【スノーホワイトを探して 3】








上から見下ろしたあのブロンズ像を、総司は病院の階段の踊り場にある窓からの景色で確かめた。そして10階以上だと確信を持つ。
病院のフロアマップを確かめると8階から上は入院棟になっていて、8階と9階は産婦人科、10階から12階がその他になっていた。産婦人科は当然ながらお腹の大きい妊婦や赤ちゃんを抱っこしているお母さん、そしてそれのお見舞いに来たらしき親族ばかりだ。
10階から12階だとは思うが、看護婦や病院関係者に正直に聞いて『スノーホワイト』の病室を教えてもらえるとは思えない。しかし入院患者数は多分50人以下程度のこの病院で一か月以上入院しつつ今日手術の患者といえば、かなりの確率で特定できそうだ。聞き方さえ上手くやれば…
そしてそいうのは総司は得意なのだ。
丁度通りかかった病院事務員らしき女性に、総司は困ったように話しかけた。
「あの…すいません。人に頼まれてお見舞いに来たんですけど、僕はその人の事をよくしらなくて。えーっと確か前からずっと入院していて今日重要な手術をするっていう若い女性なんですけど…」
「ああ、雪村さんですね」
人のよさそうなその事務員は、あまりにもあっさりと突破できた。しかも名前までも。
「そうです、雪村さん。病室の番号聞いてきたんですけど忘れてしまって。どこでしたっけ?」
「今は病室にはいらっしゃらないですよ」
事務員の言葉に総司は背中に冷たい滴が垂れたような気がした。
まさか、間に合わなかったのだろうか。
さっと青ざめた総司の表情に気づいたのだろう、事務員は慌てて続けた。
「ああ、違います違います!手術は上手くいきました。今は麻酔が覚めるまで回復室にいるんです。経過は良好ですのでご家族の方は入れるんですが一般のお見舞いの方は……」
「あ、僕家族代理なんです。彼女のご両親から頼まれてて」
父親の代理なのか母親の代理なのか、彼女の両親から何を頼まれているのか、そのへんは曖昧にぼかして、総司は自分がもつなかで一番邪気のないいい笑顔でにっこりと事務員に微笑みかけた。事務員は一瞬迷ったものの、頷くと回復室の場所を教えてくれた。

スライド式の大きな扉。
上には「回復室」と書いてある。
雪村……雪村なんというのだろう。『スノーホワイト』というアカウントは雪村の雪からつけたのだろうか。
総司は柄にもなくドキドキして扉の前で立ち止まった。麻酔が効いているというから彼女はまだ眠っているだろうと思うが、初めて顔をあわせるのだ。
総司はさっと髪をかき上げて、ゆるんでいたネクタイも締めなおす。
総司がそっと扉の取っ手にてをかけると、スライド式のドアは静かな音をたてて開いた。家族は入れると聞いていたのでもしかしたら彼女の家族がいるかもしれないと思ったのだが、部屋にはベッドが一つと脇机一つ、枕元に椅子が一つあるだけで誰もいなかった。
そしてベッドの上に眠っているのは……

僕の白雪姫だ

総司の視界には病室の景色はフェイドアウトして、真ん中のベッドに横たわっている『スノーホワイト』だけが浮かび上がる。
艶かな黒髪は病院の味気のない白いシーツの上に広がり、真っ黒な長いまつ毛が柔らかそうな頬に影を作っている。
少し顔色が悪いような気もするが、命に係わる手術後の様子には見えなかった。
「『スノーホワイト』……」
総司はゆっくりと彼女の枕元に立った。もちろん彼女は微動だにしない。
総司はカバンとコートを椅子の上に置くと、まじまじと彼女を見つめた。

本当に存在してたんだ……

ツイッターと写真でしか知らなかった彼女。
全て総司の脳内の想像にすぎないと言われてたらそれで終わりになってしまうところを、必死に探し求めて肉体のある彼女を見つけ出したのだ。
総司はゆっくりと手を差しだして、彼女の頬にふれようとした。
「何だよお前」
突然部屋の出口あたりから、男のとげとげした声がして総司は振り向いた。
そこに立っていたのは細身の男……男だろうか?男にしてはきめの細かい白い肌に黒目がちな瞳、繊細な顔の造形。しかし体つきは明らかに男だ。どこかで見たことがあるような……
総司は横たわっている『スノーホワイト』を見て、再び回復室の出口辺りで剣呑な表情でこちらをみている男を見た。
……似ている。
どっちがどっちかわからなくなる、と言う感じではないが顔のパーツの配置の感じとか、顎のとがった感じとか……
総司は千鶴と入口のオトコを指でさし比べた。
「……親戚?兄弟かな」
男の眉間の皺が深くなった。
「なんでこの部屋に入っているんだ。千鶴の知り合い?」
『スノーホワイト』の名前は千鶴というのか。
雪村千鶴。
「僕は彼女の……あ!もしかして君は『薫』?」
ふとひらめいて総司はそう言ったのだが、どうもあたりだったらしい。その男はいぶかしげに総司を見ながら扉を閉めて部屋の中に入ってきた。
「……俺を知ってるのか?お前、千鶴のなんなんだ?」
やはり『薫』だった。
これですべての憂いはなくなったと総司は喜ばしい思いでいっぱいだった。
『好きです』と告白してくれたからには、まさか彼氏持ちとかダンナもちではないだろうと思っていたが『薫』が元カレでまだ未練があって…とか、彼氏ではないが好きな人で…とかだと総司としても複雑だ。まあもちろん総司が一瞬ですべてを忘れさせるつもりではいたが。
薫の見た目は、千鶴の血縁者以外ありえない。病室に入れるのは家族だけという先ほどの事務員の言葉もある。
『薫』が総司のライバルになることは今後一切ないということなのだ。
「なんなんだ…と言われても……」
そうわかれば後は簡単だ。とにかく追い出されないようにしなくてはいけない。総司は肩をすくめて答えた。
「彼氏、かな」
薫は鼻で笑って即座に否定した。
「バカを言うな。千鶴に彼氏がいるなんて聞いたことないぞ」

「いるんだよ…っていうか最近そう言う関係になろうかっていう話になったから知らないんだね。まあ実は僕もまだ返事をしてないから正式につきあってるとはいえないかもしれないけど」
「はあ?なんだよそれ」
胡散臭そうにそう言う薫を後目に、総司はベッドに横たわっている『スノーホワイト』――千鶴を見た。眼差しが自然と優しくなる。
「僕は返事をしにきたんだ。……間に合ってよかった」
総司が手を伸ばし彼女の頬にそっと触れるのを、薫は今度は止めなかった。総司の千鶴をみる瞳の色、愛おしそうに、でも恐る恐る触れる長い指さき。
薫が初めて見るこの男が、妹の千鶴のことをとても大切に思っていることが伝わってきたからだ。
手術は無事に終わったものの、これで晴れて完治というわけではない。術後の経過によってはまた逆戻りもあり得るのだ。
それもあって薫は今は、例えこの胡散臭い男だろうと少しでも希望をかき集めたい気持ちだった。
千鶴のことをこの世に引き留めてくれる何か。彼女に対する愛情やら執着やらが一つでも多ければ、彼女があちら側に行くときの命綱になってくれるのではないか。そのためなら例えこの怪しい男の好意だろうと、千鶴のためには必要だと思える。

総司は薫に睨みつけられたまま平然と聞いた。
「……いつ目が覚めるのかな?」
「知らないけど、面会時間が終わった後なのは確実だな。俺自身もここにいられるのはあと少しだけだと言われてるし」
じゃあ今日は会えないのか。イヤミっぽい薫の言葉はスルーして、総司はまた尋ねた。
「なんで彼女が『スノーホワイト』なの?」
「……」
薫が目を剥いて総司を見る。いろいろ言いたいのに何から言えばいいのかわからない、といった表情の薫に、総司は追及されないように先に言った。
「彼女が自分で言ってたんだよ。『スノーホワイト』って。理由はきけなかったんだけどなんでかなって」
『スノーホワイト』があのツイッターアカウントだけに使われていたのか、それともいろんなところで彼女を表すときに『スノーホワイト』と言っていたのか。それは家族の間だけだったのか友達の間でも有名な呼び名だったのか。
そこらへんがわからない総司は、敢えてウソをついた。ツイッターで二週間前に知り合ったばかり、しかも多分この薫の売り払った中古パソコンが縁、などと知れたら面会時間終了より前に追い出されそうだ。
薫はムスッとした表情をしていたが、しばらくして口を開いた。
「俺たちは双子で、千鶴の病気は生まれつきだった。母親が白雪姫の話を読んでくれる時に、小さい子供にも分かるように千鶴は『白雪姫』だって言った。悪い魔女に騙されて毒のリンゴを食べてしまった。だからいつかそれを手術して取り出さなくちゃいけないって。お姫様にあこがれていた千鶴はその話を聞いて自分の病気を受け入れたんだ」
なるほど、と総司はうなずいた。
「じゃあ僕は彼女をめざめさせる王子様ってわけだね」
「バカじゃないのか。白雪姫の話をしたのは千鶴がまだ小さいときだよ。いい大人が何言ってんだか。しかも自分が王子様とか」
「モブキャラは黙ってなよ。主役二人がこれから物語をはじめるんだからさ」
「なっなにを……!!」
言い合いが始まりそうになった時、回復室のドアが開いて看護婦が顔を出した。
「すいません。そろそろ雪村さんを病室に移動しますね。術後の面会時間が終わりますのでご家族の方は今日はこれでお帰り下さい。明日の面会時間は9時から20時になります。夜中に何かあったらお兄様の方に連絡をいれさせていただきますね」
薫は看護婦に礼を言って、千鶴を心配そうに見た。
「あの、妹がなかなか目を覚まさないのですがこれは大丈夫なんでしょうか?」
「麻酔の効き具合は個人差がありますからねえ。血圧も正常ですし大丈夫ですよ」
パタパタと移動の準備を初めた看護婦たちを見ながら、総司はコートとカバンを手に持った。
そして同じくとなりでコートを着ている薫に言った。
「ほらね?」
薫は眉間にしわを寄せて総司を見た。
「何が『ほらね?』だよ」
「王子様に起こしてもらうのを待ってるんだよ、僕の白雪姫は」
「……」
ぞわっと鳥肌を立てて、何を気持ち悪いことを…!という表情をしている薫を置いて、総司はベッドの近くへ歩み寄った。
ベッドのストッパーを外したり点滴を用意している看護婦たちの邪魔にならないようにして、千鶴の枕元に立つ。
相変わらず眠り続けている彼女の顔を優しい顔で眺めてから、総司は体をかがめて彼女の頬にキスをした。
「おっおま……!!!!」
泡を吹きそうな形相の薫に、総司は微笑んだ。
「これで多分、目を覚ますと思うよ」
周りにいた看護婦たちが『まあっ』とか『ひゅー♪』などと冷やかすなか、総司は平然とコートを着る。薫が怒り狂って「とっとと出て行け!」と叫んでいるのをしり目に、総司は最後にちらりと横たわったままの千鶴を見てから部屋を出た。

明日、仕事が終わったらまた来よう。
僕は『スノーホワイト』の名前がわかったけど、彼女は僕の名前すら知らないんだから。
順序が逆だけどまず自己紹介をして。
そしていろんな話をしよう。
聞きたかったことを全部聞いて。
昨夜の彼女の最後のツイートを見たときの気持ちはもう思い出したくない。これからの彼女とその記憶を上書きして行こう。

昨日ですべてが終わりじゃなくてよかった。

今日一日は『スノーホワイト』をさがしだすのに費やしたのだが、見つけ出すことが出来たのは本当に幸運だったのだ。
総司は、昨夜の最後のツイートで彼女が言っていた「インターネットの神様」に感謝した。
彼だか彼女だかわからないが、その「インターネットの神様」が千鶴のあの最後のツイートを総司に見せてくれて、そして今日の午前中のネットカフェでの捜索に力を貸してくれたのだ。
いや、もっと前。
そもそも、総司があの中古のノートパソコンに目を止めたのも、その前にもともと総司が持っていたパソコンのスピーカーが壊れたのも。
薫が他の情報はすべて消したのにツイッターだけ残していたノートパソコンを売ったのも。
どこからがその「神様」のいたずらなのかわからない。
気が遠くなりそうな程膨大な「IF」と、いつ切れるかわからないくらい細い0と1の羅列が作り出すインターネットの絆の世界。
確率計算など意味を持たないくらいの圧倒的不利な確率で、総司と『スノーホワイト』は出会うことができたのだ。

明日はまずインターネットの神様に彼女と一緒にお礼を言おう。
そしてお互いにもう一度ツイッターのアカウントをつくってフォローする。
誰かの代わりじゃなくて、今度は僕と。

ツイッターのTLだけじゃなく、これからは実際に僕と話してほしい。
顔を見合わせて手で触れて抱きしめて。

その前にまずはイカスミのスパゲッティからかな

総司は、インターネットの神様は空に居るのか、コートのポケットの中にあるスマホの先にいるのかを考えながら病院の自動ドアを出た。
どこにいるのかわからないけれど、その神様はきっと微笑んでいるだろうと思いながら。





【終】



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