【WILD WIND 15-1】

※千鶴ちゃん(記憶無)と斎藤さん(記憶アリ)の間の子どもがオリキャラとしてでてきます。それ以外のオリキャラオリ設定てんこもり。流血表現があります。苦手な方はブラウザバック!








ゆらりゆらりと揺らされているような感覚に、千鶴はぼんやりと瞼を開けた。
まわりに誰かいて、何かしゃべっている。言われるがままに手をあげたりさげたり。服を着替えさせられているような…
「何、表に鬼が一人で?ずいぶん早かったな」
「体術使いか。すぐに後から西の鬼が押し寄せてくるのだろう。水門をあげておけ」
「はい」
そんな会話が聞こえてくる。
そこで千鶴の意識は再び途切れた。

次に目覚めたのは薄暗い部屋の中。
妙な匂いが鼻をつく。この匂いはどこかで嗅いだことがある。
どこでだったか……
千鶴は思い出そうと頭の中を探った。
炊事をしているときの鍋の匂い、斎藤や君菊皆で囲む食卓の匂い、まだ言葉のしゃべれない千太郎を抱っこして歩いた夕暮れの匂い、千太郎が産まれたときの自分の涙の匂い、斎藤にバケモノから助けられたときフワリと香った彼の匂い、記憶がないことを知り何か手がかりは無いかと繰った父の蔵書の匂い……
……順に記憶を過去へと手繰り寄せていく。
その先、千鶴が実家の前に倒れていたとき以前の記憶については、これまではまるで真っ白い壁が立ちふさがっているように触れることが出来なかったのだが、今はその壁がなくなっていることに、千鶴は朦朧としながらも気が付いた。
その代り記憶とも思い出ともいえないような欠片や感情が頭の中で渦巻いていて、千鶴はしばらくそのめまいのような暴流がおさまるまで目を閉じてじっとしていた。

とりあえず今の状況を把握しなきゃ…
私はどうしたんだっけ?ここはどこ?

……知らない場所だ。
そしてその時、驚いた君菊の表情が頭を横切る。何者かの手が自分の口を押えたことも。いきなり抱きかかえられるように担ぎ上げられたことも。口を押えた手の中には、今の部屋に漂っている匂いを濃く強くした布があった。その匂いを吸い込んだ途端千鶴の意識が混濁して…
そして今、目が覚めたのだ。
頭の中はまだぐちゃぐちゃで整理はついていないのだが、自分があの江戸の家からさらわれたことは思い出した。
君菊は大丈夫なのだろうか。千太郎は?家にいた皆はどうしたのだろうか?
……斎藤は無事だろうか。
千鶴の頭の中に、斎藤とあの夜二人で眺めた満月が浮かんだ。

そうだ、あの時……あの時彼と初めて心を触れ合わせた。斎藤さんは……斎藤さんは、何と言っていたっけ?
『話さなくてはいけないことがある』と言っていた気がする。『話さなくてはいけないこと』とはなんだったか……

だめだ。この匂いのせいで頭がはっきりと働かない。
この匂いは前にも嗅いだことがある。さらわれた時に嗅がされた匂いとは別に。もっともっと前に……
彷徨いだす思考を、千鶴は頭を振って振り払った。
今はそんなことを考えているときではない。ここはどこで、私をさらったのは誰で、何故さらったのか…いや、何故さらったのかはどうでもいいのだ。とにかくここを逃げ出して、江戸のあの家に帰らなくては。

千鶴は起き上った。
意外に豪華な布団に寝かされていたことに驚く。そしてさらに、掛布団の代わりに掛けられていたのは、豪華な打掛だった。
真白な……これではまるで花嫁衣裳だ。
と思った途端、自分の着ている服が目に入る。自分の服も、赤の半襟が美しい豪華な刺繍の入った白地の着物だ。これはいわゆる白無垢…つまり本当に花嫁衣裳ではないか。
千鶴はあわてて立ち上がった。少し肌寒いため、迷ったものの打掛に腕をとおす。何故こんなに寒いのか。江戸ではまだ夏の盛りだったのに。かなり着込んでいるにもかからず、空気がひんやりと冷たく感じる。

……ここはどこ?私が意識を失っていたのはどれくらいの時間なのかな…

千鶴はぐるりと部屋を見渡した。
角部屋のようで、窓が二つ。そして、多分隣の部屋へと続く襖。豪華だが随分古いものらしくどこか薄汚れて見える。最後の襖は多分廊下へ通じるものだろう。
千鶴はまず一つ目の窓へ寄り、小さな窓の障子を開けた。
入り込んできたまぶしい光に目を細め、千鶴はポカンと口を開けた。
「……」
目の前に広がる風景は、江戸のあの家のあたりの景色とはまるで違う物だった。
千鶴は唖然として外を見る。
千鶴のいる部屋は高いところにあるようで、一面に広がる空と山々。すぐ傍を音を立てて流れる激しい川。まるで城のような石の城壁。しかしあちこち崩れており手入れされていないのが分かる。
その時左手の方向から「わあっ」という人の叫び声のようなものが聞こえて、千鶴は窓から身を乗り出してそちらを見た。
崩れた城のようなこの建物は川の中洲に建っているようだった。そして中洲の先、城壁の外側に人だかりが見える。千鶴のすぐ下の別の屋敷からも武装した男の人がばらばらとそちらへと走って行っている。
ドオオオオン!という低い重低音とともに、群がっている人々が風に飛ばされるように弾き飛ばされるのが見えた。真ん中に立っている弾き飛ばした人は……あれは…
「……天霧さん?」
遠目でよくわからないが、でも確かにあれは以前何度かお千と一緒に江戸の家に来たことのある天霧だ。この状況から考えるに、多分自分を助けに来てくれたのでは……
「い、急いで逃げ出さないと…!」
千鶴は慌てて窓から身をひるがえした。天霧が強いと言っても多勢に無勢だ。駆けよって行った人々は少なく見積もっても50人くらいはいたように思える。千鶴が早く逃げないと天霧はいつまで戦わなくてはいけないのだ。
どうしようかと迷い、千鶴はとりあえずもう一方の方の窓の障子も開けた。ここがどんなところでどうやって逃げればいいかを考えなくては。情報は多い方が良い。
もう一方の窓は、中洲の後ろ側……今天霧が戦っている所とちょうど反対側の方面を向いていた。そこから見える裏庭はどことなくさびれており、草があちこちに生えている。部屋の中の様子からも感じたが、どうやらこの城跡はあまり手入れされていない…というより手入れする余裕がないようだ。

千鶴は窓からすこし身を乗り出して左右を見た。左側は、さきほど別の窓から見たのと同じ方角、そして右側には川と……あれは橋?

チラリとしか見えないが、この建物から向こう岸に対して橋のようなものがちらりと見える。
反対側の岸へと向かう橋は、先ほど天霧を見た窓から見えたが、あげられていて渡れないようになっていた。
しかしこちら側のあの橋は、作り付けであげられていないように見える。奥の方にあるので、少ししか見えないが…。あの橋から川を渡って反対側の岸に行けないだろうか?千鶴さえ逃げ出してしまえば、天霧も撤退するだろう。問題は千鶴が逃げ出したことをどうやって天霧に知らせるかだが、でもとにかく行動あるのみだ。
丁度今はこの城全体が、天霧の方へ注意をむけているらしいし…

逃げ出すために廊下側の襖へ行こうと姿勢を変えた千鶴は、視界の端、窓の下の方に何か動くものを見つけた。
何故か気になって窓から下の方をもう一度見直すと、黒ずくめの人間が身を隠すようにして木々の隙間から飛び出し、別の建物の陰に隠れるのが見えた。

あれは……

「さ、斎藤さん……!!!」
思わず叫んだ千鶴の声は、静かな城の裏側では響いたようで、その黒い影――斎藤は上を向く。

――千鶴…

声は聞こえなかったが、そうつぶやいたのが確かに聞こえたような気がした。
無事だったかと、千鶴を見て斎藤がほっと肩の力を抜いた様子も。

城の上部の部屋窓と地上とで、二人は見つめあった。
斎藤も来てくれていたのか…。斎藤も自分を助けるためにこんなところにまで。
千鶴は思わず飛び降りようかと自分の今いる高さと斎藤の場所とを目で計った。しかしとても無事に飛び降りられる高さではない。

この部屋から出て下へ降りる道を探さないと…!

そう思った時、斎藤の反対側の方角から「誰だ!」という誰何の声がばらばらとあがった。
「斎藤さん!」
千鶴が叫ぶと同時に、斎藤は左右を見て刀を抜く。
千鶴は唇を噛んだ。
ここで斎藤が戦うのを見ていても何の助けにもならない。
自分は早くここから降りて斎藤のもとへ行かなくては…!千鶴はそう考えて廊下側への襖へと走ろうと振り向いた。
その時、聞いたことのない声が背中から千鶴の名を呼んだ。
「目が覚めたのか」

誰もいないと思っていたのに人がいたのか…という驚きで、千鶴は振り向いた。
隣の部屋へ続く襖を開けて、青年が一人現れる。
千鶴は彼を見て、息を呑んだ。
金色の髪に赤い瞳。背はまだそれほど高くはないものの、以前白河城で斎藤と平助、左之が倒した西の鬼、風間の面影がかすかにある。
「……」
言葉もなく驚いて顔を凝視している千鶴に、青年は自分の頬を撫で自嘲するように笑った。
「この顔か…。先祖がえりとも言われているが、以前の西の頭領ににているのだろう?昔、まだ全国の鬼の交流が盛んだったころにあちらの鬼と縁組をしたことも何度かあるらしい。そのせいだと言われている」
「……あの、あなたは……」
部屋に入ってくる彼にそう言って、千鶴は彼が右足を引きずっているのに気が付いた。怪我をしているのだろうか。その青年は特に気にした風もなく部屋に入ってくると、どかりと座る。
「俺はこの城の頭領だ。名前は千貴という。……お前の夫になるらしいな」
どうでもいい、という感じでその青年はそう言った。千鶴は目を見開く。
「…夫?」
「そうだ。お前も聞いているのだろう?……いや、記憶がないのだったか?まあいい。俺たちの部族は雪村家の家老だった。雪村家が人間たちに滅ぼされた後俺たちの一族は、人間との接触を断ち復讐を誓い、鬼の力を強めるためにを何年も何年も活動してきたそうだ。しかし……」
青年はそう言うと、部屋の周りを指し示すように、腕をぐるりと回す。
「……見てわかるように、うまく行かなかった。人間たちの勢力は年々増し、俺たちはどんどん奥地へおいやられ、飢えや病気に苦しめられ、里の鬼たちの数はみるみるうちに少なくなっていった。この先純血の鬼が産める女鬼もおらず、後は我々は衰退していくだけだ」
年にあわず達観したような彼の言葉に、千鶴は眉根をしかめた。
「……じゃあ、何故私をさらったりしたのですか?」
「お前は俺の部族のじいさま達の最後の希望だからさ」
嘲笑と共に青年はそう言う。わけがわからず黙り込んでいる千鶴をみて、青年は続けた。
「俺とお前が夫婦になって子供が産まれれば、純血の鬼が産まれることになるだろう?何人も産めば、そのうち女鬼も産まれるだろう。そうすればまた部族が栄えていくんじゃないかと爺様たちは期待しているわけだ」
「……あなたは期待していないんですか?」
千鶴の問いに、その青年は答えなかった。

窓枠に腕を掛けて下を見る。
「……下に来ている賊はお前の縁者か?」
「私の……私の、夫です」
よく考えもせず、その言葉はするりと千鶴の唇からこぼれた。青年はさすがに驚いたようで、千鶴を見なおす。
「あれが?人間だと聞いていたが……」
地上の黒ずくめの男は、刀一本で鬼と対等にわたりあっている。いや、対等ではない。男の方が鬼を圧倒しているではないか。一斬りで鬼から血を噴き出させるあの刀もただの刀ではないようだが、男自身も相当に強い。
「……私を帰してください」
「帰せんな」
千鶴の言葉は即座に否定された。
「言っただろう。お前はじいさま方の最後の望みだ」
「……あなたは賛同してないように聞こえますけど」
千鶴の言葉に青年は微笑んだ。
「するどいな。俺は、たった一人の無理やり連れてきた女鬼で、この滅びの道を転げ落ちていくのを止めることはできないと思っている。だがお前をあきらめろというのは、部族のやつらはもう聞かんだろう。それだけ長い年月我々の部族は雪村家を主君と仰ぎ雪村家のために身を削ってきているのだからな。お前を嫁にして、子どもができてもできなくても、我々の部族がこれから栄えることはもはや無いだろう。滅びるまでの期間が延びるか縮むかくらいの違いだ。時代もすでに人間に傾いているのが明白だ。お前のことは哀れに思うが、お前は俺たちの部族が滅びる人柱というわけだ」
「そんな……!そんなどうして…」
顔を歪める千鶴に、青年は冷笑した。
「記憶があろうとなかろうと、お前は雪村家直系の生き残りで、東北の鬼たちの長としての責任がある。雪村家のために命をを捨てたもの、夫や子供が死んだ者がこの里にはたくさんいるのだ。お前がここで人柱となって我々の部族の跡継ぎを産むよう努力するのは当然だろう」

長い年月積み重なった恨みつらみ。

最初は雪村家を滅ぼした人間だけにむかっていたのだろうが、次第に雪村家に対しても恨みを持つようになったのだろうか。今の彼らが貧しく滅びそうになっているのは、人間に滅ぼされてしまった雪村家のせいなのだから。
「でも……じゃあ、人間と交流を持って純血にこだわらなければ部族を存続させていくことはできるんじゃないですか?」
千鶴が感じた疑問をそのまま彼に問うと、彼はしばらく考えるように視線をめぐらせた。
「……ダメだな。いまさら人間と交わるには部族の中には恨みがたまりすぎている。つらい思いをしすぎたのだ。赤ん坊や若者が多ければまだしも、今、この里は年寄りばかりだ。すべてを捨ててもう一度やり直せるような若さなどない」
「あなたは、若いんじゃないんですか?」
千鶴の問に、彼はキョトンとしたような表情を一瞬した。直後盛大に吹き出す。
「ああ、確かに俺は若いな。先祖がえりと言われている外見に鬼としての能力も強い。じいさま達は期待したそうだが、残念ながら生まれつきこの脚でな…」
彼はそう言うと、自分の脚をたたいた。さきほど引きずって歩いていた方だ。
「頭領として一族をひきいて戦うことや、率先して何か動くことなど不可能だ」
「そんな…そんなことは無いと思います。足が悪くたってちゃんと一族を導くことはできるんじゃないでしょうか?年配の方や純血にこだわる方々を頭領のあなたが説得して、人間と交わるようにしていけば少なくとも部族がまるごとなくなることはないんじゃないでしょうか?」
「こんな坂道を転がり落ちてる途中で頑張ったとしても、焼け石に水だ」
諦めきったような彼の表情に、千鶴は眉間に皺を寄せた。
「……頭領として無責任じゃないですか?あなたを信じてついてきてくれてる人もいるのに、今だってあなたのために外で戦ってくれているのに…!」
前のめりになってそういう千鶴の腕を、彼は面白そうに掴む。
「だから俺もあいつらの希望をかなえるために人柱になって、お前を嫁にすると言っているんだ。俺が今やらなくてはいけないことはただ一つ。……おまえを妻として扱うことだ」
強い力で引き寄せられ、千鶴は抱きしめられた。

「い、いや…!離して!!離してください!」
青年とはいえ力は大人と同じ、いや男鬼の分強い。とてもふりほどけない。
腕のなかでもがく千鶴に、彼は楽しそうに言った。
「『頭領としての責任を』とお前が言うのなら、お前が俺に今ここで抱かれることこそが、俺の頭領の責任をはたしたことになるのだ。そしてお前の雪村家生き残りの頭領としての責任も、あわせて果たすことができるのだぞ。何百年ものあいだ雪村家に忠実に使えてきた家老の一族のために身を投げ出すことくらい、頭領の責任としてなんでもないことだろう?」

男はそう言うと、千鶴を抱いたまま先ほどから敷かれていた布団に倒れこんだ。








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