【祈り 2】
僕が、その中に彼女を押し倒すと、彼女はようやく僕の意図に気が付いたようで、抵抗を始めた。
「そ、総司さん!また……!駄目です!まだ昼間だし、さっき男の子が帰ったばかりで……!総司さん!」
僕が彼女の抵抗を無視して、脚で乱暴に彼女の膝を割ると、彼女は悲鳴のような声で、僕の名を呼んだ。
彼女の準備ができていないのも、これまでしたことのないような乱暴な僕の仕草に驚いているのもわかっていたけど、頭の中が真っ赤になり、僕は突き進んだ。
もっと、もっと、彼女が欲しい、欲しい、という強い感情が、狂ったように僕の頭の中で激しく渦巻く。
その渦に巻かれて、理性の糸がぷつりと切れた。
「抗わないで……!僕を、僕を受け入れて……!」
僕が震える声で、押し出すように言うと、彼女はびっくりしたように抵抗を止めた。
それを逃さず、僕は思いを遂げた。
耳に聞こえる彼女の苦痛を表す小さな声すら逃したくなくて、僕は彼女に口付けをして、その声を飲み込む。
彼女に包まれて、僕の焦りは少しだけ収まった。
長く、深い口付けをしながら動かないでいると、安心感につつまれた。
ずっとこのまま、こうしていたい。でも、本能がそれを許さない。
彼女の準備も出来てきたのを感じて、僕はゆっくりと動き出した。
呟くように漏れ出す彼女の声が欲しくて、口付けで吸い込む。
何かにすがるかのように空に伸ばされた、彼女の白い手が欲しくて、手をからめる。
うなじにうっすらと浮かぶ汗が欲しくて、口をはわせる。
焦点のあっていない、うつろな瞳の視線が欲しくて、目を合わせるよう促し、見つめる。
欲しい、欲しい、もっと、もっと、深くまで、高くまで、彼女の全てを……!
求めても求めても届かない何かを、必死につかもうと僕はあがいた。
体の下で彼女が小さく震えるの感じる。
あわせた唇の中に、彼女の最後の時を迎えたため息と小さな声が響く。
それでも僕はまだ足りず、彼女を攻めた。
彼女は舞い落ちる暇も与えられず、また舞い上がる。
戸惑ったような、うろたえた声が彼女の口から漏れた。
更なる高みに押し上げられて、彼女が細い悲鳴のような声をあげた。
僕は耐えられず、彼女と同じ高みへと舞い上った。
だんだん理性が戻ってくると、僕の体の下で微動だにしない彼女に気がつき、僕は腕を解いてそっと彼女を呼んでみる。
何の反応もないので、あわててもう一度よく見直すと、気絶したように静かに眠っていた。
彼女に満足を与えられたと思うと、体の底から男としての嬉しさがこみ上げてきた。
いや、男、というより、オス、かな。
僕は思わず微笑を漏らした。
ここら辺りの気持ちは、新八さんや、左之さんあたりの専門だと思っていたけど、僕にもそんな感情があったことが何故かおかしい。
でもきっと僕は、こんな感情は、彼女が相手でなければ味わえなかっただろう。
彼女と出会ってから、僕は自分でも知らなかった自分を発見してばかりだった。
この、貪欲な、我侭な欲望もそれだ。
僕は彼女を見つめた。
真っ白な肌に真っ黒な睫、桜色の唇、繊細な眉、少し癖のある、豊かな黒い髪……。
僕の、大切な、愛しい宝物……。
色とりどりの千代紙の中に横たわっている彼女は、まるで花のようで、とても美しかった。
彼女をどうしたら、僕は満足するんだろう?どうしたら、この飢えのような不安は満たされるんだろう?
自分でもわからなかった。
彼女の幸せな人生を望む気持ちも、彼女を誰にも渡さず自分だけを見ていて欲しい気持ちも、どちらも心からのものだ。
そして、それはこの状況から考えると、相反するものなんだ。
でも、僕の中の獣は、彼女を他の男に渡すのは嫌だと猛り狂っている。
考えていると、その思いが膨らんで、自分の手に負えなくなるような予感がある。
じゃあ、僕の死後、こんなところで、誰とも接触せず、日々もういない僕だけを思い続けて生きていって欲しいのかというとそうじゃない。そんな彼女は見たくない。
いつも幸せそうに笑っていて欲しい。
いっその事、一緒に儚くなってしまったら……。
そんな思いが、奥底からぷかりと浮かんできた。
彼女のいない世界なんて考えられないから、彼女を殺したら僕もすぐ自分で命を絶つのはどうだろう?
それなら、僕がいなくなった後の彼女のことを思い悩む必要はなくなる。
僕も、残りの日々を数えながら、彼女と会えなくなる日を怯えなくてもすむようになるんだ。
残酷な満足感に支配されて、彼女の腕に手をそっとすべらすと、真っ白な肌の上に汚点のような赤黒い痣が手首のあたりに残っているのを見つけた。はっとして、反対の手首を見ると、そこにも同じ痕がある。うなじの辺りに目をやると、口付けの痕が、転々と散らばっている。
僕は、強烈な自己嫌悪に襲われた。
そして同時に、先刻の残酷な妄想も霧散した。
彼女が痛い思いをしたかと思うと、胸が痛む。さらにそれをしたのが自分かと思うと、いたたまれない。
彼女の気持ちを無視して、自分勝手に思いを遂げた。
痛い思いを我慢して受け入れてくれた彼女の気持ちを思うと、自分がこの世で一番醜い、踏み潰されて当然の虫けらのような気分になった。
僕は、彼女の着物をそっとなおし、立ち上がって、床一面に散らばっている千代紙を片付けた。
そして、まだ小ぬか雨が降っている外にでて、井戸から水をくみ、たらいにあけて、それを、雨に濡れない軒先の濡れ縁のところに持って行った。
しっとりと濡れてしまっている洗濯物を取り込むと、手ぬぐい一枚をとり、首にかけて、眠っている彼女のところに向かい彼女をそっと抱き上げる。
華奢な彼女の体を感じると、こんな細い体に、全力で挑んでしまった先刻の自分が、まるで野蛮人のように感じられた。
彼女を外の濡れ縁へと運びながら、僕はぼんやり考える。
こんな、乱暴なことは、斎藤君はしないだろう。
きっと、慈しむように、優しく彼女を愛する筈だ。
僕は自分で勝手に、つらい想像をして、更に落ち込んだ。
彼女を引き止めているのは、完全に僕の勝手な理由なんだ。
彼女の羅刹の血は、僕よりもずっと弱まっている。多分鬼としての基礎的な部分が、人間の僕よりも強いからだろう。
この土地の水を必要としているのは、多分今では僕だけだ。そして、その僕が彼女を必要としているから、彼女はここに縛りつけられているんだ。
自分を庇って、瀕死の怪我を負った男、信じる人を失った男、唯一得意な剣を取り上げられた、行くところのない哀れな男……。
そんな男が自分を求めたら、彼女は応えるしかないだろう。その彼女の優しさにすがったのは僕だ。
僕は彼女を幸せにしたいのに。誰よりも笑顔でいて欲しいのに。
現実は逆な方向ばかりに流れていってしまう。
じゃあ、彼女を手放してあげるのかと言われても、それは……。それはもうできそうもない。
そんなことになるのなら、彼女無しで残りの時間を過ごさなくてはいけないのなら、もう生きている理由もない。
そんな状況のみじめな男を、優しい彼女が見捨てる筈がないだろう?
そして、終わらない苦しい輪が完成する。
どうすれば、終わらすことができるのか僕にはわからなかった。
「ん……」
腕の中で、彼女が身じろぎをして、ゆっくりと瞼をあげた。
まだ焦点のあっていないうつろな瞳で、ぼんやりと僕を見つめる。
僕は、罪悪感から、彼女の顔が見られなくて、目をそらし、彼女をそっと濡れ縁に腰掛るように降ろした。
肩にひっかけてあった手ぬぐいをとり、彼女の足元にある水を張ったたらいの横にひざまづいた。
彼女が僕を見ているのを感じていたけど、彼女の顔は見ずに、たらいを見つめながら手ぬぐいを水にひたし、しぼる。
そして彼女の素足を、そっと手に取ると、濡らした手ぬぐいでゆっくりとぬぐった。
ふくらはぎにもある、僕がつけた赤黒いあざと、汚してしまったところをぬぐう。
「総司さん……」
彼女が静かに呟いた。
「ごめん……」
僕は、彼女の脚を優しく洗いながら、下を向いて囁いた。
「許してもらえないかもしれないくらい、ひどいことをしたのは、わかってるんだ。ほんとうに……ごめんね」
僕は彼女の膝を、拭いながら言った。
彼女の反応が怖くて、強張っている僕に、彼女の手がゆっくりとのびてくるのがわかった。
その手は僕の髪を、やさしくかきあげた。
「何か……、あったんですか……?」
あんなことがあった後でも、僕のことを気遣ってくれる言葉に、僕は更に打ちのめされた。
僕はゆっくり彼女の手をとって、手首にある痣にそっと口付けをした。
「僕は大丈夫だよ。それより君は?痛くなかった?…なんて聞けないよね。痛くしたのは僕なんだから。もう二度とあんなことはしないよ。約束する」
僕は反対の手首の痣に口付けをしながら、始めて彼女の目を見上げた。
「本当に……ごめん」
彼女は、とても静かな表情をしていた。
いつもは感情全てが表情に出る彼女だけれど、今は何を考えているか分からなかった。
僕は、ちょっと迷ったけれど、彼女の太ももの内側にある痣にもそっと口付けをして、更に奥にも手を伸ばし、手ぬぐいできれいに拭った。
彼女は、いつもなら恥ずかしがるような行為なのに、されるがままになっていた。
全てをきれいにし終わると、僕は彼女の着物の乱れを直し、ひざまづいたまま沈黙した。
雨は相変わらずしとしとと降っていて、外はもう薄暗くなっている。
彼女は何も反応してくれないのか、嫌われてしまったのか、と少し不安になってきたとき、僕は彼女の腕と胸にそっと包まれた。
「謝らないで下さい。私はとっても……嬉しかったんです」
彼女の声が、僕が押し付けている胸の中かから聞こえてきた。
「こんなに、求めてもらえるなんて、ずっと背中を追いかけていた時から考えると、信じられなくて……。ちょっと痛くはありましたけど、それよりもっと幸せな思いの方が大きいです」
彼女が、怒っていないことは分かって、嬉しかったけれど、彼女が何を言っているのかわからなくて、僕は彼女の顔を見上げた。背中を追いかけるっていうのは……、何のことだろう?
不思議そうな顔をしている僕をみて、彼女は優しく微笑んで、僕の両頬に手をあててて、そっと顔を近づけて僕の頬に口付けをした。
驚いた。
感動のあまり全身が一瞬震えた。
顔が耳まで赤く染まるのを自分でも感じる。
彼女の方から口付けしてくれたのは、これが初めてだった。
僕が茫然として頬に手をあてていると、彼女はそんな僕をちょっと驚いたような顔で見て、またやさしく僕を腕と胸で包んでくれた。
「総司さんの心には、新選組と近藤さんのことしかなくて、それでも気になって、少しでも私を見て欲しくて、いつも追いかけていたんですよ、私」
僕は、なんと言っていいのかわからず混乱した状態で、彼女の胸に顔を埋めながら思いついた言葉を言った。
「いつから……、だって君は……」
文章にならず、自分でも何を聞きたいのか、よくわからなかった。
彼女は、僕の髪を優しくすきながら言った。
「自分でも気づいていなかったんですが、もし、その人を見るとどきどきして、でもその人に会いたくて、つい目で追ってしまって、いつもその人の事を考えてしまう……、というのが恋なのだとしたら、多分随分前から、私は総司さんに心惹かれていたんだと思います」
「……」
僕は口をぽかんと開けたまま、彼女の顔を見上げた。
彼女は笑みを含んだ目で僕を見つめながら続けた。
「いつからか、はっきりとはわからないんですが、少なくとも、池田屋の事件の時には、もう、そうでした」
「池田屋?」
僕は驚いた。かなり前じゃないか!
その頃の僕は彼女のことは本当に厄介者だとしか思っていなかった。
いつでも、殺すと脅して、意地悪をしたりつらくあたったりしてた筈だ。
僕はいまいちよくわからなかった。
自分にそんな風にする男を、好きになる女性がいるだろうか?
彼女はいったい……?
僕が、狐につままれた様な顔をしているのを見て、彼女がくすっと笑った。
「不思議ですか?私もなんです。最初に会った時から怖い人だと思ってました。きついことを言われて落ち込んで……。でも会いたくない、とは不思議に思わなかったんです。逆に、それでも会いたくて。私を見て欲しかった。何故なんでしょうね?総司さんがいるところだけ、いつもきらきら輝いているようで少しでもそばにいたかったんです」
「もしかして……、気をつかってくれてる……?いいんだよ、別に。正直に言ってくれて」
僕は思わず言ってしまってから、思った。
彼女は気をつかって、思ってもいないようなことをいうような娘じゃない。
でも……、やっぱり正直なところよくわからなかった。彼女はあんな僕のどこがよかったんだろう?
彼女は、疑われたことが心外だったのか、ちょっとむきになって言った。
「池田屋の時、私は左之さんの傍にも副長の傍にもいることができました。自分の安全や、迷惑にならないことを考えればそ
のお二人の傍にいることが一番よかったんだと思います。でも私は、左之さんのところでも副長のところでもなく、一階にい
た斎藤さんのところや、近藤さんのところでもなく、二階の、一番奥の総司さんのいる部屋に行くことを選びました。いたるところで斬りあいをしている中を潜り抜けて、総司さんのところに行きたかったんです。何故だと思います?」
僕は本当にわからなかったので、戸惑いながら聞いた。
「何故……?」
彼女は笑った。
「私にもわからないんです。その後、鬼の襲撃があった時も、島原の時も、いつもいつも私は総司さんの傍に行ってしまっていました。そして、総司さんの一言で落ち込んだり、嬉しくて天に昇るような気持ちになったりしていました。前に……、総司さんにお話したと思うんですが、覚えていますか?総司さんがきれいだって言ったこと。総司さんの考え方とか仕草がまぶしくてドキドキするって。守って下さったから、とか優しくしてくださったから、とかじゃなくて、きっと、総司さんのそういうところに惹かれていったんだと思います」
僕が言葉もなく彼女を見つめていると、彼女はもう一度僕の頬に手をあて、今度は唇にそっと口付けをした。
彼女らしい、やわらかい、やさしい口付けだった。
「そのままの総司さんが、好きなんです」
唇を離すと、彼女が囁いた。
彼女の言葉で、永遠に終わらないと思っていた苦しい輪がパチンと音をたてつなぎ目から切れ、流れ出すのを僕は感じた。
彼女の言葉と口付けは、僕の心の奥底の、獣を大人しくさせるのに十分だった。
渇いて、飢えて、求めてばかりいた彼らは、望む以上のかぐわしい水が、空から十分に滴ってくるのを感じて、すっかり大人しくなった。
『そのままの総司さんが、好きなんです。』
斎藤君と比べて、感情の制御ができない僕。やさしくない僕。自分勝手な僕。人を斬ることしかできない僕。彼女を幸せに
する時間がない僕……。
自分の嫌いなたくさんの僕を、彼女は好きでいてくれる、というのは、本当に驚きだった。
自分を変える必要などない、自分の愛し方で、自分のこれまでの生き方でいいんだと、全てを受け入れて、愛してくれる人がいるんだということが、僕を再度救ってくれた。僕はこれまで一体何回彼女に救われたんだろう……。
そうなんだ。
僕は彼女から愛されているんだ……。
僕も彼女をとても愛している。
それでいいんだ。
彼女が自分で選んでくれたんだ。
それがわかると、僕をとらえて放さなかった不安の方もすとん、と着地点をみつけることができた。
僕がいなくなった後、彼女がどうしたいのかを、彼女と話そう。
彼女は、僕の幸せしか考えていないから、きっと僕がいなくなった後のことなんか考えていないに違いない。
それなら、その時が本当に来たとき、彼女が途方にくれないように、今から一緒に考えてあげよう。
そして、彼女がしたいことがわかれば、そのための道筋をつけることを、一緒にすればいい。
そうなんだ。わかってしまえば簡単な答えだった。
僕は彼女の胸に顔を埋めたまま、腕を彼女の体にそっとまわした。
そうか、こんな簡単なことでよかったんだ。
彼女に自分の思いを押し付けるだけじゃなく、自分の彼女に対する強い思いに翻弄されるだけじゃなく。
彼女と話せばよかったんだ。
僕は、思わず声にだして小さく笑ってしまった。
彼女が腕を解いて、僕の顔を覗き込んだ。
僕は、彼女の顔を見た。彼女の瞳に映る僕は、とても幸せそうな顔をしていた。
「もう一度口付けしてくれない?」
僕は囁いた。
「え……?」
彼女はちょっと頬を赤らめて聞き返す。
「君から口付けして欲しいんだよ。ほら、僕は動かないから」
そう言って僕は、彼女を見上げて、祈るように目を閉じ、彼女の優しい口付けを待った。