実録!隣の晩御飯〜あなたのメインディッシュとオカズはなんですか?〜1(風間編)
もう!冷めちゃうのになあ……
千鶴は自分の食べた茶碗を片付けながら、どんどん冷えていく夫の夕飯を見た。
今日のメニューは豆腐の和風ハンバーグに茶碗蒸し。わかめのお味噌汁にホウレンソウの胡麻和えという庶民的な内容だ。
日本はもちろん海外にも数多くの支店を持つ『カザマグループ』の社長の夕食にしては庶民的過ぎるのでは、と千鶴はいつも思うのだが、風間が千鶴の手作り以外を食べようとしないのだ。
初めて作ってあげたのはまだ付き合ってもいないときで、ちょっとしたアクシデントで千鶴のいつもの夕飯を風間と一緒に食べることになったのが最初だ。
しかし、風間曰く『庶民の食べ物』が意外に口に合ったらしく、結婚した今では基本いつも夕飯は家で食べている。仕事上のつきあいで風間が外食することもあるのだが、そう言う場合でもほとんど口をつけず酒だけを飲み、家で本格的に千鶴の食事を食べ直しているのだ。そしてその際は、千鶴は必ず一緒に食べなくてはいけない、というのが風間家のルールだった。
新婚のころ千鶴が先に食べてしまい風間の分だけ夕食を出したところ、彼は一言もしゃべらないまま食べてそのままずっと不機嫌だった。機嫌をとるのがかなり面倒だった覚えがある。
だが、やはり風間も『社長』という忙しい身。今日のように食事の途中で会社から緊急の電話がかかってくることもあるのだ。
今日はどうやらかなり立て込んだ内容らしく、いつもは適当なところで切り上げる風間がめずらしく話しこんでいる。
千鶴は溜息をつくと、夫の皿も下げ始めた。
どうせ温めなおさないと、このわがまま夫は食べないだろう。
風間の皿を温めおせるように鍋に戻した後、千鶴は自分の皿を食洗機に入れ始めた。そしてふと気づく。
あ、お弁当も一緒に洗っちゃおう
そうなのだ。なんと風間は毎日弁当を持って行くのだ。
風間の社長室には付き合っていたころ何度か行ったことがあるが、あのピカピカのド広い社長机で千鶴の作った弁当を食べているのかと思うをミスマッチに身がすくむ。
しかしこれも風間の要望……というか常識なのだそうだ。
結婚して初めての出勤の日の朝、風間は当然のように玄関で手を千鶴に差し出した。
『なんですか?忘れ物?』
千鶴が頭をかしげて聞くと、風間はまたもや当然、といった表情で言った。
『妻たる者、夫のために愛妻弁当を用意しておくのは当然のことだろう。早く出せ。車を待たせているのだぞ』
愛妻弁当どころか寝坊のために朝ごはんも作れなかった千鶴に、風間は『明日は用意しておくように』と不機嫌そうに言い捨てると出勤して行ったのだった。
賢い犬は飼い主以外からのエサを決して食べないというが、新婚暫くは千鶴は風間が賢い犬に見えてしょうがなかった。
嬉しいか嬉しくないかといえば……まあ嬉しい、とは思う。嬉しいと言うか、カワイイ。背も高くがっしりしていていつも慌てることなく偉そうな風間が、なんというか…餌付けに成功した野生の犬のように見える。そういえばシェパードやドーベルマンといった賢く強い犬は、いつもきりっとした冷たい顔をしているが尻尾を見ると嬉しそうにゆさゆさとふっていたりする。風間もそんな感じなのだ。
千鶴は難しい顔をして携帯電話で話している風間を見て、クスッと笑った。
そして自宅にもある風間の仕事部屋に入ると、机の上に置いてある彼のカバンをそっと開け、弁当箱を取り出した。そして千鶴はふと、机の端においてある紙袋に目をとめた。
あれって確か……
千鶴は首をかしげて思いを巡らせた。
あれはたしか、先週末遊びに来た薫が風間に渡していた紙袋だ。
風間と薫は、ものすごく仲良しというわけではなく、しかし仲が悪いというわけでもなく、まあでも風間の普段の他の人との付き合いから見ると仲がいい方なのだろうと思う。薫は実家から千鶴への渡すものがあるときや、何かの機会にたまに千鶴達の新居に遊びに来てくれるのだ。一緒に昼ごはんを食べてあっさり帰っていく程度なのだが、そのときほぼ毎回、何かを風間に渡したり渡されたりしているのに千鶴は気づいてた。
別にコソコソとやっているわけではなく、千鶴の前で普通に渡している。
『あ、これ返すよ、ありがとう』
先日も確か薫がそう言って小さな紙袋を風間に渡した。風間は頷くと『どうだった』と聞いたような記憶がある。薫は肩をすくめると『まあまあかな、前のよりはよかったよ。あ、俺のも入れといたから』などと言っていた。
その時は特に何とも思っていなかったのだが。今、その紙袋をひょいと除けば中が見える状態におかれて初めて、千鶴は中が気になりだしてきた。
そういえば、なんなんだろう。二人に共通の趣味なんてないし…大きさから言えば本とかだと思うけど、千景さんが書類以外の本を読んでるのなんて見たことない。
千鶴は好奇心に負けて紙袋に手を伸ばした。その時。
「おい、電話は終わったぞ。夕飯をはやく……何をしているのだ」
「きゃあ!」
突然ドアを開けた風間に驚いて、千鶴は紙袋を机から落としてしまった。中からころりと何かが二つ……これは……DVD?
「……」
転がり出たDVDを手に持って、千鶴は固まった。
『悶絶!触手に襲われる和服美女!嫌がる美女が次第に快感に打ち震え……云々』
もう一つは
『はちみつ攻め!全身にはちみつを塗った女性に群がる男とたち!あらゆる部分を舐められ悶える美女が……云々』
タコの触手のようなものが和服の八つ口やら裾やらから入り込み、嫌がっているのか喜んでいるのかよくわからない女優が喘いでいる写真が全面にでているDVDに、つやつやと全身がはちみつでひかっている裸の女性がポーズをとっているDVD。
千鶴は両手にそれをもったまましばらく固まっていた。
「……これは…なんですか……」
ふるふると怒りに震えながら千鶴が問うと、風間は特に気にするふうでもなくひょいとDVDを取り上げて元の紙袋へ戻した。
「お前が知る必要はない。男には必要な物だ。さ、夕飯を……」
「な、なんで私が知る必要がないんですか!それって薫から受け取ってた紙袋ですよね?そっそんなものを……そんなものを……!!」
あとは言葉にならない千鶴を、風間は平静な赤い瞳でチラリと見る。
「最近知ったのだが意外に義弟とは趣味が合うようでな。あまり種類のおおいジャンルではないので情報交換もかねて貸し借りをしているのだ。おまえも夫と兄が仲が良ければ嬉しかろう」
「な、なにを堂々と……!!!開き直るなんで最低です!妻が居るのにこんなものを見てるなんて!」
千鶴が顔を真っ赤にして言いつのると、風間は少し驚いたように目をまたたいた。
「何故怒るのだ。妻とこれとは全く関係のないものではないか」
「関係ないって……関係ないってなんでですか!?だってそういうのは…その、相手のいない男性が、その…利用するものじゃないですか!千景さんは私という妻がですね……!」
風間は千鶴の言葉に目を見開いていたが、しばらくするとフッと微笑んだ。
「……なるほど。お前は男の生態というものについてよくわかっていないものとみえる」
そして風間は顎に手をやると、どう説明しようかとでもいうように千鶴を見つめた。
「お前の事は愛おしくて抱く。抱くときはお前の気持ちも考えお前にも快感を味わってもらいたいと思う。それとは別に、手っ取り早く抜きたいときもあるのだ。それは愛だのなんだのとは関係なく興奮することができればネタはなんでもいい。このDVDはそのネタ、というわけだな」
堂々と少しも恥ずかしがる様子もなく説明する風間を、千鶴はポカンと口を開けて見ていた。
なんだか今とんでもないことをいろいろ聞いたような気がする。そしてあまりにもあっけらかんと説明されたため、そうかそれなら別にいいか…と思いそうになってしまったが、千鶴はかろうじて踏みとどまった。
「そ、そんな……それは浮気じゃないんですか?だって……だって…私、別に…その…」
顔を赤くして俯いた千鶴の顎を、風間は長い指でくいっとあげ自分の方をむかせる。
「だって……なんだ?」
「だって、千景さんが…その手っ取り早くそういうことをしたい時だって、言ってくれれば私だってその、いろいろできるのに……」
「……ふむ……その『いろいろ』に興味はなくはないが、お前には無理だ。このDVDのような特殊なことなどできんだろう。それにそんなことをお前は別に考えなくてもいいのだ」
夕飯にするぞ、と言って背中をむける風間に、千鶴はなおも言いつのった。
「じゃ、じゃあ千景さんはこれからも……その、私じゃない女の人を見て、そ、そういうことをするんですか?それってどうなんですか?だって…だって私が千景さん以外の男性の写真とかDVDとかを見て、こ、興奮したり感じちゃったりしたら千景さん、どう思うんですか!?」
千鶴がそう言うと風間はピタリと足を止め、ゆっくりと千鶴を振り返る。その目は冷たく赤く光っている。
「……殺す」
風間のその瞳にと抑えた低い声に千鶴は背筋に冷たいものが走るのを感じた。
「その男を、な」
低く地を這うような声でそう言うと、風間はリビングの方へと歩いて行ってしまった。
迫力負けした千鶴は、それなら風間が他の女性でそういうことをするのを千鶴が嫌がるのもわかるだろう、と言うきっかけをなくした。しかしもやもやはまだ心の中に残っている。
千景さんが嫌だって言うのとおんなじなのに、私だって嫌なのに自分のことは棚に上げて。
でもなんだか今から続きを話す雰囲気じゃないよね。でも、このままなのはなんだか嫌。
……どうしよう……
千鶴は考えながらキッチンへと戻り、すっかり冷めてしまった夕飯を温めなおしたのだった。
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