【掌中の珠 4】
結局、夜の宴まで花は孟徳と会えなかった。
しかし宴では会えるし、丞相の奥方ということで多くの人注目の的になるに違いない。
花は、女官二人ががりで髪を結い服を着せてもらい華やかに装う。最後に今日もらった玉の首飾りをつける。鏡で見せてもらうが正直なところ自分には似合っていないというのが感想だった。
庶民顔なんだよね……
「よくお似合いですわ!」「素敵な首飾り!」とサラウンドで女官たちにほめたたえられるが、花はこういうところはなぜか冷静だった。
どうみても傾国の美女ではない。
この重さも見た目もゴージャスな首飾りはボンキュッボンな美女がしていれば相乗効果でまばゆいばかりだろうが、花がつけても重そうなイメージしかないのだ。
まあ、でもこの玉の首飾りは今日の客から貢物だそうだし、孟徳は花が着飾っているのを見るのが好きだ。それに花だってオンナノコなのだから美しいものを身に着けるのは好きだ。それが自分に似合っていないという悲しい現実は置いておいて。
「私もあと……10年くらいしたらこういうのが似合うようになりますか?」
花がそう聞くと、女官たちは「まあ…!」と驚いた顔をした。
「今でもお似合いですが……」
「そうですわ」
あれこれと言ってくれる女官たちに花は苦笑いをした。「そうですよね、ありがとうございます」主の思い人に主からのプレゼントが似合わないなんて言えるわけがない。
花は変なことを聞いてしまったと反省して、ぺこりと頭を下げると宴へ連れて行ってくれる別の女官と一緒に部屋から出ていった。
花が出ていった後、花の部屋で……
「奥方様、お気を悪くされたかしら」
「でも……あれ以外言いようがないわよね」
女官たちは花を飾り付けた後の片づけをしながら会話を交わす。
「……確かに、奥方様はお若いし……あっさりした感じなんでもう少し軽い感じの方が似合うかもしれないわ」
「そうね、かわいい感じっていうのかしら?次からはそういうものをお持ちしましょう」
「丞相からの贈り物ですからね、あの首飾りはしょうがないですよね。男性と女性とでは身を飾るものについての考え方が違うのね」
二人は髪結いに使ったものをきちんと道具箱にしまい、着替えた衣装を丁寧に畳む。
「でも……10年じゃないわよね」
もう一人の女官もうなずいた。
「ええ、もうあと……そうね2,3年。もしかしたら来年ぐらいには……」
遅咲きのつぼみもきれいにほころび始めるだろう。
男に、特に孟徳のような男にあれだけ情熱的に求められれば女はすぐに花開くものだ。実際花にはもうすでにその片鱗が……かすかな匂いが現れている。
いろんな経験をし感情を揺さぶられ幸せな思いと悲しい思いをして、少女は女になっていくものだ。
そしてそれはたぶんもうすぐ。
美しく花開いた花を飾りたてるのが楽しみだと、女官たちは頬見合った。
「花ちゃん!」
宴の間に足を一歩踏み入れた途端、上座の孟徳が気づいた。孟徳が立ち上がったことにより花に一気に注目が集まる。
「あれが丞相のあたらしい…?」
「いや、ずいぶんこれまでとは……こう……」
「お若い上に、その……いろんなところがさっぱりとしておられますなあ」
さわさわと花に対する小声の評価が聞こえるのを聞こえないふりをして、花はまっすぐに孟徳に向かって歩いて行った。
最初はあれこれ思い悩んだり人前にでるのが嫌になったこともあったが、もう慣れた。というか、気にならなくなった。
自分が孟徳にふさわしいのか、そばにいてもいいのかと悩んでいた時に、ふとわかったのだ。
自分がこの時代に残った理由は孟徳だ。
彼を知りたくて彼のそばにいたくて、人を信じない彼を信じたいと思った。裏切らない人間もいると信じてほしいと。
孟徳も周囲を気にするタイプではないし、花はまっすぐに孟徳だけを見ていればいい。
周囲の人が何と言ったとしても、孟徳は今自分を見てそばに置いてくれているのだ。
孟徳さんが好き。
傍にいて彼が辛いときに支えてあげたい。そして私がそう思っているって信じてほしい。
この時代のこの世界で、何の特技もない異世界の女子高生ができることなんて限られていることはわかってる。
この恋がいつまで続くのかとかわからないけど。
広い寝椅子のようになっているスペースで、花は孟徳の横に座った。
「来てくれてありがとう」
孟徳はにこっと笑って頭を傾げてこちらを見る。少し酔っているのか目じりがうっすらと赤い。
「飲む?」と孟徳が渡してくれた杯は、花が飲めるように少しだけアルコールが入った果実ジュースのようなものだ。「ありがとうございます」
花のために料理をもってくるようにと、そばに控えていた女官に言った後、孟徳は花の顔をのぞきこむ。
「その首飾り、つけてきてくれたね、似合うよ。かわいい」
そう言った孟徳の顔がとてもかわいくて、花も思わず笑顔になった。
「ありがとうございます」
「その服は女官が選んでくれたの?」
「はい、どうですか?」
孟徳は少し背をそらせて花を見る。
いつもおろしている髪は思いっきりアップして白くて華奢なうなじがあらわになっている。広く空いた襟ぐりからは繊細な鎖骨が見え、細く滑らかな肩をやわらかな青い布が優しく覆い、ふんわりと足元まで隠していた。清純さと清潔な色気が花に似合っている。
孟徳はにんまりとほほ笑んだ。
「すごくいいよ。そもそもそれ俺が選んだんだよ」
「そうなんですか?」
「そう、君に似合うかなって思って」
運ばれてきた料理を、孟徳は花の方に置くよう指示した。
「食べないんですか?」
花がそう聞くと、孟徳は意味ありげな流し目で花を見た。
「……昼、ありがとう」
花は孟徳を見る。
「意味、わかりましたか?お菓子の」
「最初はわからなくて、別の昼を食べちゃってたんだけどね。君も知っている通り食欲がなかったから、君の差し入れは助かった」
「二回も食べちゃったんですか?」
「ああ、でも大した量じゃないよ。せっかく花ちゃんが作ってくれたんだからね、はちきれても食べるよ。あの菓子と器でわからなかった俺が悪いんだし」
「元譲さんに伝言を頼もうかなって思ったんですけど、いつもいつも伝言頼んで申し訳ないなって思って、お菓子でわかってもらえるかと思ったんです」
「元譲に悪いなんて、そんなの気にすることないよ!」
と全然気にしていない孟徳に、花はため息をついて言った。
そりゃ、孟徳さんとは付き合いが長いし孟徳さんの部下だし気にしないだろうけど、私は気になるんです。私と元譲さんはそんなことを気軽に頼めるような関係じゃないのに……
「いーのいーの、そんなの気にしなくて!」
のんきな孟徳に、花はもう一度ため息をついた。
これは手ごわそうだ。
しばらく一緒にいた後、花は一足先に宴を辞した。
これもいつものことだ。酒が入り場が乱れてきても、丞相の思い人の花に酔った勢いでセクハラをしてくるような猛者はさすがにいないが、孟徳が……。孟徳が酔いが進むと花に甘えてくるしのだ。そりゃあもうすでに寝台を共にする仲だから「触らないでください」などというつもりはないが、人前でほっぺにちゅーされたり口移しで果物を食べさせてほしいとか、膝の上に座ってほしいとかひざまくらをしてくれないとか……困るのだ。
花が席を立つとき、孟徳は手首を捕まえて引き寄せた。
「あとから行くからね」
耳元であの甘い声でそっとささやかれて、花はびくんと背筋を震わせる。孟徳の顔の熱をはらんだトロンとしたまなざしは、花にこれまでの数数の夜を(夜だけではないが)思い出させた。最初はぎこちなくどちらかといえば苦痛だった夜の行為も、今では体の方が反応するようになってしまってきている。
花は真っ赤になってぎこちなくうなずくと、そのまま宴の間を出た。
自分の部屋の前で付き添っていた女官が困ったような顔で足を止めた。
「あの……丞相の部屋でなくてよろしいのですか?」
「え?も、孟徳さん、そう言ってました?」
花は再び真っ赤になる。
花と孟徳がそういう関係なのは城のみなが分かっていることだし、女官はそんなことは気にしないとはわかっていても、花はおおっぴらに、その……花と孟徳が夜を共にしていることを話すのが恥ずかしいのだそういうことをあまり。今夜どちらの部屋で寝るかとか、人に気にされるのも居心地が悪い。
しかし当然ながら女官は全く気にしていない。
「そうはおっしゃっていませんでしたが……ですが、奥方様にはできれば丞相の部屋で寝起きをしてほしいといつもおっしゃっているので」
「それはそうなんですけど……」
移ってくるようにと花も言われているが、花の中では孟徳とはようやく付き合い始めたばかりの段階なので、いきなり夫婦のように同棲するのはすこし抵抗がある。孟徳にそれを伝えたところ、少しすねたけれども「じゃあ早く抵抗をとってね」と待ってくれる返事だった。
だから二人はいまだに、「今日はどっちの部屋?」といったやりとりをしている。これも女官や元譲経由の伝言でやり取りすることもあって、花が字を習いたいと思う理由の一つではある。
孟徳さん、『あとから行くね』って言ってたから、私の部屋に来てくれるつもりなんだと思ってたけど……
でも、孟徳さんの寝台の方が広くてよく眠れるって言ってたし、あっちのほうがいいかな?
「じゃあ、孟徳さんの部屋に……」
言いかけて、花はふと思いついて口を閉じだ。
そうだ、これも使ってみよう。
花は少し考える。
どうすればいいだろうか。
しばらく考えた後、花は髪に挿してあるかんざしを抜いて女官に渡した。黒い漆塗りの柄に青い大きな玉がついている。
「これを孟徳さんに渡してもらえますか?」
「は?これを……ですか?奥方様がどちらの部屋でお待ちか、丞相にお伝えしなくてよろしいのでしょうか?」
「はい、それでたぶんわかると思います」
わかるかな?
花はいたずらっぽく首を傾げる。
わかったらわかったでいいし、わからなければそれもいい。
かんざしをもって宴の間の方へと向かう女官を見届けてから、花は孟徳の部屋へと歩き出した。
女官から手渡された蒼い玉のついたかんざしを、孟徳は目の高さまでかざした。
孟徳の周りで飲んでいた武将や客人たちが覗き込む。
「これを?彼女が?」
孟徳がそう問うと女官も心もとなげにうなずいた。「はい、渡せばわかるからと」
「なぞかけですか?」
「見かけによらず色っぽいですなあ!」
酔った男たちがはやす。孟徳はまんざらでもない様子でにやけ顔だ。
「いやいや、かわいいことをするなあ」
鼻の下が長くなった孟徳に皆が次々に言った。
「これはあれではございませんか?もう一つかんざしが欲しいというかわいらしいおねだりでは?」
「そうかな!?」
孟徳が嬉しそうに、そう言った武将をみた。
孟徳はおねだり大好きなのに花はなかなかしてくれないのだ。それでいつも孟徳が勝手に彼女に似合いそうなものを贈り、多すぎると花に怒られる。
かんざしなんて、欲しいのなら10本でも100本でも贈ろうではないか。
「あ、いや、これはそうではないと自分は思います。こうした場で飲んでいる丞相に自分の簪を届けさせたということは……」
「いうことは?」
「きっと、この場にいる酌や踊りの女たちに目を奪われないでねという嫉妬では?」
「嫉妬かあああああああ!」
孟徳はたまらん!というように破顔一笑だ。そんなことを思ってかんざしを渡そうとした花を想像すると、孟徳はいてもたってもいられなくなってきた。
君以外は見向きもしないのに!と孟徳が思わず立ち上がろうとしたとき、客人の武官が腕組をして静かに言った。
「違いますな」
「違う?」
「はい。これはかんざしです。これを取ったということは、つまり奥方様は結っていた髪をほどいたということ。つまりそれは……」
「……それは?」
「準備ができたという奥方様からの伝言ではないでしょうか」
「じゅ、準備って……」
「当然ながら」
ムフフフという顔で武官は孟徳を見た。奥方が夫に、夜、準備ができたと言えば決まっているではないか。
孟徳は、ゴホンと咳払いをすると、はやる心を抑えて立ち上がった。
何度も彼女と夜を共にしているが、まだ慣れないせいかいつも孟徳からで彼女は恥ずかしがるのだ。
その彼女からの初めて誘いとは……!
「宴もたけなわだが、俺はここで失礼する」
うきうきとスキップでもしそうな孟徳の様子に、取り囲んでいた武将や武官たちはにやにやとうなずいた。「もちろんですとも。どうぞごゆっくりと」
「では!」
孟徳はさっさと宴を辞して、足を彼女の部屋へとむけた。
宴に人がとられているせいか、城の長い廊下は人気があまりない。孟徳は駈け出したくなるのを我慢して花の部屋へと急ぐ。息せき切ってたどり着いた彼女の赤い扉の前で孟徳は咳払いをした。
「花ちゃん?」
中を覗くと真っ暗だ。
「……」
花は、遠慮でもしているのかいつも孟徳がわざわざ言わない限り孟徳の部屋に勝手に入ったりはしないから、今夜もこっちだと思ったのだが違うのだろうか?
「ま、いっか」
ここにいないのなら自分の部屋に行けばいいだけだ。
孟徳は反対方向にある自分の部屋へと向かった。
にぎやかな笑い声に音楽が風に乗って聞こえてくる。
宴の間の方へ行く分かれ道で孟徳はふとそちらを見た。
「今日はずいぶん皆飲んでるな」
何となくつぶやいて、孟徳は自分の部屋へと角を曲がる。その途端、思わぬ光景が目に飛び込んできた。
「……!」
必死に抗う青い服を着た女性と、のしかかるようにして壁に押し付けている男。
男の着ている服から今日の客人の連れてきた武官だとわかる。にやけた声やよろめくその足元からかなり酔っていることが見て取れた。
そして女の方は花だ。
孟徳の茶色の瞳が、すっときらめきを失い深い色になった。
黙ったまま男の背中に歩み寄ると、孟徳は男が腰からぶらさげている剣を後ろからすらりと抜いた。男は女を襲うことに夢中ですっかり警戒を忘れている。
孟徳は刃の先を男の首筋にあてた。
「そこまでだ」