【あなたにすべての幸せを 1】
オリキャラ(名前もありませんが……)がわんさと出てきます。苦手な人はブラウザバック!
一番涼しい場所だと思うのに、総司の額にはじっとりと汗が浮かんできていた。
「あ〜……。あっつ……」
京の夏に比べれば段違いに過ごしやすいはずなのだが、ここで過ごすうちにすっかりこちらの気候に体が慣れてしまっていた。
昼寝でもしようと思っていたのにとても眠れない。昼前の今でさえこの暑さなのだから、これからどれくらい暑くなるのかと思うと、総司はうんざりした。
瞼を開けて、ぼんやりと憎らしいほど晴れ渡っている空を見る。
「あ〜!総司!寺まで来て何やってんだよ〜!」
わらわらと軽い足音がいくつもして、総司は子供たちに囲まれた。それでも起き上らず寝転んだまま総司はめんどくさそうに答える。
「見てわかるだろー。昼寝だよ。ひるね」
「なんで寺まで降りてきて昼寝してんだよ。千鶴は?」
10歳くらいだろうか。嫌に大人びた口調で聞いてくるのは、この寺の子供だ。
「千鶴さん、さっき、来てたよ」
まだ上手く回らない舌で可愛らしく言うのは、その少年の年の離れた妹。兄が大好きなのだろう、少年の友達の男ばかりの群れにいつも一生懸命ついていっている。少年もかわいがっているらしくよく面倒をみていた。
「そう。僕はお嫁さんのつきそいで来たの。胡瓜の漬物の作り方を教えてくれる集まりがあるんでしょ?それに来たいて言うからさ」
胡瓜の漬物、僕が好きなんだよね〜。
自慢げにそういう総司に、周りの子供達は呆れたように言った。
「なんだよ、ついてきて昼寝してるだけなの?」
「そういうのごくつぶしって言うんだぜ」
「違うよ。甲斐性無でしょ?」
「母ちゃんはヒモだって言ってた」
「仕事しろよ〜」
次々とあがる総司への非難を、さらっと受け流して総司はわざと咳き込んで見せた。
「僕、不治の病にかかっててさ……。仕事ができないんだよね…」
嘘だぁ〜!
一斉に上がる声を、総司は面白そうに聞いている。寺の男の子が言う。
「ちゃんばらごっことかすっごく元気そうにやってるじゃないか。いっつも手加減無でぶちのめして…!」
悔しそうに言う男の子に、総司は笑い声をあげる。
「だって君弱いから…!」
「弱くないよ。道場じゃ一番強かったよ」
「うん、先生も将来有望だって言ってたし」
少年の周りの子供たちが一斉に援護射撃をする。それに勇気を得て、寺の男の子は勢いこんで言った。
「総司は大人だから力が強いだけだ!俺だって大きくなったら力も強くなるし総司と違ってちゃんと鍛錬もしてるし……!」
「何、僕に勝つって?何でそんなに僕に勝ちたいのさ?」
少年はさらに顔を赤くして黙り込んだ。不思議に思いつつも総司は周りの子たちに聞く。
「この近くに道場があるんだ?みんな通ってるの?」
総司の問に、ばらばらと答えがあがる。
「うん。ふもとにあるよ…。あったよ」
「先生、もう歳だからって道場たたんじゃったんだ。跡継ぎもいなくてさ」
「最近『ぶしくずれ』が村のあたりをうろちょろしてるんだって。物騒だから自分と家族を守れるようにちゃんと剣道を習っておけって父ちゃんに言われてたんだけど…」
「でも道場がなくなっちゃったしな。家の手伝いもあるし……」
困ったように顔を見合わせる男の子達に、寺の子が言う。
「だからみんなで自主的に練習してるんだろ?ほら今日もやろうよ」
そう言って木刀を挙げた。
子どもたちは頷き、ちらばって素振りや打ち合いを始める。半身を起こしたままそれをぼんやり見ている総司に、寺の子が声をかけた。
「総司もやろうよ。木刀貸すし。男は女を守らなくちゃいけないんだぜ」
少年の言葉に、総司は目をぱちくりさせた。
「女を守りたいの?君が?子どもなのに?」
馬鹿にしたような総司の言葉に、少年は真っ赤になる。
「子供じゃない!俺はちゃんと守れるようになるんだ!」
ムキになっている少年を後目に、総司は再び寝転んだ。
「この暑いのによくやるねぇ。僕は遠慮しておくよ、疲れちゃうしね。がんばって」
「情けないヤツだなぁ。なんで千鶴は総司なんかと……」
「えー?それはやっぱり僕の大人の男としての魅力がさ……」
茶化すように言う総司を少年はキッとにらむ。
「後5年もしたら俺ももう大人だ。総司には負けない。千鶴は俺が守ってやる!」
少年の言葉に総司は再び起き上って目を見開いた。
「……何、君。千鶴を狙ってるの?」
少年は、はっとしてさらに顔を真っ赤に染めた。
「ちっちちちがう!総司が情けないから、だから、しょうがないから、千鶴には柿むいてもらったり握り飯もらったりしたし…だから、俺がかわりに……。だって道場の先生の方が絶対総司より強いし、その先生が、俺は強くなるって言ってくれたし…!」
あわてすぎてすでに自分が何を口走っているのかわからなくなっているくらい動揺している少年を、総司は面白そうに眺めていた。そのニヤニヤ顔が余計癇に障ったのか、少年が怒ったように言う。
「なっなんだよ!総司が強いのはチャンバラくらいだろ!ちゃんとずっと剣道の鍛錬を積み重ねてきた先生の方が絶対強いし、その先生に俺はちゃんと教わってきたし……!」
少年のチャンパラごっこや素振りの練習を、総司は何度も見たことがあった。確かに素直な太刀筋で、変な癖もついていない。覚えるのも早いし運動神経もよかった。道場が閉鎖してしまったのは残念だ。あのままちゃんと教えを受けていたら、きっとこの少年は望み通り女を(もちろん千鶴ではないが)守ることくらいは簡単にできるようになっただろう。
総司は自分がこれくらいの歳だったころのことを思い出す。
なんの楽しみもない孤独な毎日の中で、近藤と剣の鍛錬だけがすべてだった。
自分もまるくなったなぁ、と思いながら総司は微笑んだ。
「あー、そうだね。多分君には…君の道場の先生にはかなわないな。そしたら僕も守ってもらわないと」
「総司なんか守らないよ」
ぶすっと少年が言う。えーなんで僕は守ってくれないのさ、と言う総司に少年は言った。
「そういうのを『因果応報』っていうんだよ。いっつもいじめたり意地悪ばっかりするくせに。千鶴は優しくしてくれるから守ってあげるんだ」
「へぇ。因果応報なんて難しい言葉知ってるんだね」
「父ちゃんがよく檀家の人達に話してるから覚えた。仏様の教えの勉強もしてるし」
どうだ、と言わんばかりに胸をはる少年に、総司はふと思うことがあって黙り込んだ。
「……ねぇ、君それならさ、知ってたら教えて欲しいんだけど」
そう言って、総司は言葉を探すように再び黙る。少年は、なんだ?という顔をして待つ。
「……例えばさ、僕が今君を殺したとしたら、僕は村の人から裁かれて、きっと殺されるよね。それが因果応報ってことだと思うんだけど……」
いきなり『殺す』(しかも自分を)などという言葉がでてきて、少年はぎょっとしたが、総司の言っていることはあっているので、うなずいた。
「でもさ、夫婦ってまぁいわば運命共同体じゃない。実際そうなったとしたら千鶴も人殺しの奥さんってことで、殺されはしないだろうけれど白い目で村の人たちからは見られて、生きにくくなると思うんだよね」
確かにこの田舎の村で、そんなことがあれば、千鶴に対する風当たりも強くなるだろう。今日みたいに一緒に漬物を漬ける作業に呼んでもらえることもなくなるだろうし、おすそ分けやら体調が悪いときの助け合いの手も伸ばされなくなるに違いない。こんなに自然環境が厳しい田舎ではそれだけで死活問題だ。
「それも千鶴にとっては『因果応報』なのかな?つまり……仏教ではさ、旦那の僕がやった『因果』が奥さんの千鶴にも『応報』になるの?それとも僕がやった『因果』はあくまでも僕にだけ『応報』になるのかな?」
総司の言っていることの意味は、少年は理解することができた。しかし答えについてはわからない。因果応報は仏教思想の根本をなすもので、父親からも何かと教示を受けてはいたがそんな話は聞いたことがなかった。
「さぁ……、そんな話は聞いたことはないけど…。今度父ちゃんに聞いて…」
「ああ、いいよ。聞かなくていい。ごめんね、変なこと聞いて。わかったら、でいいよ」
ほら、もう鍛錬しておいで、という総司に、少年は心を残しながらも仲間たちのもとへと走って行った。
それから一刻あまり……。
千鶴や他の里の女たちが大量の握り飯と大きな鍋を持って庭に出てきた。
お腹が減っただろう、お食べ〜!と子供たちを呼ぶと、みんな木刀を放り出してわらわらと集まって行く。
「総司さん…!」
千鶴もにっこり笑いながら総司に近づいてきた。
「私たちもぜひ食べていって、とお誘いいただいたんです。一緒に食べませんか?」
「いいね、ちょうどお腹が減ったとこだったんだ」
千鶴に優しい笑顔を向けて二人で鍋の方へと歩き出すと、後ろから寺の子とその母親の話し声が聞こえてきた。
「ええ?ちぃがいないって?」
母親の声に、少年がうなずく。ちぃというのは少年の年の離れた妹のことだろう。小さいからちぃと呼ばれているらしい。
「朝はいたんだよ、な?総司」
総司もうなずく。確かに自分に話しかけてきた時には、ここに居た。
「探しといで。もうお腹も減ってるだろうし」
寺の奥さんはそう言って眉根を寄せる。
「ここ最近山の裏側で武士崩れが旅の人間を襲ってるっていう噂を聞くんだよ。村の人間には今のところ手は出してないみたいだけど……」
「うん。俺木刀持ってくよ」
寺の少年は母親の言葉に神妙な顔でうなずいた。
ふーん、と興味がなさそうに聞いている総司を、千鶴は見上げる。
「総司さん……」
きらきらとした瞳で見上げられて、総司はうっと息をつめる。『一緒について行って探してあげてください。総司さんがいれば何があっても安心です。』千鶴の無言の表情を、総司は呆れたように見た。
可愛い嫁に、スーパーマンのように思われて信頼しきった瞳で見られたりしたら、ごくつぶしの亭主としてはそりゃあこう言うしかないだろう。
「僕も一緒に探しますよ」
「総司なんか一緒に来ても何の役にもたたないよ。剣も使えないし、すぐ疲れるし、なまけものだし……」
ぶつぶつ言う寺の少年を、母親はそれでもいないよりましだから(←これもヒドイ)、と宥めて、結局総司と少年二人で、小さな妹を探しに山に入って行った。
「沢の崖の上に花畑があるんだよ。もう夏だから咲いてないって言ってるのに、ちいはいっつも、今日は咲いてるかもしれないって見に行くんだ。だからもしかしたら……」
「へー。じゃあそこに行ってみようか。あー……それにしても暑いなぁ……」
総司は腕で額の汗をぬぐいながら少年と並んで険しい山道を歩く。総司は文句が多い、と少年はぶつくさ言いながら身軽に険しい道を上って行った。
「ほんとに千鶴がかわいそうだ。総司にいっつもからかわれてるし」
「僕のは愛情表現なんだよ?」
「そんなこと……」
少年は言いかけたが、スッと総司の手が自分の口の前にだされて言葉を止めた。見上げると総司が初めて見るような真剣な顔をして前方を見つめている。
「……何?」
「シッ。静かに…。血の匂いがする」
しかもかなりの大量だ。
総司は全身の神経を研ぎ澄ませた。
昔嫌と言うほど嗅ぎ慣れた生臭い鉄臭い匂いが、風にのってかすかに匂う。それとともに前方に人の気配。2人か……3人?こちらにはまだ気が付いていない。
総司は少年をかがませて、自分も腰を低くしてゆっくりと進む。しばらく行くと人の声も聞こえてきた。少年にも匂いと声が伝わったようで、真剣な表情で総司を見上げる。総司はうなずいて、草むらのかげからそっと声のする方をのぞいた。
幸いなことに、ちいはそこにはいなかった。そこにいたのは……汚い恰好をした二本ざしの男三人。一人は血の付いた抜き身をぼろきれでぬぐっている。例の『武士崩れ』の奴らなのだろう。そして足元には…血を流して倒れている若い男。旅装をしている。
「っ…!」
隣で少年が息をのんで立ち上がりそうになるのを、総司は抑えた。今動くと気づかれる。
「……助けに行かないのかよ!」
ひそひそ声で少年が総司に言う。
「……行かないよ。別に助ける義理もないし……」
それにあの旅の男は多分もう絶命している。あの血の量と傷の場所を見ればわかる。このまま奴らが立ち去るのを待った方が無難だ。大方金に困った『武士くずれ』達が、旅の者を襲って金銭をとっているのだろう。普段は殺しはしないのだろうがよほど困っていたのか、旅の男が抵抗したのか……。
武士も堕ちたものだな……。
総司は冷めた瞳で彼らを眺めた。世が世なら城勤めや剣の鍛錬をしているだけで百姓や町民から巻き上げた禄をもらい食っていけたのだろうが、今の世ではそんなものはもうない。身を建てる技術も知恵も根性もない元武士は、堕ちるところまで堕ちるしかないのだ。『武士道』などというのは衣食住が保障されている時の、言葉遊びのようなものだった武士がたくさんいるのだろう。
まぁ、もと農民にもいろいろいるし、武士にもいろいろいたってことかな……。
総司は近藤と土方を思い浮かべながら、目の前で『武士崩れ』達が旅の男の懐から財布らしきものを取り上げるのを見ていた。
少年は青ざめながら、血まみれになったぼろきれを地面に放る『武士崩れ』を見ていた。
助けに行くべきだと思うが、初めて見た血まみれの抜き身の禍々しい輝きに、身動きが取れないほどの恐怖に襲われた。あの剣を一振りすれば、人など簡単に命を落としてしまうだろう。助けに行こうとすらしない総司を情けない、とは思うものの、少年自身も腰がぬけたように動けなかった。
その時前方の草むらから、ガサガサっと音がして小さな塊が転がり出てきた。
総司と少年がはっと息を呑む。
『武士崩れ』達が一斉に腰の刀に手をやりそちらを見た。
そこには、ちぃが、転んだのが両手を地面について、怯えた顔で男たちを見上げていた。