【斎藤課長のオフィスラブ12】




千鶴は目の前が真っ暗になった。
これがカオスというものなのだろうか。
もうどうやって収拾を付けたらいいのかわからない。

薫に近藤社長に土方副社長。
千たち同僚に、名前も知らない社員達。そして斎藤。

どうして薫が会社にいるの!?なんで斎藤さんと会ってるの。その上傍に近藤社長と土方副社長まで……!いったいなにがどうなってるの!!?さっきプロポーズしたとか何とか聞こえたけど……まさか昨夜の話!?
「ど、どうして……いったい……」
動揺の余り言葉にならない千鶴に、千がぐわしっっと両肩をつかんだ。
「プロポーズ!!されたの!?」
目がらんらんと金色に光っている。
「すごい!!あの斎藤課長が!すごいわ千鶴ちゃん!いったいつから付き合ってたの!全然知らなくて……あー!!もう!そんなことはどうでもいいのよ!結婚式はいつ!?おめでとうううう!!!!」
「ほんと!千鶴知らなかった〜!!ずるいよあんな素敵な人と!でもおめでとう!」
「ちょっと前に斎藤課長かっこいいよねって話した時は何も言ってなかったのに!あの時からもうつきあってたの?」
「隣の部の斎藤課長のファンの子がくやしがるわ〜!!」
一斉に同僚の女子たちが千鶴を取り囲む。
「ま、待って…待っ…」
「プロポーズの言葉は何て言われたの!?」「指輪は?」「どこに住むの?」
次から次へと畳み込まれて、千鶴は慌てた。

「待って!待って待って!!!」

その必死な様子と大声に、皆が驚いて千鶴を見る。口もつぐんでくれたおかげで、ようやく静かになった。
皆の視線が集まるのなか、千鶴はコホンと一度咳をして心を落ち着かせる。
「えっと……まだ結婚は、決まってません」
『えー?』『どうして?』という声に、千鶴は答える。
「その……まだお返事をしてなくて……」
言いながらちらりと斎藤を見る。こんな衆人環視の中でこんな話をして、自分も恥ずかしいし斎藤だって居心地が悪いに決まっている。おまけに千鶴は断るつもりなのだ。
だが、適当なことを言ってごまかせるようなムードではない。
千鶴は爛々と目を輝かせて自分を見ている同僚女子や薫、社長たちを見た。そのさらに後ろには昼ご飯から帰ってきた社員が何事かと見物している。
土方が聞いた。
「いつ返事をするんだ?まあ知ってるやつは知っているが、斎藤は来週の月曜日にたぶん異動があるぞ」
「はい、聞いてます。その……なので、今日お返事をする予定で……」

「なんてするの!?」「なんてするんだ?」

近藤、土方、鈴鹿千に一斉に聞かれて、さらに声に出しはしない物の顔にはっきり『なんて返事するのか』とかいてある人大勢に顔を見られて、千鶴は追い詰められた。
困って斎藤を見ると、斎藤までも答えを期待するような顔で千鶴を見ているではないか。

え?言うの?ここで?

「……」
プライベートなことを大勢の前で言うのは……とは思う。斎藤だってこんな衆人環視の中でプロポーズを断られるのは嫌だろう。
「あの、……仕事の後にお返事をしようと思っていて……」
「いや、異動の話もあり時間が惜しい。もう決まっているのならここで言ってくれてかまわない」
斎藤の答えに、皆が一斉に千鶴を見た。
これは……ここで何も言わないのはこの場の空気的に許されない雰囲気だ。言うしかないのか。
千鶴は唇をかむ。
右を見て左を見て自分の手を見て。
千鶴は顔をあげた。

「あの、……やっぱり急すぎて無理かなって。その、会社を辞めるのだって普通は三か月前に伝えないといけないですし、結婚って個人だけの問題じゃないんでお互いの家族にもきちんと話して了解をもらわないといけないし……月曜までにそれを全部やるって、むりですよね?なのでお断りしようかと………思って、ます。すいません……」

斎藤の顔がショックのせいか固まるのを、千鶴は心苦しい思いで見た。
ごめんなさい、斎藤さん。私にはもったいない人なんです。それにどう考えてもこの短期間で、あんなきっかけでの結婚は私がつらくて………。斎藤さんは悪くないです。ほんとにすいません。

しばしの沈黙の後、近藤がためらいがちに聞いた。
「仕事を辞めると言うのは……斎藤君についてロンドンに行くせいか?」
薫が「ロンドン?」と驚いた。土方がうなずく。
「ああ、シェア一番の会社にあちらの厚意で仕事を勉強させてもらいに行くことになってんだが……近藤さん、あちらさんから言ってきたのはうちの社員二人だったよな?」
近藤はうなずいた。
「そうだ。斎藤君にとりあえず行ってもらって、もう一人はゆっくり考えようと思っていた」
「近藤さん、雪村がロンドンに行くんならちょうどいいじゃねえか。夫婦で勉強してきてもらっちゃあどうだ」
「なるほど!それはいいな!」

あっという間に話がまとまり、月曜日に斎藤と一緒に千鶴にもロンドン行の辞令をだすから、と満面の笑顔で言われてしまった。
「他の、『結婚が難しい理由』はなんだったか?」
土方が聞くと薫が答える。
「親族問題だよ。俺は……うちは何の問題もないよ。斎藤ってやつの人となりはだいたいわかったし、千鶴にしてはいいやつを捕まえたんじゃないか?」
土方が腕を組む。「そうか、じゃああとは斎藤の方だな。どうなんだ?」
斎藤が答えた。
「うちは、俺が選んだ人なら何も言わないと思います。兄弟やいとこたちももどんどん結婚していて、早く結婚して安心させてくれと毎年言われているので」
土方はうなずいた。

「じゃあ、何の問題もねえな」

一斉に皆に見られて、千鶴はたじろいだ。千鶴の返事を皆が待っているらしい。
「え、私……」
断ったけれど、断った理由をすべてクリアされてしまった。
だが、ここで一番の理由……あの衝撃の一夜と千鶴の勝手な思いを言うのは辛すぎる。
だって、千鶴が『斎藤さんのことを好きなんです。でも斎藤さんは私のことを好きじゃなくて、そんな状態で結婚生活を送るのは私がつらくて……』等と言ったら、優しい斎藤のことだ、必ず自分も思いを返すように努力するとか何とか言ってくれるだろう。
でも本音は、さっきコピー機のスペースでの言葉だと、千鶴はもう知ってしまっている。
斎藤は男の義務で結婚を申し込んでくれているだけなのだ。
わがままなのかもしれないけど、千鶴はやっぱり愛のある結婚がしたい。幸せになりたいのだ。

とっととOKして結婚しろや、といううずうずとした皆のプレッシャーの中で、千鶴はここで言える断る理由を必死で考えていた。
その時、我慢できなくなった千が、千鶴の両肩をがしっとつかむ。
「千鶴ちゃん!どうするの?」
「え、えっと……」
「何で迷ってるの?斎藤課長のこと、素敵って言ってたじゃない!」
千の暴露に、千鶴は顔がかあっと熱くなる。だからこそ結婚なんてできないの!と言いたいが言えない。
千がさらにつめよった。
「好きなんでしょ!?」

焦った千鶴が必死で否定しようとしたその瞬間。
ふいに道が開けた。
結婚できない理由、千鶴の気持ち、斎藤の微笑み、そして千のストレートな言葉。
八方ふさがりだと思っていたまわりの壁が、ふいにもろいガラスのように軽やかな音を立てて崩れる。

そうか……!
私、斎藤さんが好きなんだ。

何を今さら…とでもいうような思いだが、千鶴は目の前が開けた気がした。
好きな人に自分のことをすきになってもらいたい。
要はそれだけ。
単純な話じゃない?

好きになってもらうなら……千鶴のことを知ってもらって好意を持ってもらうなら。
ロンドンに行けば、異国で二人で、たぶん苦労したり驚いたり、新しい経験を二人一緒にできる。
それは、日本で会社勤めで、隣の課の課長と一般社員との関係よりもずっと親密になれるに違いない。
さらに、子どもができたら。
千鶴は自分の、まだ平らなお腹に手をあてた。
そしたら、それこそ人生で初めての経験を、二人でできる。赤ちゃんの一挙手一投足に二人で笑ったり泣いたりして成長を見守れるのだ。斎藤にとって恋愛対象になれなかったとしても、子どもも交えた暖かい家庭を作るチャンスが、今の千鶴にはあるのだ。

もとから斎藤とは格差があったのだ。
その格差に怖気づいて、最初から勝負を投げるなんて嫌だ。後悔するのはやるだけやってからでも遅くはない。


千鶴は、返事を待っている皆の顔を順繰りに見た。そして最後に斎藤を見る。
下腹にぐっと力をいれて背筋を伸ばして。

「不束者ですが、どうぞよろしくお願いします」

斎藤の目をまっすぐ見て、千鶴ははっきりと答えた。
これはハッピーエンディングじゃない。ハッピービギニング。

ハッピーにするかどうかは私次第。

突然の承諾に驚き、頬を染めている斎藤。
その斎藤をたたいたり握手をしたりして、祝いの言葉を交わしている同僚たち。

そんなほほえましい光景を見ながら、千鶴は一人密かに闘志の炎を燃やしていたのだった。









<おまけ>

次の月曜日

社長室では大画面のパソコンで、土方と近藤が最新のニュース動画を見ていた。

『急な倒産により、ロンドン市場は混乱を極めています。経営陣は二時間後に記者会見をすると発表しており……』

「いやあ、まさかあの会社が倒産するとはなあ……」
斎藤と千鶴が、今日辞令を受け取っていく予定だったロンドンの会社だ。
近藤の言葉に土方もうなずいた。
「二人、うちから預かってやるって言ってた時はあちらさん余裕綽々だったがなあ。まあでもあのころから苦しかったんだろうな」
ニュースが終わり、近藤は社長用の本革の椅子に寄りかかり、横に立っている土方を見上げた。
「斎藤君と雪村君に知らせないといけないな。電話をするか?」
土方は腕時計を見た。
「いや、今は役所で婚姻届を出してるころだろ。ロンドン行の有無にかかわらず結婚するつもりだったんだし、変な情報でせっかくの記念の時を台無しにしちゃかわいそうだ。どうせ婚姻届を出した足で辞令を受け取りに会社に来るんだ。その時に事情を話せばいいだろ」
「そうだな、ロンドン行のせいで早まったとはいえ、もともと結婚するほどの仲だったわけだしな。じゃあ辞令はなしでいいな?」
「ああ、もちろん」

千鶴は、仕事のことと親族のことを気にしていた。日本でこのまま働き続けることができるのなら、仕事はもちろん大丈夫だし、親族ともゆっくりとさらに絆を深めていけるだろう。

「終わり良ければ総て良しだな」
「ああ、あの二人にゃしあわせになってもらいてえしな」
新婚夫婦に幸あれと、笑顔でうなずきあったのだった。








<さらにおまけ>

二週間後、千鶴の荷物を運びこんでぐちゃぐちゃの斎藤の家でとりあえず宅配ピザを食べた後。
斎藤は、千鶴が青ざめてトイレから出てきたのに気が付いた。
「どうした?引っ越しで疲れただろうから今日は早めに……」
「さ、斎藤さん……」
千鶴の目は潤んで今にも涙が零れ落ちそうだ。顔色は青ざめている。
「どうしたのだ」
ただ事ではない様子に、斎藤はソファから立ち上がった。

「せ、生理始まりました……」

斎藤はキョトンとする。
「せいり……」


「赤ちゃん、いませんでした……」


二人はお互い見つめ合い、そして二人分の荷物でごった返している部屋を見た。

これはいったいどうすれば……



その問いに答えてくれる人は誰もいない。











【終】


長い間おつきあいいただいてありがとうございました〜♪
拍手、コメント、ありがとうございます<(_ _)>
皆さまと一緒にこの斎藤さんと千鶴ちゃんのアタフタをのぞき見してる感じでとっても楽しかったです(^^)
この後、ちょっと休憩してから、続きの「斎藤課長の新婚生活」を連載したいなーと思ってます。
それでは!




BACK