴だけが分かっているのだ。
 でも今はもうその本物の千鶴のことは、自分でも好きになれなくなってしまった。
「かわいくなったね」
 満足げな瞳で見つめられて、千鶴はあいまいに笑った。  
この、演じているお姫様も嫌いだ。なんの中身もない空っぽな見た目。積み上げたのは嘘だけで、嘘を重ねてその重さですぐにつぶれてしまう張りぼて。
 でも本当の自分も嫌い。                
自分の事しか考えないでいろんな人を嘘に巻き込んでしまった。
 千鶴は総司と一緒にタクシーに乗りながら気持ちを押し殺す。今夜のパーティが終わるまで。それまでは何とか持ちこたえれるよう頑張ろう。それ以上はもう無理。自分でついた嘘の網にからめとられて、これ以上はもう『沖田さんの彼女』は演じられない。
 今夜が最後の日でよかった。少し前までは総司と離れるのがさみしかったのに、今はそれを待ち望んでいる。滲む涙を瞬きで隠して、千鶴は窓を流れていく灯りを眺めた。
人を好きになればなるほど自分を嫌いになるなんて、そんなことがあるなんて思ってもみなかった。


10へ続く  

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