【次の朝】

※大人向けの内容があります。苦手な方、18歳未満の方は閲覧をご遠慮ください。

























 夢をみたような気がする。
私はゆっくり目をあけた。
早い春のすっきりとした空気の中で、今はすっかり見慣れた天井が目に入る。
夢の内容を思い出そうと考えながら横に目をやると、愛しい人の寝顔があった。
「総司さん……」
よく眠っている。
茶色がかったさらさらとした髪が額にかかっていた。
髪と同じ色のまつげが、頬の上に長い影をおとしている。

 私は昨日のことを思い出した。
昨日突然、総司さんが婚姻を結ぼうと言い出し、春の草原の中で将来を誓い合ったこと、大きな、繊細な指で花冠を編んでくれたこと。
そして私の欠けた部分、家族になろうとしてくれたこと…。
深く、深く、私の幸せを考えてくれている総司さんに私の心は満たされた。

 暖かい思いを胸にかかえながら、彼を起こさないようにそっと起き上がる。
総司さんの肩をくるむように布団をかけなおす。
春とはいえ、朝はまだ少し寒いし、総司さんの胸の病について考えると風邪一つが命取りになるかもしれない。
布団から抜け出すと、朝のしたくと朝餉の準備をしに井戸へとむかった。

 今日もよく晴れそうな空模様だ。裏庭の緑が春を告げるように淡い若葉の色につつまれている。
ここは人里からかなり離れているから、鳥たちの声以外には何も聞こえない、静かな朝だった。
空気も、水も清涼で、命をかけて、体の限界を超えてまでしなくてはいけないことは何も起こらない。

 水が入った桶をたらいに移しているときに、ふと水に映った自分の顔が目に入った。
それは自分でも戸惑うほど幸せそうな顔をしていて、その原因に思いをはせて私は思わず頬が赤くなった。
いろいろと昨夜のことを思い出して立ち尽くしてしまう。

 彼はいつもとても素敵だけれど、昨夜は、なんというか……とても情熱的だった。
これまでは、私を壊れ物でも扱うようにそっとやさしく抱いてくれていた。
でも、彼は自分をとても抑えていたのだ。
昨日の求婚の中でも、もっとわがままになる、もっと甘えると言っていたけれど、彼なりにこれまで我慢してきたのかなと思うと思わず笑みがもれた。
 ちょっと乱暴な、感情全部をぶつけるような……。
そういえばこれは彼の剣にも通じる。普段はにこやかで何を考えているかわからない笑顔をいつもうかべているけれど、一度たががはずれると迷いのない、容赦のない、乱暴な、感情全部をぶつけるような剣をふるう。
 きっと彼のなかにはその二つが同居しているんだ……。
意地悪で陽気で、気を許した人には甘えんぼで我侭で……、でもその奥にはきっと激しい何かがうずまいている。
 昨夜はその欠片を少し見ることができた気がする…。

 たらいの水に映った自分の顔を、見るともなしに眺めながら、そんなことに思いをはせていると、自分の顔の横に総司さんの顔がひょいと映った。
 「おはよ、千鶴」
ふりむくと、総司さんが起きてきていた。
 「あ、お、おはようご、ざいます……」
ちょうど考えていたその人が突然現れたので、びっくりしてどもってしまう。
いつもの癖で、顔を眺めながら総司さんの体調を確認する。
熱はなさそう。けだるげな感じもないし、寝汗も大丈夫。顔色もいいし…。
そして、彼の目は…、きれいな緑色の目はとても澄んでいた。
さっき、私がたらいの水でみた自分の顔にあった、幸せそうな、満足そうな満腹した猫みたいな笑みがうかんでいる。
その理由を、自分に重ねて想像したとたん、顔が真っ赤になるのがわかった。
こういうのを、幸せっていうんだろうけど、朝の光のなかで面とむかっていると、恥ずかしくていたたまれない感じ。

 「どうしたの? なんで真っ赤になってるのさ?」
例のからかうような感じで総司さんが尋ねる。
恥ずかしくて、目が見られず地面に視線をおとすと、長い指が私のあごにかかり、そっと上をむかせた。
 「体は、大丈夫?」
声音はあいかわらずからかうようなものだったけど、その瞳の奥には真剣な光があり、思わず質問の意味を考え込んだ。
 羅刹の血はずいぶんうすらいでるし、私は体調は別に悪くは……。、
そこまで考えて、彼の意図することに気が付いた。再び顔が真っ赤になるのが自分でもわかる。
「だ、だいじょう、ぶ、です……」
「そう? よかった。あんなふうな……ことは初めてだったから。痛い思いをさせたんじゃないかと思って」
「ど、どこも痛くありません」
それを聞くと、彼はにっこり微笑んで、私のあごにあてていた手を離した。
「おはよう。奥さん」

 彼のいたずらっぽい声を聞いて、そうか、昨日からもう夫婦なんだと思いいたった。
「おはようございます。えーっと……、だ、だんな様?」
こ、これもそうとう気恥ずかしい。でも胸の奥からぷつぷつとはじけるような、笑い声があふれてくるのがわかった。

 だんな様、か……。

 二人で一緒に生きていくこと、共に運命にむかっていくこと、これから起こること全ては二人の問題になること、
どんな時でも自分の味方になってくれる人がいること……。
すべてが詰まっているような言葉。
一人じゃないんだ、支えられている、そして支えてあげたい人がいるということを感じさせてくれる言葉だった。
 総司さんの顔をみると、彼もとても幸せそうな、満足そうな顔をしていた。
新選組で命のやりとりをしていたころには、考えもしなかったことに違いない。

 「新選組にいたときには考えもしなかったな」
同じ台詞にびっくりして、総司さんの目を見上げる。
笑みを含んだ穏やかな緑の目は、私を見つめていた。
 「君と夫婦になる、ってこと以前に、自分が安定した関係を女性と結ぶってこと。考えもしなかった」
そして私をそっと抱き寄せた。広い胸と細いけれどがっしりとした腕につつまれる。
幾人もの命を奪ってきた総司さんの腕…。それも今は私の肩にまわされ愛を伝えてくれている。
 「そして、それがこんなに幸せだってこともね。ほんとうに、ほんとうに君に会えて、君を好きになることができて、君が好きになってくれて、よかった」

 私は、彼の肩に顔をうずめた。
今では慣れ親しんだ彼の匂いに包まれる。

 私もそうして、彼と初めて出会った頃に思いをはせた。
最初はとても怖い人だと思っていた。今も多分……怖い人なんだろうけれど。
でも、今は怖くてもいい、と思える。
それほど好きになってしまっていた。
例え沖田さんに殺されるとしても、それが彼の幸せにつながるのなら…、きっと私は自分から殺されるだろう。

 「沖…総司さんが幸せだと思ってくれていて、嬉しい、です…」
新選組の話がでたので、思わず昔呼んでいた呼び方をしてしまい、あわてて言い直す。
ずっとずっと背中を追い続けて呼び続けていた名前…。振り向いてくれた今でも、つい呼んでしまう。
総司さんは優しい声で続けた。
「自分のなかに、こんな…ものが、思いっていうのかな…、そんなものがあるとは知らなかった。多分君じゃなきゃ、一生知らないままだったと思う」
彼の指がそっと私の頬にふれ、上を向くよう促す。
そしてやさしく唇が重ねられた。
唇で、舌で、会話しているような口付けが、長く長く続いた。

 長い口付けで頭がぼんやりしてきた時、ようやく唇が離れた。
焦点がなかなかあわない目で総司さんの瞳をみつめていると、彼の瞳の奥が熱くざわめくようにひかり、だんだんと緑の色が濃くなってきた。
 
 この表情は、何度も昨夜見たものだ。
「そ、総司さん……!!だ、だめ……!」
言いかけた途中で、軽々と抱き上げられ、足が中に浮いた。
総司さんはまるで聞こえていないように、決然とした顔で、家の中に私を抱いたまま入って行く。
 「だめです…!あ、朝ですよ!?とっても明るいし、そんなこと…!」
総司さんの行為に驚いて声が裏返ってしまう。
抱き上げられたまま手足をじたばた動かすと、総司さんは歩きにくそうにした。
「そんなにあばれないで、千鶴」
「あ、あばれます!誰かきたらどうするんですか…!降ろしてください」
「誰も来やしないよ、こんな朝から」
「あ、朝ごはんの準備をしなきゃ……!」
「朝ごはんより、こっちの方がおいしそうだし」

 それでも沖田さんは、寝所にむかうのはあきらめて、私を土間の茶箪笥の上に腰かけるようにおろしてくれた。
彼の顔とちょうど同じくらいの高さになる。
あきらめてくれたのかと、ほっとしたのもつかの間、すぐに彼のたくましい腰が私の両足を割って入ってきた。
着物のすそが大きくはだけ、私の足がむきだしになる。
「ちょっ、なにするんですか!沖田さん!ここ、ど、土間ですよ!」
思わず悲鳴をあげ、私は手で彼を押しのけようと、広い肩をおしたけれどびくともしない。

 「ほら、大丈夫だから、大人しくして」
「で、できません!きゃあ!だ、だめです!沖田さん!」
はだけた私の太ももの上に、沖田さんが手をすべらしたので、私は思わずはたいてしまった。
もう一方の手で、私の着物のあわせにすべりこもうとしている手を払う。
沖田さんは、軽くため息をついて、私の両手首をつかんで、私の頭の上で軽々と片手でおさえつけた。
「総司、だよ」
唇を近づけながら言う。
「あ、ごめ…、総司さ…!」
私の言葉は彼の唇にふさがれた。
私の腕の自由がきかないことをいいことに彼は口付けを深め、それと同時にたくましい腰を強く押し付けてきた。

 食べられてしまうような口付けだった。
彼の嵐のような口付けに思わず小さな声をあげてしまうが、それも彼に飲み込まれてしまう。
気づくと私は、すっかり抵抗する理由も気力もなくして、彼の嵐にまかれるまま口付けに応えていた。
抵抗が弱まったのをみて総司さんは、私の腕をそっと離し、目を覗き込ん聞いてきた。
 「ほんとうに、いや?  君がほんとうに嫌ならやめるよ」
彼の目は野生動物のように鈍くひかり、緑色は深く深く闇のように黒く変化していた。
私はその瞳に、まるで催眠術にかかったようにとらわれていて頭がまったく働らかなかった。
言えることは今頭の中にある、一言だけ…。
 「やめないで……」

 総司さんの瞳がひかり、無言のまままたむさぼるように口付けてきた。
彼の唇は、私の口からはなれ、うなじ、耳、とせわしなく動く。
まるで口付けてない場所をどこもなくしてしまうかのように、あらゆるところを動きまわる。
そして彼の手は、一方は私の胸をつつみ、もう一方は脚の奥へと伸びていく。

 私はもう何も考えられなかった。さっきの彼の瞳、濃い、緑の、強い光の瞳…。
きっと彼に切られて命を絶った人たちも最後にあの瞳をみたに違いない。
殺すことと愛することは彼にとって似ているのだろうか…。
そんなとりとめもないことが頭をめぐっていた。

 「千鶴、僕を見て」
総司さんの、荒い息をおさえた押し殺した声が聞こえる。
私は閉じていた目をゆっくりとあけた。
自分の頬が紅潮し、目がうつろになっているのがわかる。

 彼の声と同時に彼がゆっくりと入ってきた。
「君の足を、僕に、からませて…」
押し殺した声で彼がつぶやく。
私はまるであやつり人形になったかのように従順に彼のたくましい腰に脚をまわした。
その途端、彼が私の腰を強く押しつけ、私は思わず目を閉じ、小さな声をあげた。
「あっ……」
「千鶴、目をあけて、僕を見てて……。 君の前にいるのが僕だって、いつも見つめていて」
彼はいつも、こう言う。
不安なのかしら、と思うことがある。
でも何故?
彼以外の誰も私には見えていないのに。彼しか見えないのに…。
彼は何が不安なのだろう…。

 そんな思考もだんだん早まってくる動悸におされて、散り散りになり、もう何も考えられなくなる。
それでも彼の瞳を見つめる。
彼の表情を見つめ続ける。
彼の瞳も私の目をとらえつづけ、彼の動き一つで、波に押し上げられたり、急降下したりする私の表情を見つめていた。

 最後の時が訪れ、彼の肩ががっくりと落ち、私を抱きしめてきた。
私は体のどこにも力が入らず、まるで溶けてしまうかのように彼の腕の中に崩れ落ちた。
耳の後ろで彼の荒い息が聞こえる。肩にまわされた、たくましい腕が汗ばんでいるのを感じる。
繊細な長い指が私の髪をゆっくりとなでていた。
体の奥がまだしびれている。

 


 だんだん落ち着いてくるとともに背中に壁の冷たさを感じるようになってきた。
お尻の下も硬くて冷たい。

 そうだ……。私たち、というか私は…茶箪笥の上で……。
 
 先刻の自分たちを想像すると、頬が赤くなるのを感じた。
私の体がこわばったのがわかったのか、総司さんが体を離して、顔を覗き込んできた。
「どうしたの?大丈夫? どこか痛くした…?」
その気遣わしげな表情と、心配そうな瞳の色を見た途端、暖かいものが心をつつんだ。
「いいえ、どこも、痛くありません」
ほっとした色が彼の瞳に浮かぶ。
 「でも、そろそろ、あの、降りないと……」
総司さんは、そう言われて初めて気が付いたように、自分たちを見下ろし、周りを見渡した。

 「そうだね。 まったく……。君ときたら、朝っぱらからこんなとこで僕を誘惑するなんて…」
「なっっ!なにをっっ!!」
怒りのあまりどもってしまい、口をパクパクさせている私をみて、総司さんは、笑い出した。
「くっ!あははははっ!冗談だよ。冗談!」
「も、もう……!」
総司さんは私の腰をつかみそっと茶箪笥から降ろしてくれた。
私は立とうとしたけれど、足に力がはいらず、よろけてしまう。
「おっと!」
総司さんはそんな私の腕を持ち、支えてくれた。
そしてそのまま動こうとせず私を見つめている。
いつものきれいな緑色に戻っている、謎めいた緑の瞳……。
どうしたのかと思って、私が口を開こうとすると、総司さんが言った。
 「好きだよ、千鶴」
そのしみじみとした、寂しげな口調が、なぜか胸の奥の柔らかい所を打ち、私は何も返せなくなってしまった。

 彼はいつも甘えんぼで私に我侭ばかり言って困らせるけれど、時々こんな風に、私が触ることのできない孤独な部分をみせる。自分に対する評価の低さなのか、私が総司さんのことを好きなことも、たまたま拾った幸運で、いつとりあげられるかわからない、そして、それは当然だと考えているようなところがある。
どうすればその不安を拭い取ってあげられるのか、自分には剣で人を殺すこと以外にも価値はあるのだと思わせてあげられのか、私にはわからなかった。
だから私が唯一できることをした。
 「私も、大好きです。総司さん」
総司さんは、その後も何を考えているのかわからない瞳で私をじっとみつめていた。
私もうまく言葉にして総司さんを包んであげることのできない自分をもどかしく思いながらも、思いをこめて総司さんを見つめ返す。

 「さて、お腹減ったね」
気分をかえるかのように、総司さんが明るい声で言った。
「わたしは作ろうとしてたのに……。すぐ作りますね」
「その前に、着物をもう一度着なおさないと、千鶴。そんな格好でご飯をつくっていると、また襲われちゃうよ」
総司さんのいたずらっぽい声で、自分を見下ろしてみると、前が全てはだけてしまっていた。
「き、着替えてきます!」
前を手であわせながら、着替えのある部屋に行こうをすると、また総司さんのからかうような声が聞こえてきた。
「ここで着替えればいいのに。着替え、手伝ってあげるよ?」
「い、いりません!」
私が大声でいうと、総司さんのほがらかな笑い声が聞こえてきた。
私は顔を赤くしながらも、ほのぼのとした幸せを感じながら、着替をした。
私の存在が、総司さんの助けになるのだとしたら、笑顔をつくることができるのだとしたら、私はいつまでも彼のそばにいて、彼をとても大事に思っていることを伝えよう。
伝え続けることで、いつか彼の胸の奥底にある不安を取り除くことができるかもしれない。

 彼の残りの時間についての覚悟は、一応できているつもりではある。
それが少ないことを嘆げいたり、彼がいなくなること、いなくなった後のことを悲しむのはやめようと思っている。
私のことよりも、彼が、幸せに、生ききることが、私にとって一番大事なこと。
そのためにはなんでもしようと決めている。

 庭にでた総司さんが、咳をしているのが聞こえる。
咳き込む回数や度合いはかなり減っているけれど、まだたまに発作のように咳き込むことがある。
私は現実に引き戻され、胸が痛くなるけれど、でも決して暗い顔や心配している顔を彼に見せないよう、気持ちを引き締めて前をみた。

 私より総司さんの方がつらい思いをたくさんしている。
私のつらさや寂しさ、不安を総司さんに背負わせることだけは嫌だった。

 「よし!」
私は頬をぱんっと軽くたたき、朝の光が射す庭にたたずむ、長身の、愛しい人のところに歩き出した。




【終】    あとがき 
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