シンデレラの嘘 6
あまりの運動量、精神の疲弊、それに一度寝て起きた夜中の二時過ぎ。
千鶴はそのままガクンと深い眠りに落ちてしまった。その後のことは全く覚えていない。起きたのは総司の部屋の広いベッドの上。隣には総司がまだ眠っていた。
カーテンから洩れる光から推測すると、多分朝だ。
千鶴が身動きをしたのが伝わったのか、隣の総司が寝返をして目を開けた。そのまま起き上がって初めて隣に千鶴が寝ているのに気が付いたようで、ああ、という顔をする。
「……おはよ」
「おはようございます……」
総司はそのまま立ち上がって(裸だ)Tシャツとジャージ素材のハーフパンツをはくと、寝室を出て行ってしまった。
ど、どんな顔すればいんだろう。そもそも私のクビの話がどうなったのかわからないし……
起き上がってあたりを見渡すと、千鶴が昨夜来ていたジーンズとトレーナーがベッドの横にある棚の上に畳んでおいてある。ブラとショーツと靴下も。総司がやってくれたのかと千鶴はなぜか恥ずかしく、昨夜のことを思い出してさらに消え入りたいくらい赤くなったり青くなったりしながら、とりあえず千鶴は着替えた。
もしこのままクビなら、はやく出て行った方が良いだろうし、クビじゃないにしても恋人でも彼女でもなんでもないんだから用が済んだら早く帰った方が良い。本当は眠り込んでしまうことだって多分よくないんだと思う。
「あのう……」
リビングに顔を出すと、コポコポという音とコーヒーのいい匂いがした。総司に顔で促されて、千鶴はなぜかそのままダイニングに座り、コーヒーを二人でのむ。
「……おいしいです。ありがとうございます」
「どういたしまして」
総司もまだ完全に目が覚めたわけではないようで、髪もいつもよりもさらにあっちこっちにはねているし、目もぼんやりしていた。
返事は丁寧だったけど笑顔はない。気まずい沈黙が続き、千鶴は思い切って聞くことにした。
「あのう……私、これから……どうなるんでしょうか。どうすれば、いいですか?」
総司はマグカップに口をつけたまま、上目づかいで茶色の前髪の間からで千鶴を見た。化粧をしていない素顔、手櫛でまとめたボニーテール、トレーナーにジーンズ姿。総司の目に映る千鶴はさぞかし野暮ったいことだろう。『継続的なセックスの契約』を結びたくなるようなセクシーさもないし、気分よく一緒にいられるような会話力や振る舞いもできない。おまけにプライベートにずかずか踏み込んで怒らせてしまった。
これで終わりだよという言葉を、千鶴が覚悟していると。
「あー……そっか。じゃあ行こうか」
と、総司はなぜかマグカップを置いて立ち上がり玄関へと向かった。出ていけというのではなくついてい来いと言う。
「え?」
千鶴が驚いて聞き返すと、「来ないの?」と総司が振り返る。千鶴はあわてて立ち上がり、総司の後について行った。
総司はそのままスニーカーの踵をつぶしてはいてと、部屋をでてエレベーターに乗り込む。エレベーターホールの時計はまだ八時半で、日曜の朝のこの時間に活動している人はこのマンションには少ないようだった。
エントランスに行くと、総司は千鶴を来い来いと呼び寄せる。
「ここに指おいて……そう。でそのまま十数えて……。はい、OK。もう一本登録するから、そう、親指にしようか」
「こうですか?」
「そう。……これうちの会社が、特に僕がメインで開発したんだよ」
「え? そうなんですか?」
総司はうなずいた。
「うちは、セキュリティや認証専門のIT関係を取り扱ってる会社なんだ」
どうやらマンションエントランスの指紋認証に千鶴の指紋を登録しているようだ。総司はその後、コンシュルジュ(もう夜間の警備員ではなく、天霧という名前のコンシュルジュが座っていた)のところに行くと、カードを渡して何かを登録してもらっている。
総司は戻ってくると、「はい」と千鶴にカードを渡した。
「このカードをここにかざして、この電気がついたら人差し指をここにおく。そうするとドアが開くから。僕の部屋の方はカードをかざすだけで開くからね」
千鶴は目をパチパチと瞬いた。
これは……合鍵というものだろうか。これをわざわざ登録してくれたってことは……
エレベーターに乗り込もうとしている総司に、千鶴は小走りで追いついた。
「あの、クビじゃないってことですか?」
総司は気まずそうな顔をした。閉まるボタンを押しエレベーターが動き出す。
総司は両手をハーフパンツのポケットに入れてエレベーターの壁に寄りかかると、ポツンと言った。
「……ごめんね」
えっ? と千鶴が顔を上げると、総司は床をじっと見ていた。心なしか目じりが赤い……ような気がする。総司は片手で首のあたりを掻いた。
「つまり……うーん……いろいろ我慢が効かなかったなって反省してるんだ、一応」
「昨夜のことですか? あれは私は全然……優しかったと思うんですけど……」
初体験で他は知らないから比べようもないが、でも千鶴はとても……満足というか嫌な思いはしていない。
「昨夜……はもちろんそうだけど、それ以外もさ。まあ振り返ってみると、欲求不満でいらいらしてたってことかな」
「え?」
「やっぱり手や口で抜いてもらうだけじゃなくてきちんとセックスしなきゃねってこと」
「……」
エレベーターが止まり扉が開く。
いろいろ意地悪を言われたりされたけど、総司の性格のせいじゃなくて欲求不満のせいだったのか?
「あのー…じゃあ土方さんに新しく営業してたっていうのは……」
「ああ、あれもね。今になって冷静に考えてみると、こっちがダメだからあっちとか君にそんな器用な事できるわけないしね」
あ、やっぱり意地悪は沖田さんの性格か、と千鶴は微妙な気持ちになった。誤解が解けたのはうれしいけれど。
「じゃあ、会社の人達の前で彼女のふりっていうのは?」
「あれも無茶だったよね、よく考えれば。君にそんな高度な演技力あるわけないのに。適当にごまかせばよかったんだけど……まあ飲み会までして紹介しちゃったから、もうしょうがないよね。次からはああいう場は作らせないから、とりあえずはあいつらの前では『彼女』ってことでお願いしてもいいかな」
「でも、土方さんは私が沖田さんの彼女じゃないって気づいてました」
家の扉を千鶴のカードキーで開けてみるように促され、千鶴は扉の横の小さな箱のようなものに先ほど渡されたカードをかざした。カチッと音がして扉が開く。
「ま、あの人はね……いいよ。放っておいて。平助とか左之さんとかにそういうことを言う人じゃないし」
「でも、近藤さんに言われちゃったらまずくないですか?」
元はと言えば近藤の前で総司がいい子ぶりたいという話だったのだ。総司は肩をすくめた。
「近藤さんにも言わないでしょ、土方さんは。そういうところがまた小賢しいっていうか、好きじゃないところなんだよね」
きつい言葉やとげのある言い回しに、千鶴は昨日までの総司もほとんど素だったんだと思った。欲求不満のせいで意地悪を言ってたわけじゃないんだ。そりゃそうか、エッチを一回したからってものすごく優しい人に変身するなんて、そっちの方が変だ。
千鶴がそうやって自分を慰めてると、総司が振り向いて顔を覗き込んできた。
「今は痛くない?」
何が痛いのかと千鶴はしばらく考えて、そして思い当たる。昨夜の『初夜』だ。とたんに昨夜の自分の恥ずかしい声やら反応やらがパッと浮かんで、千鶴は真っ赤になった。
「はい。大丈夫です」
「あれも、ごめんね。ちょっとカッとなっちゃって……床の上でとか、準備も十分じゃなかったし痛がってたのに聞いてあげられなかったし」
かああああっと頭に熱がのぼる。これは優しい。意地悪なのと優しいのが混じっていて、気持ちが上がったり下がっったりで忙しい。
『どっちかってえとお前の方が総司に振り回されて苦労しそうだ』 昨夜の土方の言葉を思い出して、千鶴は妙に納得してしまった。
「い、いいえ、大丈夫です。私も、その……すいませんでした」
「何が? 千鶴ちゃんがあやまることはなにもないよ」
「いえ、あの……沖田さんの背中……」
総司はパチパチと二回目を瞬いた。
「背中?」
「その……朝に私も気づいたんですが、傷が……」
総司は寝室へ行き、ウォークインクロゼットを開けて姿見を見る。千鶴もついていった。そこで総司は着ていたTシャツを脱いだ。そして鏡に背中を映す。そこには昨夜千鶴が痛みの余りに引っ掻いた爪痕がくっきり残っていた。自分では絶対にとどかない場所だし、爪痕は左二本、右三本で、誰かにつけられたのだどはっきりわかる。
「あー……」
総司は楽しそうに千鶴を見た。
「このマンション、オーナーになると隣のスポーツクラブの会員に自動的になるんだよね。僕たまにプールに行って泳いだり筋トレしてたんだけど、しばらくはいけないなあ」
「……すいません」
「君といるとほんとにびっくりすることばっかりだね」
パチンときれいにウィンクを決められて、それはこっちのセリフです、とういう言葉は飲み込んだ。
総司が少し首を傾けて見ている。
「……な、んでしょうか?」
「抱きたいなーって思って。ダメ?」
腕を広げて微笑まれて、千鶴は目を見開いて固まった。総司の目が熱っぽく潤み、それを見るとなぜか千鶴の下腹の奥が熱くなる。顔が真っ赤になって手に汗が出るのを感じる。総司からはそれ以上は言葉も行動もなくて待っているようなしぐさ。行動を起こすのは千鶴なのか。
「……」
なんていえばいいのかわからなくて、千鶴はうつむいて目を合わさないようにしながらおずおずと広げられた腕の中に入った。これで『了解』の意味になるのかな?
ふわっと昨夜から…いやもっと前からすでになじんでいる総司の匂いがして、それがなぜか安心して千鶴はふっと力が抜ける。安心していていいようなシチュエーションじゃないのに。
「千鶴ちゃん、いい匂い」
「あ、私、お風呂……」
昨夜自宅で入ったきりだ。昨日の夜自転車を飛ばして初体験をしてきっと汗をたくさんかいたはず。
「いい匂いだよ」
総司はそう言うと千鶴に上を向かせた。まだカーテンが閉まっている薄暗い部屋の中で、総司と至近距離で見つめ合う。総司の瞳は、今は優しい緑色だ。何か言いたげな緑の瞳。その奥にちらちらと光っている金色のきらめきは総司の感情だ。
何をいいたいのかな? と考えているうちに総司の瞼が伏せられる。長い睫、切れ長な瞳をぼんやりとみていると、総司が顔を傾けて唇が合わさった。
千鶴の反応を確かめるようなキスだった。唇を何度かついばみ、からかうように舌が時折侵入する。千鶴が誘われるままに口を開けると、総司の侵入は大胆になった。
隣には広いベッド。日曜日の朝。仲直りの後。
総司は今度はゆっくりと千鶴の体を確かめる。キスで十分にその気にさせ、楽しむように耳やうなじを愛撫し千鶴の反応を見る。思う存分胸を確かめ、下着越しに下半身の敏感な場所をじっくりとほぐされていく。
「あ……ん……っ」
千鶴は快感と……そしていけないことだが、愛しさを感じていた。触れてくる総司の全てから、彼の思っていることや感じていることが伝わってくる。
出会った時の面白そうなものを見る目、時折現れる意地悪な光、そして他人行儀の優しい笑顔。それから昨日の夜の冷たい瞳に、初めての夜の熱く暗い瞳。さっきのエレベーターの中での気まずそうな瞳に、今抱きしめているときの優しい瞳。
だから……
だから、最初は好きな人と経験しなさいっていろんな人が言うんだなあ……
と、千鶴はぼんやりと思った。潤んで滲んだ視界越しに総司と目があい、千鶴の心臓は重く熱く震える。のしかかるようして総司がしてくるキスに応えながら、千鶴は抑えられそうにない想いを自覚した。
こんな素敵な人とこんなに優しい経験をしたら、好きになっちゃう。
単純にきっぱりと、お金との交換として割り切れない行為なんだと、千鶴はようやくわかった。初めてならとくに。
普通の人はそれを当然わかってるんだ……
何も知らなかった。こんな風に泣きたくなる気持ちも。
恋愛沙汰は、そりゃちょっとはあったけど、どれも薄っぺらくて軽いものばかり。
総司が気遣いながらゆっくりと入ってくる。鈍い痛みがあるが、快感の方が大きかった。
千鶴は手を伸ばし総司を求める。すぐに応えて体を寄せてきてくれた総司の背中に、千鶴は腕を回した。
総司がなかで動くたびに、抑えよう抑えようとする想いが千鶴の体の中できらきらと散らばった。総司の動きが激しくなり、千鶴は味わったことがない深い快感にゆらゆらとなすがままに揺らされるだけだ。駄目だとうるさく言う頭の声は、千鶴にはもう聞こえない。
皮膚から伝わる総司しか感じられない。
「あっ……」
遠くで自分の細く伸びる声が聞こえ、直後に千鶴は真っ白な宙に浮かび上がった。総司が千鶴を抱きしめさらに深く体を何度も何度もうずめるのを感じる。そのたびに千鶴は地上に落ちることは許されず宙に舞いあがった。
総司が、終業と同時に机の上を片付けて立ち上がるのを見て、向かいの席の左之がにやにやと笑った。
「前までなら土方さんにもう帰れって言われても残って仕事してたのにな。お早いお帰りで」
平助も便乗した。
「金曜だし、家で待ってる子がいる奴はいいなあ〜。あんなかわいい子が待ってたらそりゃ仕事なんかやってられないよな」
たまたま幹部部屋に来ていた土方も驚く。
「お前、帰るのか」
起業してからこの方、ほとんど会社にいた総司が。
総司は肩をすくめた。
「そういうのじゃなくて、今日はこのあと人と会う約束があるんですよ」
「浮気か?」
即質問した斎藤に、総司は冷たい視線を投げた。
「違うから。姉さんに呼び出されたんだよ」
皆の表情がぎくりとこわばる。公私ともに昔からの付き合いのこのメンバーは総司の姉のミツをよーく知っているのだ。
「何かやらかしたのか、お前」
左之が心配そうに言うが、総司には心当たりがない。だが、総司がミツの名を出した途端、土方の表情がこわばった。
「土方さん、何か知ってるんですか?」
「いや! 知らねえ!」
不自然に即答し、土方は自分の社長室にせかせかと戻って行った。
土方さん、知ってるな。
総司は目を細めて土方の背中を見た。多分あの事だろうと想像はつく。
近藤と土方、そして総司のミツは同年代で幼馴染だ。気が強く美人のミツは子どものころは近藤と土方を弟のように従えていた。子どものころの刷り込みとは怖いもので、大人になってひとかどの人物になっても近藤と土方はミツに頭が上がらない。
ミツから指定された待ち合わせのホテルのロビーに総司がいくと、総司は自分の想像が当たっていたことを知った。
「こちら、前にお話ししていたお嬢様よ、総司」
夕飯はホテルの最上階にある高級中華料理で個室だった。
「はじめまして」
総司は、外面用の極上の笑顔でにっこりほほえんで、その女性にジャスミンティを注いであげる。ありがとうございます、と恥ずかしそうにその女性はうつむいた。
若い。高校を出たばかりか短大卒業予定かそれくらいだろう。世慣れていないあどけなさが、表情やしぐさに現れていた。正直なところ大して好みではない。
総司が好きなのは対等に言いたいことを言ってくる気が強い女性だ。スタイルが良くてセクシーならなおいい。
そういう女性を手なずけて自分に夢中にさせるのが面白いんであって、言うことを何でも聞く女の子なんてうっとおしいだけで一人でいた方が楽しいくらいだよ。オトす必要のない恋愛なんて恋愛じゃないよね。まあ、結婚と恋愛は別っていうけどさ。
しかしこんな女性ではすぐに総司に染まり、そしてそれを疑問にも思わず従順になってしまうだろう。そんな手ごたえのない相手とこの先一生共に暮らすのかと思うとうんざりする。
しかし、そんな思いは一切顔にも態度にも出さずそつなく接待をこなし、女性をタクシーに乗せて愛想よく手を振った後、総司は姉を見た。
「話があるんだけど」
姉のミツは総司とよく似たすっきりと整った顔でにっこりとほほ笑む。
「あら、ちょどいいわね、私もよ」
もう九時を過ぎていたのでホテルを出て、二十四時間あいているコーヒーショップで向かい合った。ガラス製のテーブルにつくと、ミツがさっそく身を乗り出してきた。
「どう? あのお嬢さん。うちの家系とも縁が深いしとにかく若いから、親戚たちから突っ込まれるような経歴もないし、あんたもそろそろ年貢のおさめどきでしょ」
総司はカフェオレを一口飲んでため息をついた。
「姉さん、何度も言ってるよね。僕は本家とかそういうのにかかわるつもりはないんだって。そもそも本家は姉さんが婿養子を迎えてもう安泰でしょ」
「でもあんたは本家の唯一の男なのよ。親戚連中はまだ頭が古いからあんたの嫁が沖田家の嫁で、あんたんとこの子が次の本家の跡継ぎだって言ってるのもいるのよ」
「言わせておけばいいって、そんなの。結局跡を継ぐのは姉さんの子どもってことで僕たちは納得してるんだし」
「私たちはそうでも、親戚や分家の中には納得してないのもいるのよ!」
総司はうんざりしてカフェオレをまた飲む。
「ったく……大した資産も金もあるわけもないのに本家とか分家とか……今が平成ってわかってるのかな」
ミツもため息をついてアイスコーヒーを飲む。
「世襲の仕事をしてるわけでもないのにねえ。私も親戚のじじばばたちのあの『沖田家』に対する執念はわかんないわ。盆暮れ正月、結婚葬式出産、誰々さんちの何回忌……一年中なにかどこかであってご祝儀包んで出向いて迎えて挨拶して……うんざりよ」
たしかにそうだ。総司がこうしてセンタータワーなんかに住んで起業して自由に暮らせているのも、姉がそう言っためんどくさい親戚づきあいを一手に引き受けてくれているおかげだ。
「まあそれは……姉さんには感謝してるけどさ」
妙に面倒見がよくて姉御肌、結局尻拭いはしてくれる。だからこその近藤と土方の頭があがらないのだろう。
「まあ、とにかく。あんたはさっきのあの子で特に文句はないのよね? じゃあこの話は進めさせてもらうわよ」
「……」
総司はあきれ顔でミツを見た。
「さっきの子と結婚するつもりなんかありません。もう二度と会わないよ」
「……」
今度はミツが横目で総司を見る。
「……彼女ができたんですって?」
来た。総司は平静な顔を崩さなかった。
「誰に聞いたの? 土方さん?」
「まあ、そうね。あの辺から」
土方は、総司と千鶴の関係がそんなラブラブなものではないと気づいていると千鶴が言っていた。と、いうことは二人は恋人同士だと信じ込んでいる近藤からミツに伝わったのだろう。ミツが本当なのかと土方に確認し、土方はあいまいにうなずいた……。推測だがほぼこれが真実だ。ここはうまくやらなくてはまずいことになる。
「彼女ができたっていっても、結婚なんてまだ考えてないよ。そもそも僕は結婚に向かないと思うから結婚しないかもしれないし、もし結婚するとしても親戚一同集めてお嫁さんのお目見えなんてしないし許可なんかいらないし」
「ばかね!」
総司の考え抜いた牽制を、姉は一笑に付した。
「あんたがそのつもりがなくてもあっちからくるのよ! 勝手に家におしかけてくるに決まってるじゃない。どこからからかその彼女ちゃんの情報仕入れて身辺身元調査を頼むに決まってるでしょ! あたしの結婚の時に何人の探偵が内緒で雇われたと思ってんの!」
「あー……。もう、結婚しない一択って気がするな」
「それはそれでめんどうよ」
ほんとにそうだ。どこで調べるのか総司の住んでいる今の家にまで、本家の男子ということでお歳暮や年賀状がきちんと分家筋の当主から届くのだ。総司はお返しも何も無視しているが、そのしわ寄せは姉のところに文句という形で来ているらしい。本家の姉としては放置しておくわけにはいかず、総司の不始末の謝罪ともにお返しをしてくれている。まだ総司は二十代だが、三十過ぎたらさすがにそれは姉に悪い。
ミツはコーヒーを飲み干すと、にやりと笑った。
「一番いいのは今の状態かもしれないわね」
「今って?」
「真剣なお付き合いをしている彼女がいますっていう状態よ。こうやって新しい女の子を押し付けてくることもないし、結婚するかどうかわからないから身辺調査も動かない」
「なるほど」
総司は緑の瞳を見開いた。確かにそうだ。三ヶ月限定なのが痛いが別れたなんて言わなければいい。
「再来月にあそこのホテルでパーティがあるの、知ってるでしょ? うちの親戚もたくさん行くから、あんた彼女連れてきなさい」
「ええー……」
彼女のフリをするというのは今回の件で契約内容に入れてもらったから千鶴を連れていくことはできるが、あの鵜の目鷹の目の親戚連中の前に彼女を差し出すのはかわいそうな気がする。先月の、土方や左之達へのお披露目の時に、彼女が相当気苦労していたのに総司は気づいていた。
「何よ、もう尻に敷かれてるの?」
バカにしたようなミツの言葉に、総司はムッとした。
「そんなことありません。いいよ、連れてくから。じゃあ、僕は帰るよ」
「彼女によろしくね〜」
からかうようにひらひらと手を振る姉をにらんで、総司はコーヒーショップを出た。
歩きながら電話をする。
「ああ、僕だよ。何してた?」
お風呂から出たとこです、という彼女の声に、総司は自然に笑顔になった。部屋着姿で髪をポニーテールにしているスッピンの千鶴が思い浮かぶ。
「今終わったから、これから帰るね。多分……三十分後くらいかな?」
『はい、わかりました。何か食べますか?』
「いや、いいよ。お腹はいっぱい。……でも君は食べるつもりだから」
『……』
赤面して返事に窮している千鶴が浮かび、総司は声を出して笑った。
7へ続く
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