【マクドナルドで夕食を 12】








ざわついたマクドナルドの店内で、千鶴はぼんやりと前の人の注文を聞いていた。
今日も不動産屋をまわり、くたくただ。
例のごとくあまりいい物件はなかったが、予算が予算なので当然だろう。千からは『好きなだけいてね』と言われているが、居候も一か月が限度で、そろそろ出なくては迷惑だ。
もう、この前見た風呂なしのおんぼろアパートに決めようと千鶴が考えていると、レジから明るい声がかけられた。
「次の方、どうぞ〜!」
「あ、はい」
千鶴がレジで注文しようとした時、後ろの自動ドアが開く音がして他の客が入ってきたのがわかる。しかし千鶴は大して気にも留めず、注文を続けた。
「えーっと…セットでてりやきバーガーと…」
沈黙のままの店員に気づいて千鶴が顔をあげると、目の前の女性の店員はポカンと口を開けたまま千鶴の後ろを見ている。
両隣の客と店員も、皆、千鶴の後を見て固まっている。
千鶴も何事かと後ろを振り向いた。

そこには黒ずくめの男が1人立っていた。黒いスーツに黒いネクタイ、黒い靴。いや、一人ではない。入口のガラスの向こうに、まるでSPのようにもう一人、同じ格好をした男が立ち辺りに目を光らせている。
入口で立ち止まり店内を見渡していた男は、千鶴を見て動きを止めた。店内の注目が千鶴に集まり、千鶴はキョロキョロとあたりを見渡す。
「あの……」
私が何か?と言おうとした時、再び自動ドアが開き後ろから誰かが入ってくる。
背が高く髪が明るい色でまるで金髪のような……
少し前までは毎日顔を合わせて、いつも視界にいた見慣れたシルエット。

「か、風間さん…!?」

薄いブルーのサングラス越しに、風間と千鶴の目があった。
どうしてここに。まさかとは思うが自分を探しに来たのかと、千鶴はかなり動揺していたが『目があった』というこれまでになかったことに、さらに動揺した。
目が見えないときの彼の瞳も綺麗だったが、視力の戻った彼の瞳は……あまりにも鋭く能弁で、直視できない。
そういえば目が見えるようになって彼と直接会うのは初めてだということに千鶴は気づいた。
じろじろと頭の先から爪先まで見られて、千鶴は今日の自分の恰好を見下ろし恥ずかしさに頬が熱くなるのを感じた。
不動産屋をめぐるので動きやすく疲れにくいということを最優先にしたせいで、フードつきのカジュアルなトレーナーにジーンズ、スニーカー姿なのだ。
髪もボニーテールのように後ろで一つにしているだけだし、まるで高校生だ。

次にもし会うことがあるなら、うんとおしゃれして綺麗な格好して風間さんに会いたかったのに……!

それは見栄と虚勢の入り混じった現実味のない願望だったが、まさかそれが現実になるとは。しかも自分はこんな恰好で。場所も華やかなパーティとかじゃなくて夜のマクドナルドで。
風間の方は相変わらず一目で高級品とわかるスーツだというのに。


風間は無言だった。
千鶴のほつれた後れ毛に目を止め、恥ずかしそうに伏せた長い睫を見て、そして華奢な上半身、ジーンズからでもわかるすんなりした脚、と食い入るように見つめる。
異様な空気に、店内もしんと静かだ。
沈黙に耐えられなくなったのは千鶴だった。
レジの邪魔にならないように脇に避けて、風間の方に少しだけ近寄る。
「あ、あの……目、治ったんですね。よかったです……」
いたたまれない空気の中で、千鶴は汗をかきながらかろうじてそう言ったが、返答はない。
店内の視線が自分たちに集まっているのをひしひしと感じる。高級スーツにSP(?)まで連れた背の高い男性と、高校生みたいな恰好をした貧相な自分は、さぞかし興味を引く対象に違いない。
気詰まりな沈黙に千鶴が耐え切れなくなった時、風間の低い低い声がマクドナルドの店内に響いた。

「何故逃げた」

「……」
ズバリと聞かれて千鶴は口ごもった。
逃げたわけではない…と言いたいところだが、実際は逃げ出したのだ。だが、こんな店の中で衆人環視の中で説明しきれるようなものではない。しかし場所を変えようなどと言う提案はできそうにもない雰囲気で……
「……挨拶もせずにすいませんでした」
千鶴はとりあえず謝った。理由はともかく猶予期間もなくいきなり辞職したのは確かなのだ。
しかし風間の機嫌はこれっぽっちも和らいでいないようで、ブルーのサングラス越しにひたと千鶴を見据えている。
「挨拶の話ではない。わかっているだろう」
「……あの『提案』は、受け入れられないって言いました」
「お前にとって俺はその程度なのか」
「……え?」
偉そうな態度に冷たい口調とは裏腹な言葉に、千鶴は目をぱちくりさせた。
「提案を受け入れられないから、ではさようならと去っていくとは、お前は冷たい女だな」
いわれもない非難を受けて、千鶴は唖然とする。
「な、何を言ってるんですか!風間さんの方が『好きじゃない』って『俺が与えるもので満足しろ』って言ったんじゃないですか。私は、そんな変な関係は嫌だから、だから…」
「お前の事を好きではないなどと言った覚えはないが」
「……!!」
千鶴は怒りのあまり、金魚のように口をパクパクさせた。あの夜の風間の言葉に千鶴がどれほど傷ついたかも知らないで……!
「いっ言いました!」
「言っていない」
「言いました、だって私ちゃんと聞いたんですから!」
「俺はお前の事が好きだ。だから好きではないなどという訳がない」
「言いましたってば!だから私は……え?」
「お前の俺に対する想いが、たった一つの言葉でそれまでの関係がすべて覆されるような浅い思いだったとはな」
風間の目はそう言って、冷たくきらりと光った。
千鶴は混乱した。あまりにもさらりと流されたが、今彼は千鶴の事を好きだと言わなかったか?しかし、風間はそんなことはたいしたことではないと言うように、あっさ通り過ぎて千鶴を責めている。
もう一度、先ほどの風間の言葉の真意を聞きたいが、とりあえず千鶴は今、冷たい女だと責められていることに対して反論した。
「だって……だって、風間さんとは……その仲良くさせていただきましたけど、あれはあれでお仕事でしたので」
千鶴は自分の口が勝手にそう言うのを聞いて驚いた。
怒り狂った牛の前で赤い布を振るような真似を、何故自ら…!と思いながらも止まらない。
「仕事を辞めるのに紙一枚でお伝えしたのは失礼だったなと反省しています。天霧さんにもお世話になったお礼を言いたかったですけど、あまりにも……その雇い主の方にあれこれ言われて傷ついていたので、あんな逃げるような形で辞めることになったんです」
ひく、と風間の顔がひきつったのがわかり、千鶴はしてやったりと少しだけ溜飲を下げた。

マクドナルドの店内は、緊迫した千鶴と風間のやり取りに注目していた。今は、これまでやられるがままだった女性側の反撃に今度は男性側がどう出るかかたずをのんでいる。

風間は肩の力を抜いて、わざとらしく小さく笑うとサングラスをとった。
切れ長の綺麗な赤い瞳に、千鶴を含め店内の女性からため息が漏れる。
「そうか、仕事か……。かなり熱いキスもしたように思うが、あれも仕事だったとはな」
『キス』という言葉に店内が息をのむのがわかる。
千鶴は自分の顔が再び赤くなるのを感じた。しかし負けてなるものか。もう何と戦っているのか何故戦わなくてはいけないのかわからないけれども。
千鶴も作り笑いをすると、風間から視線をはずして肩をすくめる。
「キスって言われても。別にあのキスが初めてってわけじゃないですし。キスならこの前も別の人ともしましたし」
保育室のよだれまみれの赤ちゃんとだが。しかし別にそんなことは言わなければわからない。
千鶴の言葉に風間がさらにひきつったのが分かった。それと同時に、目がギラリと光ったのも。

あ、本気で怒らせた…!?

これはまずいと千鶴が言い訳をするか逃げ出そうかと迷った瞬間、風間はつかつかと千鶴の前に来て手首を掴んだ。
そして千鶴の目を覗き込む。
千鶴は初めて視力が戻った風間の目を至近距離で覗き込んだ。
その目は鮮やかな紅茶のように深く深く、美しい紅色だった。奥の方は黒色に見えるが実際は濃い赤色で黒に見えるだけのようだ。目が見えない時も美しい瞳だったが、見える今と比べるとその時はやはりどこかうつろだった。今目の前の瞳にはしっかりとした意志の光が宿り宝石のように輝いてとてもきれいだ。……千鶴をどう料理してやろうかという怒りで光ってはいるが。
「……誰とした」
「え?」
「お前がキスをしたのはどの男だ」
今にも殺しに行きそうな風間の様子に、千鶴は目を泳がせた。
「ここにはいません」
「どこにいる。うちの屋敷に来る前からつきあっていたのか」
千鶴は観念した。風間を苦しませたくて言ったわけではないのだ。やられっぱなしがちょっと悔しかっただけで。
「……一歳の赤ちゃんです。……男の子ですけど」
風間の手の力がふっと緩んだのが分かり、千鶴はほっとして彼を見上げた。しかし今度は風間の瞳はまるでネズミをいたぶる猫のような光が踊っている。
「……他の男とキスをするのは許せんな。たとえ赤ん坊だとしてもだ。忘れさせる必要がある」
風間はそう言うと、千鶴の顎を指で押さえて上を向け、もう一方の腕を千鶴の腰にまわして引寄せると、唇を寄せてきた。
マクドナルドのレジ横で。
「ちょっ…!風間さん!だ……」
千鶴の言葉は風間の唇にあっけなく吸い込まれ、店内は異様なくらい静まり返る。

からかうような言葉だったのに風間のキスは千鶴がびっくりするくらい優しいものだった。
これまでの余裕満々のオレ様な態度からは想像できないくらい、柔らかくゆっくりと、まるで拒否されるのを覚悟しているかのように探るような慎重なキス。
場所を考えて風間のキスを拒否しようとしていた千鶴は、予想外の彼の様子に思わず抵抗するのをためらってしまった。
顔の角度を変えて、背の高い体を折るようにして風間は千鶴の唇を優しく求める。
キスをしながら風間の手が千鶴の手を探しだし、指を絡めてきた。そしてもう離さないと言うようにギュッと握る。

千鶴が時間の感覚もなくなってきたころ、ようやく唇を離した風間が、千鶴の耳元で低くささやいた。
「お前が欲しいものについても、叶えられるかどうかは別にして検討することにする。不満があるのなら直接俺に言え。逃げるのではなく」
風間の言葉を、千鶴はぼんやしりた頭で考えた。
そう、あの夜、『欲しいものがあれば何でも買ってやる。したいことがあるのならできるように取り計らってやろう』という風間に、千鶴は『私の欲しいものはそういうものではない』と言ったのだった。
「わ、わかるんですか?私の欲しいもの……」
分かってくれたのかと、千鶴は風間の瞳を覗き込んだ。しかし風間はあっさり首を横に振った。
「わからん。言ってみろ」
千鶴は一瞬ガクンと拍子抜けをした。しかし、彼の表情とその言葉がとても優しくて、何故か目に涙がにじむのを感じる。

そう、これが欲しかったのだ。わかってくれなくてもいいから、聞こうとしてくれて受け入れてくれるものが。
朝食に何を食べたいのか、どんな花が好きで、どんなシャンプーの匂いが嫌いなのかなんてわからない。
真っ直ぐに向き合って一緒に歩きたいのだ。
風間が一人で歩くのを家でじっと待っているのではなく。


「私、私が欲しいものは風間さんと同じです。私は何かを買って欲しいとかしてほしいとかじゃなくて、風間さんが欲しい」
感情があふれ出して、千鶴の大きな瞳からはポロポロと涙が零れ落ちた。
綺麗な丸い粒は、白くなだらかな頬を伝っていく。
「何」
千鶴の欲しいものが、風間が想像していなかったものだと言うことは彼の表情からわかった。
「風間さんのものになってもいいので、風間さんも私のものになってください」
もはやひっくひっくとしゃくりをあげながら、千鶴は子供の様に風間のスーツの胸に顔をうずめ泣き出してしまった。

ずっと一人で生きてきて、初めて好きになった人。
全部受け止めて全部欲しいと思うのは千鶴も同じだ。そんな付き合い方は嫌だと風間が言っても、千鶴にはこれ以外は我慢できそうにない。
そう言う意味では、風間も千鶴もどちらも同じなのだ。

千鶴が泣きながら風間の胸に顔をうずめて返事を待っていると、くつくつと風間の胸の奥が震えるのを感じた。
それと共に、彼の深い笑い声が千鶴の頭の上から聞こえてくる。
そして、心の底からの楽しそうな笑い声。千鶴の好きな彼の笑顔。
千鶴は泣きぬれた顔のままで、笑っている風間を見上げる。
風間はしばらく笑った後、千鶴を抱きしめて楽しそうに言った。
「なるほど、お前も俺と同じものをな……」
風間は笑い声の合間にそう言うと、再び深い声で笑った。
「あの……風間さん……」
笑い続けている風間を見ているうちに、だんだんと冷静さが戻ってきた千鶴は、周りを見渡して自分たちの状況を把握した。
店中の注目を浴びている。
浴びまくっている。
高級スーツの長身の男性に笑いながら抱かれているトレーナーにジーンズ、ポニーテールの自分は、さぞかしアンバランスに見えるだろう。
しかも……
そこまで考えて、千鶴は頭に血が上るのを感じた。
夢中だったとはいえ、言い合いをして、キ、、キスまで……こんなところでキスまでしてしまったのだ。そして子供の様に泣き出して、今、風間は大笑いして……
千鶴は恥しさのあまり気が遠くなりそうだった。まだ小さく笑っている風間の腕をひっぱり、気まずそうに言う。
「あ、あの……返事が聞きたいのはやまやまなんですが、とりあえず、この店を出ませんか?なんだかみなさんの視線が……」
しかし、そのような小市民的な感覚は当然風間にはないようで、あっさりと無視された。
「千鶴。いいだろう。この俺に、自分のものになれという女には初めて会った。お前のものになるのも面白いのかもしれん」
「風間さん……あの、それは嬉しいんですがそれはそれとしてですね、とりあえず……」
おたついている千鶴には構わず、風間は楽しそうに続けた。
「お前のものになったこの先の俺の人生は、さぞ毎日が楽しかろう」
風間はそう言うと、千鶴から視線を外し、マクドナルドの店内を見渡した。
「まずはここで夕飯でも食べていくか」
「え!?こ、ここでですか?」
千鶴は驚いて風間を見た。
光沢のある一目でブランドものだとわかるスーツ、金色の髪にモデルのような体形。
あまりにもマクドナルドにあっていない。とても落ち着いて食事などできないだろうし、そもそも彼はファーストフードなんて食べたことがあるのだろうか?
「いったどうして……」
こんな店内の注目を集めまくっている状況で食事なんてできそうにない。なぜわざわざこんな公開処刑のような場所で食事をしたいのか。
風間はちょうど空いているレジの方へと歩きながら、何でもないように答える。

「お前が言ったのだろう。……なんだったかメールをしたり仕事帰りに食事をしたり、面倒なことをしたいと」

「……」
スタスタとレジに歩いて行く風間の背中を、千鶴はポカンと眺めた。
レジ辺りの客たちが、自然に道を開け風間はそのまま真ん中を歩きレジに行く。

覚えていてくれていたのか。
あの星空の夜に言った千鶴の小さな願いを、覚えていてくれた。
きっと風間にとってはつまらない小さな願い。
きちんとすくいあげてくれるなんて。

レジの前に立つ風間の背中を、千鶴は涙で滲む瞳で見た。
風間は「メニューはないのか」とか「セットの意味が分からん」などと言い、レジの女性を困らせている。

千鶴は笑い、目の涙をふくと風間のもとへと急いで駆け寄る。
わがまま王子様とマクドナルドで夕食をとるために。







【終】


あとがき


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