Baby
Baby
Baby 3
「千鶴だよ!」
「「「「!!」」」」
緊迫した沈黙が集会所を覆った。お互いに、まさか?という表情で顔を見合わせる。土方が再び吐き捨てる。
「千鶴が妊娠したって千と話していたのを聞いちまったんだよ。相手は『例の組長』だそうだ。もともとあいつが女なのを知ってるのは数えるほどしかいねえ。斎藤でもない、平助でもない、原田でもない……となりゃあ新八しかいねえだろーが!」
「土方さんひどい!ひどいぜその消去法!俺が千鶴ちゃん相手に無理矢理そんなことする男に見えるか!?」
新八が半泣きで訴える。土方はその訴えを瞬殺した。
「知らねえ!お前が女に対してどんな態度をとるかなんぞどうでもいいんだよ!ただやっちまったことの尻ぬぐいはできる程の『オトコ』だとは思ってるぜ!」
覚悟!とばかり土方が刀を振り上げたとき、集会所の引き戸が開いた。
「僕ですよ」
落ち着いた声に中の皆が振り返ると、入り口からは総司が入ってくるところだった。
「千鶴ちゃんが妊娠したんですって?相手は僕ですね」
「おっおまっ……おまっっ……!!」
土方は総司の言葉に茫然と立ち尽くした。他の三人も動きを止めて、総司が集会所の中に入って来て自分たちの所までやってくるのを見る。
「おまえ、だって……お前、女は嫌いじゃねえか……!」
土方が茫然としたままそう言うと、総司は肩をすくめた。
「まあ、あまり好きじゃありませんけど。でもやることはやれますからね」
土方は腕を抑えている左之と平助を振り払った。
「よし、まあ総司。落ち着け。お前は誰かをかばってるんじゃねえだろうな?だいたい女関係の問題なんざ起こすタイプじゃねえだろうがお前は」
「土方さん、その信頼は気持ち悪いけどまあ褒め言葉として受け取っておきます。でも念のため言っておきますけど、土方さんが今話しかけてる相手は僕じゃなくて平助ですよ」
平助も土方の肩をポンポンと叩く。
「そうだよ。総司はあっち。一番落ち着かねーといけないのは土方さんだろ」
左之が腕を組んでマジマジと総司を見た。
「総司が誰かを庇ってるとも思えねぇし千鶴が嘘言ってるとも思えねえ。ってことは本当なのか?お前……千鶴と、つまり……」
新八もじろじろと総司を見た。
「島原に誘っても全然来ねえから油断してたが……そうかお前、屯所で千鶴ちゃんに毎夜毎夜無体なことを……」
「いやらしい言い方をするなあ!」
土方が怒鳴る。なんだか家で飼っているオスとメスの飼い猫同士が、まだ子猫同士だと思ってたのに毎夜毎夜飼い主が寝た後に交尾をしていたことを知ってしまったような気分だ。そして土方は今度は本当に総司に向き直った。
「よし、いい度胸だ。故郷のミツさんにはお前が婦女暴行の上の切腹だったなどとは言わないでおいてやる。名誉の斬り死にだったと文をだしてやろう」
そこへなおれ!と再び刀を抜いた土方に、総司は飄々と答えた。
「いやだなあ、土方さん。何か勘違いしてるみたいですけど、婦女暴行とか無体なんかじゃなくて千鶴ちゃんも合意の上ですよ」
「「「「!!!」」」」
一瞬の驚きの後、左之が冷たい瞳で言う。
「……総司……見損なったぜ。確かに女に無体をしたうえで『相手も喜んでた』なんて言いくさる腐った野郎もいるさ。でもお前はそんなやつだとは思っていなかったのによ」
「いや、ほんとに。どっちかっていうと僕の方が襲われた感じです」
「はあ!?」
今度は平助が驚く。
「なんで千鶴が総司を襲わなくちゃなんねーんだよ!?」
総司はまた肩をすくめた。
「さあ?千鶴ちゃんといえどももういい年なんだから、僕にむらむら悶々しててもおかしくないんじゃない?」
「おいおい……!」
「うわあ!総司にムラムラしてる千鶴とか想像したくねぇ!」
「んなわけあるか!」
騒然となった三人に、斎藤がとうとう口を開いた。
「副長、このままこうしていても堂々巡りです。千鶴を連れて来てはどうでしょうか」
斎藤の提案に新八がひるんだ。
「いやでも、女の口から皆の前でそんな赤裸々なことを言わせるのは……」
しかし土方がさすがの副長の肝の太さでうなずいた。
「そこは俺がうまく聞いてやる。斎藤、連れてこい。総司、これは新選組全体にかかわる話になる。お前は口を挟むんじゃねえぞ。俺の言う事すべてに頷くのみだ。わかったな?」
はあい、と気のない返事をした総司を見てから、斎藤は集会所を後にした。
何も言わずについてこい、と斎藤に言われて、千鶴は首をかしげながら斎藤の後ろを歩いた。
集会所に入った斎藤につづいて千鶴も入ると、中には土方、左之、新八、平助……それに総司。皆が奇妙な表情で千鶴を見ている。
なんだか変な雰囲気に、千鶴は入口で足を止めた。
「いいから入れ」
土方の声に、千鶴はおずおずと足を進めて、車座になっている皆の外側にチョコンと座った。
緊張した空気に、何か会議を開いていてお茶を淹れてくるようにとのお願いだろうかと千鶴が首をかしげていると、皆が千鶴の方へと向き直った。
土方がゴホン!と咳払いをしてから話し出す。
「千鶴、話しにくいことだろうが正直に言って欲しい。……赤ん坊ができたのか?」
土方がそう言った途端皆からのつっこみが入った。
「ちょっ…!」
「土方さん直球すぎ!」
「もう少し婉曲な言い方があるかと……」
千鶴は驚いて目を見開いた。
どうして土方が知っているんだろう?先程帰った千と話して、もしかしたら……という話をしたばかりなのに。しかもなんだか皆知ってるみたいだし……って皆!?
千鶴はぎょっとして総司の顔を見た。こちらを見ていた総司とばっちり目が合う。総司は片眉を上げて面白そうな表情をしながらうなずいた。綺麗な緑色の瞳がいたずらっっぽくきらめいている。
私に赤ちゃんが出来たって知ってるんだ……
一応父親なのだし、はっきりしたら総司にだけはこっそり伝えておこうを思っていたのだが、もう既に知っているらしい。しかもなんだか大騒ぎになってしまっている。いつかは言わなくてはいけなかったのだからいい機会ではあるが、これだけの人数相手だと、赤ん坊の父親を言わずにごまかすのは難しそうな……
千鶴がそこまで考えたときに、土方が再び口を開いた。
「あー……すまねぇな女子にこんなこと聞いちまって。だが新選組内のことである以上はっきりさせないといけないこともあるんだ。父親は総司でいいんだな?」
「ひっ土方さん!もっとオブラートに包んで……!」
「左之、おぶらーととは何だ?」
「一君、今つっこむとこそこじゃないから!」
再び騒ぎ出した皆を無視して、千鶴は驚いて総司の顔を見た。
ばれてる!?なんで?沖田さんはそれでいいの?どうしよう……!
土方が続ける。
「総司はもう認めてる。あとはお前だけだ」
総司はまるで他人事のような涼しい顔で、腕を組みながら面白がるように千鶴を見ていた。ここで赤ん坊の父親を秘密にしても無意味なことはあきらかで、千鶴は迷いながらもおずおずをうなずく。
「うおーーー!まじかっ!」
千鶴が認めたことで、みなが頭を抱えて呻いた。土方が聞く。
「合意の上だな?」
またもあからさまな言葉だが、皆はもう突っ込む気力もないようだった。千鶴は真っ赤になりながらもコクリとうなずいた。
「…………」
妙な虚しさが総司以外の男たちの間を漂う。
妹のように友達のようにかわいがってきた女の子が…… 俺だって結構気に入ってたのに……土方さんが手をだすなって厳命してたのを守ってたのに……
そんな声なき声を切り捨てるようにして、土方は眉間に盛大に皺を寄せてうなずいた。
「よし、それならことは簡単だ。総司、千鶴を嫁にもらえ」
*
『いいか、近藤さんにはガキが出来たなんて言うなよ。普通に相愛で夫婦になりてえってだけでいい』
「そうか!総司がとうとう!!……くっ(涙を拭く)いつまでたっても浮いた話一つなく、沖田家の跡継ぎはどうするのかとおミツさんからはせっつかれ……くくっ(再び涙をふく)嬉しいぞ!本当にとてもうれしい知らせだ。めでたいめでたい!そーかそーか!早速里の皆にも文で伝えないといかんな。祝言はどうする?」
『千鶴の父親が見つかっていない上、新選組で預かっている現状じゃあ大げさなことはできねえ。まあ千鶴のことを知ってる奴らで宴会ぐらいだなあ、千鶴には悪いが』
「む、確かにそうだな……。いやしかしめでたいが、考えてみればスジ的には綱道さんを見つけて許可をとりつけてから夫婦になった方がいいのではないか?」
近藤は千鶴に赤ちゃんがすでにできてしまっているという事を知らないのだから、そう言うだろうと土方はすでに想定していた。想定問答集を与えられていた総司は、すらすらと答える。
「それは確かにそうですが、僕も新選組の一番組組長としていつ刃の下に倒れるかわからない身です。綱道さんの発見を待つよりも今を大事にしたいと思ったんです。でもそれが新選組に迷惑がかかることなら……」
「いやいやいやいや!総司の言うことはもっともだ。確かにそのとおりかもしれん。普通の祝言もあげてやることもできんし、住むところもしばらくは今まで通り屯所になってしまうが、それで千鶴くんがいいのならぜひ総司と夫婦になってやってほしい」
……というわけで、その夜。ここは離れの千鶴の部屋。
結局、独立性が高く結構広い千鶴の部屋に、総司が越してくることになりそれが二人の新居となった。
祝言は、日を改めて仲間内だけで簡単に。
そこまで決まってようやく千鶴と総司が皆から解放されたのは、もう夜もかなり遅くなっての事だった。
部屋の中には雑然と積まれた総司の持ち物。総司はあまり物に対して執着が無いようで、組長レベルだと言うのに長持一つ程度で後は布団一式だ。
こ、ここで二人で寝るのかな……
以前二人で眠ったときは全く意識がなかったため、今日が初夜といえば初夜だ。しかしなんだかいろいろ複雑で……
総司はどう思っているのだろうと、千鶴はちらりと隣で立って部屋の中を見ている総司を見上げた。総司も千鶴の視線に気づく。
「そんな不安そうな顔をしなくても、妊婦に無体なことなんてしないよ。それに僕たちは別に恋仲だったってわけでもないんだし。普通に雑魚寝でいいでしょ」
そう言いながら部屋に入り、総司は布団を二人分並べて敷いた。広いと言っても部屋はそれでいっぱいになってしまう。
布団を敷きながら総司は思う。
確かに妙な気分にならないと言えばウソになる。総司だって一応健全な成人男子なわけだし、島原で近藤の顔をつぶさないために何度か女は買ったことがあるから、そっち方面の経験がないわけではない。
しかし新八たちのように島原が楽しいわけではなかった。人見知りの方ではないが、自分の個人的な領域に信用できない人を入れるのは嫌いだ。昔から総司の事を知っている土方などは、総司のその性癖のことを『ネコみたいだな』と評していた。なつけば甘えてくるが知らない人間には決して撫でさせない野良猫。しかし密事をするのに個人的な領域に入らないままでいることはできなくて……。気持ちよくないわけではないし行為自体が嫌いなわけではないが、領域を侵されるのをガマンする方が面倒なのだ。
今、隣で布団を敷いている千鶴は、島原の女とは全然違う。清潔だし、化粧をしていないところも髪がサラサラな所も嫌いじゃない。体は細すぎるような気もするが、総司は妙に肉感的な女はあまり好きではないので特に問題は無い。それに細くても腰はなだらかな曲線を描いて、男とはもちろん全然違う。
彼女に触れたくないと言ったらウソになるが、しかし例の朝に聞いた千鶴の『総司を選んだ理由』がどうもひっかかる。あれじゃあ島原の女を自分の欲望のままに買う男と一緒ではないか。男の性欲と千鶴の崇高な妊娠という自己犠牲とを一緒にするなと言われそうだが、相手を利用しているという点においては同じだ。つまり総司が島原の遊女で、どうももてあそばれたような……
「じゃあ、おやすみなさい」
隣でにっこりほほ笑んで布団に横になる千鶴は、全然そんなことを考えていないようだ。
「ああ、うん……」
対して、総司はなんとも歯切れの悪い返事をして同じく布団に入ったのだった。
*
次の日の夜、近藤の肝入りで内輪だけのささやかな宴会が集会所で開かれた。参加者は千鶴が女の子だと知っている例の面々のみ。
部屋の上座には、ちょこんと総司と千鶴が座っている。
「今日は思う存分飲んでくれ!」という近藤の掛け声とともに宴会が始まった。まあ今でいう結婚式披露宴の二次会のようなものである。
二人のなれそめを全く知らない源さんが、一番最初に総司と千鶴の前に行き、酒を注ぐ。
「いやあ、総司がまさかこんな風に嫁をとるなんて思ってもいなかったよ。本当にめでたいことだなあ」
総司も杯に酒を受けながら素直に「ありがとうございます」と言う。源さんは千鶴にも注ぎながら笑った。
「おめでとう。総司はやっかいなところもあるが根は素直でいい子なんだよ、よろしく頼む」
「はい」
にっこり微笑んで千鶴も盃を受けた。源さんが無邪気に聞く。
「ところで二人のなれそめはどんなものなんだい?私は全然気が付かなかったよ」
「え?えーっと……」
千鶴が助けを求めるように彷徨わせた視線を、総司が受け止めて答える。
「千鶴ちゃんが僕の事を好きで好きでしょうがなかったみたいで、夫婦になってほしいって土下座して頼まれたんですよ。あの時はびっくりしたなあ〜」
「ちょっっ……!沖田さん!そんな……!!」
驚いたのと恥ずかしいのと源さんに何と思われるかとの三重の気まずさで、千鶴は真っ赤になりながら総司を黙らせようと腕をあげた。叩こうとする千鶴の手を、総司は軽々と受け止めて笑いながら軽口を続ける。
「まあしょうがないから了解してあげたら、『嬉しい』って言って泣き崩れて………あれにもびっくりしたよ、ね?」
悪戯っぽく微笑む総司に、「うっ嘘ですよっ」と慌てながら否定する千鶴。
源さんはそんな二人を嬉しそうに眺めている。
源さんの後ろに座っていた左之、新八、斎藤、平助たちは、いちゃついてんじゃねーよというヤッカミの混じったしらじらとした視線を二人にむけ、土方は相変わらず苦虫をかみつぶしたような顔で二人を見ていた。
総司と千鶴のこの会話は妊娠事件以前の二人の通常運転のものだったのだが、夫婦となった今見るとほほえましく幸せな新婚夫婦の会話に見えるから不思議だ。近藤も嬉しそうにウンウンとうなずいて言った。
「どうも二人が夫婦という実感がわかなかったがな、でも幸せそうでよかったよかった。子どもはどうするんだ?」
近藤には千鶴のお腹にもうすでに赤ちゃんがいることは知らせていない。千鶴が近藤の質問に動揺すると、総司が庇うように言った。
「もちろんがんばりますよ。今夜からね」
近藤が大笑いをする。
「おおっそうかそうか!総司も言うようになったなあ!頼もしいかぎりだ。なあ?」
最後の『なあ?』は千鶴に向けて言う。千鶴は顔をさらに真っ赤にしながら俯いた。
「はい……その……ふ、不束者ですが……よろしくご指導ください……」
千鶴のその様子が面白かったのか総司がさらにからかう。
「うん、ご指導してあげるよ、たっぷりね」
「………」
とうとう小さくなって黙り込んでしまった千鶴。そんな彼女をさらに楽しそうにからかう総司。
そんないちゃいちゃ(しているように見える)二人を後目に、平助達が小声で土方に訴えていた。
「土方さん!あれ、ダメだろ?あんなヤツに千鶴渡しちゃだめだろ?人としてさー!!」
「総司はいっつも千鶴をいじめてからかってたじゃねえか。あんな男に千鶴あずけちまっていいのか!?」
土方は相変わらずしかめっ面をして腕を組んだままムッツリと答えた
「俺だってもろ手を挙げてよかったと思ってるわけじゃねえよ。だがしょうがねえだろう!千鶴本人がいいって言ってるんだからよ。ほら、平助、涙と鼻水ふけ。左之はよだれ。斎藤は刀を置け」
総司と千鶴が子どもをつくるに至った経緯については、土方も皆も知らない。さすがにそこまでは聞けなかったのだ。そこはわからないが、総司が認め千鶴も合意の上だったというのなら夫婦になればとりあえずの問題は解決するし、もし千鶴の存在がバレた時や綱道が現れたときも体裁は保てる。
軟禁していた少女を、成長してから隊士がもてあそび妊娠させました、などという事が外に漏れたり幕府側に伝われば、もともと京での評判が悪い新選組だ。夜な夜な少女をさらって隊士たちの慰み者にしているなどと尾ひれがつくのが目に見えている。そんな噂が京に広まれば新選組のスポンサーである会津藩も見過ごすことはできないだろう。
最悪解散だ。
それに父親の鋼道が見つかれば……。事はさらにやっかいになる。
土方は頭痛がしてきたこめかみを揉んだ。
これは本当に頭が痛い。平身低頭して謝っても許してもらえるかどうか。父親を探して単身京に乗り込んできたか弱い娘を軟禁、さらに妊娠……。どうとりつくろっても新選組は悪の集団になってしまう。
しかし、新選組にいるうちに隊士の一人と思い合うようになり、夫婦になったとしたら。
父親を探し出すまで夫婦になるのを待てなかったのは申し訳ないが、情状酌量の余地のある案件になるのだ。
千鶴が何を思って総司と、その……そういう行為をしたのかわからないが、やはりこれが一番の解決策だ。
土方の返事は平助達にも理解できる。理解はできるが掌中の玉をさらわれたような、大事に大事に育ててきた娘をトンビにさらわれたようないらだちがある。
しかもさらったのはアノ総司だ。
世の中の不公平さを呪う平助たちのヤケ酒が進んだのは、当然と言えよう。
宴もたけなわ。だいぶ場が崩れてきた時、新八がイヤミったらしく総司と千鶴の二人をからかうように声をあげた。
「いやーそろそろ新婚二人が仲良くしている所が見たいなあ!」
それに左之が悪ノリする。
「そうだな!口づけでもしているところが見たいな!」
こうなりゃヤケだ、と言う感じで始まる合唱。「くーちづけ!くーちづけ!くーちづけ!」の連呼に、千鶴は戸惑って隣の総司を見た。
口づけなどしたことがない。いや、あの夜したかもしれないが……でも全く記憶にないのだ。口づけどころか手をつないだことも抱きしめられたことも無い。一緒の部屋に寝てはいるがそれも昨夜からだし、その間もその前もほとんど肌の触れ合いはないのだ。
酔っぱらった勢いもあるのだろうが、ヘンに皆が一体になって口づけをするように言ってくるため、どうやって回避すればいいのか千鶴にはわからない。
「お、沖田さん……どうしましょ……って…」
困った顔で総司を見た千鶴は、彼の顔を見て固まった。総司の顔にはいつもいつも千鶴を見つけては苛めていたころの楽し気な黒い笑顔が浮かんでいるではないか。
「沖田さん……ちょっ……」
「これだけ皆が盛り上がってるんだからね。ここで口づけできませんなんていったら空気壊すし本当に夫婦なのか怪しまれちゃうよね?」
「ちょっ……!待って……待っ…てください!心の準備が……そんな事をこんな大勢の人の前で……」
総司は、後ずさって抵抗している千鶴の細い手首を軽々と掴んで動きを封じ、ずいっと千鶴の顔を覗き込んだ。
正直総司は楽しんでいた。
別に口づけぐらいなんともないし、これまで散々いじめてきた千鶴に対するレパートリーが一つ増えたくらいの意識だ。これだけ千鶴が嫌がっているのが楽しくてしょうがないし、かわいくもある。総司はノリノリでがしっと千鶴の両肩を掴んだ。
「お、沖田さん……ちょっと、ちょっと待ってください。まさか本気で……」
千鶴の言葉の続きは、総司の唇に吸い込まれた。
え、なにこの柔らかさ……
総司が最初に感じたのは千鶴の柔らかさだった。
うっすらと頭にかかっていた酒の酔いが、その衝撃で一瞬にして冷める。
次は、甘さに驚いた。
いや、甘いというのは正確には違う。味というよりは匂いなのだろうか。甘ったるい味ではなく爽やかな甘さだ。
何故こんなに柔らかいのか、何故こんなに甘いのか。その答えを知りたくて総司は千鶴をそっと抱き寄せた。騒いでいた周りのことなど総司の頭からは消えうせる。
震えている千鶴の肩を安心させるように抱きしめて、そっと、何度も唇をあわせ味わっていると、千鶴の体から力が抜けていくのを感じた。やりすぎだという声が頭のどこから聞こえてきていたが、総司は無視してほんの少し開いた千鶴の唇の間から舌を滑り込ませる。
これをしてしまったら、『冗談だった』という言い訳は笑って言えないような気がする。でもそんなことより千鶴の奥にまで触れたいという気持ちの方が強かった。
「……ん……」
息継ぎのために少しだけ離した瞬間に、溜息のような吐息のようなかすかな声が千鶴の口からこぼれた。それは総司にしか聞こえないくらい小さなものだったが、彼をさらに千鶴の中へと沈ませた。深く深く、酔いのせいもあるだろうが、理性を手放して彼女の中へと深く……
「いいいいいいいいいいい加減にしろっ!てめえはっ!」
突然頭の後ろをげんこつで思いっきり殴られて、総司ははっと我に返った。
自分の腕のの中で頬を染めてクタリとしている千鶴。
静まり返って自分たちを見ている部屋の中の男たち。
まだげんこつを振りかざしたまま、総司の後ろに立っている土方。
「……痛いなぁ。みんながやれって言うから仕方なくやったのに」
「やりすぎなんだよっ!見ろ!生々しすぎて皆ひいてるだろーが!ほら、とっとと千鶴を離せ!」
言われて総司が千鶴を見ると、青くなったり赤くなったりしながら総司の腕で小さくなっている。
「大丈夫?」
「……」
声は出さずにうなずいた千鶴を確認して、総司は手を離した。そしてこちらに注目している皆を見てにっこりほほ笑む。
「こんな感じで仲良くやっていきます」
こんな感じでこれからあてられ続けるのかと、皆は心底うんざりしたのだった。
*
その夜総司は眠れなかった。
抱きしめたときの千鶴の肩の薄さ、腰の細さ。にもかかわらず何ともいえない……男にはない柔らかさ。
千鶴の髪の清潔な匂いに、唇の感触……
考えていると、口づけの途中で聞いた千鶴の小さなあえぎ声も、まるで今耳元で聞いているように思いだしてしまって、総司は寝返りをうった。
そうすると実際の目の前には、新妻の寝姿。
千鶴は意外に寝相が悪くて、布団をすぐはだけてしまうのだ。寝返りをうっていると夜着の袷の部分もだんだんゆるくなってきて、本当に目の毒だ。特に頭の中がこんなことでいっぱいの夜には。
寝言なのか寝息なのか、時折口づけのときのような「ん……」というような声も聞こえてきて、いろいろと我慢の限界に来た総司は、そっと起き上り、千鶴を起こさないように気を付けて部屋を出た。
うっすらと白くなってきている東の空を見て溜息をついた総司は、結局一晩中眠れなかったのかと苦笑いをする。ここで部屋にまた戻り布団に入っても、明るくなって彼女の姿が見やすくなる分、余計に眠れないだろう。
総司はそのまま凝った肩をほぐすように腕をまわしながら歩き出した。少し早いが道場に行って汗を流そう。その方が生産的だ。
昨夜の酒がまだ残っているのか、頭がぼんやりとしている。
いや酔ったのは酒にではなく千鶴にか……
左之が言いそうなキザな言い回しが浮かんできて、総司はどうかしてるねと首の後ろを掻きながら道場へと向かったのだった。
しかしこんな夜が毎日続くとさすがにまいるな……
その日の午後、巡察で京の町を歩きながら、総司はぼんやりと考えた。
早朝の道場での自主稽古には、後から斎藤もやってきた。滅多に朝稽古などしない総司を不思議そうに見たものの、斎藤は何も言わずに稽古を始める。
これが毎朝続けば、さすがに周りから何か言われるかもしれない、と総司は素振りをしながら考えた。稽古をした後は、疲れ切って眠くなるかと期待したが逆に妙に頭が冴えて全く眠くならない。
一日二日なら特に影響もないだろうが、さすがに連日になると隊務にさしさわる。
部屋を分けた方がいいのかもしれないが、周りに怪しまれずなおかつ千鶴に気にやませることなくそうできる上手い言い訳が思いつかない。新婚になった途端部屋をわけたら、普通は何かやったかと思われるのがオチだろう。
まあ、今夜は睡眠不足すぎて布団には言った途端ぐーだろうから大丈夫だと思うけど……
「あら、沖田さんじゃない?」
明るい声に呼び止められて、総司は考えを中断して振り返った。
道のわきには、以前屯所に乗り込んできて千鶴を鬼だと言った千が、君菊と一緒に立っている。総司が一番組の隊士に『自分は少し離れるが巡察を続けるように』と言って隊を離れると、千が寄ってきた。
「こんにちは。お仕事のお邪魔をしたんじゃなければいいんだけど」
「いや、いいよ。僕の方が聞きたいことがあったんだ。その……」
言いよどんだ総司を見て、千は小さな声で言う。
「千鶴ちゃんの妊娠の事?」
直球で言われて、総司は一瞬ひるんだもののうなずいた。
「ホントなの?」
総司の質問に、千は眉をしかめる。
「まだ微妙な時期だから何とも言えないけど……千鶴ちゃんの症状を聞くと妊娠したんだと思う……けど。心当たりはあるのよね?」
またもや直球の言葉に、総司はごまかすように顎を手でなでた。
「うーん……まあ、あるというか覚えてないというか……」
「あ、そうか。千鶴ちゃんも覚えていないって言ってたっけ」
「君さ、どこまで聞いてるの?千鶴ちゃんが妊娠しようって思った理由とかも聞いてる?」
千はうなずく。
「ええ。南雲薫のことでしょ?私もあの後いろいろ調べたけど、薫の言ってることは本当よ。綱道さんは十中八九薩摩藩に厄介になってると思うわ」
「……薩摩藩の京藩邸?」
総司が聞き返すと、君菊が首を横に振った。
「藩邸にはいらっしゃいませんでした。さすがにどこかに家を借りるなりなんなりして隠されていらっしゃるのかと……」
千や君菊が嘘をついても何の得もない。総司は彼女達の言葉を信じた。しかし、だということは薫の言っていることは正しいという事になる。綱道の目的もそれを阻止する方法も。それについてどう思うかと総司が千に尋ねると、千は考え考え慎重に、しかしきっぱりと答えた。
「いい案だと思う。変若水のことも綱道さんのことも日本の今の情勢のことも、よく考えてると思うわ。千鶴ちゃんに強いる負担が大きい気がするけど、彼女も自らそうしたいって言ってたし」
千はそう言うと、沖田を見上げて肩をすくめた。
「沖田さんには無理に協力させた形になっちゃって可哀そうとは思うけど、でも夫婦でいなくてはいけないのも今だけよ、多分。綱道さんは多分薩摩藩に言って千鶴ちゃんを見張ってもらっているだろうし、妊娠したら月が進めば隠しようがないから、きっとすぐに綱道さんに千鶴ちゃんが妊娠したことは伝わるわ。そうしたら時をおかずに綱道さんは、薫の想像どおりのことを行動に移すんじゃないかしら。そうしたらもう夫はお役御免だし、その後は鬼たちの問題になるわ。私たちの問題に人間であるあなたを巻き込んでしまって申し訳ないと思ってる。千鶴ちゃんが新選組を離れたら、鬼である私達の方で全て面倒を見ていくつもりだし、あなたたちには迷惑はかけないようにする」
千にそう言われて謝られたが、総司は別に嬉しくもなんともなかった。
千達と別れた後、総司は先に行っている一番隊を追いかけながら何故かと考える。
答えはすぐに出た。部外者のような言われ方をしたのがひっかかったのだ。
こと千鶴のことに関して一番近い場所にいるのは自分のはずだ。千鶴が頼るのも相談するのも、泣くのも笑うのも、一番近くにいるのは総司なのだ。それは別に迷惑でもなんでもないのに、本当に千鶴の傍にいるのは鬼たちだと言わんばかりの千の言葉が不快だった。
子どもが産まれるまでは十月十日。まだまだ時間はあると思っていたのだが、お腹が大きくなって来れば確かに妊娠したと綱道にはわかるだろう。そうしてすぐに綱道が千鶴の前に現れたとしたら。
千鶴は東北に帰ってしまうのだ。
……いや、夜よく眠れるようになっていいよね
そう思うのに何故か心が騒いで、総司は落ち着かなかった。
*
その頃、千鶴は自分の部屋の隅で悶々としていた。
理由は昨夜のアレ。
口づけである。
総司は百パーセント冗談で口づけをしてきたというのに、千鶴の方ははじめての口づけに夢中になってしまった。
その上、何か変な声をっ……!
かああ〜っ!と千鶴の顔はゆであがり、部屋の中を転がる。自分の声とは思えないような甘えた声。総司は絶対聞こえたに違いない。
昨夜は妊婦ということで千鶴だけ先に自室に戻り寝てしまい、朝は総司は早く起きたのかすでにいなかったため、あの口づけの後、千鶴は総司と顔を合わせていなかった。
会っていたら絶対からかわれていただろう。
『昨日のアレ、気に入ってくれたみたいだね。もう一回やる?』
と楽しそうに近寄ってくる総司の黒い笑顔が見えるようだ。
さらに悪いことは、千鶴が実はもう一度してほしいと思わないでもないでいることだった。
口づけされた時に、最初は驚きで何も感じなかった。目の前にある閉じられた長い茶色の睫を茫然と見ているだけ。しかし、これまで扱われたことのないような優しい優しい触れ方に、千鶴の心は溶けていってしまったのだ。そして途中から何もわからなくなった。みんなに見られているあんな状況で総司の唇と腕の暖かさだけを感じていた。そう、うっとりと口づけに溺れて……
終わった後は、まともに総司を見れなかった。
「ああっ!」
顔を両手で覆って、千鶴は思わず部屋の中で一人じたばたする。
恥し過ぎるっ……!次にどんな顔をして総司にあえばいいのかわからない。今日は一番組は屯所内で鍛錬の日だ。いつ部屋に帰ってきてもおかしくはない。
どうしよう……!と思っていると廊下から声がかかった。
「千鶴君?ちょっといいかい?」
近藤の声だ。
「は、はい!」
千鶴が慌ててふすまを開けると、そこには思った通り近藤が一人で立っていた。
「悪いね突然。昨日は旦那を遅くまで借りて申し訳なかった」
昨日の夜総司が遅くまで宴会に参加していたことだろう。 近藤が謝ることではないのにぺこりと頭をさげる新選組局長に、千鶴は微笑んだ。
「いえ、気になさらないでください。どうぞ」
襖を大きく開けて近藤を中に入るよう促すと、近藤は両手を挙げて制止の意を示した。
「いや、長居はできんのだよ。提案というか……もしよかったらの話なんだが、君たち夫婦の夕飯のことだ」
「夕ご飯……ですか?」
「いや夕飯以外にも朝飯でもどちらでもいいんだが、いや、両方でもいいな。その、夫婦で食事を一緒にするというのは自分のような田舎者にとっては普通の事でな……」
近藤の提案とは、皆と一緒に集会所でこれまでどおりに食事をとるのもいいが、せっかく夫婦になったのだし二人でこの部屋でとってはどうかという提案だった。そしてできれば妻の手作り料理で。
材料は皆と同じものになるが、メニューは千鶴が考えて総司の好きなように作ってあげてくれると男は喜ぶもんだ、というアドバイスもあった。
「あいつは好き嫌いが多いからなあ。でも可愛い新妻の手料理なら喜んで食べると思うのだ。もちろん千鶴君の体調が悪い様だったら無理にとは言わないし、できる日だけでいいとは思うが。どうだろう?」
千鶴は考えるまでもなく、大きくうなずいた。
確かに総司の食生活はいい加減で、お腹が膨れればなんでもいいという感じなのだ。ご飯もおかずも食べないでお酒ばかり飲んでいたり、野菜も嫌いと言って食べなかったり……ちゃんと食べないとと千鶴も心配していたところで、近藤の提案はちょうどいい。
子づくりのみの協力でいいと言っていたにもかかわらず、皆にばれたせいでずるずると夫婦となってしまっていたことも申し訳なく思っている。総司は多分、人との距離を一定に取りたがるタイプだ。それにもかかわらず、自分との共同生活になってしまった。皆にからかわれたりいろいろ言われたりもするだろうし、さぞかし迷惑をかけているだろうとの自覚はある。食事で役に立つことができるのなら、千鶴もとてもうれしい。総司のきらいな野菜のおかずについても、胡麻和えにしたり、細かく切ったりして総司が食べられるようにして日々の食事に満足できるようにしてあげられることができれば、少しだが恩返しになるのではないだろうか。
「あの、とても嬉しいです。食事当番のみなさんの邪魔にならないようにしますし、こちらの準備ができたら皆様の食事の支度の方のお手伝いもしますので、ぜひそうさせてください!」
千鶴の言葉に近藤は喜び、早速今晩からと話がまとまった。
二人っきりでの夕飯なんて何を話せばいいか戸惑うが、しかし手作りの料理という話すネタがあるのでそれほど気まずくならないだろうし、うまくいけば昨夜の口づけについてはさらりと流してしまえる可能性も高い。
千鶴は早速うきうきと立ち上がり、勝手場へとむかったのだった。
今夜の食事当番は斎藤だった。
材料は青菜にごぼう、ご飯に干し魚。
青菜とごぼうは細かく切って醤油で濃いめの味付けにしようと千鶴は考える。ご飯に混ぜて食べてもおいしいし、おかずとしても食べられるだろう。それとおふの味噌汁。千鶴がメニューをつぶやいていると、斎藤が反応した。
「それはうまそうだな。作る手間もかからんし、皆の分もそれにするか」
「じゃあ、皆の分を一緒に作ってしまいましょうか?」
「うむ。助かる。俺はメシを炊いて味噌汁を作ることとしよう」
さくさくと分担も決まり、千鶴は早速包丁でごぼうの皮を軽く削り、ささがきにしていく。
「あっ……!」
「どうした、千鶴。む……手を切ったか。どれ見せてみろ」
斎藤に促されるまま千鶴は手を差し出した。斎藤は傷口を見て小さく頷く。
「たいして深くはない。こうしておけばすぐなおるだろう」
と斎藤は言い、特に考える風でもなく千鶴の指を口に含んだ。
「…あ……!」
「あ!すっすまない…!つい…!」
千鶴以上に驚き真っ赤になって秒速で飛びのいていた斎藤を見て、千鶴は戸惑いつつも微笑んだ。
「い、いえ。ありがとうございます」
「いや、本当にすまない。他意はないのだ、気を悪くしたのなら申し訳ない。本当に他意は無く……」
放っておけば土下座でもしそうな斎藤の様子に、千鶴は本格的に笑い出した。
「大丈夫です。本当にありがとうございます。もとはと言えば指なんて切ってしまった私が間抜けで……」
いや、夫の食事を自分の手でつくるとは見上げた志だ、としどろもどろに言う斎藤に千鶴はまた声をだして笑った。
そしてもちろん、そんな二人を隠れて総司が見ていたのはお約束で……
総司は何も言わずに踵を返してその場を立ち去った。