【さいごのひとひら】
お久しぶりです!絵描きさんのこがわさん(user/6992356)の絵に、小説をつけさせていただきました。
こがわさんの素敵絵はこちら → illust/80592380
こがわさん、お忙しいのにありがとうございます。
SSで一話完結。総司の最期と随想録の手紙の間の補完的なお話になっています。総司の死ネタですので苦手な方はご注意ください。




桶に汲んだ水の上に、何かがひらひらと舞いおりて、きれいな波紋をつくった。
総司はそれをつまむと、風に飛ばされないよう春の青空にかざす。

桜だ。

そういえば沢の方にある桜の若木がもうそろそろ咲きそうだった。昨日から急にこの東北でも暖かくなったから、きっと一気に満開になったのだろう。

遠くで、ちちちちっと小鳥の泣き声が聞こえるのどかな昼下がり。総司は桶から瓶へと水を移し、再度水を汲む。
千鶴と住み着いた雪村の里のこの家の後ろには、山頂からの雪解け水が小川をつくり流れている。そこから生活に使う水を家の土間にある瓶に汲むのは、総司の仕事だった。

桜はきれいだけど、あの子っていう感じじゃないな。あの子はもっと…なんていうのか、強い感じ。
色もはっきりしていて一輪で存在感がある花って感じ。

去年の秋に、桔梗の花を髪にさしてあげたことを思い出して、総司はほほ笑んだ。
かわいい僕のお嫁さんと桜でも見に行こうか……

水を汲み終わり腰を伸ばしたとき、そのかわいいお嫁さんの声がした。

「総司さん!」

かなり怒った声だ。総司は桶をおいて声の方を見る
「総司さん!なんですか、これ!!!」
スパーン!と板戸を開けて、千鶴が裏庭に続く戸から乗り込んできた。

千鶴の肩の向こうに見えた散らかった物置。
千鶴の手でぐしゃっと握りつぶされている油紙。

それを一瞥で見て、総司は大きなため息をついた。「なんだ、見つけちゃったの」
「なんだじゃないです!」
そう言って千鶴が手のひらにあるものをぐいっと見せてきた。小さな白い手の中にあったのは、油紙に包まれたお金だ。
「ご、ご、5両もありました!!!」
差し出す千鶴の手がぷるぷると震えている。総司は茶色の柔らかな髪をかき上げると、またため息をついた。
「だからさあ、心配でしょ?僕が死んだあとの君がさ。すこしでも助けになればって」
千鶴はフン!と鼻から息をだした。
「一緒に入ってた手紙に、そんなようなことがかいてありました。総司さんのお姉さんに頼れとかお姉さんたちへの手紙とか」
吐き捨てるように言う千鶴の表情は、嫁のその後を考えている優しい旦那へのそれではない。
「そこまで読んじゃったの。結構念入りに隠したつもりだったんだけどなあ」
「物置の中に置いてある長持の蓋の裏にはりつけてありました」
通常の片付けや掃除で見る場所ではない。
「探したんです」千鶴は悪びれもせず言う。
「僕が死んだあと見つけてくれればって思ったんだけど」
「総司さんが死ぬ前に、私が死にます!飢え死にで!」
千鶴がダン!と足を踏み鳴らし、総司はビジッと気をつけをした。
「家計が苦しいって何度も言いましたよね?裏で畑を作って野菜を買わなくていいようにしたり、小川で魚の罠を作ったり……」
「ああ、あれ!面白かったよね、君がビクの中に入ってた魚をつかもうとしたらさ…」「今はその話じゃないです!」
千鶴にぴしゃりと言われ、総司は「はい」と口をつぐんだ。
千鶴の刺すような目が総司をその場にくぎ付けにする。

「……今年の冬は本当にたいへんでした」
「はい」
「温かい布団や着物の数が少なくて総司さんによく風邪をひかせてしまったし、その薬も買えませんでした」
「すぐ熱をだしちゃってごめんね」
「総司さんが悪いわけじゃないのでそこはあやまらなくていいです。でも、その時に何度も聞きましたよね?新選組でもらっていたお給料、残りはもうないんですかって」
「江戸での療養やここまでくる路銀や、ここでの生活を軌道に乗せるのに使っちゃったんだよね」
「ここにあるじゃないですか!!!五両も!」
千鶴の頭から角が生えているのが見えるのは気のせいだろうか。
「ごめんね。それが本当に最後なんだ。千鶴に自分のために使ってほしくて、頑張って取っておいたんだよ」
とっておきの憂いを含んだ笑顔で総司は言ったが、千鶴はごまかされなかった。
「ほかにもう隠していないんですか?」
「ほんとうにほんと。それで最後だよ。僕が千鶴にこれまで嘘を言ったことあった?」
千鶴はギロリと総司をにらんだ。
「これで四回目です。」
「あれ、そうだっけ」
総司はさらっと流す。
「最初は三両と私宛の手紙がかまどの後ろに。二回目は天井板の上に二両。三回目なんて台所の柱に貼ってあるお札の後ろに隠してあったんですよ!?」
「一両と姉さんへの手紙だよね。それを見つける千鶴もすごいんだけど」
「もう観念して全部だしてください」
総司は肩をすくめてにっこりとほほ笑んだ。「今度はほんと。ほんとにそれが最後だよ」
疑わしそうに総司を見ている千鶴を、総司はくるりと戸の方へ向けた。
「ほら、さっそく買いに行きたいものがあるんでしょ?行って来たら?この前に里でいろいろとものほしそうにしてたじゃない」

帰ってきた千鶴は、総司が想像したとおりの物を買ってきていた。
総司の薬。総司の布団。総司の冬用の厚手の着物まである。
「総司さん、これどうですか?」
千鶴が見せたのは、男物の浴衣だった。「ここの夏は短いですけど結構暑いですもんね。そんな時にいいかなって」
緑の涼しそうな浴衣だった。
「ああ、いいんじゃない?ありがとう。君のは?」
「また今度買います。まだお金はあまりがあるので」
そう言って千鶴は買わないのだ。わかってる。総司はほほ笑んだまま何も言わなかった。
「それからこれです。大陸の、よく効く薬草なんですって」
そう言って、水と一緒に総司へ差し出す。
総司は大人しくそれを飲んだ。
「大丈夫ですか?ちょっと苦いかもしれないってお医者様はおっしゃってたんですが」
「うん。苦いけど大丈夫だよ」

嘘だ。
また嘘。これが本当に最後の嘘かな、と総司は苦笑いをした。
もう2,3日前から味を感じなくなっていた。匂いも、温度を感じるのも鈍い。
変若水の影響で見た目には表れていないようだが、自分では死期がわかっていた。
あと少し。あと本当に少しだけだ。
命の残り火を必死に燃やしている。
きっと今年の夏は迎えられないだろう。総司はそれを千鶴に言う気はなかった。でも、自分が死んだあとの千鶴の生活を考えると、総司のものばかり買い込む千鶴を止めたかったのだけれど。

まあでも、一度も着てなければ、返せばお金も返してくれるかな。

総司はどこか他人事のように肩をすくめた。
死ぬ覚悟は京にいる時からできていた。ただ残していく千鶴の事だけが気がかりだ。

「夜ご飯も、今日は卵がありますよ。あとお酒もちょっとだけ」
そう言ってうきうきと夕飯の準備をしようとする千鶴の肩に、総司は腕を回した。「ちょっと待って」
抱いた細い肩に、総司の胸は痛む。
幸せに、幸せに、何も心配せずに生きて行けるようにしてあげたかったけれど。
しかしもう総司にはわかっている。
この子は強い。僕を支えて、亡くして、それでも一人で生きていける。昔の自分は、知らず知らずに千鶴のそんなところに惹かれたのだろう。
「君が作ってくれる夕飯も楽しみだけど、」
そう言って、一緒に戸外でる。柔らかい春の午後の長い日差しが、冷え切った総司の体を暖かく受け止めた。
「あっちの沢のさ、ほら、あの桜の木。きっと今日満開だから見に行こうよ。去年も一緒にみたでしょ、今年も千鶴とお花見したいな」


千鶴の膝枕で桜の下の柔らかい草の上に横たわる。
見上げると千鶴の微笑み、その向こうに舞い落ちてくるたくさんの花びら、桜の花に、青空。
総司はひらひらと舞い落ちてくる桜の花びらをつかむと、千鶴に見せた。
「そういえば、京でおいしい饅頭屋さんがあったよね、上に桜の花の塩漬けが乗ってるやつ」
「ああ、ありましたね!とってもおいしかったです」
総司は思い出して吹き出した。
「君さ、僕がみんなへのつもりで渡した饅頭、一人で全部食べちゃったよね。あれってあの桜の饅頭じゃなかったっけ?」
千鶴も思い出したようで笑い出した。
「そうです、それです。私、自分一人で食べなきゃって思って、食べても食べてもなくならなくて。あの時、私は総司さんがとても怖かったし、必死で食べました。あれからしばらくあんこが食べられなくなったんです」
「いくつあったっけ、10個?20個?」「20個くらいあったような気がします」
ひとしきり笑った後、千鶴が言った。
「お花を見ながら皆さんで宴会したこともありましたよね」
「あったねえ」
新選組がどんどん大きくなって羽振りがよかった頃だ。そこから頂点へ達し、転がるように落ちて行った。
その間も桜は毎年咲いていた。
ひとしきり京での桜の思い出を話した後、総司は言った。
「僕はさ、君が京に来た後からしか知らないから、僕に会うまでの話を聞かせてくれない?子どもの時に花見とかはした?」
「そうですね……。父は忙しかったのでこんな風に二人でゆっくり桜をみることはなかったです。道場へ通う途中に咲いてる桜を眺めたり、桜餅を食べたり……」
吹き出した総司に、千鶴がむくれる。「食べてばっかりっていうわけじゃないんですよ。うちの近くに有名な桜餅のお店があったんです。父がそれを好きで……」


ああ、思い出が。
思い出が、降り積もる。
桜の花びらの数ほどの、たくさんの、たくさんの思い出。
千鶴だけの、僕だけの、そして二人の。

降り積もる。思い出が重なっていく。時間。生きた証。

もう視野が暗くなって何も見えない。
でも千鶴の優しい声と、ひらひらと舞い落ちるいくつもの桜の花びらは心の中で見えていた。
その1枚1枚に、必死に生きてきた思い出が映る。
あれは小さなころの千鶴。空から降ってくるきらきらした花びらを小さな手で必死に捕まえようと走っている。
あっちは家族から離され近藤さんの道場に預けられて泣いている僕。
京に上り千鶴に出会い……

最後の1枚は……
総司はふと笑った。
千鶴が怒っている。文机の中に隠した最後の手紙を見つけて、怒って泣いている。

ああ、これは未来だ。

自分が死んだ後の千鶴のためを思って隠しておいたお金は、千鶴にすべて見つけられてしまった。でもあと一つ、最初の頃に隠したあの手紙。あれは意外にもまだまだ見つかっていないはず。それを見つけた時の千鶴だろう。
怒って、ほほ笑んで、泣いている忙しい千鶴を見て、総司もほほ笑んだ。
君を見て、ほほ笑んだまま死んでいけるなんて。

こんな幸せのままに自分は死んでいいのだろうか。

あんなにたくさんの人を殺してきた自分が。
殺してきた男たちにも、舞い散る花びらの数だけ思い出があり大切な人がいたはずだ。
それをすべて暴力的に断ち切った自分が、こんなに幸せに死んでいいのか……?

遠のいていく意識の中ちらりと不安がよぎった時に、どこか遠くで声が聞こえた。


いいんです。

総司さんは一生懸命生きたんです。
だから、いいんですよ。


総司の閉じた瞼の上に、何かあたたかなものがしたたった。

私だけが知っています。だってずっと背中を追いかけていたから。
総司さんがどれだけ真剣に駆け抜けてきたのか、私だけが知ってるんです。
一緒に隣を駆けれて、幸せでした。




ゆっくりと薄暗くなっていく春の空の下、舞い落ちる桜の吹雪はやみそうにない。

降り積もる思い出は総司を暖かく包み、全てを覆いつくしていく。





【終】

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