【都督の初夜3】


  


チチチチ…という小鳥の鳴き声に、花はふと目を覚ました。
いや、目を覚ますと言っていいのかどうか……睡眠はほとんど取れていないと思う。いつ眠ったのか自分でもわからない。

……まさかの完徹……

がっくりと花は目を閉じる。

た、体力が違いすぎる。
あと、経験も。

昨夜は二人にとっての初夜だったのだが、花は初めて知る公瑾の姿に翻弄された一夜だった。
何もわからずカチンコチンになっている花を、年上の公瑾は優しく導いて……くれると思っていたのだが。
いや、優しかった。もちろん。痛いことなどなく(そりゃあ全くないというわけではないが)、花の表情や声、一挙手一投足を気にして、初めての花をとてもうまく導いてくれたのだと思う。
だが……
優しく導かれ初めての感覚にぐったりしているのは花だけで、花が落ち着くのを少し待つとすぐに公瑾は再開するのだ。花は鎮まりかけた後にまた、全身の毛孔が開くようなあの感覚を呼び起され、疲れなど感じる余裕がないくらいに再び快楽の海に放り出される。
我知らずこぼれていた声に喉がかれると、枕元に置いてあった冷たいお茶を公瑾が口移しで飲ませてくれる。
そしてまた。幾度も幾度も。
そんなことが繰り返されて、眠ったのか意識を失ったのかわからない状態が一晩中続いた。

ま、毎晩ああなのかな。
他の男の人を知らないけど、世の奥さんたちはみんなあんな風に旦那さんと夜を過ごしているのかな。だとしたらすごいな……

結婚という意味を、頭から考え直さなくてはいけない。
花は寝返りを打とうとして、体が信じられないほど重いのを感じて驚いた。睡眠不足で頭の中はもやがかかっているようにぼんやりするし、喉は痛くてカラカラだし、体中のあちこちが痛い。最悪の気分だ。
何とか寝返りを打つと、花の視界に隣で枕にうつぶせになって眠っている公瑾が入ってきた。
その途端、先ほどまでの不快な気分は消える。
これまでだって、矢傷の看病の時とかあの紅葉の時のハプニングの夜とか何度か寝顔は見たことがあるが、当然ながら公瑾にとっては寝慣れた寝台ではないので、どこか警戒を解いていない緊張したような寝顔だった。
だが今の彼はいつもどことなく感じていたピリピリしたところがなく、見たことがないくらいリラックスした寝顔だ。
実のところ、男としてこれまで必死に我慢してきたことがようやく解放されたからこその公瑾のリラックスだったのだが、花は気づいていない。

整った顔だなあ…と花がぼんやり公瑾の寝顔を眺めていると、長い睫がピクリとゆれる。そしてゆっくりとまぶたがあがった。
「……起きていたのですか」
寝起きの声は少しかすれてるんだ…と花は新鮮な気持ちで頷く。公瑾は腕枕をしていた腕を引き寄せるようにして花を抱き寄せ、オデコにキスをした。
「今日は城に行かなくてはいけません」
「……そうなんですか」
「もう少しで一段落つきますので、そうしたらしばらく休もうと思っています」
「そうなんですか?」
花が顔をあげると、公瑾はほほ笑んだ。
「ええ、あなたは私の領地にも言ったことがないでしょうし、それ以外にも……」

あなたに見せたいものがたくさんあります。あなたと一緒に見たいものが……と言いかけて公瑾は口をつぐんだ。
ようやく自分のものにした恋人に、自分は相当浮かれているらしいと苦笑する。だが、開き直ってこの幸せを楽しむのも悪くはないだろう。公瑾は起き上がると、軽く衣を羽織って帯を締めた。
「城へ行く前に風呂を使うつもりです。昨夜は断られてしまいましたが、今朝は一緒にはいりましょう」
「はい……って、ええ!?」
あわてて寝台の反対側に逃げようとする花の体を、公瑾はがっちりと抱きしめた。
「昨夜一晩で汗もかきましたし、さっぱりしたくはないですか?」
そしてそのまま抱き上げる。
「さっぱりはしたいですけどっ!一緒じゃなくて大丈夫です!」
「私がだいじょうぶではないのですよ。どうやらあなたに触れていないと病気になる体になってしまったようです。城に行っている間離れていても大丈夫なように、今から責任を取っていただかなくては」
あばれる花を抱き上げたまま彼女に衣をかけると、公瑾はそのまま風呂へと向かった。
召使たちが頭を下げて挨拶をするなかを公瑾は花を抱いたまま通り過ぎる。途中でこれはどうあがいても逃げられないと悟った花は、公瑾に抱かれたままおとなしくなった。
「……公瑾さんは、元気ですね」
公瑾だってほとんど寝てないだろうに、と花がジト目で言うと、公瑾は笑った。
「男とはそういうものですよ」

そして当然ながら風呂でも花はおいしくいただかれ、公瑾が城に行った後午前中いっぱい、寝台の上でぐったりと眠り込んでいたのだった。




城の執務室。
公瑾はイラついていた。
昨夜新妻に散々満足させてもらったというのに、今度は別のいらつきだ。
先ほどからこそこそと顔をだしてはひっこめ、裏で何かを話していたと思ったらまた顔をだしている小喬と大喬にだ。
もちろんこんなことでは呉の大都督の集中力は途切れない。仕事はサクサクこなしてはいるのだがどうにもこうにもうっとうしい。
公瑾はとうとう手に持っていた筆をおくと、つかつかと扉へと歩いた。
「……なんですか。用があるのならさっさと話してください」
廊下にでて、たぶん小喬と大喬が潜んでいると思われる角の方向に向かってそういうと、案の定二人がでてきた。
「……」
腕を組んで話を聞く体勢の公瑾に、まず大喬が口を開いた。
「……あの子は?」
「私の屋敷ですよ」
「そうじゃなくて、大丈夫なの?」
公瑾は首を傾げた。
「大丈夫、とは?」
「だーかーらー!公瑾がひどいことしてないかって聞いてるの!」
「それは心外ですね。娶った妻になぜ私がひどいことをしていると思われるのですか?」
「だって……だって、花ちゃんお酒に酔って気分が悪いのに、無理やり妻の務めを果たさせたんでしょ?」
「はあ?」
公瑾は再度首を傾げた。何を言っているのかさっぱりだ。詳しく説明してもらおうをと思っているところに、後ろから声がかかる。
「おや、こんなところで何をやっているのですか」
呉夫人だ。隣に尚香もいる。
「公瑾、あなたは妻を迎えたばかりではなかったですか?仲謀から休んでいいといわれているのでしょう?こんなところで何をしているのです」
「まだ片付いていない仕事がありましたので……」
公瑾が言い訳をすると、呉夫人は首を横に振った。
「早く帰りなさい。独身の時のつもりでいてはいけませんよ。ああ、それと」
呉夫人は意味ありげににっこりとほほ笑んだ。
「尚香から聞きました。惚れた女に夢中になるのは世の男の常ではありますが、あまり無理をさせるものではありません。だいたい酒に酔っている女性に無理矢理…というのはいただけませんね」
公瑾は、微妙な気持ちになった。
「……まさかとは思いますが、そのお話は……」
「お前たち夫婦の夜の話ですよ」

やっぱり……

公瑾はずきずきと頭痛がしてくるような気がした。
「夫人、お気持ちは嬉しいのですがそのご忠告は的外れです。私は彼女に無理などさせておりません」
次々にあがる非難の言葉に、公瑾は最初の夜にあった顛末を説明した。なぜこんなところで女性たちに申し開きをしなくてはいけないのかわからないが、彼女たちも花のことを心配しているのだ。夫としての説明責任がある……ような気がする。

「……というわけで、酔った彼女からいろいろ聞いたことが『生涯の思い出になるような得難いもの』なのですよ。意識のない女性に無体をしたわけではありません」
公瑾が説明すると、皆なーんだというような顔で肩の力を抜いた。
……大喬と小喬からは小さく「つまんない」「ねー」と聞こえた気がするが。
尚香が安心したようにほほ笑む。
「公瑾がひどいことをしてないようでほっとしました」
呉夫人もほほ笑みながらうなずいた。
「そうね。それに、この様子なら私が公瑾をあの娘の赤ん坊を抱かせてもらうのもそう遠くはないわね。……そうなのでしょう?」
またもや意味ありげに横目で見られて、公瑾は言葉につまる。

誰か……誰か助けてくれないか、この城には自分以外男はいないのかと周囲を見渡すが、いつもは神出鬼没の子敬すらも姿を見せない。
「そ、そう、です、ね……」
公瑾があいまいに頷くと、同意ととったのか呉夫人の余計なアドバイスが滔々と続いてしまった。
「いいですか?特にあの娘はまだ全体的に幼く、腰も細い。おまえのペースでつきあわせてはつらいでしょう。夜のことも最初はゆっくりがいいですね。おまえの年齢では辛いかもしれないですが、あまりがつがつしないように。何もせずに一緒に寝台で眠るだけの夜も必要ですよ。あと、初めては辛いものです。一か月はあの娘の痛みに気遣ってやりながら回数は少なめになさい。一晩に何度も、なんて自分勝手な行為はお話になりませんよ。最初に嫌なイメージを持ってしまうと、その後もつらいものです。そのうちに行為だけではなく夫のこともいやりなり、夜が来ると気が重くなるという奥方の話も聞きます。くれぐれもお前のペースではなくあの娘のペースに合わせてあげるように」
その後も延々と続く呉夫人の生々しくも具体的なアドバイスを聞きながら、公瑾はだんだんと青ざめていくのが自分でもわかった。

……まずい。
昨夜のアレは、呉夫人の言う『女性の気持ちと体を考えた新婚の閨』とは真逆だった気が……

「公瑾、聞いているのですか?男と女ではもともとの体のつくりが違うのです。そもそもお前は日々体を鍛えていますがあの娘は、筋肉?どこにあるのですか?というくらい細いではないですか。どうやって育ったのか知りませんが、深窓の令嬢でも今時分の女ならもう少したくましいものです。だからおまえの思うが儘の情熱をぶつけても受け止められるような状態ではありません。手加減に手加減を重ねてやらねば、辛くなるのはあの娘ですよ」
大喬と小喬が合いの手を入れるように同調する。
「そーだよー。どうせ自分勝手にがつがつ行ったんじゃないの?」
「今日だってそばにいてあげるわけでもなく用がすんだら仕事!って感じで城に来ちゃってさあ。冷たいよ。実家に帰られちゃうよ」
尚香が首を傾げる。
「実家?といっても花さんには実家なんて……」
「玄徳殿のところがあるじゃないですか。とても懐の深い御人だそうですから、あの娘がこの呉で辛い目にあっているとなれば喜んで迎えてくれるでしょう」
「それは確かにそうかもしれませんね……。前に二人で話しているのを見ましたが、ことのほか仲がいい感じでしたし」
好き勝手言われていた公瑾は、両手をあげて女性たちの文句をせき止めた。
「……心配してくださるのはたいへんうれしいのですが、ご心配いただかなくとも大丈夫です。我々はとてもうまくいっていますので」
公瑾はそういうと、すたすたと執務室に入りバタンと扉を閉めた。
外から「なにー?感じ悪ーい!」「まあ、二人の問題なのですし、そっとしておいた方がいいかもしれませんね」「そんなこと言ってたら公瑾は調子に乗るよー?」などという文句がきこえてきたが、じっと耐える。
ようやく静かになり、さらにもう少し待った後、公瑾はそっと部屋を出た。

行先は当然ながら花のいる自邸だ。




つづく