シンデレラの嘘 4




まぶしい昼の光が溢れるセンタータワー一帯には、たくさんの家族やカップルが楽しそうに溢れていた。観光客やビジネススーツの人もいる。
「たくさん人がいますね」
千鶴が驚いていると、近藤が笑った。
「そうだな。俺もここに越してきたときは驚いた。あっちにコンサートホールがあるから、何かイベントがあるのかもしれんな。もう少し秋が深まるとここは紅葉がきれいでな。見に来る人たちがたくさんいる」
 田舎者丸出しの千鶴の発言をあざ笑うでもなく気持ちよく会話を進めてくれる近藤に、千鶴は彼の器の大きさを感じた。総司があそこまで心酔しているのもわかる気がする。
「何にするかな。落ち着いて話もしたいし、個室がいいな」
 近藤は楽しそうに総司に話しかけながら、マンション棟からショップ棟へと移動する。話が聞きたいって……アドリブや行き当たりばったりは、千鶴が一番苦手とすることなのに。なんでこんなことに……と、心の中でうめいている千鶴に、更なる不幸が降りかかった。

「近藤さん? それに総司。なにやってんだ?」

 後ろから声が聞こえた。三人が振り向くと、総司ほど背は高くないがものすごい美形が近寄ってくる。着崩した感じのノータイのスーツが似合っている。思わず目を見張るほどの整った顔に紫の瞳、押し出しの強さ。とても無視できない存在感。実際周囲のほとんどの女性はハート目になってその人を見ている。
「トシ! どうしたんだ、今日は土曜日だぞ」
嬉しそうに歩み寄っていく近藤の背中を見ながら、隣の総司がチッと舌打ちをした。
「土方さんか……やっかいなのに会っちゃったな」
 え? という顔で千鶴が総司を見上げると、総司は、仲がよさそうに話している近藤とその土方という男性を見ながら小声で言った。
「土方歳三。近藤さんの幼馴染で僕の会社の社長」
しゃ、社長さん! 近藤に何か言われた土方がこちらを見た。千鶴が驚いて背筋を伸ばすと、総司が千鶴の背中を小さく叩く。
「頑張ってね。行くよ」
「が、頑張るって……」
 小声で話している間に土方が近くへやってきた。千鶴をちらっと見てから総司に言う。
「これからメシ食いに行くって?」
「そうですよ。お祝いに近藤さんがおごってくれるんですって。土方さんはなんでこんなとこにいるんですか」  
「俺は仕事だよ。受注した例の件が気になってな」
「へー、お仕事熱心ですね」
にこやかだけどどこか失礼な総司の返事に千鶴がはらはらしていると、土方が苦笑いをした。
「ったく、安心しな。別に昼飯について行ったりなんざしねえよ。お前に彼女ができた祝いもかねてんだろ?」
総司はため息をつくと頭を掻いた。
「……近藤さんもおしゃべりだなあ……」
「隠し通せるわけねえだろ! ふらふらしてたお前にしちゃあいい彼女じゃねえか。ふられねえようにしろよ」   
あ、この人は沖田さんのこれまでの行状を知ってるんだ。
「うるさいなあ。土方さんには関係ないでしょ。早く仕事に行ったらどうですか」
 総司が追い払うようにしっしっと手をやると、土方は肩をすくめた。総司の失礼なそぶりにも慣れてるらしい。近藤と三人で、長くて深い付き合いなのだろう。
「じゃあな、近藤さん、例の件で来週会えるか?」
「ああ、そっちのオフィスに行こう」
「助かる」
短い会話を交わして、土方は色づき始めた木々の中をオフィス棟の方へと行ってしまった。
近藤が総司と千鶴を見る。
「さあ、昼飯に行こうか!」

 

 千鶴は緑茶の缶をシンクの上の棚に置いた。その隣にセイロンとダージリンの紅茶の缶。そしてコーヒーの粉を密封保存用のキャニスターに入れる。
 次はコップとポットだ。コーヒーカップに紅茶カップ。マグカップとガラスのコップそれぞれ五客セットを包み紙から出していく。コーヒーメーカーは総司がすでに段ボールから出してセットしていた。
「コーヒー飲んでみようか」
 そう言って総司が差し出した手に、千鶴はキャニスターを渡す。
「これ、フィルターです」
「これをこうセットするんだよね?で、水とコーヒーと……」全く料理をしたことがないという総司は、楽しそうに鼻歌と歌いながらコーヒーを計り水を入れている。
「夕飯はどうする?」
「えっと……私、今日も一緒にいるんでしょうか?」
 つまりは、今夜もそういうことをするんでしょうか? ということではあるが。総司には当然わかっていて、にんまりとした笑顔で返された。
「とーぜん。だって今日はあれでしょ? 初夜」
「……」
「今日こそは、貫通するつもりだからね。今のうちに処女の自分を楽しんでおいて」
 ……か、かんつうって……でも、そうか、今夜は、あんな風にほてったまま放置されるんじゃなくて、ちゃんと最後まで……
そこまで考えて千鶴はさらに赤くなった。ぶんぶんと頭を横に振って昨夜の出来事を振り払うと、千鶴は先ほどから気になっていたことを聞いてみることにした。
「あの……あの方……近藤さんは、どうするんですか?」
「何が?」
「近藤さんに、いつ本当のことを言うんでしょうか」
総司は千鶴を見て笑った。「言わないよ」
「でもじゃあ、三ヶ月が過ぎたらどうするんですか?」
「残念ながら別れちゃいましたって言えばいいじゃない」
 千鶴は三時間ほど前に別れた近藤の笑顔を思い出して、後ろめたい思いに襲われた。
 ゆっくり和食の個室で三人で昼食をとった。近藤はとても気持ちのいい人で、根掘り葉掘り二人のなれそめを聞くような人ではなかった。千鶴もリラックスできとても楽しい昼食だったのに、その喜んでくれたのがそもそも嘘だというのが心苦しい。あんなに沖田さんに恋人ができたことを喜んでくれていたのに。三ヶ月後に別れたって言ったらどれだけ心配して胸を痛めてくれるか想像に難くない。
 嘘をつくって、人を傷つけることなんだな……
千鶴も、薫のこととか大学のこととか、嘘というか……総司に言ってないことがたくさんある。総司のことを言えた義理ではないのだが、でもあの近藤という人は……
「いい人ですよね」
「近藤さん?」
パッと総司の顔が明るくなった。
「でしょ。いい人だし懐が深いし優しいし。大好きなんだ」
 ストレートな『大好き』という言葉に、なぜか千鶴は嬉しくなった。かわいい。               
「でも、だから……心苦しいです。私のこと、ほんとに喜んでくださっていたんで」
 総司は肩をすくめると、コーヒーメーカーのコードを差し、スイッチを入れる。
「まあしょうがないよ、それは。ほんとのこと言うよりはいいし」
「ほんとのことを言った方がいいとおもいますけど……」
「いいんだって」
「でも……」
 『ピンポーン』というチャイムの音に会話は途切れた。   
気まずい流れになっていたので千鶴はほっとした。総司は画面に映る人物を見ると顔をしかめる。インターホンを押して、総司は冷たい声で「何?」と聞いた。
『なんだよー! どうせかわいい彼女といちゃいちゃしてんだろ? 降りて来いよ。夕飯食べに行こうぜ!』
元気な男性の声。続いて昼間会った土方と言う人の声も聞こえる。
『悪いな、会社に行ったら平助と斎藤と左之がいてな。話しちまった』
『いやいや、俺が話してしまったんだぞ、トシ。嬉しくてつい、なあ』
近藤の声だ。総司は盛大な溜息をついた。
「あーあ、こうなるんじゃないかと思ったんだよなあ……」
「沖田さん……?」
 会社の同僚だろうか。またもやあの嘘だらけの時間を過ごさなくてはいけないのかと、千鶴は不安げな顔で総司を見る。総司はそんな千鶴を見て、苦笑いをした。
エントランスとのマイク通話を切って千鶴にだけ話す。
「会社の同僚……っていうか、起業仲間だよ。小学校から一緒の奴もいるし高校からのもいるし……まあ主に大学のゼミで一緒になってそいつらで企業してここまで会社を大きくしたわけだから、会社役員の同僚。ここで断るのも怪しまれるし、しょうがないから、千鶴ちゃん、もう一回頑張ってね」                       
え……この流れは、一緒にあの人達と夕飯を食べる流れ?
必死で首を横に振っている千鶴を無視して、総司はブツッとエントランスとの通話マイクをオンにすると土方に返事をした。
「十分後に下に降りますから大人しくしててくださいよ」

「土方だ。さっき会ったよな」
黒髪の紫の瞳の人が言った。隣に座っている近藤が「俺はもういまさらだろう」と笑う。
「俺は斎藤という。よろしく頼む」
「左之助だ。原田左之助。いやあー総司に先越されるとはなあ!」
「藤堂平助。よろしくな。マジで総司とつきあってんの?」
 アジアンな雰囲気の飲み屋で、千鶴は皆の注目を集めていた。最後の平助の質問に何と答えればいいのかと総司を見る。にっこりとうなずかれて、千鶴は平助に「はい」と答えた。
「まーじーでー! いったいいつ! どこで知り合ったんだ? 総司なほとんど会社にいたじゃん!」
なんて答えようかと千鶴が内心焦っていると、総司が答えてくれた。
「内緒だよ」
左之が聞く。
「うちの会社……じゃねえよな? この辺で働いてんのか?」
「それも秘密」と総司。
「どれくらい前から付き合っているのだ? 総司は例の入札案件でここ半年は会社に缶詰だったと思うのだが」
「それでも日頃の行いが良ければかわいい女の子とは出会えるんだよ」
 したり顔でしゃあしゃあと答える総司を、千鶴は宇宙人を見るような目で見た。ここまで平然と嘘が言えるなんて。千鶴なんて前日にかなり考えてつじつまを合わせ、何度も何度も練習したというのに。             
平助が笑う。
「よくいうぜ。日頃の行いが一番悪いのはおまえだろ? 寄ってくるおねーちゃんたちを来るもの拒まずで食ってるくせに」
「平助!」土方の鋭い声に、平助がハッと気が付いた。そして千鶴に謝る。
「ごめん! あー……ほんと、マジでゴメン。今のは……今のは彼女に聞かせる話じゃなかったよな。でもほら、過去の話だからさ。今は彼女一筋だって! 総司もごめんな」
 必死になってフォローしてくれる平助や土方、話を変えようと何を飲むかと尋ねてくれる斎藤。左之はこの店のおすすめを教えてくれる。
 千鶴はほのぼのとした。いい人達だなあ……
そして、そんな人達をだましていることに胸がちくちく痛む。だって彼らは、千鶴が総司の正式な彼女だからこそこうやって気を使ってくれたり受け入れてくれたりしているのだ。本来の千鶴のままなら、こんな会社の人たちと同じ席にすわって話に加われるような存在ではない。笑顔を崩さないで愛想よく。千鶴は劣等感や罪悪感を今は胸の奥に押し込めて、役に徹する努力をした。

 店を出て秋の夜風に酔いを覚ましながら皆で歩いた。タクシーで帰る者、地下鉄で帰る者さまざまだったのでとりあえずセンタータワーの敷地から出て地下鉄の駅まで歩く。今日はちょうどセンタータワーの横に半分だけの月がのぼっていた。
 相変わらず人通りは多いが、緑も多くて気持ちがいい。あちこちにある円形の花壇はきれいに手入れをされていて、今は秋の花――コスモスが咲き乱れているが、きっと四季折々美しい花が植えられているのだろう。        
左之や平助、斎藤達と一緒に総司は歩いており、千鶴は少し遅れた。後ろからさらに遅れた土方と近藤が追い付き、千鶴と並んで歩く。
「無理につきあわせてしまって悪かったな」
ふいに近藤に言われて、千鶴は両手を振って否定をした。「そんな……! こちらこそ飲み会に割り込んで参加しちゃってすいませんでした」
近藤が笑う。「割り込みというよりは、みんな君が見たくて作った飲み会だからな。俺も驚いたし、皆も総司に彼女ができたと興味津々だったんだ」
「そんなに驚くようなことだったんですか?」
千鶴は前を歩く総司を見ながら聞いた。かっこいいし会話もうまいしおしゃれだし。彼女がいなかった時期の方が少なそうな人なのに。
土方が苦笑いをする。「あいつは性格がクソだからなあ」
「トシ、そう言ってやるな。俺は総司のことを信じてたぞ。きっとずっと本当に好きになれる人を探してたんだ。あいつはそういう純なところがある」
 そ、そうかなあ……と千鶴が同意できない気持ちでいると、同じような表情をしている土方と目があった。妙な連帯感を感じて二人でほほ笑むが、近藤はそれには気づかず、千鶴を優しい瞳で見て、言った。
「総司をよろしく頼む。あいつは……」
近藤はそう言うと言葉を探すように視線をさまよわせる。
「あいつはどこか冷めたところがあってな。人当りはいいんだが深く付き合うことを避けてるようなところがあった。だが本当は寂しがりやで、真面目な男なんだ」
そして千鶴の顔を見てふと我にかえり、頭を掻いて笑った。「いや、もうそんなことは君なら知っているな。総司が家にあげるまで深く人と付き合うのは本当に珍しいんだ。君はきっと総司にとっては特別なんだろう。あいつもそんな女性と出会って所帯を持てば変わるだろうにと思っていたんだ。君のような女性があいつの傍にいてくれて、こんな嬉しいことはない」
「近藤さん、所帯って気が早すぎだろ。あんたがプレッシャー与えてどうすんだよ」
土方の突込みに近藤は慌てて訂正した。
「いやっそんなつもりはないんだ。そういうのは自然なことだし、お互いの気持ちがそうなることが大事だと俺も思う。結婚は、あいつの実家の問題もあるしいろいろ難しいこともあるだろうが、俺は応援しているぞ」
「だからー!」土方は近藤を小突いた。そして千鶴を見ると苦笑いをする。
「気にすんなよ。親代わりが長かったせいかどうも気が早くていけねえな」
「い、いえ……」
 気が早いと言うか、千鶴としては百光年経ってもありえないことを言われて反応に困った。千鶴は総司の特別な存在何かじゃない。家にあげてくれたのだって金が絡んだ関係であとくされがないからこそだろう。普通の女性は、そんな風な特別扱いをすると彼女になったと誤解するから、というようなことを総司は前に言っていた。だから、今、近藤には、千鶴にその気があるような返事は当然まずいが、その気は全くないと言う返事も当然まずい。
 もともとこういう人間関係でのアドリブ的なことに弱い千鶴は、必死で前を歩く総司の背中に念を送った。
 お、沖田さんー……! 助けに来てください!     
当然総司は気づかないまま平助たちとじゃれている。土方が「でも、まあ……な」とふいに呟いた。
「あいつが変わってくれたらいいなと俺も思うぜ。千鶴…って言ったか? お前がそのきっかけになってくれるかもしれねえな」
そう言って総司の背中を見る土方の目は、弟を見るような暖かさがあった。近藤もそうだ。小学生のころから一緒って言うのは、この人達のことかもしれない。千鶴がそう聞くと、土方はうなずいた。
「あいつが小学校低学年のときにな、近藤さんがやってる剣道の道場に入ってきて……そっからだよ、つきあいは」
剣道なんてやってたんだ、と驚く千鶴に、近藤もほほ笑む。
「前ほど頻繁にはできんが、今でも一応やっているぞ。あいつもたまに練習にくる。今度君も来てみるといい」
 自然に誘われて、千鶴は「はい。ありがとうございます」と答えたが、きっと千鶴がその道場に行くことはないだろう。この人達のような親密な目で総司を見ることもできない。それどころかそんな優しい人たちを裏切っている。
 近藤も土方も、総司のことを思って喜んでくれているのに。総司のことを思って千鶴を誘ってくれているのに。
「あいつが他人と、きちんとした深い関係を築けるのだということを今日知って、嬉しい気持ちとさみしい気持ちを半々だな」
ほほ笑む近藤を土方が叩いた。
「弟離れしねえとな」
「本当だな。……ありがとう、雪村君」
 近藤から誠意のあふれるまなざしでそう言われて、千鶴は小さく会釈で返事をすることしかできなかった。
 このまま三ヶ月。千鶴が総司の彼女として過ごしたら、この優しい人達の幸せな気持ちはどんどん膨らんでいくんじゃないだろうか。でも大きく膨らんだソレは、三ヶ月後には必ず割られてしまうのだ。それならまだ小さなふくらみである今のうちに、本当のことを言った方が……
「じゃあな!」
「月曜日にねー」
 挨拶をかわし三々五々散っていく皆に手を振りながら、千鶴は心を決めた。
 正直に言った方がいい。自分は恋人なんかじゃないって。お金のやりとりがあるっていうのは……法律的にまずいかもしれないから、ナンパとかそういう気軽な感じなんですって。あの近藤さん以外はみなさん沖田さんのこれまでの女性に対する行状を知ってるみたいだったし、本当のことを言っても多分『なーんだ、やっぱりな』で終わる気がする。近藤さんはがっかりするかもだけど、あんな優しい人をぬか喜びさせておく方が残酷な事だろう。

 そしてそれを、千鶴はマンションの部屋で二人きりになった時に総司に言うと、総司の表情はあからさまにうんざりしたものになった。
「またそれ? 夕飯を食べに行く前もいろいろ言ってたよね」
「夕飯を食べた後に、近藤さんと土方さんとお話する機会があって。お二人とも本当に喜んでくださっていたんです。このまま三ヶ月ずっと嘘をつき続けてたら、お二人の期待も大きくなっちゃうと思うんです。今ならちょっとがっかりするだけでで終わるんじゃないかって思うんですけど」
総司はジャケットをソファにバサッと置くと千鶴を見た。
「だからさ、なんて言ってばらすわけ? 継続して売春する契約なんですとでも?」
意地悪な冷たい光が総司の瞳に浮かび、千鶴はひるんだ。
「ば、売春は……まずいかもしれないので、そこはあいまいにごまかして……」
「結局そこはごまかすんだ? それもウソでしょ。だったら彼女っていうウソと大差ないじゃない」
 総司の論理に千鶴は一瞬納得しかけた。が、別れ際の近藤の笑顔を思い出して踏みとどまる。
「そんなことないです。真剣なつきあいだって近藤さんもみなさんも思ってて、だからあんなに祝福してくれたり喜んでくれたりしてたんです。け、結婚の話まででたんですよ? 売春まではいかなくてもそこまで真剣なつきあいではないって言えば……」
「だから近藤さんにはそういうことを言いたくないんだよ。千鶴ちゃんもわかったと思うけど、あの人、人を利用したりもてあそんだりするような誠意のないことは嫌いなの。僕がそんなことをしてるなんて知られたくない」
 子どものような総司の言い草に、正直千鶴は呆れた。これではまるで、0点の答案用紙を母親に隠している小学生と同じではないか。
「……でも、沖田さんは『そういう人』じゃないですか」
千鶴が憤然としてそう言うと、総司はニヤリとした。「言うね」だが気持ちは変わらないようだ。
「『そういう人』だってことを近藤さんの前で見せなきゃ、近藤さんにとっては僕は『そういう人』じゃないんだよ」
「それは……それはおかしくないですか? そんなことしなくても、近藤さんは沖田さんのこと嫌いになったりなんかしないと思います。そりゃあ、ちょっとはがっかりとかはするかもしれないですけど……」
 総司がゴツンとこぶしでキッチンカウンターを叩いた。続けてコツコツといらだった音を立てる。
「君は僕のカウンセラーか何か? 頼んでないんだけど」
「……」
 千鶴は言葉に詰まった。その通りだ。お金をもらって体を提供するだけの存在。でも……
「でも、『彼女のふりをする』っていう仕事も追加されました。そんな仕事もしなくちゃいけないって聞いてないですし、別にそれをするのはいいんですけど、そのために近藤さんみたいな人をだますのは嫌なんです」
「僕をだますのは全然かまわないのに?」
 総司がこちらに向き直って、千鶴を真っ直ぐに見る。唇はほほ笑んでいるが緑の瞳は色が薄くなり笑っていない。
 本気で怒らせた。
千鶴は青ざめた。ここまで冷たい瞳の総司を、千鶴は見たことがない。
「そんな……沖田さんを、別にだましたりなんて……」
「最初からウソばっかりだったのに何を言ってるんだか。お金の使い道も言わないし経験ないことも言わない、大学生だってことも言わなくて……ああ、そうか。言ってないっていうだけで嘘はついっていないとか? そういうロジックなわけ?」
畳みかける冷たい追及に、千鶴は何も言えなかった。総司の言っていることは正しい。その上、総司の言っていること以上に嘘がある。
 総司は千鶴をイライラしたような眼で見ると髪をかき上げて視線を逸らせた。
「そんな君でも近藤さんのようないい人をだますのは辛いんだね。でも僕は平気。平気で近藤さんをだましてる。だからそんな僕はきっと極悪人なんだろうね」
「えっ? そ、そういうつもりじゃないです。そんなつもりで言ったんじゃありません」
「そう言う風に聞こえたよ。あなたと違って自分はいい人ですって。近藤さんなんてだませませんってさ」
「そんな……」
千鶴がいい人であるわけがないではないか。体を売って騙して。総司の言う通りの人間なのに。
「わ、私はそんなつもりじゃあ――」
「もう今日は終わり」
否定して謝ろうとした言葉は総司にさえぎられた。
「今日は帰ってくれる? 自分の家に」
玄関の方を指さされて、千鶴はうろたえた。
「でも今日は……」初夜だって……
「そんな気は失せたよ。君もでしょ?」
千鶴を見た緑の瞳は、凍えるような冷たさだ。
「……」
 千鶴が何も返事をできないでいると、その瞳はふっと興味を失ったように輝きを消し、千鶴から視線を外した。




5へ続く

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