次の日の朝。
総司は駅で千鶴が来るのをいつも通り待っていた。
千鶴は昨日一と二人で去って行ってしまったきり、総司からの電話にもメールにも出てくれなかった。
総司は相当不安な心を抱えながら、それでも見た目は平然と千鶴が来るのを待つ。
改札から、見慣れた二人……平助と千鶴が出てくるのに気づき、総司は一歩前へでて明るく呼びかけた。
「千鶴ちゃ……」
「千鶴」
総司の言葉にかぶせるように、いつからいたのか一が背後から千鶴に呼びかけた。
「斎藤先輩!」
当然総司も千鶴の視界に入っているはずなのに、千鶴は見事にスルーして一の傍にかけよった。
「おはようございます、斎藤先輩!」
「ああ、おはよう」
「昨日は……どうもありがとうございました!すごく……気持ちよかったです……///」
「そう言ってくれると、俺も嬉しい」
きらきらと目を輝かせ、頬をほんのりそめて見つめあう一と千鶴を、総司は目を剥いて見た。
どーいうことっ!?という思いを込めて隣の平助を見るが、平助は気まずそうにふいっと目をそらす。
それがまた妙に……憐れまれているような感じで、総司は焦って千鶴に話しかけた。
「ち、千鶴ちゃん!昨日の話なんだけど……」
「あの後、体は大丈夫だったか?」
またもや総司の言葉にかぶせて、一が千鶴に聞いた。千鶴はポッを頬を染めて俯く。
「は、はい……。大丈夫です」
一は、いやに優しい目で千鶴を見つめる。
「そうか、無理をさせて悪かった」
「いえっ!そんな!斎藤先輩が悪いんじゃなくて、私が無理矢理お願いしちゃったんです。でもすごく……気持ちよかったです……////」
総司の右脳で、ぶちっと何かが切れる音がした。
「だーーーー!もう!限界だよ!どーいうこと?昨日、千鶴ちゃん一君ちに行ったの!?」
一と千鶴の肩を掴んで間に入り、総司は叫んだ。
さすがに目の前に来られて無視が出来なかったのか、千鶴は初めて総司と目を合わせた。
「沖田先輩。おはようございます」
他人行儀に挨拶をする千鶴に、総司はもう一度聞く。
「千鶴ちゃん、ちゃんと答えて。昨日一君ちに行ったの?何したの?」
「斎藤先輩の家になんて行ってませんよ?」
平然という千鶴の言葉に、総司はムッとして言う。
「ウソでしょ。すぐわかるよそんなの。行ったんでしょ?」
「行ってません」
つん、と横を向いてしまった千鶴に、総司はぐっと怒りと共に言葉を呑みこむ。
「〜〜〜じゃあ、気持ちよかったって何が気持ちよかったのさ?」
質問を変えた総司を横目でチラリとみて、千鶴は答えた。
「何がって……そんなこと、もう忘れました」
「っ忘れるわけないでしょ!今話してたじゃないか!一君!」
総司は今度は一に向き直った。
「昨日千鶴ちゃんと何したのさ!」
「……」
一は、いつも通り静かな目で総司を見た。そして一言。
「忘れた」
「どーいうこと!?これなんのイジメ?」
髪をかきむしって発狂寸前の総司に、見かねた平助が言った。
「落ち着けって総司」
そして千鶴と一を顎でさす。
「ほら、わかんだろ?千鶴達が何言いたいかさ」
「……」
黙り込んだ総司に、千鶴が言った。
「さんざんしらを切られた、昨日の私の気持ち、わかりましたか?」
怒っているのにもかかわらず、優しくたしなめるような千鶴の瞳に、総司はぼんやりと頷いた。
「……ハイ……」
「ごめんなさいは?」
「……ゴメンナサイ……」
「あの女の人と何があったのか話してくれますか?」
総司はすがる様な目で一を見て、平助を見て、最後に千鶴を見た。どの瞳も『とっとと話せ!』と言っているのを悟り、総司はとうとう口を開き、先週あったことを3人に説明したのだった。
(「土下座」参照)
「……ったくなんだよ〜。ぎりぎりセーフじゃんか。変に隠さねーでとっとと言やぁよかったんだよ!」
平助が呆れたように言った。
「まったくだな。自ら疑惑を深めているようなものだ」
「話してくだされば、私だって別に……。そりゃ、ちょっとは嫌な思いはしたかもしれませんけど、結局思い出してあの女性の部屋を出てくださったんですし……」
口ぐちに責められて、総司は唇をとがらせて言い訳をした。
「……千鶴ちゃんの前では、完璧な男でいたかったんだよ」
「え?」
思わず聞き返した平助に、総司は再び言う。
「あんな、フラフラしたりしなくて、意思が強くて、嫉妬深くなくて、安定してる、頼れる男になりたいの!」
少し頬をそめ、怒ったように言う総司に、三人はあんぐりと口をあけた。一番先に我に返ったのは千鶴で、そっと総司の腕に手をかけ顔を覗き込む。
「……大丈夫ですよ。私、沖田先輩のこと、とっても頼りにしてます。これと決めたことには真剣で意志が強くて、すごいなっていつも尊敬してるんですよ?」
「……ホント?」
「本当です」
「……じゃあ、昨日一君ちで何してたの?」
嫉妬深くない男になりたいんじゃねーのかよっ!!
という平助の心の罵倒は聞こえないまま、千鶴は答えた。
「斎藤先輩の家で、二人でパン作りをしてたんです」
「パン!?」
「はい。生地を台に思いっきり叩きつけたり全身の力で思いっきりこねたり……すごく疲れたんですけどすっきりして気持ちよくて……楽しかったです」
そして二人でパンを作りながら、明日どうやって総司をこらしめようか綿密に打ち合わせをした。あの女性の事で落ち込んでいた千鶴は、パンづくりと、総司への仕返し、という普段滅多にできないことの作戦を練るのが楽しくてすっかり気分もよくなったのだった。
「パン……パンね。そっか……」
茫然と呟く総司に、千鶴はにっこりと笑った。
「今日、持ってきてるんです。お昼に一緒に食べましょうね」
そう言うと、平助を見る。
「今何時?もう行かないと遅刻しちゃうんじゃない?」
「あ!ほんとだ!やべ!!」
そう言うやいなや、平助と千鶴は駈け出す。沖田先輩と斎藤先輩も早く!と呼ぶ千鶴達に足を向けながら、総司はちらりと一を見た。
「パン作りね……ほんとにしてたの、それだけ?手を出したりしてないよね?」
全く進歩のない総司の言葉に、一は呆れかえっている内心を隠して嫣然と微笑んだ。
「どうだかな。千鶴は……柔らかかったぞ」
「!!」
目を剥いて固まった総司を楽しそうに見ながら、一は続けた。
「俺は我慢が出来ず、つい……」
「ちょっ!ちょっと待って!!や、や、柔らかいって何が!!」
思わず裏返ってしまった総司の声とは対照的に、一は落ち着いて答えた。
「パンのタネだ」
「パンのタネ………じゃ、じゃあ一君が我慢ができなかったってのは……」
「イースト菌の発酵が待てなくてな、十分に膨らむ前にガスを抜いてしまって……」
その後延々とパンづくりの苦労話を聞かされながら、総司は学校へと向かったのだった。