【誓い 3】
思わず布団と綿入れを跳ね除けて、起き上がって彼女を真正面から見つめる。
「まぶしいって?僕が?」
わけがわからなくて、眉間にしわをよせてきく。
子ども扱いされたかと思うとこんどはきれいときた…。
彼女の中での僕の印象はいったいどうなっているんだ?
僕自身が持っている自分の印象とまるで違う。泣く子も黙る新選組一番組組長の沖田総司なんだけどな…。
彼女は恥ずかしくて僕を見られないみたいで、畳の方へ視線をやりながらこくっとうなずいた。
「外見も、中身も…きれいでまぶしいです。生き方っていうのか志とか、それを実行するときのためらいのなさとか、いさぎよさとか…見ていてとてもきれいだなって思うんです」
僕が言葉もなく彼女を見つめていると、彼女は続けた。
「あと、歩き方、とか、刀を手入れしている時や、お料理している時の手、とかも優雅できれいです。刀や木刀での立会いも、きらきらしてて、見ほれてしまいます。まぶしくて……ちょっと真っ直ぐ見るのが恥ずかしいくらい、輝いてて、きれい、…です」
彼女の言葉は、本当にそう思っているのが伝わってきて、僕の顔も見られないくらい恥ずかしがっているのに一生懸命伝えようとしているのがわかって、僕はなんだか、胸のなかから小さな泡がぷくぷくとわいてでるような、叫びだしたいような、体が浮いてしまいそうなむずがゆい気分になった。
僕は、また千鶴ちゃんの膝に頭をのせてごろんと横になると、彼女の言ったことについて考えながら、自分のたこだらけの手を月にかざしてまじまじとみつめ、言った。
「こんな手がきれい、かなぁ?人を斬ることしかできないのに。生き方って言っても、人をいかに早く殺すか、それだけを追求してきただけだし」
そういった途端彼女の体が少しこわばるのがわかった。
「沖田さんは、いつも…そういいますけど、でも、私はとっても感謝してるんです。私は沖田さんの、その剣に何度も命を守ってもらってきました。斬られた人の血も浴びず、斬った時の相手の表情も知らないまま、守ってもらってたんです。私にとっての沖田さんの剣は守りの剣です!」
彼女の言葉は、僕の世界を180度回転させるものだった。
実際、天井がグラリとゆれた気すらした。
僕は急に不安定な気持ちになり、必死にもといた世界をとりもどそうと、あがいた。
「それは結果論で、僕が斬ってたまたま君が助かったことじゃないの?だいたい君を守るのだって隊務だったし」
「だ、だから…!」
彼女は、言いたいことが通じないもどかしさを感じているようにどもりながら続けた。
「沖田さんは、隊務だから人を斬ってきたんであって、自分の気に入らない人を斬ってきたんじゃないでしょう?近藤さんに持って欲しいから刀になるよう努力して、近藤さんのために人を斬ってきたんじゃないんですか? 近藤さんは、私怨で刀に人を斬らせるような人ではないとわかっていて」
彼女は強いまなざしでまっすぐに僕を見つめていた。その気迫にのまれ僕は何も言えずポカンとして彼女の言葉を聞いていた。彼女は僕が何も言わないので、焦れたように続ける。
「こんな時代だから、近藤さんの役にたつには刀になって人を斬るしかないかもしれないですけど、それの元にあるのは大好きな人の、信頼した人の支えになりたい、っていう思いじゃないんですか?その思いは、時代がかわって刀が必要でなくなったとしても、近藤さんにとって役にたつことができることだと思うんです。そしてその思いのために、毎日毎日厳しい稽古をして、体調に気をつけて、隊の仕事をこなしている沖田さんを私は見てきました。その姿勢が、沖田さんの心の一番真ん中にあって、私はそんなところがきれいだと思うんです!」
彼女は一息にしゃべったせいか、肩ではぁはぁと息をしていた。
僕はというと、ぼんやり彼女の顔を見ながらあの夜のことを思い出していた。
近藤さんが撃たれたあの夜だ。
羅刹になって薩摩藩士を皆殺しにして、さらに隠れていないか探しにいこうとした僕に彼女が言った言葉。
『沖田さんは、信じる道をまっすぐに歩いていって欲しいんです!』
正直彼女が何を言っているのか、怒りで頭の中が真っ赤になった状態ではわからなかった。
ただ彼女が、これ以上私闘を続けるのなら私を斬ってから行って下さい、と言ったのを聞いて急に頭が冷えて、あきれて、やめただけだった。
「そうか、このことを言ってたんだ……」
僕はゆっくりつぶやいた。
今ようやく彼女の言っていた意味がわかった。
人を斬ることは手段であって、その本当の目的は信頼した人の力になれるよう努力し、精進すること。
そんな僕の姿勢を彼女はきれいだと思ってくれて、まっすぐ歩いていって欲しいと言ってくれていたんだ……。
そして同時に僕は何故だか、彼女の膝に顔をうずめて、しくしく泣きたくなった。
遠い昔、もう覚えてないくらい昔、子どもの頃きっと母や姉にそうした記憶がかすかによみがえるような気がした。
僕は、彼女の瞳に映る僕が好きだ。
人を斬り、返り血をあび、うらみや怒声をうけ、最果てのない暴力の中で、最初に誓った思いを忘れ、ただ生き残るためだけに人を殺めたこともある。
でも、そうだ。
僕は、僕の心は近藤さんに預けて、近藤さんを信頼して、人を斬ってきたんだ。
そう思っていたはずなのに、自分でも気づかないまま、浴びてきた血に酔って心が闇の中をさまよっていた。
人を殺すことしかできない……そんな自嘲しているような言葉がそれの証だ。
彼女は、そんな僕をずっと見ていてくれた。
迷い込んで、見失ってしまった道を照らし続けてくれていたんだ。
そして、自分自身でさえわからなくなっていたその道は、正しいのだと示してくれた。
太陽のような明るさではなく、月のようにひっそりと、静かに。
彼女の瞳に映る僕が存在しなくなってしまったら、僕は間違いなく深い深い血の森の中へ迷い込んで、そこで命を落としてしまうだろう。
血の中に沈み、頭上に輝く月を二度とみることができなくなっていたに違いない。
僕は月明かりに照らされた彼女の顔を見上げた。彼女は自分の言ったことで僕が気を悪くしたんじゃないかと思ったんだろう、気遣わしげな顔をしていた。
そんな彼女を安心させようと何か言おうとしたけれど、言葉にならない。
なんだか妙に敬虔な気持ちになり、彼女に誓いたくなった。
でも何を?
彼女が僕にくれた、深くて暖かくて懐かしく心に染み入るもの。
それに相応しい何かなど、僕は持っていない。
僕にできる最上のもの、それは僕が近藤さんに捧げたものと同じものを彼女にも捧げること。
僕の命を彼女にあげる。
彼女のために、命を捨てることもいとわない。
近藤さんに真っ直ぐに付いて行った時のように、全てを彼女の幸せのために捧げることはできないかもしれない。
だって彼女は近藤さんとは違い、かわいい女の子で、僕は男だから。
他の男に渡したほうが幸せだとわかっていても、渡せない時がくるかもしれない。
でも、それでも、僕はできるかぎり彼女を幸せにすることを誓おう。
彼女が暗い森に迷うようなことがあったら、照らせるような力を持ちたい。
彼女自身が気づいていない幸せに導いてあげられるような……。
それが僕の、彼女に唯一あげる事ができるもの。
誓いだった。
「あの、沖田さん…」
とうとう彼女がおそるおそる話しかけてきた。
あんまり長い間一言もしゃべらず、彼女を見つめたままでいたから、変に思ったんだろう。
僕はふいっと視線を月に移して、できるだけさりげない声で言った。
「だんだん春の月が好きになってきたよ」
彼女はちょっと戸惑っていたけど、やがてほっとしたように、かすかに笑って言った。
「土方さんとおそろいですね」
「それは勘弁してほしいけどね。あの人と仲間と思われたら困るし…」
僕の軽口にくすくす笑う彼女をみながら、僕はにっこり笑って言った。
「でも本当に、この月のおかげでいろんな話ができて、とても楽しいよ。昨日までの暗い夜が嘘みたいだ。これからもこうやって、いろんな話をしながら夜をすごせたらいいな」
実際、僕の中にあった、早く甲府に行きたいという変な焦りは消えていた。
新選組の仲間は僕が行けない理由もわかってるし、ちゃんと体を治して合流すれば喜んでくれるだろう。近藤さんだってそうだ。僕一人が勝手に役に立ててないことを焦ってただけなんだ。
刀の必要がなくなる時がもし来たとしても、近藤さんさえ生きていてくれれば、僕は、彼女がきれいだと言ってくれた僕の真ん中にあるモノで、近藤さんの役に立つことができるはずだ。
「そうですね、私も沖田さんの笑顔を久しぶりに見られて、嬉しいです」
彼女もにっこりしながら、僕の、顔にかかっている髪をかきあげた。その感覚にぞくっとして肩をすくめると、彼女は恐縮したように言った。
「あ、すいません!髪さわられるの、嫌いでしたか?」
嫌いだった。確かに。
髪結いも嫌で、こんな自己流の髪型にして自分で結っていたんだけど、彼女にはなぜか触ってほしかった。
なんだか、甘ったるい、幸せな気分になる。
「いいよ、気にしないで。好きなだけ触ってよ」
僕はいたずらっぽく言った。
「髪以外でも、触りたいところはどこでも触っていいんだよ?」
案の定彼女は、顔を真っ赤にして、両手をぱっと自分の背中の後ろに隠してしまった。
そんな彼女を、にやにや笑って横目で見た後、僕は春の月を見上げた。
「あ〜、なんか眠たくなってきちゃったなぁ……。千鶴ちゃん、子守唄歌ってよ」
「子守歌、ですか?」
彼女はしばらく考えていたけど、静かに歌いだしてくれた。
その歌は僕は聞いたことがなかったけれど、彼女のやわらかな声を聞いているととても心が落ち着く。、
僕はまぶたを閉じた。
夢の中でも彼女に会えるといい。
夢なら余計なことを考えず、素直に接することができそうな気がする。また意地悪しちゃうかもしれないけど……。
そんなことを考えていると、唇が微笑むのがわかった。だけど、もう僕のまぶたは重くなりそのまま幸せな眠りについた。
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