シンデレラの嘘 2
「どうする? いきなり始めてもいいけど、まずはお風呂入る?」
部屋の扉をあけて千鶴を中に招き入れながら、彼――沖田総司という名前だそうだ――はそう言った。
一体何畳あるのかというくらいの広いリビング。いや、畳で数えるのがすでに違和感がある。玄関は大理石だし、天井も高い。置いてある家具もシンプルだが高級感いっぱいだ。ただ、生活感は全くなかった。
千鶴は自分のおんぼろアパートと比べて目がちかちかした。父が生きているときは、それなりの家だったが、それでもこれほどではない。
「本当にここに住んでるんですか?」
千鶴が思わずそう聞くと、彼は別に怒りもせずにうなずいた。「住んでるよ。ほとんど会社にいるからあんまり人が住んでる気配がないかもね。内装や家具も全部専門の人にやってもらったものばっかりだし」
「はあ、仕事……」
それはそうだ。これだけのものを維持するなら仕事をしてかなり稼いでいるのだろうと言うのは明白だ。
「僕の会社はセンタータワーにあるんだ。近いからここには寝に帰るくらいしか使ってない。で、お風呂どうする?」
再び聞かれて、千鶴は顔に血がのぼるのを感じた。総司が妙ににこやかな顔でみおろしているから余計に。もう少しぎらぎらしたり色っぽいムードだったら千鶴も流されて理性も薄まるのだろうが、妙にあっさりとまるで世間話のように言われるものだから、気まずいのだ。
「えっと……」
こういう時は風呂に入るのが普通なのだろうか。「……じゃあ、お願いします」
「わかった。お風呂はこっち。適当に使っていいから。……一緒に入る?」
「えっ…! え……」
千鶴は固まった。男の人と一緒に風呂に入ったことなどない。……でもお金をもらった、これは仕事だ。
「あ、あの、もし沖田さんがどうしても一緒に入りたいようでしたら私は構わないです」
ガチガチに固まった笑顔で千鶴がそう言うと、なぜか彼はぶっと吹き出した。
「いや、いいよ。僕は後で一人で入るから。結構寒くなってきたしゆっくり入ってあったまって」
あからさまにほっとして風呂に向かった千鶴の背中を見ながら、彼はまだ声を殺して笑っていた。
バスルームも当然ながらゴージャスだった。広々とした大理石のタブ。タイルは淡いブルー。
千鶴がシャワーで髪を洗っていると、洗面所から声がした。
「どう? 使い方が分からないところとかある?」
「えっあっはい! だ、大丈夫です、わかります!」
入ってこられたら大変だと千鶴は大焦りで返事をした。
「そう。シャンプーとかは自由に……ってもう使ってるね」
「すっすいません!」
「いや、いいよ。のびのびとしてていいんじゃない」
「ごめんなさいっ!」
そんな会話をバスルームの中と外でしながら、総司はさくさくと洗面所に置いてあった千鶴のカバンを開けていた。
脱いだ服の横にある千鶴のカバン――黒くてシンプルな、通勤かばんのような――に、ためらいもなく手をつっこんで中を探る。皮のくたびれた財布の中をあけ、身分証明になるようなものがないかと探したが、なかった。千鶴は免許を持っていないし、保険証はもちあるかないタイプなのだ。総司は、財布の中のお金を数え(三千五百円しか入っていなかった)、ちらっと風呂場の方を見てまだシャワーの音がしているのを確認してから、カバンの内側にあるファスナーをあけた。中には先ほど総司が渡した三十万円入りの封筒と、あとは。
「……手紙」
薄い緑色の封筒が出てきた。総司は裏側に印字してある差出人を確かめる。
薄桜大学 教務課。
ひっくり返してあて先は『雪村千鶴様』。
中を見てみると、『振込み依頼書』と書いてあり、授業料未納のお知らせと振込用紙だった。
「振込み金額、八十万円。今月中に支払わなければ退学処分となります……ね」
総司は封筒を鞄に戻すと、そっと洗面所の扉を閉めた。
風呂から出た千鶴は、風呂に入る前と同じ服で出てきた。総司はそんな彼女を見て、安物だけれど趣味は悪くないと値踏みをする。カバンも持ち物も、服もそうだが、彼女の雰囲気に似合ってる。
コートの下に来ていた服は、薄紫色の膝丈スカートとオフショルダーの白いトップス。これは売春婦や愛人というより、初デートの彼女のファッションだ。オフショルダーというところでせいいっぱいの色気をだそうとしたのだろう。彼女の雰囲気のおかげで清純な色気で、総司は自分がかなりその気になっていることを意識した。
この雪村千鶴という女の子の素人くささと突拍子もない行動の数々。
最初は友人たちからのドッキリかと疑い、次は仕事関係の産業スパイか最近倒産に追い込んだライバル会社の罠かと疑ったのだが、その通りの罠だとしたらあまりにも……あまりにも彼女は稚拙だ。逆にこっちが利用し返してやろうと思い、話に乗ったのだが。
だが、カバンに入っていた振込用紙を見て、総司のその疑いを半分くらい捨てた。あれを信じるのなら、彼女は大学生で何らかの理由で学費に困り、体を売ったということになる。信じない理由が今のところ思いつかない。
女の子を金で買ったこともないし、見ず知らずの女の子とセックスする危険性もわかってるけど……。目の前で恥ずかしそうに、所在なさげに立っている彼女はかわいい。三ヶ月契約にOKしたのは、どうせどこかでしっぽをつかんでこの話はポシャると思っていたからなんだけど。
「……キスしようか」
話しがポシャるにしても、せめてそれぐらいはしたいと、総司がソファから手を伸ばした。真っ赤になって近くまで来た彼女の手を取って引き寄せる。
我慢できずに、緊張して硬くなっている彼女の唇に唇で触れると、その柔らかさと甘さ、そしてふわりと香った風呂上りの匂いに、総司の最初の予定はあっさりくつがえされた。自分の部屋で風呂にも入ったかわいい子がOKサインをだしていたら、それでも追い出すことができる男がいるとは思えない。理性はあっけなく本能に負けてしまった。
「ほら、君からしてみて」
総司は座ったまま、立っている彼女に向けて顔をあげる。
しばらくのためらいの後、そっと柔らかい唇が触れた。誘惑やセックスの匂いのない、触れるだけの優しいキス。清潔な味がする。
ムラっと来たのは男の本能なのだろうか。柔らかく清らかなものを抱きしめて貫きたいという思いがこみ上げてくる。ああ、まずい……そういえば最後にセックスしたのはずいぶん前だったかな。
総司は彼女の腰に腕をまわすと自分の体の上に引き寄せた。「あっ」と彼女は驚いたような声をあげた。総司はそのままくるりと体勢を入れ替えると、彼女を自分の下に組み敷く。身長差も体格差もかなりある彼女は、総司の下ですっぽりと囲い込まれるようになってしまった。
黒い革のソファの上で白い彼女の肌が映える。
総司はゴクリと喉を鳴らした。人生とはわからない。パーティから早々に帰った時は、こんなことになるとは思ってもいなかったのに。
「いい……?」
隠せない欲望をあらわにして、総司は聞いた。青ざめた彼女が小さくうなずいたのを確認して、総司の頭はゆっくりと下がって行った。
スタンドの灯りだけの薄暗い部屋。
濃い茶色の毛足の長いラグの上には、二人の服が散らばっている。
「あ……あ、んっ……!」
「そう……力を抜いて……大丈夫?」
甘く艶ややかな総司の声も、千鶴の体のこわばりを取ることはできなかった。
「……だ、大丈夫です……」
「……せまいね。君、ほんとに初めてじゃないの?」
「……はい……あの、気にしないで…っんっ」
鋭い痛みに、千鶴は思わず眉をしかめてしまった。痛いと言うのは聞いていたけど、我慢すれば相手にはわからないだろうと思っていたのに……この痛みは我慢の限界を超えている!
「まだほとんど入ってないんだけどね……」
総司はいったん体をひいて、もう一度長い指を差し入れてきた。これは何度もされたおかげで、慣れてきた。痛いわけではないのだけれど……なんだか強烈な感覚がして、千鶴は思わず喘ぎ声をあげてしまう。
「これは気持ちいい?」
千鶴は潤んだ瞳をあげて総司を見上げた。薄暗い灯りの中で総司の顔はなぜか苦しそうだ。荒い呼吸をしている。
「……はい」
本当は気持ちいいかどうかよくわからない。誰にも触られたことの無い場所を何度もこするようにされて……よくわからない感覚が腹の奥でうごめいて、それが怖い。
彼が指を二本に増やしたのが分かった。とたんにこじ開けられるような痛みが遅い、千鶴は眉をしかめて体をこわばらせた。
「……」
総司はそのまましばらくさぐるように中で動かしていたが、しばらくするとため息をついた。
「今日はやめようか」
「えっ!」
千鶴は驚いて目を開けた。
「す、すいません! あの、私のことは気にしないで下さい。最後まで、大丈夫です」
総司は体を起こすと髪をかき上げた。
裸の上半身が明かりに照らされて千鶴はドキリとしてしまう。筋肉がついていて、首から肩、腕へときれいなラインを描いている。あの肌が滑らかだと言うことは抱きしめられた千鶴は知っていた。自分の裸に触れる彼の肌は、びっくりするほど熱くて滑らかで……固くて。
千鶴は顔が赤くなるのを感じて目をそらす。
「……君、初めてでしょ」
「……初めてじゃないです」
「僕も初めてなんだよ」
えっ? と驚いて顔をあげると、総司と目があった。「僕も初めて。初めての子とセックスするのはね」
「……」
だめだ、千鶴の嘘なんて完全にばれてる。
千鶴は気まずくてうつむいた。処女のくせに売春を自分から持ち掛けて、どういうつもりだって怒られてもしょうがない。怒られて、ひょっとしたら八十万円もチャラとか……
じわりと千鶴の目に涙が浮かんできた。
「……ごめんなさい、初めて、です。黙っててすいませんでした。こんなに痛いと思わなくて……でも、あの、……最初だけなんで気にしないでもらえないでしょうか?」
総司は千鶴の上から降りてソファに腰かけてしまった。千鶴も体を起こす。ちらりと総司の視線を感じて自分の胸を見下ろすと、裸だ。あわててソファの下から適当な服――紫のスカートだった――を胸にあてた。
「僕、セックスで相手の子が本気で嫌がって泣いたり怖がったり痛がったりされると萎えるんだよね」
「あ、そ、そう……ですか……」
その全部を先ほどやってしまった。思ったより痛くって。
「あの、次はちゃんと我慢するので……」
「っていうかさ、ガチレイプとかそういうのが好きな男もいるけど僕はそう言う嗜好がないんだよ。相手の女の子も気持ちよくて泣いちゃうくらいになってくれないと楽しくない」
「……」
「だから処女っぽいコとはセックスしないようにしてたんだけど、まさか売春を持ち掛けてきた子が処女なんて思わないよね」
総司は、はー…とため息とついて首筋を撫でるようにして頭をかいている。その大きな手を見ながら、千鶴は肩を落とした。
「……すみません……」
痛みを我慢しようとしたけれど、それでは楽しめないと言われてしまえばもう何もできることはない。
八十万円はちゃらなのだろうか。しかし彼からもらえないとなるととても困ったことになる。
「だからさ、とりあえず今日は入門編にしようか」
総司の声とともに千鶴は手を取られた。その手はソファに座っている総司の脚の間……熱くそそり立っているモノに導かれる。
千鶴が目を大きくして見ている前で、千鶴は片手で総司のソレをつかまされた。その上から総司の大きな手が添えられる。
「やったこと……あるわけないよね」
「はい……」
男の人が自分でやると言うことは知っている。あと、
「女の人が口で……その、そういう事をするってのは知ってます」
総司の緑の瞳が面白そうにきらめいた。長めの茶色の前髪の間から上目づかいで千鶴を見る。
「やってみる?」
「えっ!」
「手と口で。教えてあげるから覚えてみる?」
そこからの授業は初めての事ばかりで、千鶴はもう破裂しそうだった。彼と濃厚なキスをしながら、添えた手で優しく下半身の熱を撫でる。
「そう……そうやって、……うん、力は入れなくていいから……あっ…それ、気持ちイイ……」
撫でるように触れているうちに総司のソレがさらに一回り、硬く大きくなった。千鶴はキスをしながらもちらりと自分の手元を見て震え上がる。
これは……入らいないよね? だってさっき中指一本でもういっぱいだったし。これは中指……何本ぐらいなんだろう? 長すぎるし……
こんなのが自分の体に問題なく収まるとは思えない。千鶴が恐れおののいてるうちに、総司のキスがさらに濃厚になってきた。唾液が伝うのも構わず千鶴の後頭部に手をまわして押さえつけるようにして千鶴の口内をさぐる。
「もっと……こっち来て。僕の上にまたがって。そんなの取って」
そう言われて胸が見えないように隠していたスカートは取り払われてしまった。キスをしながら胸をもみしだかれる。乳首を何度もこすられて、千鶴の方も息が荒くなってきてしまった。
「先っぽ、触ってみて。そう……」
「……濡れてます……」
「うん。それを全体に回すようにして…そう、それでつかんでみて。……あっ! ああ、いいよ……もうちょっと力をいれて両手で。それで指がここに……」
総司はそう言うと、千鶴の人差し指の関節が裏側に当たるように調節した。
「そう、ここにあたるようにして、うん両手とも。……動かしてみて……っ……あっ…」
色っぽい声が総司の口から洩れて、千鶴は心臓がドキンと跳ねた。総司の腕が千鶴を抱き寄せ、耳元に熱い吐息がかかり千鶴の呼吸も早くなり頬が熱くなる。
「……もうちょっとゆっくり……うん。それでこっちとか…こっちに触ったり…っうっ……ああ……そう、もっと早く動かしてみて……」
言われるがままにやっているうちに、千鶴はだいたいわかってきた。総司の反応を見ればどんな触れ方、どんな動かし方がいいのかがわかるのだ。
総司は千鶴のウエストに腕を回し、苦しそうな顔で千鶴の胸に顔をうずめている。
それから……舐めるんだよね?手みたいにすればいいんだから……
千鶴はソファから降りて総司の脚の間に座った。「千鶴ちゃん……」総司が熱っぽくとろんとした目で見降ろしてくる。千鶴は処女だと言うのにまるでセクシーな誘惑者のような気分だ。
「……こうすれば、いいんですか……?」
そう言うと、歯が当たらないように注意して総司をそっと上から咥えた。
「っ…うっ……はっ……」
総司は苦しそうに目を閉じた。だがわずかにはねた腰と千鶴の肩においた手が、続けるようにと言っている。
千鶴は先ほどの手での動きを思い出しながらゆっくりと舌を這わせた。先端の大きなふくらみを余すことなく舐めるように、含んだまま舌を動かす。両手は先ほど同じように茎部分に優しく沿わせて撫でるように動かしている。
「あっ……あ、それ……イイ感じ……もうちょっと…」
総司の表情を見ようと下から見上げると、暗く陰った緑の瞳と目があった。その途端口に含んでいたものがさらに硬く大きくなる。
「千鶴ちゃん……っ」
そのまま茎の裏側部分を舌先でたどりながら降り、周辺へとキスをすると総司の口から苦しそうなうめき声が漏れた。
ゆっくりしたりはやくしたり、いろんなところをさわったり……反応を見ながらするんだよね。
千鶴は先ほど教えてもらったことを、今度は口と手で忠実に行った。しばらくそれを続けていると、総司が千鶴の髪に手を差し入れこちらを見るように促す。
「千鶴ちゃん……さっきみたいにして……そう、それでもっと強く吸い上げるように…あっ……うん。それで、手も……もっと強く握って……それで、上下にね一定のリズムで……うん、強く……もっと…あっ…あっ……くっ……は、…千鶴ちゃ……もう、少しだから……っ」
言われた通りに千鶴は心持強めに上下に頭を動かした。裏側にあてた舌がなぞりながら動くようにすると、総司の息もさらに荒くなり、口に含んだものがびくびくと跳ねる。
わからないなりに総司が達しそうなのが、彼の声と口の中のモノの熱さと硬さから感じられ、千鶴はペースを保ったまま何度も何度も手と頭を動かした。
「…あっ……!」
わずかに動いていた総司の腰の動きが止り、千鶴の頭をつかんで総司は何度か小さく痙攣した。
「コーヒーしかないんだけど」
と言って、次の日の朝に総司がいれてくれたコーヒーは正直微妙な味だった。
「……」
無言の千鶴を見て、総司は楽しそうに笑う。
「コーヒーの粉もいつのかわからないんだよね」
そう言って総司は自分のコーヒーはシンクにすてたが、千鶴は礼儀として頑張って飲む。ネクタイを結んでいる総司に、千鶴は迷った末、謝ることにした。
「あの……すいませんでした」
「何が?」
「経験がないこと、を、言わずに売り込んでしまって」
「ああ……」
総司はネクタイの位置を直しながら、千鶴を見る。
「無茶だったね」
「……すいません」
「途中で聞いたときに正直に処女って言ってくれればね。あそこまで後戻りができない状態になってなかったら、それなりにやり方があったのに」
「ごめんなさい」
「まあ、あれはあれでそれなりによかったけど」
そう言って総司はジャケットを羽織る。
「あの、私、まだ、……買っていただけるんでしょうか?」
「うん」
シンプルな返事に千鶴はほっと肩の力を抜いた。
「ただし」
千鶴は再びビクンと背筋を伸ばす。
「もう嘘はなし。いいね?」千鶴がうなずくのを確認して総司は体を乗り出して、千鶴の顔を真正面から至近距離で見つめる。
「八十万円の使い道は?」試すような総司の視線と厳しい口調に、千鶴は反射的に答えてしまった。
「大学の学費です」
すると、総司の顔がふっと柔らかくなった。「よくできました」
ポンと頭に手を置かれ、千鶴はなぜ褒められたのかがよくわからず首をかしげる。そのまま続きのリビングに行ってしまった総司を追いかけて千鶴も立ち上がった。
「あの、どうして使い道を聞いたんですか?」
総司はソファに座ると、リモコンでテレビをつけニュースをチェックする。
「ヤバいスジの借金なら、分割とかしないでキャッシュで八十万円を渡そうと思って」
「……」
「僕、普通のサラリーマンではあるんだけど会社の渉外担当でもあってね」
「渉外担当……」
「そ、急に大きくなった会社にはいろんな胡散臭いやつらが寄ってくるんだここまで大きくなるまではかなり荒っぽいこともやったから、そういうのに詳しいんだよ」
そうだったのか。だから昨夜感じた底知れない怖さがあったんだ。修羅場慣れしてるっていうんだろうか。
「座ったら?」
総司はにっこりほほ笑んで見あげて、自分の隣をポンポンと叩く。千鶴は座ろうとして、そのソファで昨夜自分がしたことを思い出してしまった。
赤くなっている千鶴に、総司は何を考えているのか気づいたらしい。千鶴の手首をつかむと自分の脚の間に引き寄せた。そして千鶴の顔にかかっている髪をやさしくどけて、そっと唇を合わせてくる。
たった一晩だけなのに、総司のキスのクセが体になじんでしまった。千鶴は磁石に吸い寄せられるように唇を少し開ける。顔を傾けるのは総司。最初はつまむように唇全体を味わい、そして何度か千鶴の反応を確かめるように唇で遊ぶように合わせる。千鶴がそれにあわせると、もう今ではわがもの顔に舌が侵入してくるのだ。そして一気に深く千鶴を味わう。
「ん……」
呼吸のために唇をはなすたびに、鼻にかかった甘い声が出てしまう。キスの経験もほとんどなかった千鶴でも、総司のキスがとても上手だということがわかった。優しくて甘くて……頭の中がとろとろに溶けていくのがわかる。これを何度もされたら、抵抗する気もなくなって彼の思うが儘になってしまうだろう。
時間の間隔がなくなってしまったのでわからないけれど、かなり長い間濃厚なキスが続いた。
体が密着しているせいで総司が興奮しているのが分かる。千鶴は、またそれに触れたいと思っている自分に気が付いて赤くなった。きっと熱く屹立しているに違いない。口に含んで彼の目が熱く潤んで、唇から苦しそうな声が漏れるのを聞きたい……
「今夜もおいで」
興奮に低くなった声で、総司はそう言った。
「七時には帰れるから夕飯を一緒に食べよう。明日休みだからゆっくりできるよね」
「は、はい」
千鶴も息が上がっていて声を出すのが難しかった。総司は千鶴を抱きしめてもう一度深くキスをする。
「それとも僕が会社に行ってる間ここで待ってる?」
「ここで……」
ぼんやりと総司に言われたことを考えて、千鶴ははっと我にかえった。
「あの、昼間はバイトに行きたいんですが駄目ですか?」
「バイト?」
総司は目をパチパチと瞬かせて体を離した。
「はい、あの、前からお世話になっているパン屋さんで。生活費は稼がないといけないですし、パン屋さんの奥さんが今、体調を崩しているのでできるだけお手伝いしたいと思ってるんです。十時くらいから夕方まで、平日だけなんですけど……」
総司は奇妙なものを見るような顔で千鶴を見ていた。
「君、学生でしょ? 親戚とか他の家族は?」
千鶴は首を横に振った。
「父は死んだんです。親戚も家族も、もう一人もいません。父の残したお金や生命保険のお金も、私が世間知らずだったせいでよく知らない人達に全部……」
「なるほどね……遺族の無知につけこんで債権を回収するってのはよくある話だね」
よくある話なのかと千鶴は自分の世間知らずさが情けなかった。
「アルバイトでなんとかならないかって頑張ったんですけど、生活費はなんとかなっても学費は無理でした」
「ああ、そっか。うーん……じゃあ僕に百万とかふっかければよかったのに」
千鶴は目を見開いた。本当にそうだ。でもバイトしてなければ総司が会社に行っている間は暇だ。
「学校あるんじゃないの?」
当然のようにそう返されて、千鶴は慌てた。そうだ、学生だって思われてるんだっけ。
「そ、そうですが……えーと、……」
大学なんて行ったことがないからそれっぽい嘘も思いつかない。焦っていると総司の方からなにやら思い当たったように助け舟を出してくれた。
「ああ、四年生か。それなら授業はほとんどないかな」
「そう! そうなんです。だから暇かなーって」
「ふうん。まあどっちでもいいけど。……僕は一応サラリーマンだから平日の昼間は君はなにをしてもいいよ。バイトもどうぞ」
千鶴はほっとした。自分の生活費やアパート代も必要だし、あのパン屋のご夫婦には本当にお世話になったのだ。
「ありがとうございます! じゃあ、夜の七時ごろにこっちに来ますね」
千鶴は総司と分かれた後、一人で薄桜大学へと向かった。交通費がもったいないので地下鉄は途中で降りる。ここからなら大きな公園を通り抜ければ、大学へはすぐなのだ。
平日の公園は、老人や子供連れのお母さんたちがのんびりしている。今日も天気が良くて、空気が澄んでいる。公園の木々がちらほらと色づき始めていてきれいだった。千鶴は高い空のうろこ雲を見上げて、総司の事を思い出していた。
朝、ソファでキスをしたときも抱きしめられてふれあっていた腰から彼が……その、硬くなっていたのを感じた。それを感じた時の自分の反応を思い出して、千鶴は赤くなる。恥ずかしいとかそういうのではなくて、……多分興奮したんだと思う、自分も。腰の奥が熱くなって目がうるんで……触れたくなった。昨夜のように触れて、彼の緑の瞳が熱く潤んで千鶴の名前を切なげに呼ぶのを聞きたくなったのだ。でも、朝からそんなことをされたら男性は嫌なのかどうかがわからず、千鶴も勇気がなくてできなかったのだけれども。
男性の生理についてはわからないことだらけだ。まさかこんなことを薫に聞くわけにはいかないし。
千鶴はそんなことを考えながら、大学の教務課のカウンターで声をかけた。
「あの、すいません。南雲薫のことでご相談があるんですが……」
中から出てきた大学事務の女性が、「南雲……南雲……」といいながらパソコンで検索している。
「ああ、学費の件でしょうか?」
「はい。滞納してしまってすいません」
「えーっと……雪村、千鶴さんでよろしいでしょうか? ご家族の方ですか?」
「はい。ちょっと家庭の事情で苗字が違うんですが、双子の妹です。あの、それでご相談なんですが……」
必ず払うので分納させてもらえないかとお願いすると、大学側は一旦上の人と相談したものの、けっこうあっさり了解してくれた。
『もう最終学年ですし、これまで滞納は一切なかったですしね。卒業されたいでしょうし……』
千鶴はほっとしながら大学を後にした。薫に会っていこうかと思ったが、どうして学校に千鶴が来ているのかと聞かれたらやっかいだ。薫は何も知らないのだから。
父親の突然の死のせいで高校を卒業してすぐに就職しなければいけなかった千鶴は、散々苦労した。セクハラを受けて会社を辞めたのは二度、三度目に働いたところでは、業績不振を理由に給料を払ってもらえなくなった。会社の選び方について四度目でようやく学んだ。住むところでも、選び方によって全然違うということを二回引っ越してから学んだ。家賃の安いアパートはたいてい治安のよくない地域にあって、夜遅く歩くと危なかったり隣の住人が怪しかったりする。一階の部屋は危ないと言うことを学んだのも、一度窓から男が入ってきそうになり怖い思いをしてからだった。
そう、世の中の厳しさは身をもって知っている。
父親が死んだ時点で、薫はすでにかなり難しい薄桜大学への入学が推薦で決まっていた。これをあきらめるのはもったいないと、兄弟二人で協力しようと決めたのだ。薫がちゃんとしたところに就職できれば、次は薫が、千鶴のやりたいことや資格取得に協力してくれることになっている。
「次は……千ちゃんか」
千鶴はそのまま歩いて、薄桜市図書館へ向かった。
そこは、二ヶ月前までは千鶴の勤務先だった。半年前に派遣スタッフの不祥事が立て続けに三件発生し、市の予算削減の影響もあり一気に全派遣スタッフのクビが切られてしまったのだ。いろんなところで働いて、ようやくこの図書館の派遣スタッフとして就職できたのが三年前。そこから真面目に一生懸命に働いてきたのに、千鶴もその余波のせいでクビになってしまった。
その途端に薫の学費がずっしりと千鶴の肩にのしかかってくる。しばらくは貯えとパン屋のバイト代から払っていたが、千鶴の生活費とアパート代の上に学費となると徐々に行き詰ってきた。とうとう千鶴がホームレスになるか薫が退学するかの瀬戸際になってしまったのだった。
千は正規スタッフだったのでまだ図書館で働いていて、そんな千から『すっごくいい話があるの! 明日図書館まで来れない?』と連絡があった。
ここから薄桜市図書館までは地下鉄で一駅だが、節約のために歩いて向かう。
そこで聞いた話は確かに耳寄りな話だった。