【WILD WIND 6-2】











『庭の手入れや力仕事をしてくださる男性を探しています。待遇等については個別に相談させてください。雪村』
真夜中の通りで、斎藤は無言で千鶴の家の門に新しく貼られた貼り紙を見ていた。

どこからつっこめばいいのかわからないくらい突っ込みどころ満載だ。
まず女性住まいだとすべての人間に知らせるようなこの貼り紙の存在自体が一番の問題だろう。
斎藤は指を口元にあて貼り紙をじっと見る。
そもそも家に男をいれるのなら身元や性質が確かな男をいれるべきだろう。普通は近所の知り合いのつてを辿ったり親戚に口をきいて探してもらうものだ。こんな公募のようなことをして過去犯罪を犯した者や、なにか不穏なことを考えている男がきたらどうするつもりなのか。
10代を新選組ですごしたせいで、どうも千鶴には一般的な男に対する警戒心がかけている。君菊は多分止めたのだろうが千鶴が「大丈夫ですよ」と能天気にきかなかったのだろう。目に浮かぶようだ。

斎藤は溜息をついた。
いや、新選組ですごしたせいではないな、と斎藤は自分の考えを訂正する。
新選組の、あの荒くれ男と達の中でもあまりにも警戒心がなかった。逆にその無防備さのせいで男たちの方が手を出しにくかったくらい。
真っ黒な濡れたような瞳に浮かぶのは相手に対する完全な信頼で、何故だかその瞳で見られるとその信頼を裏切りたくないを思ってしまうのだ。人を何人も殺し、裏切りや復讐など日常茶飯事の中で、皆彼女だけは綺麗なままでいて欲しいと思っていたような気がする。
斎藤自身もそうだった。
出会った当初は全身を刃のように研ぎ澄ませ、新選組に立ち向かう物はすべて斬るつもりで爪を研いでいたはずだったのに。
彼女と新選組の中で平穏な時間を過ごすにつれて、彼女の前ではその爪を収めるようになった。そして、いつの頃からかだろうか、たとえ土方からの命令でも千鶴を斬ることはできない自分に気が付いた。土方も彼女を大事にしていたから、そのような命令をすることはあり得ないが。そして彼女がつらい思いをするのを見たくはないと思う自分も。
それが、自分が、自分こそが彼女を守り、幸せにしたいと思うようになったのはいつごろだったか……。
全てを失っても彼女が傍に居てくれたことがどれほど斎藤を強くしてくれたか。

だが世間知らずだ。


斎藤は両手を腰に当てて貼り紙を見た。その上意外に頑固で言うことを聞かない。皆が皆、自分と同じように善人だと思い込んでいる。
新選組で殺伐とした日々を送ってはいたが、皆が守っていたせいで千鶴は人間の汚い部分に直面することは少なかった。
男の汚い部分も知らないだろう。知らないでいて欲しいと思うがゆえに、一緒に暮らすようになってからも斎藤が過保護にしすぎたのかもしれない。現実を教えるよりも自分がついて守ることができるため、特にきつく教えることはなかった。
斎藤が傍に居る間はそれでよかったのだ。

「あーあ、こりゃ……困ったな」
後ろから聞こえてきた声に斎藤は振り向いた。気配は先ほどから感じていた。天霧かと思っていたが……
「不知火か」
不知火は横から顔をつきだして貼り紙を眺める。
「明日には君菊が剥がさせるだろ、こんなん。今剥がしとくか?」
「いや」
朝起きて剥がされていたら千鶴は悲しむだろう。不知火が言うとおり君菊が千鶴を説得して剥がさせる方がいい。
不知火は貼り紙をじっと見ている斎藤の横顔を見た。
「まったく…みんな千鶴には甘いなぁ。ま、いいけどよ。おっそうだ!」
不知火はポンと手を叩いていいことを思いついた!というように斎藤に向き直る。
「お前がこの貼り紙に応募すりゃーいいんじゃねぇか?こんな道端でうろうろしてるよりよっぽど安心だろ」
「いや、俺は例の北の部族に面が割れている。俺からのつながりで彼女が『斎藤千鶴』だとばれる可能性がある」
「だーいじょうぶだって!名前とか変えればいいんじゃねぇか?住み込み扱いにしてもらえりゃ夜だって体が休めるし、食事も面倒見てもらえるだろ。いっそのこと一緒に寝りゃあ夜中もぐっすり眠りながら守れるぜ」
「なっ……!何を言う。今は彼女にとって俺は夫でもなんでもないのだぞ!」
斎藤が動揺してそう言うと、不知火はからからと笑った。
「だから別にいいじゃん。お互い一人モン同士ってことでもう一回最初からはじめれば」

もう一度最初から……

その発想は斎藤にとっては新鮮だった。
新選組も羅刹も何も知らない者としてもう一度出会い、はじめる……。再び彼女に名前を呼んでもらえる日がくるというのだろうか。
そんなことができたらどんなにかいいだろう。しかし…
「女住まいに男が一人ではかなり目立つ。近所の噂になるだろう。その男と女主人が……その、そういう関係になるとすればさらにだ。千鶴の評判も落ちるし人の口になにかと噂されるのは、彼女を守るという面から考えれば悪いことが多すぎる」
「そういう可能性はあるかもしれないけどよ……」
「待て」
反論しようとした不知火を手のひらで止めて、斎藤は道の反対側へと視線を向けた。
「今夜は満月なのに珍しいな……」
呟く斎藤に、不知火が道の向こうの暗闇に目を凝らす。
暗闇の中からのっそりと出てきたのは、牛のように大柄な羅刹だった。遠目でもすでに正気をうしなっているのがわかる。
銃に手を伸ばした不知火を、斎藤が止めた。
「ここでは音が響く。人に出てこられると面倒だ」
そう言うと、斎藤は柄に手をかけて構えた。斎藤達に気づいて足を止めた羅刹は、一拍置いた後常人離れした速さで飛びかかってきた。
抜き打ちの一閃が闇を切り裂く。
不知火の目の前に血しぶきがあがり、羅刹がうめき声と共に地に落ちた。かなりの深手を受けているのがわかる。
このまま絶命するかと不知火が思っていると、斎藤が体を反転させて倒れている羅刹の上に足をかけた。そして背中から正確に心臓を貫く。
「うぐっ!」
獣のような声とともに羅刹は痙攣すると、一瞬にして灰となった。

「……すげえな」
不知火は茫然として、刀についた血を慣れた様子でぬぐっている斎藤を見た。
「何体も殺したからな。なかなか絶命させることができず最初は戸惑ったが今はある程度慣れてきた。とにかく動きを止めて心臓を確実に突き刺すか首を打ち落とす方法が一番だ」
「お前……簡単にいうけどよ……」
素早い羅刹を一発で動きを止めるなどと、普通は無理だ。さらに肉体が強化されている奴らの心臓を確実にしとめるのも。
どれだけの死線を斎藤が潜り抜けてきたのかを思うと、不知火は言葉を失った。天霧からも斎藤の体力に対する危惧を聞いている。
「お前さ、昼も夜も千鶴を守ってていつ寝てんだ?ちゃんと食ってんのか?」
刀を鞘に納めて、斎藤がまるで何事もなかったような冷静な蒼い瞳で不知火を見た。
「なんだ突然。必要な睡眠と食事はとっている。俺が動けなくなってしまったら本末転倒だからな」
「仮眠ぐれえだろ?食事だって……」
よく見ると斎藤は痩せたようだ。服もあちらこちらにほころびがある。
「今日は満月だから羅刹があまりこねぇみてぇだけど、新月になると一晩に何体も来んだろ?お前、こんな状態じゃいつまでもつづかねぇぜ?」
心配そう言う不知火に、斎藤はフッとほほ笑んだ。
「いつまでも続ける必要はない。秋までだ。それまでもてば、俺はいい」
そういうとくるりと踵を返して、斎藤はいつも見張りをしているという隣家の高台へと向かった。

天霧の野郎も言ってたが、こりゃ斎藤の方がまずいな…なんとかしねぇと……

この件は、西の鬼と北の鬼との確執も絡んでいるため千も情報を欲しがっているが、それだけではない。
千鶴本人に対して千はかなりの思い入れがあるようで、幸せになってほしいとできる限りの助力を惜しんでいない。
そしてそれは天霧も不知火も同じだ。
それに斎藤に対しても。

幕末の動乱の中で知り合った、信念のために命を捨てていく武士と言う愚かな生き物。そんな精神の結晶のような新選組。ひょんなことから何度かやりあいお互いに今は認め合っている。千鶴と赤ん坊の命さえ守れればそれでいいというわけではない。斎藤にも幸せになってほしいのだ。
そんなことを言えば天霧に「いつも人間に肩入れしすぎる」と言われそうだが、天霧こそ斎藤に肩入れしていることを不知火は知っていた。何度か戦ったせいで敵と言うよりは仲間のように思っていることを。
斎藤は自分のことを押し殺して、千鶴を守ることに命を懸けている。
いつもならそんな斎藤の無茶を心配して押しとどめてくれていた千鶴は、今はもうすべてを忘れてしまっているのだ。

夜風が不知火の髪を揺らす。

迷いのない斎藤の背中を、不知火は思案気に見つめていた。

 


 


 

 

 

 




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