シンデレラの嘘 9
その日から二日連続で、総司は会社に泊まった。もちろん千鶴には連絡して仕事が今は佳境だからと伝えて。
金曜日の今日もそうしようと思っていた。何の解決にもならないのはわかっているが、今は千鶴を抱くのも抱かないのもつらい。
あんな無垢なふりをして嘘をつきまくり、自分は愚かにもそれに全く疑いを持たずにいたのかと総司は苦笑いをした。どこからどこまでが嘘で、どこからが本当だったのか。それともひとかけらも本当は無かったのか?
「最悪」
総司が、だ。ここまでわかっているのなら、全部彼女に言って本当のことを言わせてなじってけなして軽蔑すればいいだけなのに、それができない。それをしたら彼女が泣くし、彼女が泣いたら総司もつらいし、それに何より決定的な破局になる。しかし、破局が嫌だからと何もなかったように彼女の前ではふるまえなくて……本当に最悪だ。
総司がつぶやきに、土方がこちらを見た。
「なんだ?」
「いえ、独り言です」
左之が、「ああ、そういえば」と顔をあげた。
「総司、お前、例の店。予約とってあるぜ。パーティは日曜日の夜七時からだろ? 三時から予約しといた。ここのセンタータワーの四階だ」
左之がそう言って人差し指と中指に挟まった名刺を総司に渡した。それは、薄いピンク色の名刺で、そこには飾り文字で女性名が書かれている。
「サロン……」
「そう。千鶴ちゃんをパーティ仕様にしなくちゃいけないから、服から髪から化粧から全部面倒見てくれるところないかって聞いてきただろ。ここの女の子と知り合いだから予約しといてもらった。日曜日三時にここに行くように千鶴ちゃんに言っといてくれよ」
「ああ、そうだっけ」
そう言えば、まだ千鶴の男のことを知る前にそんな話をした。姉のミツをはじめ沖田家の親戚が多く集まるとあるパーティに千鶴を連れていく話だ。
「明後日だっけ」
どこかぼんやりしている総司を、土方が覗き込んだ。
「どうした? 体調悪いのか?」
「なんでもないですよ」
「仲良くやってんだろ?」
「……やってますよ」
つと顔をそらせて仕事に戻る総司に、左之と土方は目を見合わせた。
その夜も総司は帰ってこなかった。次の土曜日も。仕事で会社に泊まると、千鶴に連絡はあったけれど。
千鶴は総司の広いベッドで一人で寝て、一人で起きた。
日曜日の朝。千鶴は一人でコーヒーを淹れてトーストを食べる。
沖田さん……何かおかしい、よね……?
前までは忙しくても会社を抜けて来て夕ご飯を食べ、土日はべったり一緒だったのに、最近はほとんど家にいない。
今日で約束の三ヶ月だし……彼女ごっこに飽きたのかもしれない。家に千鶴がいるのが邪魔で会社にばかりいるのかも。もう最後だから、会えなくなるから一緒にいたいなんて思うのは千鶴だけなのだろう。
今日の夜のパーティで、きっと最後の仕事になる。
パーティが終わって、じゃあ仕事も終わり、帰っていいよって言われたら……泣かずにうなずけるかな。ちゃんとお礼は言わなきゃね。
今夜は、平凡な千鶴をシンデレラみたいに綺麗にしてパーティに連れて行ってくれるのだ。王子様と魔法使いの一人二役で、総司も大変に違いない。
痛くないように気を使ってもらって経験できた初体験も、初めて食べたフレンチも、セレブの人達が住む高級マンションも。全部すてきな思い出になる。本当にお世話になりましたって笑って挨拶しなきゃ。
あっさりと切り捨てられて終わる痛みは、きっとその素敵な思い出の対価なのだろう。
総司にとっては金を払うことによって、罪悪感や胸が悪くなるような罵り合いをせずに終わることができる対価だ。あっさりと千鶴を忘れて元の生活に戻ることができる。そう言えば三ヶ月の間買った『彼女』は、まあそれなりに楽しかったなと時々思い出す程度で。
千鶴は食べたものを片付けると、自分の身の回りのものをまとめ始めた。持ってきたものやこっちに来て買ったもの、増やすつもりはなかったのに増えて行ってしまった。
広い部屋は一人だけだと静かで寒い。思い出を集めるように千鶴は一つ一つ丁寧に片づけていった。
来いと言われたサロンはきらびやかで、ジーンズのショートパンツにオーバーブラウスというカジュアルな千鶴の服装では入りづらかった。サロンの前でうろいろしていたら、中からこれまたきれいなお姉さんが顔をのぞかせた。
「雪村さん?」
「は、はい!」
「お待ちしてました。どうぞお入りください」
優しく言われて千鶴はなぜか赤くなってキラキラしたサロンに入る。入って驚いた。総司が立っていたのだ。
ポロシャツに斬りっぱなしのジーンズ、素足にデッキシューズというラフな格好だが、背の高さとイケメンぶりから女性っぽいきらびやかな内装にも負けていない……というかなじんでいる、とても。
「沖田さん」
ずいぶん久しぶりなような気がして、千鶴は思わず駆け寄ってしまった。総司はにっこりとほほ笑んでくれたが、緑の瞳は以前と違ってやはりどこか冷たい。
「沖田さん……」
「ちゃんと来たね」総司はそう言うと、少し離れて立っているきれいな女性二人に言った。
「服から? 髪から?」
女性二人が近寄って来て「失礼します」と、千鶴の髪に触れる。もう一人は千鶴の手をとって爪を見た。
「ドレスはサイズをうかがっていたので、もういくつか持ってきてるんです。まずは今夜のコンセプトを先に決めましょうか」
こんせぷと? と首をかしげている千鶴を置いて、総司は女性たちと話し合っている。
「そうだね、この子こういう格好したことがないからどういう風にするかをまず決めた方が良いね」
髪が長い女性がうなずいた。
「ええ、雪村様に似合うのはもちろんですけど、沖田さんの好みもお伺いしたいです」
総司はまじまじと千鶴を見た。
「派手なのとかセクシー路線は会わないよね」
千鶴はひそかにグサッと来たが、他二人の女性も同意なようでウンウンとうなずいている。
「そうだなあ……」総司は腕を組んで考えている。
「FOXYみたいなお嬢様系がいいかな。持ってきてたドレスの中にある?」
そこにあったワンピースの中に総司が気に入るものがなく、総司はセンタータワーに入っている直営店に、髪の長い女性と二人で行ってしまった。
しばらくして戻ってきたときに持っていたドレスは、光沢のある上品なグレーのかわいいワンピースだった。
「かわいい! 雪村様にぴったり!」と、店に残った髪の短い方のお姉さんも言う。千鶴も目を瞠った。トップスは丸い襟もあってボタンもついているスーツのようなデザインで体にぴったりと沿い、きゅっとしまった腰からふんわりとしたひざ丈のスカートが広がっている。
シックだけれど女性らしく、女性らしいけれど少女っぽさもあり、千鶴にぴったりだった。
「かわいいです……」
「ほんとはもう一つの方がよかったんだけど、襟まわりに毛皮がついててさ。さすがにまだちょっと早いし」
「沖田さんが選んだんですか?」と千鶴が驚くと、髪の長いお姉さんが笑った。
「店に入った途端こういうの持ってきてって。選ぶのもテキパキしてて、もう完成のイメージをお持ちですね」
総司は腕を組む。
「まあね、靴は五センチくらいのヒールであんまり華奢じゃないやつでエナメルみたいに光るやつね。色はドレスと同じで。イヤリングは大きな真珠一粒で……」総司の指示をメモし、髪の長いお姉さんは店の奥の人を呼んでこまごまと指示を与える。その間に、髪の短いお姉さんは、千鶴の爪の手入れをし始めた。
「髪、少しだけ形を整えるために切っても構いませんか?」
あれよあれよと進んでいく事態に、追いつけていない千鶴はコクコクとうなずくだけだ。
「とてもきれいな黒い髪なのでこのままふんわりとまとめようと思うんですけど毛先を遊ばせたくて。少しだけカットしますね」
後ろで総司が椅子に座って足を組んで見ている。やっぱりいつもと違う。
沖田さん、怒ってる。ううん、私を嫌ってる?
いつもなら、あれこれと千鶴に話しかけてきたりからかったりしてたのに、今は表情を変えずに見ているだけ。
何かしちゃったんだろうか……
先週末、お休みをもらった後からだ、おかしくなったのは。仕事が忙しいって言われてそうなのかと思ってたけど、やっぱり何か違う。
前みたいに戻りたいけど……
でも今日が契約の最後の日だ。戻ったとしても二人で過ごす時間などない。また他人同士になるだけ。へんに聞かない方が良いのか、聞いた方が良いのか、千鶴は迷うが、機嫌の悪い総司は近寄りがたくて、結局何も言えなかった。
それからはあっという間だった。途中で総司は、じゃあ僕は自分の用意があるからと出て行ってしまったが、最初に指示を出していたおかげでつつがなく進む。髪のカットとアレンジと並行して爪をピンクと白のフレンチネイルにすると、次はメイクだ。聞いたこともないメイク用具が次々と出てきて、千鶴は鏡の中の自分の変わりようにびっくりした。
目が……なんだろう? 深みがあると言うかキラキラしているというか、色っぽい。彫りもはっきりして肌も透明感のあるきれいな肌に変身している。
「じゃあ、ドレスに着替えましょうか」
ストッキングもすでに用意され、千鶴はあっとというまにお姫様に変身した。
最後に全身の姿見で自分の姿を茫然として見ていると、サロンのお姉さん二人が、総司が言ったことをメモした紙を見ながら二人で何事か話しながら厳しい目で仕上がりをチェックしている。
総司はこういったことに慣れているんだなあと、千鶴はまた総司と自分の違いを思い知らされた。パーティドレスなんて千鶴のこれまでの人生に縁がなかった。これからも冠婚葬祭ぐらいだろう。ドレスに合わせた髪型とかアクセサリーとか。ドレスのブランドとか。総司は普段そういうのが普通の世界に属しているのだ。
千鶴の属している世界は……ユニクロとか。
図書館の正職員になれたとしても、たぶんそれは変わらない。もうちょっと高級なお店にたまには行けると思うけど、こんなドレスは買えないし、着ていく場所もない。
「完璧です! これで沖田様にもご満足いただけると思いますわ」
「時間もびったりですね、かわいらしいしお綺麗だし。素敵です」
口々に褒められて千鶴は姿見に映る自分を見た。
確かにこれまでの千鶴と違って、お姫様だ。
でも本物じゃない。全部嘘。
そして嘘を重ねに舞踏会へ行く。
現実の自分と今鏡に映っている自分の差が大きくなればなるほど、千鶴の気持ちは沈んでいく。王子様はその差に気が付いて冷たくなったのだろうか?
そしてサロンの扉を開けてもらって外へ出ると、そこには王子様が待っていた。
「おわった?」
ピッタリとしたブラックスーツに、シックなエメラルドグリーンのネクタイとチーフ。頭が小さくて手足の長い総司にはスーツが似合う。かっこよくて素敵で……でもお互いの住む世界の違いをまざまざと見せつけられる。
きれいなドレスを着た千鶴の後ろに重なるように、職場をクビになって必死でバイトしている千鶴がいる。そっちの方が本物だということは千鶴だけが分かっているのだ。
でも今はもうその本物の千鶴のことは、自分でも好きになれなくなってしまった。
「かわいくなったね」
満足げな瞳で見つめられて、千鶴はあいまいに笑った。
この、演じているお姫様も嫌いだ。なんの中身もない空っぽな見た目。積み上げたのは嘘だけで、嘘を重ねてその重さですぐにつぶれてしまう張りぼて。
でも本当の自分も嫌い。
自分の事しか考えないでいろんな人を嘘に巻き込んでしまった。
千鶴は総司と一緒にタクシーに乗りながら気持ちを押し殺す。今夜のパーティが終わるまで。それまでは何とか持ちこたえれるよう頑張ろう。それ以上はもう無理。自分でついた嘘の網にからめとられて、これ以上はもう『沖田さんの彼女』は演じられない。
今夜が最後の日でよかった。少し前までは総司と離れるのがさみしかったのに、今はそれを待ち望んでいる。滲む涙を瞬きで隠して、千鶴は窓を流れていく灯りを眺めた。
人を好きになればなるほど自分を嫌いになるなんて、そんなことがあるなんて思ってもみなかった。