【WILD WIND 15-2】

※千鶴ちゃん(記憶無)と斎藤さん(記憶アリ)の間の子どもがオリキャラとしてでてきます。それ以外のオリキャラオリ設定てんこもり。流血表現があります。苦手な方はブラウザバック!






ガブリと思い切りかみついたら、千鶴の口の中に血の味が広がった。
「っ…!」
千貴という名の、雪村家の家老の家筋の頭領が小さく舌打ちをし、抑えていた千鶴の肩を思わず放す。
千鶴はその隙をついて力の限り脚を蹴り上げた。
「うっ…!」
どこにあたったのかなど知りたくもないが、彼の動きが固まったのを見届ける間もなく、千鶴は寝返りを打って彼と布団の間から抜け出す。そして走って廊下への襖を開けた。

先程窓から見た下の様子では、敵の鬼がたくさんいた。あの中に自分が降りて行ったとしても、斎藤が自分を守りながらあの囲みを突破するのは難しいだろう。先程窓から見たときに、城の裏側から橋のようなものが対岸にかかっているのがちらりと見えた。
そちらから自分さえ逃げることが出来れば、斎藤や天霧は無駄に戦う必要は無くなるはずだ。単身逃げるだけならば、彼らなら軽くできるにちがいない。
飛び出した廊下には見張りのような鬼は誰一人おらず、がらんとしている。
先程の千貴という鬼は脚が不自由だから振り切れるだろうし、このまま逃げ切れるかもしれない。橋を渡りきって対岸についたところでなんとか斎藤に合図をして……
千鶴は重い打掛を廊下に脱ぎ捨て、白無垢姿で廊下を走る。外の光がさしこんでいるため、橋の場所はすぐにわかった。
綺麗に彫刻が施された優美な欄干が見える。
千鶴が息を切らしながら橋へたどり着き、緩やかに山なりになっているその橋に足を踏み入れたその時。
部屋からは見えなかった橋の先が千鶴の目に飛び込んできた。

橋が落ちてる……

初めて橋の先端をみることができた千鶴は、目を見開いたまま立ちすくんだ。
対岸に向かってかかっている美しい橋。
昔は向こう岸に向かって伸びていたのだろうが、今は川の真ん中で崩れ落ち、その先は音を立てて流れる川が対岸への道を阻んでいた。
渡りかかっていた橋の途中で千鶴は立ち止まり、別のルートを探そうと振り向いた。しかし……
「逃げれるとは思ってないだろう?」
両手をひろげれは塞げる広さの橋の入口には、千貴という先ほどの頭領が追いついてきており、戻り道を塞いでいた。
「いくら俺の脚が悪くても、行き止まりのこの狭さなら逃がしはせん」
そう言って一歩前に出た彼に、千鶴は一歩後ずさる。

「千鶴!」

その時遠くから声がした。
聞きなれたこの声。聞きたかった、この声は……

「斎藤さん!」

欄干の向こう側の地上に、斎藤が居た。
斎藤を囲んでいる鬼たちの数はかなり少なくなっていた。しかし援軍を頼んでいる声も聞こえる。
天霧も、ここからでは見えないがきっと敵に囲まれているのだろう。一人では、いなして時間を稼ぐことはできても敵を全員戦闘不能にすることは無理だ。ただでさえなかなか死なない鬼なのだから。
斎藤の方も、きっと当初はこっそりと千鶴だけを救い出す作戦だったのだろうが、ここまで鬼が集まってきてしまったらそれはもう無理だ。正面切って戦うしかない。そうなると多勢に無勢。いくら斎藤が強いとしても体力的に苦しくなるのは目に見えている。

どうしよう……

千鶴はもう一歩後ずさる。途端にガクンと橋の床の一部が抜けて、千鶴は声にならない悲鳴をあげて一歩前に出た。
「……王手だな」
千貴が憐れむように微笑みながらそう言った。
彼が千鶴を手に入れてしまえば、斎藤はもはや掴まるしか手がなくなる。掴まってしまったらどうなるか……火を見るより明らかだ。
千鶴はゴクリと唾を飲み、遥か下を流れている激流を見た。
「……ここの川は、中洲があるせいで水面下で複雑な流れを作っている。対岸まではすぐのように見えるが泳ぎ切ることは難しい。そして対岸にたどり着けなければ、この先にあるのは……滝だ」
ハッと彼を見た千鶴に、千貴は楽しそうに頷いた。

「そうだ。音が聞こえるだろう?かなりの高さから落下している水音だ。水門を開けたから水量も増えている。あの滝の滝壺は、まだ誰も底を知らないくらい深くてな。滝に落ちたもので上がってきたものは一人もいないのだ。水面に上がりそうになってもまた上からの水で下に追いやられてしまう。お前が今この川に飛び込んで滝から落ちたら、半永久的に…そうだな白骨になってもずっとあの滝壺の中でぐるぐるとまわっていることだろう」
青ざめた顔で、しかし唇を噛んで彼を睨みつける千鶴を見て、千貴は微笑む。

「いい顔だ。泣き崩れて諦める弱い女鬼など求めていない。さあ、こちらに……」
「来ないでください!」
手を伸ばしてきた彼に、千鶴は鋭い声で言った。

彼に掴まったら、斎藤は…死ぬことになる。それはほぼ決まっている。
ここから飛び降りたら……

千鶴はそう思いながら自分の足元の流れを見て、ぞっとした。

ここから飛び降りたら、自分は死ぬかもしれない。

かなりの高さだし、川の勢いも激しい。それに先ほど聞いた話…滝の話が頭をよぎる。

でも、死なないかもしれないのだ。滝に落ちる前に対岸に行けるかもしれない。行けたら、また斎藤の道を開くことができるのだ。
千鶴が考えていることがわかるのか、千貴は相変わらず微笑みながら言った。

「……飛び降りてみろ。お前に命を懸けるほどの何かがあるというのなら、それを見せてみろ」
できるはずもないという前提で、挑発するような彼の言葉に、千鶴は睨みつける。
「…命を懸けようとすらしていない人には言われたくありません」
千鶴の言葉に、彼は虚をつかれたような顔をした。


それが、千鶴の見た彼の最後の顔。
飛び降りる直前に、千鶴は地上にいる斎藤の方へと視線をやった。
表情などわかるはずのない距離なのに、千鶴には驚いて目を見開く斎藤の顔がはっきりと見えたような気がした。
澄んだ深い蒼色の、千鶴の大好きな彼の瞳の色までも。








村正で目の前の敵を全てなぎ倒しながら、斎藤は千鶴が飛び込んだ川へと走った。
追いすがる鬼たちには構わず、斎藤は走りながら村正を腰の鞘に納め、そのままの勢いで濁流へと飛び込む。
がぼっという音と共に全身が冷たい水に覆われた。
江戸では暑い盛りだったが、ここ東北の地の山奥の川の水は冷たい。しかし斎藤の意識は水の冷たさなど感じてはいなかった。

千鶴……!

水から顔を上げ流れの隙間からチラリと見える白いものを確認すると、斎藤はそちらに方向を変えて手で水をかく。
泳ごうとしても無駄なくらいの急流だが、その中でもなんとか方向を定めて千鶴を探す。

くそっ…!先程ちらりと千鶴の服らしきものが見えたのだが……!!

流れてきた流木を避けてもう一度水中から顔を上げようとした斎藤は、大きな波にのまれた。その瞬間。

……千鶴!!

ふいに落ちてくるように目の前に千鶴の姿が現れた。
チラリと見えた様子では意識が無いようで、川の流れにまかれて流されていく。
斎藤が必死で伸ばした手の間を、千鶴の手がすり抜ける。斎藤自身も流れにまかれて、この一瞬を逃したら再び千鶴の傍に寄ることができる可能性は低い。そうしたらあとは二人で滝に呑まれるだけだ。
急速に奪われていく体力を掻き起こして、斎藤は再度流れに逆らい水をかいた。すこしだけ触れた千鶴の着物を掴み、もう一度。さらにもう一度。

……よしっ!

体を反転させて流れに乗り、千鶴を引き寄せ抱きしめることができた。次はなんとか対岸へあがらなくては。
「くっ……!」
千鶴を抱えて流れに逆らうのは不可能だ。斎藤は左手に千鶴を抱え、右手でなんとか対岸から伸びている葉や枝、草などを掴もうとするが、流れが速すぎてつかめない。掴んだと思った枝もすぐ折れて、斎藤と千鶴は再び流れに飲まれた。
滝の音が水の中でも振動として伝わってくる。
落ちたら助からないのはわかっている。なんとか千鶴だけでも対岸にあげることはできないかと、流れの中で斎藤が体をひねったとき。
右手に何か熱いものがあたった。それは流れに流されるのではなく、まるで意志があるかのように斎藤の右手に吸い付いてくる。
握りなれたこの感触。これは……

村正か?

腰に差していた村正が水流のせいで腰帯から抜けて、斎藤の手にあたったらしい。いや、あたったというよりこれは……
斎藤が思わず村正を握った時、村正が何かに引っかかった。
ガクンという衝撃が斎藤を襲い、水の流れに逆らった反動が斎藤を襲う。水流のあまりの勢いに、千鶴と自分の体重の重さで手を村正から離してしまいそうになったが、斎藤はぐっと右手に力を入れて持ちこたえた。
村正が対岸の岩の隙間にひっかかったらしい。
斎藤は、左腕の千鶴を抱え直し、右腕に全身の力を集中させた。懸垂の要領で水流の圧力の中から体を少しずつ上げていく。
「ぐっ…!」
筋肉がみしみしを音を立て左腕の感覚がなくなってきたが、斎藤は右手も左手もどちらも離すつもりはなかった。たとえ腕がちぎれたとしても離さない。
村正に乗り上げるようにして体を支え、その隙に右手を逆手に持ち替える。
村正が引っ掛かっていたところは崖の側面の岩の間で、斎藤と千鶴の重さに村正は大きくしなる。

持ちこたえてくれ……!

斎藤は祈るように念じながら、村正を掴む手に力を入れる。ミシミシと音がするくらい村正が振動した。斎藤はそのまま千鶴ごと自分の体を水の中から持ち上げるようにして対岸の岩をつかんだ。水から上がった途端、水圧による負荷がなくなり、斎藤は転がるようにして崖の途中の小さな隙間に転がる。
急に肺に流れ込んできた空気と脱力感で、斎藤の急速に意識は薄れて行った。
完全に真っ白になる前に、千鶴を抱いていることを確認して。



「斎藤…!斎藤!!」
パンッと頬を叩かれて、斎藤は目を開いた。ぐるぐると襲ってくる眩暈を抑えて起き上る。
「…不知火?」
「そうだよ、あっち側に到着した途端、千鶴が橋から落っこちてお前が飛び降りて…!うおおおおおお!と思って助けに走ってみたけど川の流れが速すぎて手が出せなくて、どうすりゃいいんだ!って思ってたらなんか対岸に上がったのが見えてよ!大丈夫だったか〜!本当に今回はもうダメかと思ったぜ……!」
珍しく半泣きの不知火に、斎藤は微笑んだ。
「千鶴は?」
「無事だ。さっき水を吐かせたら盛大に咳き込んでたから大丈夫だろう」
不知火の視線の先には、ぐったりと横たわっている千鶴がいた。斎藤は鉛のように重い自分のカラダを引きずって千鶴の傍に行った。
「……千鶴…」
濡れて張り付いた黒髪を拭った時、千鶴の幾重にも重なった睫が震えた。
ゆっくりと瞼があがる。
「……」
「気が付いたか」
覗き込む斎藤と千鶴の眼が合う。どこかぼんやりした焦点のあっていない千鶴の瞳。
「……はじめ、さん……」
震えながら千鶴が伸ばした手を、斎藤は掴んだ。
「無事でよかった」
心の底からの安堵の笑み。斎藤のほほえみを見て千鶴もぼんやりとほほ笑む。
「私……川に落ちて……」
「ああ、もう大丈夫だ」
「不知火さん…」
視線を巡らせた千鶴がそうつぶやくと、不知火もしゃがんで千鶴の顔を覗き込んだ。
「いやあ、流れが速くてさすがにもう無理かと思ったんだがよ!斎藤があんたを抱えて向こう岸にたどり着いた時は驚いたぜ。そう言えばどうやったんだ?」

不知火が後半部分を斎藤に問いかける。斎藤は川の中でのことを思い出し、ハッと自分の腰に手をやった。
「そうだ、村正…!」
川を見た斎藤に、不知火が立ち上がり川を覗き込む。
「村正?あの妖刀か?あれが……」
途中で不知火は声を止めて、無言で屈みこみ、崖部分へ手を伸ばした。そして何かを引っこ抜くような仕草を何度かする。
「うわっスゲー深く刺さってんな……くっそ、取れねえ……よっ、と抜けた」
神妙な顔で、不知火が差し出してきたものを見て斎藤は驚いた。
「村正が……」

それは真ん中あたりで鞘ごとぽっきりと折れていた。
不知火から渡されるがまま受け取ると、以前まで感じた波動のようなものは全くなくなり、まったくの、ただのモノになっている。

斎藤は川の中での出来事を思い出した。
あの時は手のひらから村正の『意志』を感じた。手に吸い付くように寄り添い、そして川岸にひっかかってくれたのだ。
そう、おかしな話だが確かに村正が自ら『ひっかかり』、助けてくれたのだ。斎藤一人では水流にまかれて千鶴ともども流されてしまうところだった。

あの水流に抗って、斎藤と千鶴の二人の体重を刀一本で支えるのは、いくら妖刀村正といえども無理だったのだろう。
しかし二人がちゃんと助かるまでは折れずに……
「……」
何と言ったらいいのかわからず、斎藤は手の上の半分折れた村正を見つめていた。


不知火が慰めるように言う。
「……まあ、本望だったんじゃねえの?そいつも、その…武士として死ねてさ」
「武士…」
「主人のために命をかけたってわけだろ?成仏できたんじゃねえのかな」
「……そうか…」
斎藤はそれからしばらく黙ったまま、折れた村正を見つめていた。








BACK←





WILD WINDは次回で最終回です。
長いお話を読んでいただいてありがとうございました!









                              戻る