【夏の夜】
青藍シリーズです。
千鶴高校三年生、総司大学一年生。プチ遠距離での七夕です。














「……雨があがったね」
コンビニから出た時に、総司がそう言いながらすっかり暗くなった空を見上げた。
隣にいた平助と一もつられて空を見上げる。
「傘買わなくてよかったなー」
「雨のおかげで涼しくなったな」
などと平助と一が話していると、総司が空を見上げながらポツリとつぶやいた。

「千鶴ちゃん、妊娠すればいいのに」


「……は?」
平助はポカンと口を開けて立ち止まる。
夏の夕暮れの気持ちのいい風が髪を揺らすが、そんな気持ちよさも忘れるくらいの衝撃発言のせいで。
「だから、千鶴ちゃん妊娠すればいいのにって」
衝撃発言の主、総司は平然とそう言い切ると、平助の持っているガリガリ君を指差して「落ちるよ」と冷静に指摘した。
隣にいた一も、珍しく目を見開いて黙り込んでいる。
「いやいやいやいやいや……」
平助は気を落ち着かせようと深呼吸すると、敢えて視線を総司から外して先をみた。今から総司の家に向かおうとそぞろ歩いている剣道部一年生の一部と女子マネの背中が見える。
そういえば、今日の打ち上げを総司の家(大学から一番近くてしかも広い)でやろうと言う話になったとき、自分の部屋に人をあげるのが嫌いな総司が珍しく何も言わなかった。どこかぼんやりしているように見えたのだが、そんな危険なことを考えていたせいで何も言わなかったのか。
「……あのさ総司。だから俺は千鶴の兄貴とも仲好いし親父さんからも信用されてるしさ、幼馴染だし、あんまし俺にそーゆーこと言うなって前から言ってるよな。ってゆーかお前まだ大学はいったばっかだし千鶴だって高校生で……付き合っててうまく行ってんだし、いやそもそも結婚してねーし……ってかどっからつっこめばいーのかわかんねーよ!!」
半分キレ気味にわめいた平助の声に、先を行く部活のメンバーが何事かと振り返る。
それに「いや、なんでもない。大丈夫だ」と一が冷静に返した。部員たちが元通り背を向けて歩き出したのを確認して、一は総司に向き直る。
「……その、立ち入ったことを聞くようだが、千鶴がその……妊娠した疑いがあるのか」
総司はちらりと一を見ると肩を竦めて歩き出した。
「ぜーんぜん。残念ながらね。だって毎回避妊してるし」
「じゃあ……じゃあなんでそんなこと言うんだよ。別れ話されたとかそういうことじゃないんだろ?」
平助がそう言うと、総司は「ハッ」と鼻で笑った。
「別れ話なんかでてないよ。っていうかそんなの殺してもさせないし」
笑っているのに目が怖い。
普通『殺してもさせない』ではなく、『死んでもさせない』ではないだろうか。
平助は恐々と再び聞く。
「じゃーなんでそんな……不穏なこというんだよ?おまえ今の状況で妊娠とかどんだけたいへんかわかってんだろ?」

総司は大学一年生、千鶴は薄桜学園三年生の7月。
総司や平助、一が入学した大学は、千鶴の家や総司の実家のある駅から快速特急で3時間程度の遠距離……というには近いが通勤通学は無理という位置にあった。当然三人とも大学傍で家を借りている。
総司はまだ大学に入ったばかりでようやく落ち着いてきたところだし、千鶴は大学受験を控えた大変な時期だ。今、妊娠などしたらとんでもないことになる。
総司だってそれぐらいはわかっているはずなのだが。
ムスッとした表情でしばらく黙り込んだ後、総司は口を開いた。
「……全然会えない」
一が聞く。
「千鶴とか?だがゴールデンウィークに帰っていたのではないか?」
「その後、週末に一回しか帰れなかった。剣道部の練習は一年生は休んじゃいけないとか、土日に試合組むとか今日みたいに一年生だけで道場の掃除しろとか。剣道部だけじゃなくて学際の打ち合わせとかクラスの飲み会とか、行かないって言ったらとりあえず最初は顔をだせとか言われる行事がおおすぎるんだよね」
「まーなー。でも今だけだと思うぜ?夏休みになれば落ち着くだろ」
「……」
歩きながら総司は沈黙した。
「……今日さ、七夕なんだよね」
「…ああ、そういえばそうだっけ?」
平助が『何を突然』とキョトンとした顔をする。そしてピンときた。
「お前もしかしてまた、七夕は織姫と彦星が年に一回会える日なのに会えないとかそういう乙女な愚痴を……」
「愚痴じゃないよ。千鶴ちゃんに会いに行くねって約束してたんだよね。だから今週末は絶対帰りたかったのにさ」

突然一週間前に今週末(七夕だ)は部室の掃除を週末にするように、剣道部の上級生から命令があった。
当然総司はあっさりと『予定があるので休みます。そんな急に言われても困りますよ』と返したのだが、言葉の途中で平助と斎藤に口を押えられて言えなかった。
この大学は学問も有名だが体育会系の剣道部もかなり有名で、近藤も総司達三人の大学剣道界での活躍をたのしみにしているのだ。それに、来年はこの大学への入学を希望している千鶴も、ぜひ剣道部の女子マネージャーをしたいと言っている。この昔ながらの縦社会で、総司のような人間がそんなことを言ったら退部しかありえないではないか。
そのあたりの理を言い含めて総司を説得し、総司もようやく納得して週末は大学で部室と道場の掃除にいそしんだのだ。掃除終了の打ち上げをこれからして、万事順調だと思っていたのだが。
「千鶴が何か言ったのか?七夕に会えないのが寂しいとか……」
一は言いながら、自分でそれはないだろうと考えていた。総司が理由を話せば千鶴は納得するはずだ。いつまでもわがままを言うような女子ではない。
そしてやっぱり総司は皮肉な顔で笑った。
「あの子がそんなこと言うわけないじゃない。『そうですか、残念ですけど部活のお仕事ならしょうがないですよね。がんばってくださいね』でオワリだよ」
平助が頬をふくらます。
「なんだよ。いいカノジョじゃねーか」
「……」

総司はジーンズのポケットから携帯を取り出し、時間を確認した。
10時15分。
ここの駅から千鶴の家の最寄駅まで行く電車の最終は、11時5分。この場所から駅までは歩いて20分、走って10分。余裕で間に合う。
今日中……7月7日中には会えないが、でも今夜は会える。千鶴の部屋には外のガレージの屋根伝いに行けるのは、もう確認済みだ。行って、会って、抱きしめて……
「妊娠させちゃおっかな」
再びの総司の危険な発言に、平助と一はぎょっとして立ち止まった。
「だからそういうことを軽々しく言うなっての!」
「お前は千鶴の人生をなんだと思ってるのだ。子どもというのはお互いに話し合って充分に育てられると思った時にだな……」
「わかってるよ!」
急に声を荒げた総司に、説教モードに入っていた平助と一は目を瞬いた。
「わかってるけど、傍に居て欲しいんだよ。妊娠したらもう絶対に逃げられないよね。いろいろ問題があっても今の状態より全然いいよ。電話やスカイプだけなんてもう限界なんだよ!」

「……」
平助と一は顔を見合わせた。
総司が限界なのは、今の様子を見てわかる。よーくわかる。
『まだ遠距離になってたったの三か月程度だろ』とか『電話やスカイプなどで散々しゃべっているだろう』とか『月一は会いに帰ってるんだろ』とかいう常識的な言葉は、こうなってしまった総司には意味がないことも、平助と一はよーくわかっていた。
総司は続ける。
「僕が電話するとさ『沖田先輩!お久しぶりです。何が御用でしたか?』だよ?用がなけりゃ電話しちゃいけないの?『声がききたくてさ』とか言うと『……そうですか』としか言ってくれないし。照れてるのはわかるけど、もう少し言い方があるんじゃないの」
「照れてるってわかってやってんじゃん。じゃあもうちょっと落ち着いてさあ……」
「お前は明日一限の授業があるだろう。今から千鶴に会いに行ったらあっちで始発に乗ってこちらに帰ってきても間に合わないぞ」
「そんなのサボればいいよ」
総司の返答に、一は眉をしかめ、平助は溜息をついた。
これでは千鶴に会う前の総司と同じではないか。
千鶴と会って付き合いだしてようやくちゃんと真人間になった思ったのに、3か月千鶴と一緒にいられないだけでまた元に戻ってしまうなんて。すでにヤケにになって極端な行動に出がちな総司の本質が出現しつつある。
「あの、さ。千鶴に電話してみれば?声聞けば落ち着くんじゃね?」
その時はぜひ、このけだものが落ち着くような甘い言葉をかけてやってくれと、平助は心の中で千鶴に念を送った。
しかしそれを言われた総司は、さらに表情が硬くなる。
「……電話してるよ。メールも。15分おきに。『この番号は電源が切られているか電波の入らない場所に……』だってさ。もう3時間もだよ。電源切ってるんだよ。あの子よく充電忘れて放置してるし、今日が七夕とか最近全然会えていないこととか忘れて、僕から電話かかってくるかもとかも考えないで、テレビ見てるか寝てるかしてるんじゃないの」

15分おきに電話とメール……それはさぞかし千鶴が気づいた時に怖いだろう…と一と平助は思った。
気づいても連絡しにくい嫌がらせレベルだ。
「ま…まあまあ、落ち着けって。その……そのうち気づくと思うからさ。今日はとりあえず打ち上げして寝ようぜ」
平助が総司に宥めるようにそう言うと、ちょうど前の方を歩いていた部員たちから呼ばれた。
「おーい!沖田んちってこのマンションでいいんだろ?」
総司は小さく舌打ちをすると、マンションの一階でエレベータボタンを押そうとしている部員たちのところへ駆け寄った。平助と一も慌てて後を追う。
「ちょっと待って。なんで僕んちでやることになってるのさ」
「何今更言ってんだよ。いいじゃん別に」
「良くないって…!」
押し問答をしているうちにエレベータが来て、一行は乗り込んだ。

エレベーターの中でも言い合いは続く。
「僕さ、ちょっとこれから実家に帰ろうと思うから僕の家での打ち上げは無理だって」
総司が言うと、部員の一人が驚いたように言う。
「今から!?明日学校あるんだぜ!?無理無理。打ち上げやろうぜ」
「だからやらないって」

チン
という音と共にエレベーターの扉が開いて総司の部屋のある階についた。
「ちょっと降りなくていいから。ほらまた乗って……」
「わあ!沖田君のマンションきれいね〜」
女子マネがするりと降りると、それに続いて他の部員たちも降り始める。「だからほんとに……」半ば本気で苛立ちながらそう言った総司の声は、自分の部屋のドアの前に誰かが立っているのに気が付いて途切れた。

暗い廊下の電気のせいで見にくいが、あの姿かたちは女の子で……

「……千鶴ちゃん……」

ふんわりした膝丈のスカートに白のブラウス。
紙袋とカバンを持って、総司の扉の前で立っていたのは千鶴だった。

茫然と立ち止まる総司と、その隣に立っている女子マネージャーの姿を見て、千鶴の顔はみるみるうちに赤くなる。
「あ、あの……すいませんでした、私、連絡もせずに……ここ、あの、電波が入りづらくて、その……」
平助たちを含めて6人の男性部員、一人の女子マネージャー、そして総司。
皆の視線を浴びながら、千鶴は焦ったように小走りに総司にかけよると、持っていた紙袋を渡した。
「あの、すいません。あの……これ、作ったので渡したくて…。クッキーなんですけどすいません。ちゃんと連絡すればよかったですよね、その、来るつもりはなかったんですけどクッキーを、わ、渡したくなって……」
おどおどと言い訳をくりかえし紙袋を総司に押し付ける。
そして「お邪魔してスイマセンでした!じゃあ…」と言って、千鶴はちらりとエレベーターの方を見た。しかしそこには部員達の壁。千鶴は横からいける階段の方へとくるりと体をむけた。
「ま、待ってよ!千鶴!千鶴ちゃん!」
慌てて総司が手首をつかむ。
心得ている平助と一は、部員と女子マネージャーに千鶴の事を説明し、まだその階にいたエレベータへと乗り込もうとボタンを押した。
「千鶴ちゃん待って。……その……来てくれたんだ?」
部員たちを乗せて閉まるエレベーターの扉越しに、妙に殊勝な総司の声が聞こえてきて、平助と一は顔を見合わせてほっと微笑んだ。


「すいませんでした。ほんとに……なんで私連絡もせずにこんなことをしちゃったのか……。沖田先輩明日も大学ですよね。遅くにすいませんでした、あの……あの人達、帰っちゃったみたいですけど……」
階段を降りようとする体勢で半ばこちらに背を向けたまま、上ずったようにしゃべり続ける千鶴を見て、総司は胸の奥から暖かいものがこみ上げるのを感じた。
笑い出したくなると同時に泣きたくもなる。愛おしくて大事に抱きしめたいと思うと同時に、乱暴に奪いたいとも思う。
総司は後ろから千鶴を抱きしめて髪に頬をうずめた。
「……」
壊れたラジオのようにしゃべっていた千鶴が静かになる。
「……来てくれて嬉しいよ」
「……連絡もしないですいませんでした……」
「謝らなくていいよ。……いつから待っててくれたの?」
「……3時くらいの電車に乗ったので……」
夕方の6時にはここに着く。と、いうことは。
「四時間も待っててくれたんだ…」
「携帯電話も電波が入らなくてしかも充電もちゃんとしてなかったんで途中で充電がきれちゃって……。 このあたりを歩いてみたんですがコンビニも見当たらなくて」
「一回しか来たこと無いもんね」
腕の中で千鶴がこちらを向くのを感じて、総司は腕を緩めた。先程までの妙におどおどしていた千鶴ではなく、いつもの千鶴の表情だ。
そして彼女は総司に紙袋を差し出した。
「あの、これ……。クッキーです。すいません、そんなにうまくできてないかも、です」
総司は手を伸ばして紙袋を受け取る。「ありがとう」と言うと千鶴はにっこりと嬉しそうに微笑んだ。
そしてしばらく、妙に幸せそうな顔で総司を眺めて。

「私、帰りますね。今ならまだ最終電車に間に合うんで」
そう言ってあっさりと総司の傍から離れた千鶴に総司は聞いた。
「え?帰るの?ほんとにこれを渡しに来ただけ?」
千鶴は頷く。
「それと……沖田先輩の顔が見たかったんです」
いたずらっぽくそう笑うと、千鶴は首をかしげた。
「せっかく七夕の雨も上がったし、沖田先輩に会いたいなって。クッキーは……口実です。じゃあ、私明日期末テストなんで帰ります。お友達のみなさんに申し訳なかったですと謝っておいてくださいね」
さらにあっさりそう言って、今度はエレベーターの方へ向かおうとする千鶴の手首を、総司は再び捕まえた。
あれだけ嬉しくなるようなことを言われて帰すわけがないだろう。
「だめ、帰さない」
そう言って、再び彼女を胸に閉じ込める。「沖田先輩…」と少しだけ困ったように腕の中で振り向く彼女の唇を、総司は優しく甘くとらえた。
柔らかい唇、甘い吐息、滑らかな髪の感触に、華奢な体。
総司はすぐに夢中になった。
角度をつけて唇をわり、後ろに頭を引こうとする千鶴の唇をさらに追いかけて深く絡める。
「ん……先輩…私、ほんとに……電車が……」
総司の唇は、千鶴の顎を辿り耳を優しく舐める。
「……友達に車借りるよ。朝、ちゃんと高校に間に合うように送ってくから、今日は泊まって」
「先輩……」
肩の力を抜いた千鶴を、総司は再び抱きしめた。

いつも欲しい。
ずっと一緒にいたい。
どんな形でも。どんな手段を使っても。

その思いは今も変わらないけれど。
でも、千鶴の心からの笑顔がとても好きだ。それを僕に向けてくれるのが。
大事にしたい。
大事にしていられるようになりたい。
そして多分彼女なら大丈夫だと思える。
また不安になるかもしれないけど、きっと大丈夫。

総司は千鶴の手を握ると、自分の部屋へと促した。
「合鍵あげるね」
耳元でそう言い、嬉しそうに頬を染める愛しい彼女の顔を総司は見た。

きっと今頃天の川の岸では、織姫と彦星も同じような顔をしているに違いないと思いながら、総司はドアを閉めたのだった。










【終】

沖田先輩、いつの間に免許をとったの
  





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