【WILD WIND 4-2】











夕飯は恐縮する千鶴を強引に寝かせておいて、天霧と斎藤が作った。(かなり美味しかった)
つわりの千鶴でも食べられるようにあっさりとした汁物も別に作ってある。
夜着に袢纏を羽織り、少しだけ……と言って椀物を口にした千鶴は、するすると食べられることに驚いた。
結局椀物を全部食べてしまった千鶴を、皆が嬉しそうに見ている。

夕飯の片付けも終わり、千鶴が先に休ませてもらおうとしたときに、千が彼女を止めた。
「大事な話があるの」
やはりそうだったか、と斎藤は思った。
二人そろって……しかも今では西の鬼を統べる千自らが何の連絡もなしに突然くるのはおかしいとひっかかっていたのだ。
千鶴と斎藤は顔を見合わせて、もう一度囲炉裏端に座る。
「何か悪い知らせか?」
斎藤が聞くと、千はうなずいた。
「悪い話よ。それに……来てみてわかったけれど、もっと悪くなるかもしれないわ。でもなんとかしないと最悪の事態になってしまう。できるだけ協力したいと思ってるのよ。だから聞いてもらえるかしら?」
頷く二人の顔を見て、千は話し出した。


この地に千が来た理由は、千鶴の様子を見に来ることともう一つ目的があった。
雪村家が滅んだ時、東北の鬼は雪村の里以外にも北の地の方々に隠れて部族ごとに分かれて暮らしていた。それぞれの部族をまとめ上げていたのが雪村家で、それが滅んだせいで東北の鬼たちは屋台骨を失い、ある部族は西へと流れある部族は人間と融合していった。もちろん部族間闘争も何度か起き、消滅した部族もある。しかし明治のこの時代までほぞぼそながらも、人間とは混じらずに鬼の誇りを守り続けてきた部族もあった。
千と天霧が今回斗南に来たのは、その部族が変若水に手を出したという話を聞いたからだった。
山南や綱道が改良する前の、不良品ともいえる変若水。どのようなルートから手に入れたのかはわからないが、その部族はその手に入れた変若水に正体不明な物を混ぜたり、薄めたりして部族内で服用したようだった。粗悪な変若水はもちろん鬼ですらをも化け物に代える。夜に行動し、人の血を求め……

斎藤はそこでハッと目を見開いた。
「隣村で血を全て抜かれた死体が見つかったと聞いたがもしや…?」
千はうなずいた。
「私達も現場と死体を見てきたわ。間違いなく羅刹によるものだった。銀色の髪も落ちていたし」

京での悪夢がよみがえる。
斎藤と千鶴は青ざめて千の顔を見つめた。
「どうして……どうして鬼なのに変若水を飲んだりしたの?」
千鶴が震える声で聞くと、千は目を伏せた。そして言葉を探すようにゆっくりと話し出す。
「それは……女鬼を手に入れる為よ」

「!」
斎藤と千鶴は弾かれたように千を見た。千は沈痛な面持ちのまま二人を見返すと、静かに頷いた。
「その部族は人間との混血は決してしないという流儀だったの。だけど女鬼の数の少なさから考えれば、その流儀を続けて行けば必ず部族が衰退していく。そして実際……もう部族としての体を保てないほど衰退していったのよ。人間との混血を望まない彼らにとっては、部族内の女鬼がいなくなった時点で部族の消滅を意味します。消滅を避けるためには子供が産める年齢の純血の女鬼……特に雪村家の血筋を持つ、千鶴ちゃん。あなたを探しているの。鬼としての血は、部族間の婚姻を繰り返していたためにどんどん濃くなりすぎて能力としては弱くなってるわ。稀に先祖がえりのような強い鬼が生まれると、その者を長としていたみたい。生まれつきの奇形や精神を患っている者が増え、今ある鬼の能力だけで純血の女鬼を探すのは限界だと判断したんだと思う。部族が消滅する前に羅刹のせいで破滅する危険性はあるけれど、でもそれでも羅刹の体力と能力は、彼らにとって魅力だったんでしょう。捨て身ともいえるやり方だけど、彼らにとってはそれほど切実なんだと思うわ」
千はそう言い、青ざめている千鶴の顔を見た。
「その部族のやり方は西の鬼としては見過ごすことができないため、私は何度も接触を図って、鬼の血に固執するのは止めたらどうかと言う旨の意見を出してきたの。そうしたらその部族は『これは東の鬼の問題で西は口を出すな』と。これ以上口を出すことは、東と西の鬼同士の全面戦争を引き起こしかねない。でも放っておいたら千鶴ちゃんが危ない。だから今回様子を見に来るのと同時に今後のことについての相談をしに来たのよ」

カタカタと震えだした千鶴に気が付き、斎藤は立ち上がって彼女の横へ移動した。そして安心させるように肩を抱き引き寄せる。
「大丈夫だ。人と夫婦になり人の中でこうして暮らしていれば、そうそうお前が女鬼だとはわからんだろう。夜一人歩きをしている女をやみくもに襲っていることから、お前がどこにいてなにをしているのかそいつらが知らんということがわかる。いつも通りにしていればいい。外出はあまりしないようにして、買い物は俺が行こう」
「一さん……」
縋るように千鶴が伸ばした手を、斎藤はぐっと握った。
千は黙ったまま二人を見ていたが、しばらくして再び重い口を開く。

「私もここに来るまではそう思ってたわ。その鬼たちからしてみれば純血の女鬼が人間と夫婦になっているとは露とも考えていないだろうから、斎藤さんと一緒に人にまぎれていれば大丈夫だろうと。そうしているうちに変若水をのんだ羅刹たちは、短い命を燃やし尽くして消滅するだろう、と。」
千の言葉に不穏な物を感じで、斎藤と千鶴は彼女を見た。
囲炉裏の火の灯りに煽られて、千の顔にかかる影がゆらゆらと動く。
「……でもこの家の前に来たときに感じたの。あり得ないほど千鶴ちゃんの……女鬼の匂いが強くなっているわ。純血の鬼である私は、普通の鬼よりかなり鋭いけれど……でも多分、鬼の血が少しでも入っていれば勘づくくらいの強い匂い。匂いというか……波動のような空気の色ね。以前はかなり近くにいて、自分の目でしばらく見て、そして判別しなくてはわからない程だったのに」
そういえば…斎藤も、千鶴と離れていても彼女の気配を感じることができた。毎日のことなので、夫婦となり親密になったせいかと思っていたのだが……。
千鶴は、自分の手のひらや腹、脚を見る。
どこも以前とは変わっていないと思うが、何故そんなに女鬼の匂いが……
ここまで考えて千鶴はハッとした。
変わっている所がある。今まで知らなかったが今日わかったこと。パッと千をみた千鶴の瞳を見返して、千はゆっくりとうなずいた。
「そう。多分あなたが身ごもったことで女鬼の波動が強くなったんだと思うわ」

 

千は次の日に一人で京へと帰った。
風間亡きあと、西の鬼も一枚岩とは言えず長期間千が京を空けることは危険なようだった。それを敢えて斗南まで来てくれた、とういうことは北の鬼の状況が余程深刻だったのだろう。
帰る前に、千は斎藤と千鶴と今後についてじっくりと話し合った。
天霧をしばらくこの地において千鶴を守らせること。天霧に結界を張らせて千鶴の波動をその部族の鬼たちから隠すこと。しかしその結界も完壁ではないこと。そしてもし見つかってしまったら……

「西の鬼も今緊張状態で、東と事を起こすことができないの」
昨夜、千は申し訳なさそうにそう言うと、頭を下げた。
「本当なら千鶴ちゃんを京に預かって赤ちゃんが無事に生まれるまで守ってあげたいんだけど、今の京の状態じゃあこっちに来てもらった方が危険なくらい鬼も人間も荒れてるのよ。それにもし北の部族の鬼に見つかったら、京で守っていても死ぬ気で奪いに来るわ。誇りだけは高い奴らだから自分たちの部族が崩壊してしまうことに耐えられないはずなのよ」
身動きの取れない状況に、千鶴は泣きたくなった。
自分が鬼でさえなければ、斎藤に迷惑をかけずにこの地で親子三人貧しいながらも暮らして行けたのに……
会津藩と共に斗南へ赴いたのは、斎藤なりの信念だったのだ。
『刀なき武士』
新選組の頃から主君と思っていた会津への衷心が、斎藤にはある。千鶴が羅刹や鬼から狙われているせいで斎藤の勤めを邪魔してしまうのは、彼女にとっては身を切られるよりつらいことだった。
「一さん、私……」
迷惑をかける前に出て行く、と言おうとした千鶴を、斎藤はさえぎった。
「言うな」
そして落ち着いた瞳で千鶴を見る。
「俺たちは夫婦で、お前の問題は俺の問題だ。お前一人が被るのは間違っている。それに……」
斎藤はそう言うと、千鶴のお腹を優しい目で見た。
「お前の腹にはもう子どもがいる。夫婦であり家族だ。そして家族を守るのが男の役目だ。お前は家を守り子を産むという女の役目を果たせばいい」
斎藤の言葉に、千鶴は後ろ向きに考えていた自分が恥ずかしくて俯いた。斎藤はしっかりと前を見ている。感傷は切り捨て、やらなくてはいけないことだけに集中して。

私も一さんを信じてついていこう。

千鶴も顔をあげた。隣にいる斎藤の、静かな意志をたたえた顔を見上げる。
囲炉裏の炎に照らされて顔の陰影が濃くなっているせいか、いつもより更に彫りが深く涼しげに見える。
真っ直ぐに前を見ている彼は、とても頼もしかった。

「では、この地で結界を張って隠れていても、その例の部族に千鶴が見つかってしまう可能性があるのだな。それについて何か助言や案はあるのか?」
斎藤がそう言うと、千は天霧を見て小さくうなずいた。
「見つかってしまったら…かなり厄介なことになると思うの。住んでいる場所がわかってしまえば人間の男と夫婦として暮らしていること、その男の正体――斎藤さん――もばれてしまう可能性が高いわ。そうしたらもう……この地を捨てて逃げるしかない。」
千の言葉に、斎藤と千鶴は顔を見合わせた。千が申し訳なさそうに続ける。
「ごめんね、本当はこんなこと言いたくないんだけど……」
「いやかまわない。真実は知っておいた方がいい。しかし、俺と千鶴が夫婦であることがその部族の鬼達にばれてしまったら、たとえ逃げても見つかるのではないか?」
冷静に続ける斎藤に、千はつらそうにうなずいた。
「その通りよ。さらに悪いことに今は千鶴ちゃんの波動っていう目印があるでしょう?千鶴ちゃんの波動と、斎藤千鶴という名前や、流れ者の夫婦…このあたりの情報で、隠れてずっと平和に暮らしていくことは難しいと思うの」

そして千はしばらく考えた後、思い切ったように天霧を見て頷く。
天霧は懐から小さなものを取り出した。
「これは……香袋?」
受け取った千鶴がまじまじと見る。それは華やかな錦織で作られた小さな香袋だった。
普通はこの中に良い匂いのする香をいれ、持ち歩くものだ。
千鶴は匂いを嗅いでみたが特に何の匂いもしない。
千が言った。
「中に入っているのは香よ。最後の手段だと私たちが思っている物。斎藤さん、匂いを嗅いでみて」
促されるまま斎藤が千鶴から香袋を受け取り、匂いをかぐ。と、眉根を寄せてそれを遠ざけた。
「ひどい匂いだ」
千鶴は驚いた。だって全く匂いなどしないのに……?千が説明する。
「それはね、中国の珍しい薬草らしいの。人にはたいした効能はないんだけど、鬼にはクスリ……というのか毒というのかわからないけれど、抜群の効能があるのよ。天霧」
千はそう言うと、隣に控えている天霧を見た。医学の心得のある彼に説明させた方がいいと思ったのだろう。天霧は静かに頷くと口を開いた。
「鬼にとっては、それは無味無臭です。しかし香炉にいれてたくと、ゆるやかな眠りに導かれます。そして鬼の力が弱くなるのです」
「弱く……?」
千鶴が首をかしげると、天霧はうなずいた。
「一番顕著な例としては傷の治りが遅くなります。そして運動能力も低くなり人と同じくらいになります。香炉でたいていた時間にもよりますが、一時間でだいたい一週間程度、その鬼はほぼ人間となるのです。鬼の中で権力闘争が激しかった頃、この香つかって様々な暗殺事件があったと聞いております。そして、この香の元の薬草を煎じて飲むと、そのものはかなりの長期間にわたって人間とおなじような存在になってしまうのです。もちろん鬼としての波動もゼロとまではいきませんが、かなりおさえられます。どのくらい能力や身体が人間に近づくのかということと、その期間については鬼によるので一概には言えません。が、30年ほど前に鬼の子供がふざけてこの薬草を飲み、およそ半年ほど人間と全く同等の存在になったことがあります」
斎藤は天霧の説明を聞いて、千鶴が持っていた香袋を持ち上げてまじまじと見た。
「なるほど。これを飲めばしばらくの間は千鶴は人間と同じ存在となり波動が消え、他の羅刹や鬼たちからは見つかりにくくなるというわけだな。しかしそれなら、見つかってからこれを飲むのではなく最初から飲んでおけばいいように思うが……」
斎藤が腕を組んで不思議そうにそう言うと、天霧は千の顔を見た。

「……」
千が黙ったま頷くと、天霧はふたたび斎藤と千鶴に向き直る。
「副作用があるのです。それが、この薬草を最後の手段としている理由です」
「副作用とは?」
「……」
黙り込んだ天霧に、千が声をかける。
「天霧」
天霧にしては珍しく、瞳に迷いが映る。そしてとうとう重い口を開いた。
「記憶をなくします」

記憶を……

「なくす……」
呟いた千鶴を見て、斎藤が重ねて尋ねた。
「すべて失くすのか?生まれたときからの記憶を?」
「これまでの例ですとすべてそうでした」
「……」
斎藤の手をぎゅっと握って、千鶴が顔をあげる。
「あの、子どもの例だと半年くらい鬼としての波動が弱まったという話でしたが、半年が終わればまた思い出すのでしょうか?」
今度は千が答えた。


「……今の所、飲んだ者は誰も思い出していないわ」

 

 

 




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