【Something
Blue 4−1】
『青は藍より出でて藍より青し』『Blue
Rose』の続編です。前作を読まないと話がわからないと思います(スイマセン……)。
内容については信用せずフィクションとしてお楽しみください。
庭の掃除をしようと住職の妻が竹ぼうきを持って外に出ると、見たことのない青年が立っていた。
すらっと背が高く均整のとれた体つきをしている。シンプルなTシャツに濃い茶色の細身のチノパンというどこにでもありそうな洋服にも関わらず、洗練された華やかな雰囲気がある。その青年は、じっと見晴しのいい張出にある木の方を見つめている。彼の視線の先をたどり、住職の妻ははっとした。そこには二日前から突然訪れるようになった柔らかい雰囲気を持った女性がこちらに背を向けてたたずんでいた。
その女性はおとといの昼ごろ突然現れた。
真っ白な肌に、人目を引く黒目がちの潤んだような大きな瞳。清楚な黒髪が肩に優しく揺れている。彼女は体調が悪そうな青白い顔をしながら、あの張出部分に一本だけ生えている木を昔大好きな人がいて、その人の供養のために自分がいるときだけでいいので根元でお線香をあげて、花を置いて、祈ってもいいか、と頼んできた。
何か理由がありそうな感じがしたし、なにより悪いことを考えるような女性に見えなかったため、住職の妻は快諾した。しばらくお参りをしたら花を持ってまた山を降りるのだろうと思っていたのだが、その女性は日が暮れるまでそこに立ち尽くし、時折ふもとの町を眺めたりするくらいで、ずっとその木を見つめていた。夕闇とともに、花を持ってお礼を言って彼女は山を降りて行ったのだが、次の朝またやってきて同じことを頼んだ。昨日はよくて今日は駄目というわけでもないし、こちらが慌てるほど恐縮している彼女の様子にまたもや木の根元で供養をすることを許可したのだが……。
ろくに食事もとっていないような彼女は、はかなくて本当に今にも倒れてしまいそうだった。具合が悪いのなら本殿横の部屋はクーラーも効いているし冷たいお茶もあるから、そこで座って休んでくれと伝えると、ありがとうございます、と礼儀正しく微笑むものの彼女は木の前から動こうとしなかった。たいして迷惑になることもないし、好感の持てる人柄でもあるし、住職の妻は悩みがあるのならなんとか聞いてあげたいと考えていた。悲しそうな顔をして木の根元を見つめる彼女は、その木が大好きだったという供養をしている人のもとへ今にも行ってしまいそうな不安定さがあった。
あの背の高い青年は、彼女の知り合いなのかもしれない……。
住職の妻はそう感じて、恐る恐るその青年にそっと声をかけた。
「あの……あのお嬢さんのお知り合いですか?」
自分の声に振り向いたその青年を見て、住職の妻は思わず息を呑んでしまった。薄茶色の柔らかそう髪に緑の瞳……。テレビの中でも滅多にいなさそうな整った顔立ちを彼はしていた。しかも顔立ち以外の何か……華やかな色気というのか魅力というのか……そんなものが溢れていて、こんな魅力的な人間がいるのかと彼女は思わず顔を赤くしてしまった。不思議そうに自分を見ている彼に、住職の妻は少し焦りながら説明をする。
「私はこの寺の者なんですけど、あの娘さん、二日前くらいから毎日来てね。ずっとあそこでああしてるんです。具合が悪そうだし、何か力になれればって思ってたんですけど……。あなたがお知り合いならいいんですが……」
住職の妻だというその女性の言葉に、総司は千鶴をちらりと見た。彼女は近づくものを拒むような、触れがたい雰囲気を醸し出してそこに立ち尽くしていた。山の透き通った空気に今にも溶けてしまいそうな繊細さと、俗なものを拒むような神聖さをまとっている。
「……彼女の…、婚約者になる予定の者です。ご心配をおかけしたようで、すいませんでした。彼女と……少し話したいので、あとしばらくこちらにお邪魔しててもご迷惑じゃないでしょうか?」
総司の言葉に、何故か住職の妻は顔を赤くした。
「そうですか、婚約者……。よかったです。ほんとうに。いえ、全然迷惑じゃないですよ。私は裏の掃除に行きますから、どうぞごゆっくり」
そう言って焦って去っていく住職の妻に総司は軽く会釈をしてから、また千鶴に向き直った。
声をかけてたり、触れたりしたら粉々にこわれてしまう薄いガラスのような彼女に、何を言えばいいのか……。
総司はしばらくためらっていたが、ゆっくりと足を進めて千鶴の近くまで歩いて行った。
「……千鶴ちゃん」
その声に、千鶴はゆっくりと振り向いた。そして総司が立っているのを認めると目を大きく見開く。
「沖田先輩……。どうしてここに……?アメリカは?」
零れ落ちそうな大きな瞳を見つめながら総司は千鶴の横に立った。
「……一君から全部聞いて。急いで帰ってきたんだ」
総司の言葉に、千鶴は黙り込み、そのまま視線を木の根元へ移す。
辺りには誰もいなくて千鶴は一人のようだけど、例の男はどこかに居て千鶴を待っているのだろうか……。そんなことを考えながら総司は千鶴の言葉を祈るように待った。
「……沖田先輩……。いえ、……総司さん」
千鶴はそう言ってゆっくりと総司を見上げる。総司は呼び名が変わったことに気が付いた。
「総司さんは……思い出していたんですよね?いつからですか?」
何を、と問わなくても何の話をしているのか、総司にはわかった。
「……高校二年のころかな。千鶴ちゃんと……いや、千鶴と出会ってすぐ」
そんな前から……。千鶴はつぶやいて、眺めのいい張出から町を見渡した。そのまま千鶴は黙り込んだ。総司も何を言えばいいのかわからず沈黙が続く。
かなりの時間がたったあと、ようやく千鶴がぽつんと話し出した。
「……総司さん。総司さんは知らないんですけど、私たち前世で子供がいたんですよ」
千鶴の言葉に、総司は目を見開いた。まじまじと千鶴の顔を見つめる。
「……僕の子なの?」
総司の言葉に返ってきたのは、千鶴の凍えそうな冷たい視線だった。その冷え具合の意味に気が付いて、総司はあわてる。
「いや!違うんだ!違う意味で……!僕の子だといいな、っていう意味だよ。ほんとに……!ほんとに僕の子なら嬉しい」
「……?どういう意味ですか?」
不審そうに聞く千鶴に、総司はボストンで千鶴の話を知ってからずっと、いや千鶴と出会ってからずっと不安に思っていた話を話す。自分が死んだあとの千鶴の生活について、ほかの男と再び夫婦になったのでは、という不安について。
千鶴はポカンと口をあげて、心底呆れたような顔をしていた。
「……結局総司さんは最後まで私の気持ちを全然信じてなかったってことですね」
なんだか怒っている千鶴に、総司はあわてて謝った。
「信じてるよ。信じてるんだけど……。つい……」
しょんぼりしている総司をみて、千鶴は溜息をついて微笑んだ。
「信じさせてあげられることが出来なかった私も悪いんですけど」
その千鶴の言葉と笑顔に励まされて、総司は言った。
「……君に、触れてもいいのかな」
「え?」
「……久しぶりに君に触れたいんだけど、なんだか……壊れちゃいそうだよね、触ると……」
いつもは場所や時間や雰囲気なんてお構いなしに、好きな時に好きなように触れてくる総司が、そんなことを聞いてくるのに千鶴は驚いた。
千鶴は、ゆっくりと総司の両手をとって、自分の背中から彼に抱え込んでもらうように総司の手を導き、後ろから抱きしめてもらう。久しぶりに総司の匂いと体温に包まれて、千鶴は全身のこわばりがほどけて行くのを感じた。総司も安心したように小さく溜息をついて千鶴の頭に顎を乗せる。
「赤ちゃん、無事に産まれたの?」
総司の言葉に、千鶴は総司の手を上から握ったまま木の根元に目をやった。
「総司さんが亡くなってすぐに妊娠がわかって……。ほんとにほんとに嬉しかったんです。毎日大きくなっていくお腹がとても幸せで、総司さんの命をつなぐことができたことにとても感謝していました」
そう言って、千鶴は口をつぐむ。総司は黙って千鶴の指に自分の指をからめた。
「……ちょうど今くらいの季節に無事に産まれてくれて……。女の子で、千代っていう名前にしたんです」
「女の子か……。千鶴に似てたよね、きっと。僕、女の子欲しかったんだ」
総司が嬉しそうに呟いた。
「でも……。二か月くらいで突然……」
その先は言わなかったけれど、総司にも何が起こったのかわかった。昔は出生率は極端に低かったしあり得ないことではない。
「……本当に悲しくて……。総司さんが生きた証を残せると思ったのに、儚くなってしまって、とてもつらかったです。私と総司さんの確かな絆のようなものも消えてしまった気がして……。もともと産後の肥立ちがあまり良くなかった私も、千代が亡くなってしまったショックでそのまま……」
自分が死んだあとの、千鶴のつらい人生を初めて知って総司は黙り込んだ。握る手に力を込める。千鶴は特に涙を流すでもなく淡々と続けた。
「お寺の子が、総司さんはここの張り出した場所からいつも夕日を見てた、って教えてくれたので、総司さんの灰はお経をあげてもらったあとにここに埋めさせてもらったんです。あのお寺の男の子が山から若木を持って来てくれて総司さんのお墓の印に植えてくれました」
千鶴が木を見上げる。総司もつられて今では大きく成長した大木を見上げた。
「千代も、同じこの木の根元に埋めてもらって、私もたぶんここに……」
千鶴の言葉に、総司はようやく千鶴が何をしにつらい体をおしてここまで来たのかをさとった。ずっとひとりぼっちにしていた自分たちの子どもに会いに来たのだ。千代と名付けられたその子は、父も母もなくして花を供えられることもなく、線香をあげてもらうこともなく、この大木の下でずっと眠っていたのだ……。
「……大丈夫だよ。僕も千鶴もいたんだし。きっとそんなに寂しくなかったと思うよ」
総司の言葉に千鶴は微笑んだ。
「……そうかもしれませんね」
「……それに、僕たちが奇跡みたいな確率で生まれ変わってまたこうやって結ばれたんだから、きっと……」
総司はそう言って、千鶴のお腹をそっと抱えた。
「きっとこのお腹にいるのも千代の生まれかわりなんじゃないのかな」
総司の言葉に、千鶴は腕の中で驚いたように振り向いた。
「……総司さん……。知って……?」
「うん、鈴鹿先輩から聞いたよ。心音が確認できないって。僕に知らせてくれればよかったのに。何もできないけど、君と不安を分け合いたかった」
千鶴は赤くなって俯いた。
「……ごめんなさい……」
「……大丈夫だよ。カンだけど、たぶんお腹の子は生きてるよ」
僕の子がそんなに簡単に死んじゃうわけないからね。そう悪戯っぽく言う総司に、千鶴は笑う。不安と安堵の涙がこみ上げてきたが、総司がそれを優しく指でぬぐってくれた。
「明日、いっしょに帰ろう?それからいっしょに鈴鹿先輩に診てもらおう。もう5日くらいたってるし、そろそろわかるんじゃないかな?」
「それからさ、千鶴。僕は2年で帰ってくるし君は大学生だし君の夢も知ってるから、一人でアメリカに行ったんだけど」
総司はそう言って千鶴の肩に手を置いてこちらを振り向かせた。
「でも、状況は変わったと思うんだ。おなかの赤ちゃんが順調だってわかったら……。そしたら一緒にアメリカに来てほしい。君の人生の中で2年だけ、僕に頂戴?ちゃんと日本に帰って落ち着いたら復学できるよう協力するから、今は千鶴の2年間を僕に欲しいんだ。初めての妊娠と出産で日本にいた方が安心なこともあると思うけど……アメリカに来てほしいっていうのは僕の我儘かもしれないけど……。でも2人にとって初めてのことを、君と一緒に経験したい。君の傍にいたい」
総司はそう言って、真剣な表情になって千鶴を見つめた。
「千鶴ちゃん。僕と結婚してくれませんか」
総司の緑の瞳を見つめながら、千鶴は涙が毀れるのを止められなかった。
「は、はい……」
かろうじてそう答えると、こらえきれずに総司の胸に飛び込んだ。総司も千鶴をぎゅっと抱きしめてくれる。総司の長い指が千鶴の顎にそっとかかり上向かせると、優しい唇が千鶴の涙をぬぐってくれた。
そのまま唇は頬を滑り降り、柔らかな唇をとらえる。千鶴も手を総司の頬にそっと添えて、優しいキスに応えた。
傍らの大木の葉が、風に揺られて、まるで二人に話しかけるように揺れていた。