【一緒に来ますか?】
少し肌寒い空気の中を、千鶴と総司は手をつないで歩いていた。
場所は大学のキャンパス。
「で、どうしよっか?どうしたい?」
「……それは、私は一緒に暮らしたいですけど…」
「僕もそうだけどね。でもあんまり京都にいられないからなぁ。寂しくない?実家の方があのケンケンうるさい兄さんとかいるし……」
総司の言葉に、薫を思い出して千鶴は小さく吹き出した。
両家の顔合わせも済み、復学した千鶴は、実家から大学に通うようになった。
沖田家の持っているマンションが京都駅の近くにあり、総司はそこと関東の実家と両方に住み二重生活をしている。
総司は週末は時々。平日もゼミがある日はなんとかやりくりをして京都に帰って来る。
会う時間が少ない上に、千鶴が実家にいるせいで授業や仕事のタイミングが悪いとせっかく総司が京都にいても会えないことがたびたびある。
籍はいれていないものの婚約までしているのだから、と鋼道の方から千鶴は京都の沖田家マンションに引っ越したらどうかと言われたのだった。
「もし一緒に住むとしたら……ケジメ的にも籍を入れた方がいいかなって思うんだけど、君のお父さんと前話した感じでは『大学出るまでは娘として……』って感じだったしね。千鶴ちゃんはどう思う?籍いれる?」
総司の言葉に、千鶴は自分の左手の薬指を見た。
そこにはDEARESTの指輪がきらきらと光っている。
千鶴はあの夜……20歳の誕生日の夜に総司の実家の仕事部屋でプロポーズされたことを思いだした。暗い部屋で、月の光と机の上のライトがぼんやりと灯る中で、千鶴は初めて総司の気持ちを聞いた。
一緒に生きていく、という意味では、あの時既に結婚したことになると思う。あとは公的に報告の書類を出すという『籍』をいれるかどうかなのだが……
「籍、入れたいです」
千鶴がそう言うと、総司は少し意外というような顔をして彼女を見た。
「そうなの?僕は千鶴ちゃんが大学生のバカ達から迫られないよう男避けに籍入れたいなって思ってたけど、千鶴ちゃんが入れたいって思ってるのはちょっと意外。なんで?僕信用ない?」
「はい」
千鶴の即答に、苦笑いして何か言おうとした総司を、千鶴は慌てて遮った。
「いえ!違います。そう言う意味の信用じゃなくて……」
そして千鶴は広いキャンパスにある紅葉した葉を見ながら言いたいことをまとめる。
「今は順調ですけど、もしまた会社に何かあったら……沖田さんきっと私を巻き込まないためにどこかへ行っちゃったり連絡とれなくしたり……しませんか?」
予想外の千鶴の言葉に、総司は目を瞬いた。
「会社?でも前と違って、もう千鶴ちゃんは僕の実家知ってるし会社名とかも……」
「でも!でも……なんだか不安なんです。だから…だから籍を入れてたら……ちょっとは安心かなって。ちゃんとつなぎとめるものがないと、沖田さんまたなにも言わないで私を切り捨てて行ってしまいそうで……」
少し恥ずかしそうに、頬を染めて俯く千鶴を見て総司は呆れたように微笑んだ。
「僕って信用ないんだね」
千鶴は頬を膨らませて言いかえす。
「沖田さんだって。大学の男の人と私が云々って、相変わらず信用してくれてないじゃないですか」
「それはもうしょうがないんだよ。男のサガってやつ?」
しゃあしゃあと言う総司を千鶴が優しく睨む。
「それに僕は前だって別に千鶴ちゃんを切り捨てるつもりとかじゃなかったし」
何を言っているのかと千鶴はむくれた。
「『引っ越すから。引っ越し先は言えない』だけだったじゃないですか。携帯も解約しちゃうし京都にも……私にもなにも未練がないみたいでした」
総司は片眉をあげて千鶴を見た。
「そんなことないよ。何年先になるかわからないけど、戻ってくるつもりだったし」
「え?」
「会社と実家が吉とでるか凶とでるかわからなかったけど、どっちにしてもはっきりけりが着いたらもう一度千鶴ちゃんに会いにくるつもりだった」
千鶴は驚いて立ち止まった。
ポカンと口をあけて総司を見上げる。
総司はクスリと笑って続けた。
「会社社長としてか、何もかも失くして身一つの僕だけか……それとも借金だけ残ってたらさすがに来れなかったかもしれないな。まぁでも資産を全部売っぱらえば最悪なんとかなるんじゃないかとあの時は思ってたからね。実際はそれより深刻だったけど」
「……」
「何年後かわからないし、君はもう他の誰かと恋人同士になったり、ひょっとしたら結婚してるかもしれないし……。フリーだとしても僕の事を憎んでてもう一度つきあうなんてまっぴらだって思ってるかもしれないし。わからないけど、でも僕はもう一度会いに来ようと思ってた」
たいしたことではないようにさらりという総司に、千鶴はどもりながら訴えた。
「そんな……そんな風に思っていてくださっていたならどうして……あの時そう言ってくれてれば、私待ってました、必ず」
「んー……それがね。全部話したら、きっと君はそうしてくれるだろうってのがわかってたからさ。だから逆に言えなかった。1年や2年じゃないかもしれない。5年10年……それとももっとかもしれないし、結局借金だけ背負ってキツイ生活になるかもしれないし。待たせてたとしたら、君のその間の幸せもその後の幸せもすべて奪っちゃうことになるからね」
そこまで自分のことを考えてくれていたのかと、潤みだした千鶴の瞳を見て、総司は苦笑いをした。
「なーんてことを言っても、結局おいて行くことに耐えられなくて、『一緒にくる?』ってさそっちゃったんだけどね。しかも全部捨てさせて。あの時はもう……そのへんのことなんかどうでもよくて、とにかく君と一緒にいたかった。理想の男と現実の僕は違うってワケ」
総司の言葉を聞いて、千鶴は思い出した。
「もしかして……虞美人の話……あの項羽さんのお話とか、それだったんですか?」
頷く総司に、千鶴は喜んでいいのか怒っていいのかわからなかった。
「そんなことまで考えていたなんて……どうして言ってくれなかったんですか?いつもいつも自分で全部背負ってしまって……!だから信用できないんです」
総司は千鶴と視線を合わせて、優しく微笑んだ。
「……じゃあ、信用のない者同士、籍をいれようか?」
千鶴は総司の言葉に一瞬口ごもった。そしてしばらくしてから頷いて言う。
「……はい」
自然と千鶴が寄り添い、総司が引寄せ抱きしめる。
「式についても考えないとね。姉さん達が騒ぎそうだなぁ」
照れくさそうな総司の表情に、千鶴は彼の胸に顔をうずめた。
「ゆっくり……考えましょう。時間はたくさんありますし」
総司は体を離して千鶴の顔を覗き込む。
「……そうだね。ゆっくり……今度はちゃんと周りの事を考えてやりたいな」
二人がそのまま向かった先は、大学の図書館だった。
今日はあと千鶴が夕方からの授業にでたら終わりだ。
その後総司のマンションに行き、夕飯を食べた後千鶴を実家まで送ることになっている。
以前一緒に海外旅行をした千達と千鶴が一年ぶりに連絡を取ったこと。ものすごい勢いで怒られたこと。でもとても喜んでくれたことを楽しそうに話しながら、千鶴は総司と二人で図書館へと向かう。
昼食を食べたすぐ後なので、総司は久しぶりに千鶴の居眠りが見られるかと密かに楽しみにしていた。
「『ヒメ』は元気かな〜」
「ひめ?」
不思議そうに聞き返す千鶴に、こっちの話、とにんまり笑って。
二人は一年前までいつも座っていた奥まったスペースに向かう。そこは相変わらずあまり人がおらず、昼休み中だからか一人座っているだけだ。
席に座って荷物を置くと、千鶴が財布を持って立ち上がった。
「どうしたの?」
図書館の中なので、小さな声で総司が聞く。
「何か飲み物を買ってこようかと思って。いつも眠くなっちゃうのでコーヒーとか」
千鶴の台詞に総司は思わずにやっとした。
千鶴は総司の表情には気が付いていなかった。何故なら自分がたった今思いついた事を実行に移したくてワクワクしていたから。
千鶴は手を口元にやり、コホンと咳払いを一つしてからおもむろに座っている総司に手を差し出した。
「……一緒に来ますか?」
突然の千鶴からのお誘いに、総司は目を見開く。
「え?」
「……全部捨てる必要はありませんけど」
総司は一瞬キョトンとして、差し出された千鶴の手を見つめた。
首をかしげて悪戯っぽく微笑ながらこちらを見ている千鶴の表情を見て。
そしてピンとくる。
「……もちろん」
総司は答えると同時に、千鶴の手を取り立ち上がる。
二人で顔を見合わせてクスクスと笑って。
千鶴がバレンタインのチョコレートを震えながら渡した通路を、今は指を絡めながら通り過ぎる。
あの時の勇気が、すべての物語の始まりだった。
絡めた二人の指。
千鶴の細い薬指には、DEARESTのリングが光っていた。
【終】