【WILD WIND 13-2】

※千鶴ちゃん(記憶無)と斎藤さん(記憶アリ)の間の子どもがオリキャラとしてでてきます。苦手な方はブラウザバック!








「『新選組』という言葉を聞いたことはあるか?」
唐突に飛んだ斎藤の言葉に、千鶴は目を瞬いた。
「は、はい……。あの近所の人たちから。京にいた人斬り集団だと」
斎藤は静かに頷く。
「俺は京に居た頃そこに属していた」
「え!?」
「離れに居る左之と平助もだ」
「……」
安全な人ではないと思っていた。仕草や表情に影があり血の匂いがするような気がしていた。左之や平助たちもいつもは陽気でバカ騒ぎばかりしているけれど、ふっと見せる表情が鋭い。野生の獣のような……殺気とでもいうのだろうか。
この近所に居る剣の心得のある男性たちとは皆全然違っているとは思っていた。
しかしまさか……
時代が変わり場所が変わっても恐れられている『新選組』の人だったとは……
「そしてお前もだ」
「……え?」
目を見開いた千鶴に、斎藤は続けた。
「お前も新選組に居たのだ」


斎藤が語りだした話は、とても信じられないような内容だった。
父親が京で行方不明になり、千鶴は少年のふりをして単身京へ。そこで新選組に軟禁され、そのまま彼らと運命をともにした……
まるで冒険活劇の演目のようではないか。
それらの話は正直、斎藤から自分の過去だと聞かされても今の千鶴にとって全くの他人ごとの様だった。
そんなことが自分にできたとはとても思えない。人を斬ったり斬られたり、そんな毎日を彼らと共に、自分は一体何を思いながら暮らしていたのだろうか。自由もなく女子であることを隠して何年も……
だけど。
と千鶴は思う。今目の前で静かな表情で月明かりに照らされている人。すこし体温の低い繊細な手で千鶴の手を優しく握っているこの人。
この人が新選組にいたのだとしたら。二人で時間を重ねてきたのだとしたら。
自分はどこまでもこの人の背中を追いかけたに違いない。
誰よりも強く誰よりも誠実で、そして誰よりも優しい。
自分のことをかまわないこの人の傍に居たいと、その時の自分はきっと思っただろう。
報われなくても、ただ傍に居て助けになりたいと。

そうして斗南の地で得たささやかな幸せ。
だがその幸せも千鶴が身ごもり……

「じゃ、じゃあ……じゃあ千太郎は……」
「俺の子だ。俺とお前の」
斎藤の言葉を聞いた途端、千鶴は胸からこみあげてくるものに我慢できず手で顔を覆い、泣きだした。
斎藤が彼女の肩をそっと抱く。
「すまなかった。お前が千太郎とその父親について思い悩んでいるのを聞いて、本当のことを言いたいと何度も思った。しかし……」
最初のころは北の鬼たちから身を隠すため。
その後は千鶴の気持ち。
「過去にそうだったから、という理由だけで、今のお前と無理矢理夫婦になるのは嫌だったのだ。北の鬼たちもおとなしくなったとはいえ、全く消え去ったわけではない。だが、平和な日常が続くと俺も欲張りになる。お前と前と同じように想いあいともに生きたいと思うようになってしまった」
斎藤の胸によりかかり泣いている千鶴を、斎藤は強く抱きしめた。

「……お前が再び俺を受け入れてくれてよかった」



斎藤は柱に背をあずけ千鶴を胸に抱きながら、満月を見上げていた。
前もこの満月を見た。
あの時は春で桜がほころび始めるころ。やはり腕の中で千鶴は泣いていた。
だがその涙は今とは違い、不安と悲しみ。斎藤もその時は腕の中の千鶴を守りきることしか考えていなかった。
今は二人には守り切った千太郎と未来がある。

泣き疲れて腕の中でぼんやりしている千鶴に、斎藤は聞いた。
「……話を聞いて何か思い出したか?」
「……」
千鶴は無言で首を横に振った。
千鶴が感じていた記憶にない誰かへの感情。それと同じような感情を斎藤に感じていることに戸惑いその『誰か』に対して裏切りのような申し訳なさを感じていた。しかし斎藤への思いは抑えようもなく膨らんで。
その思いが今綺麗に一つに重なり胸の奥で落ち着いたような気がする。
だが、斎藤から聞いた今の話には全く覚えがなかった。
記憶と言うのはそんなものなのかもしれない。思い出さなくても問題がない程度の。

記憶を亡くしてから千鶴が過去に対してふと思い出しそうになるきっかけは、どれも他愛もないものだった。
斎藤の優しい笑顔。
朝の冷たさ。かじかむ手の感触。
そんなささいな小さな欠片を積み重ねて、千鶴はきっと斎藤と共に生きてきたのだろう。
「……でも思い出したいと思います。斎藤さんと過ごした日々、感じたこと。大事な宝物です」
そして千鶴はふと顔をあげた。
「でも……斎藤さんはそれでいいんですか?」
「それで、とは?」
「その……私の記憶はもどらなくて、鬼で……斎藤さんには迷惑ばっかりかけてるので……。こんな私でいいんでしょうか?」
千鶴の言葉に斎藤は吹き出した。
いやこれは怒るところなのかもしれない。しかし斎藤は生真面目に答える。
「もちろんだ。お前こそどうなのだ。同じ男とまた夫婦になることになってしまったが、こんな俺でいいのか?必死になって砥いできた爪は、今では何の役にも立たん人を斬る技のみ。これまで何人殺してきたか数えきれん。こんな血なまぐさい男よりももっとお前を幸せにしてくれる男もいるだろう」

そう言われて、千鶴は改めて斎藤を見た。
優しい涼しげな蒼い瞳。きれいな孤を描く眉。すっきりした鼻筋。千鶴や千太郎を見るときの優しい笑顔。剣を扱う時の圧倒的な迫力。精神力。
すべてに魅せられる。
「はい。……斎藤さんが、いいです。斎藤さんで……よかったです」

本当によかった。愛した人がこの人で。
再び恋した人がこの人で。

潤む瞳で千鶴がそう言うと、斎藤はふっと微笑んだ。節ばった長い指をそっと伸ばして千鶴の顎をあげる。
ゆっくりと近づいてくる斎藤の黒い睫を、千鶴は魅入られたように見つめていた。そのまつ毛がゆっくりと伏せられたとき、千鶴も瞼を閉じて……

「おかーーーしゃーーん!!」

バン!という音と共に廊下側の襖が開き、千太郎が寝ぼけ眼で飛び込んできた。
斎藤と千鶴ば驚いてパッと離れる。
「ど、どうしたの?」
千鶴が慌てながら広げた腕に、千太郎は飛び込んできた。何も言わずに顔をこすりつけ、眠る体勢に入る。
「どうしたのだ」
「多分夜中に怖い夢を見たとかで起きたんだと思います。隣の君菊さんも寝てるし私もいないし…で戻ってきたんだと」
がっかり……というわけではないが、千鶴は少し力が抜けた。
斎藤の方はどうなのだろう、とチラリと彼を見る。ちょうど斎藤も千鶴を見て、二人は目があい苦笑いをした。
「……すいません……」
なんとなく千鶴があやまると、斎藤は笑って立ち上がった。
「気になどしていない。それにこういうことは……その、世の夫婦にはよくあることだろう、多分」
そう言いながら斎藤は押し入れをあけて布団を敷きだした。
「さ、斎藤さん!そんな、そんなことしてくださらなくても……」
「夫婦になってくれと言っただろう?」
珍しく悪戯っぽく微笑んでこちらを見た斎藤に、千鶴は目をぱちくりさせた。
「残念と言えば残念だが、だが俺は嬉しいのだ。妻との甘い時間を子どもに邪魔されたり皆の布団を敷いたり……そういったことができることを嬉しいと思う」
千太郎を抱っこして立ち上がった千鶴は、斎藤の言葉に立ち止まった。
そうだ、これからようやく自分たちは夫婦として家族として暮らすことができるようになるのだ。
斎藤は千鶴から眠っている千太郎を受け取る。腕の中でスヤスヤと寝ている千太郎の顔を優しく見つめた後、斎藤は彼を布団にそっと寝かせた。
「千鶴も寝るといい。今日は俺が京であったことを千鶴が寝つくまで寝物語に話してやろう」
そう言って斎藤は二人の枕元に座り、背中を壁に預ける。
「京であったこと…」
「そうだ。先ほどの話では話しきれんほどたくさんの事があった。左之と平助以外にもたくさんの仲間がいたのだ。皆…武士として生き、死んでいった。千鶴に忘れられているのもあやつらもつらいだろう。思い出さなくてもいいがそういう奴らが居たという事だけでも千鶴に知っておいてほしい」
寂しそうな愛おしそうな瞳で話す斎藤を、千鶴は横になりながら見上げていた。彼の中にある胸の痛みも悔恨も幸せも悲しみも、全部分かち合えたら素敵だろう。
「……聞きたいです。聞かせてください」
千鶴がそう言って手を伸ばすと、斎藤はその手を握りほほえんだ。
「では、何から話すか……そうだな、まずは『鬼の副長』からいくとするか……」

斎藤の静かな声が漏れる部屋を、満月が静かに照らしていた。





次の日、左之と平助が朝食を食べる部屋へ行くと既に準備を終えて君菊が一人座っているだけだった。
左之と平助は顔を見合わせる。
ここに斎藤と千鶴がいないということは……きっとコトは成ったという事に違いない。
君菊には事情は話していないが、昨夜千太郎が君菊と寝たことで何か気づいているのかもしれない。
そこまで考えて左之は「ん?」と首をかしげた。平助もちょうど気が付いたようで辺りを見渡している。
「あれ?千太郎は?」
千太郎は夕べは君菊と寝たはずだ。君菊だけて千太郎がいないのはおかしい。
と、君菊が悪戯っぽく微笑んで言った。
「朝起きたら千太郎がいないので、千鶴さんの所に行ったのかと確認しに行ったんです。そしたら……」


『寝坊したら起こしてくださいねっ』と以前から千鶴に何度も頼まれていた。事実、たいていはしっかりしている千鶴だが時々寝坊をすることがあるのだ。
君菊は千太郎がいるかどうかの確認と千鶴を起こすために、そっと千鶴の部屋の外の廊下から声をかけた。
『千鶴さん?朝ですよ』
しかししばらくまっても返事がない。君菊はどうしようかと迷ったものの、女同士だしと思いそっと襖を開けた。
『……まあ…!』
差し込んだ朝の光に照らされたものを見て、君菊は思わず微笑んだ。

そこにいたのは、千鶴、千太郎、斎藤、と川の字にならんで幸せそうに眠っている親子三人の姿だった。








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