【WILD WIND 5-2】











斎藤達が入ってきたのとは別の、小さな出入り口の方の扉があいたままになっている。その先には井戸がある。
斎藤が刀の柄に手をかけて外へと飛び出すと、家の門を出たところに何かを担いだ男が走り去るのが見えた。担がれているのは多分千鶴だ。
そしてその男の身のこなしの素早さと、チラリと見えた髪の色。
変若水を飲んだ鬼に違いない。
「千鶴!!」
斎藤が走りだし、天霧も後を追う。小さな門を出ると道の先にものすごい勢いで走り去る人影が見えた。
「待て!」
羅刹化して全速で走ったとしても追いつかないかもしれない。
男との距離を冷静にはかった斎藤は、チラリと頭の片隅でそう思った。しかしあきらめるなどという選択肢はもとからない。
しかも身重の千鶴を乱暴に運んで何かあったらと思うと身を切るような焦燥感に襲われた。
「これは…!」
間に合わない…と天霧が呟く寸前、乾いた破裂音が夜の闇に響いた。

パァン!

続いてパン!パン!と同じような音が連続して起こる。それと同時にかなたに見えた男の影が立ちすくむ様に動きを止め、ゆっくりと崩れるのが見えた。
「千鶴っ!!!」
男は途中で灰となり、肩の高さからいきなり地面に投げ出されそうになった千鶴は、闇の中から現れたもう一つの影に抱き留められた。
「あれは……」
目を眇めてみていた天霧が呟いた。
「……不知火」


「気ぃ失っちまったみてーだな」
不知火からそっと渡された千鶴を、斎藤は気を付けて抱いた。ざっと見てみるが特に怪我らしきものはない。少し顔が蒼いが、怖かったせいだろう。斎藤は不知火へと視線を上げると小さくうなずいた。
「ありがとう」
「偶然見つけてよかったぜ」
不知火は照れ臭そうに踵を返すと、斎藤の家へと歩き出した。天霧が聞く。
「どうしてここに?今日来たのですか?」
不知火は頭の後ろで組んでいた腕を解いて、後ろの斎藤と天霧を振り返る。
「……だいたいわかんだろ?姫さんのお使いだよ『そろそろアブナイ』ってさ」

 

 

井戸で桶を取ろうと手を伸ばしたら、いきなり手首を掴まれた。桶が地面に落ちる音を聞く前に、ものすごい力で抱き上げられた。
その時一瞬見えた目は、新選組にいたときに何度も見た。光彩のない真っ赤な瞳。夜の闇の中でも光っていた。
いきなり視界が反転して、肩に担ぎあげられて連れ去られるのを感じた。乱暴な抱き方や激しい振動に、おなかの赤ちゃんが大丈夫かそればかりが気になって、必死に逃げようとしたけれど動けなかった。

一さん………!助けて…!

「一さん!」
伸ばした手は、大きく暖かな手にしっかりと包まれた。驚いて手を引こうとすると聞きなれた声が耳元で聞こえる。
「大丈夫だ。夢だ」
その声に千鶴は目を開けた。目を開けても暗くて何も見えないが、すぐそばに暖かな温もりを感じる。衣擦れの音と共にその温もりが優しく千鶴の肩を抱いて抱き寄せた。
「……一さん……」
千鶴はほっと全身の力を抜いて引き寄せられるままになった。暖かな腕に包まれて、さっきまでの不安や恐怖がさらさらと流れていく。
「私……さらわれて……」
肩にまわされていた腕に、ぐっと力が入ったのがわかった。千鶴は暗闇の中で一を見上げる。
「どこも怪我はないようだが、だいじょうぶだったか?」
心配そうな斎藤の声に、千鶴はコクリとうなずいた。
「天霧に……それと今日は不知火まで来ていたようで助かった」
「不知火さんが?」
驚いたように顔を上げた千鶴に、斎藤はうなずいた。
「京から来たようだ」
「……」
京もいろいろたいへんだとこの前千が言っていた。それなのにわざわざ不知火をよこすということは何かあったのかもしれない。
それに今夜千鶴がさらわれたのは……
「……羅刹でした」
「……」
暗闇の中で光る紅い瞳。
千鶴はぶるっと体を震わせた。見つかってしまったのだろうか。天霧が結界を張ってくれて隠れていたはずなのに。女鬼を探しているという部族にこの場所が見つかって、さらに斎藤という人間の男と夫婦になっていて斎藤千鶴として生活していることもばれてしまっていたら、別の場所に逃げても見つかってしまうかもしれない。

千鶴は自分の『女鬼』という性質が疎ましくて仕方がなかった。
こんな風に産まれて何かいいことがひとつでもあっただろうか?新選組では風間という鬼に狙われて、怪我が早く治るとは言っても、いつも庇ってもらっていたおかげでその性質で誰かを助けたことも無い。得したことや人の役に立つどころか、迷惑ばかりかけているではないか。
ようやく普通の女の子として、好きな人のお嫁さんになれたと思ったのに。またもやそれが自分が『女鬼』であるせいであやうくなってしまっている。

千鶴は目の前の斎藤の夜着をぎゅっとにぎった。
離れたくない。
はじめて出会った時の彼の冷たい瞳を今でも覚えている。斬ったばかりで、血がついた刀と同じような瞳だった。
少しずつ話すようになって面倒見がよく優しい人だということがわかった。自分で言うほど冷たい人ではないということと、ちょっぴり人見知りだということも。そして自分の信念にまっすぐ生きる人だということ。その鍛え抜かれた鋼のような背中と精神にあこがれて、必死に追いかけた。人のことや新選組の事にはよく気が付くのに、自分の体の事には無頓着で、そんなところが放っておけない。

千鶴がいなくなったら彼はどうするのだろうか?きっと…無茶をするに違いない。
千鶴と赤ちゃんを守るために、誰にも頼らず一人で無茶をするに違いない。
傍に居ることができない千鶴には、そんな彼をもう気遣ってあげることができないのだ。
それどころか彼の事すら忘れて……

千鶴は目をつぶり、斎藤の胸に顔を押し付けた。
そうすれば怖い夢は全て消え去るとでもいうように。
斎藤も固く抱きしめ返してくれる。何も言わなかったが、わかっているようだ。
「もう眠れ、体に障る」
「……はい」
この温もりがなくなる日のことなんて、考えたくない。
千鶴は包まれた安心の中で、そっと瞳を閉じた。

 


次の日の夕方、仕事からの帰り道を斎藤が歩いていると、道傍の木の裏から人影が現れた。
「……不知火」
「よお」
自然に隣を歩く不知火に、斎藤は視線を向けた。
「何か話でも?京からの伝言か?」
不知火がこの時期にわざわざここに来たという事は、京の千から何かを言付かってきたのだろうと想像はついていた。昨夜は千鶴がさらわれたせいでろくに話ができなかったが。
そして千鶴の前では話しにくい何かを斎藤にだけ言うために、不知火はここで待っていたのだろうと斎藤にはわかっていた。

不知火はいつもの仏頂面で斎藤をチラリとみると、頭をガリガリとかいた。
「あ〜……もうわかってると思うけどよ。まぁ…『もうやべえ』ってことだよ」
言いにくそうに言う不知火に、斎藤はフッとほほ笑んだ。不知火らしい言い方だ。
「千のお姫様がよ、いろいろ文を送ってたんだよ北の例の部族に。鬼の純血にこだわるなとかさ、西の鬼の別の部族との縁組とかよ。孤立しねーよーにいろいろ気ぃ使ってたんだが、先日とうとう北の奴らから返事がきてその内容が……こう…最後通牒っつーか……」
斎藤は前を向いて歩きながら、不知火の言葉を聞いていた。
「最後通牒か……」
「『北の鬼の血は、西や東の鬼とは比べものにならないくらい優れている。わざわざ混血にするつもりなどない。北には血統のいい雪村家があり、そこの娘が今は東北の地にいるらしいということはわかっている。これは北の鬼の問題で西の鬼には関係がない、手出しは無用。手出しあれば北の鬼に対する宣戦布告とみなし、こちらも京へ向かわせてもらう』」
「……」
斎藤は無言で歩き続けた。不知火はしばらく沈黙を続けた後、再び口を開く。
「北の例の部族の中で、千の姫さんの言うように血にこだわらず交流した方がいいんじゃねぇかっていう穏健派と、断固北の鬼の血を守るってぇ強硬派が対立してたらしいんだけどよ。どうやら穏健派の方が負けて粛清されたようだ。なんとしても雪村の生き残りを手に入れろってんで、鬼だけじゃなく人間にもだまして変若水乱発してるらしい。京でも羅刹騒ぎがちらほら聞こえていていてあっちでも変若水を配ってんじゃねえかって千の姫さんが心配してる。これ以上この地にいるのは正直まずいぜ。かと言って京はいろいろと不穏だから、江戸はどうかって姫さんが言ってるんだけどよ。嬢ちゃんの昔の家があんだろ?北の鬼どもは雪村家が襲撃されてからの嬢ちゃんの動きはつかめてねぇから、『昔から江戸に住んでた蘭方医の娘』っていう名目は、いい隠れ蓑になんじゃねぇかってさ。……お前の気持ちはわかるけどよ、早い方が……」
「今日、辞表を出してきた」
斎藤の言葉に、不知火は彼の顔を見た。斎藤は相変わらずの無表情で前を見たまま歩き続けている。

会津戦争での象徴的存在である斎藤の辞意を、旧会津藩幹部たちは驚き引き留めた。しかし待遇的な問題や会津の問題ではなく家族の事情でという説明をすると、残念がりながらも結局は辞表を受け取ってくれた。その『家族の事情』がもし解消することがあればぜひ再び戻ってきてくれという言葉と共に。

「千鶴には帰ったら話そう。出発は……3日後ぐらいではどうだろうか。暖かくなってきたから移動も楽だろう」
淡々と話す斎藤に、不知火の方が戸惑った。
「あ、ああ……それでいいんなら日程的にはいいけどよ。……いいのか?」
「いいも悪いも、千鶴を守るためにはそれが最善だろう」

最善のことを実行するまでだ。

 


「そんな急に……」
千鶴は縫い物を持ったまま茫然と斎藤を見上げた。
そして何を言えばいいのわからにように、そのまま固まる。
珍しくまだ日があるうちに帰ってきた斎藤に驚き、縫い物をやめて夕飯の準備をしようとした千鶴を止めて、斎藤は率直に告げた。

事態が悪化しているから『最後の手段』をとらなくてはいけない、と。
そして千鶴は全ての記憶を失くして江戸へ、昔の実家へ行くこと。それは三日後だということを告げる。

「そんな……まだ荷物も何も……」
茫然としたままの千鶴の手から、怪我をするといけないと針と縫い物をそっと取って、斎藤は続けた。
「荷物は……ほとんど持って行けないだろう。江戸では千が陰からいろいろ支援してくれるそうだし必要な物はきっとすぐ揃う」
「でっでも……!でも……赤ちゃんの産着を縫っていて……」
何を言っていいのかわからないまま、とりあえず目に入ったそれを指して千鶴は訴えた。
「もうすぐできあがるのに……」
斎藤は自分の手にある白い小さな布を見た。
これも持って行くことはかなわないだろう。
無言のまま手の中の布を見ている斎藤に、千鶴が戸惑いながら尋ねた。
「は、一さんは…一さんはどうするんですか?」
「俺の事は気にしなくていい。誰に狙われているわけでは無し、自分の身は自分で守れる」
「わ、私は……私はもう一さんに会えないんですか?」
目を見開いたままの千鶴の大きな瞳に、涙が盛り上がり静かに頬を伝った。
「私は、私は一さんを忘れて……」
言葉の途中で、千鶴は斎藤に抱きしめられた。冷静だった表情とは裏腹に、珍しく彼の腕には痛いほど力が込められていた。
「……俺はお前の傍に居る。必ず守る。何も考えずに体を大事にしてくれ」
「……一さん……!」


痛いくらいの彼の腕から気持ちが伝わってくる。離れたくないのは彼も同じなのだ。
これからどうなるのかわからない不安から、千鶴は震えながら涙をこぼしたのだった。


 

 

 

 




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