ようやく涼しく!




『私は、沖田さんが嫌いですっ』

そう言うと千鶴は踵を返してその場から走って立ち去った。
残された総司は、ポカンと立ち尽くす。

なんなの、一体。
なんで僕がいきなり悪者になってるの。

涙をためた大きな目でにらまれて、『嫌いです』。
その上走って逃げられて。
「僕何かした?」
してない。
何もしてない。どころか、男に襲われないようにわざわざ注意してあげて、全く危機感のない千鶴の無防備な発言にも耐えて諭して、夜の水浴びだって覗きもせずにちゃんと見張りをしたのだ。
感謝されて優しくされる方が当然だ。
なのに現実は、避けられまくって、ようやく話をした西瓜の時だってぎこちなくて。そうだ、あの時何か違和感があったけど、千鶴は総司の顔を見なかったのだ。総司に直接話しかけられても視線をそらしたりみんなへの回答にすり替えたり。
総司は、月の光の下で一人、腕を組んで考えた。
「……警戒されてるとか?」
最初の時に、彼女を見るとドキドキすると……いや、正確に言うと彼女の足首とか腕を見るとドキドキすると言った。
なかなか危機感を持ってくれない千鶴を焦らせるための方便だったのだが、千鶴はそれを真に受けたようだったのだ。
「それで避けられたってことは、要はフラれたってこと……だよね?」
別に千鶴のことを女の子だなんて見てなかったからそれは別にそれでいいはずなのに、総司は密かにショックを受けていた。
(……ふーん、なるほどね。千鶴ちゃんは僕みたいなのはタイプじゃないと。まあいいけどね。……別にいいよ。うん)
みたいな。
だがまあ、それは置いておいて。
千鶴は新選組の大事な人質……いや、保護対象だし、近所の子どものようにからかうと面白いし、これからも仲良くやっていこうと西瓜の時は普通にしたつもりだ。にもかかわらず顔すらみたくないというような対応。そして『嫌いです』。
「もう何がなんだか……」
わからない。かといって、面倒だから放っておこうと切り離す気にもなぜかなれない。だいたい『嫌い』とはなんなのだ。
千鶴は、総司が千鶴のことを好きだと思っているはずなのに。好きだという男に『嫌いだ』なんて、千鶴らしくないしそこまで嫌われるようなことをした覚えはない。
「……」
今からあの子の部屋にいって理由のわからない千鶴の態度を問い詰めてすっきりしようかと思ったが、あいにく一番組は明日は早朝の市中見回りだ。そして午後からは近藤の警護で日中は忙しい。
「……明日の夜も水浴びするしね」
どうせ明日もまた千鶴からは避けられまくるのだろうが、夜は逃げられない。
夜に、捕まえてきっちり話をつけてすっきりしよう。
「待ってなよ、千鶴ちゃん」
総司は挑むような緑の瞳で、千鶴の部屋がある方にそう言った。


しかし次の日の市中見回りはとんでもなく荒れた。
不審な浪士を誰何した一番組の隊士が逆に斬りつけられ、その騒ぎに気付いた浪士の仲間が宿屋からバラバラと飛び出してきて、市中で派手な立ち回りになったのだ。
浪士の人数が多く総司たちは不利だったがうまくかわして時間を稼いでいるうちに屯所からの応援が来て、全員取り押さえることができた。
「怪我してる人、早く山崎君の所に行って手当てしてもらって! それから君は土方さんに知らせに行ってくれる?」
「ああ、それから市中が殺気立ってるから、午後からの見回りの人数を増やすよ。午後の組の組長を呼んできて!」
屯所につくなり総司は矢継ぎ早に指示を出した。
「沖田組長!お怪我は……」
「僕は大丈夫。それより君の方がひどいから、早く手当てしてもらってきなよ」
「はっ!しかし、組長も血が……」
副組長の声に総司は左腕を軽く上げた。血で着物がべっとりと濡れている。
「ほとんど返り血だよ。ほら」
そういって総司は、自分の脇腹のアタリを指さした。そこには返り血と分かる鮮やかな血がついている。
「そうですか。では失礼して手当てをしてまいります」
副組長が去ると、総司は周囲を見渡した。新選組の方にも結構な被害が出たが、命の危険にかかわるようなものはなかった。この分なら明日の見回りにはまた今日と同じ状態で行けるだろう。
「総司!ご苦労だった」
ドタドタと足音高く土方がやってくると、総司はほっと肩の力を抜いた。
「報告、聞きましたよね?」
「ああ、だがお前からも聞きたいことがある」
「いいですよ。じゃあ傷の手当てをしてから部屋に行きます」
「怪我をしたのか」
総司が斬られることなんてめったにない。そこまで激しい斬り合いだったのかと土方の顔が険しくなった。
「大した怪我じゃありませんよ。乱戦で味方の刃がかすっただけです」
総司はそういうと、ホラと左腕の細い切り傷を見せた。ちょうど血管の上だったようで派手に血が出ているが、傷自体は小さい。
「そうか。じゃあ早く手当てしてこい」
「はーい」


総司が向かったのは、千鶴に水浴びをさせているあの井戸だった。
総司はここで一人で傷の手当てをすることが多い。井戸端につくと、総司はふうとため息をついて井戸囲いに背を持たせかけて座った。斬り合いの高揚が少しづつ収まっていくのを感じる。瞳を閉じて自分の呼吸に集中し、総司は気持ちを落ち着かせていった。
ちらりとけがをした左腕を見る。もう血もとまりかけている。

血を洗い流して……包帯はどうしようかな。

そんなことを考えながらぼんやりしていると。
「沖田さん!!」
悲鳴のような呼び声に、総司は驚いて寄りかかっていた背を起こした。青ざめた顔で必死に走ってくるのが千鶴だとわかると、総司はもう一度井戸囲いに背をもたせかける。今度はこころなしぐったりとした感じで。
「沖田さん!け、怪我したって……っあっ……血、ひどい血が……どうしてこんなところで…は、早く手当てしないと」
泣きそうな顔で千鶴は総司の横にひざまずき、どこから手を付ければいいのかとおろおろと手を泳がせた。散々自分を避けていた千鶴が近くに駆け寄って心配そうに半泣きになっているのが面白くて心地よくて、総司のいたずら心は大いにくすぐられた。
「……騒がないで。傷に響く」
眉根を寄せて辛そうに。呼吸を浅くして目は閉じたまま。
「あっ、す、すいません…っ。でも、手当を……」
「自分でやるから。君はあっちに行っててくれるかな」
「どうしてですか?私、お手伝いします。怪我はどこですか?ここ……」
「あっ!痛!」
「ごっごめんなさい!!大丈夫ですか!?」
総司が我慢ができたのはそこまでだった。千鶴の必死の様子がかわいいのと楽しいのとで、こらえようこらえようと思っていた笑いがもれてしまう。
「ふっ……くっ…」
「沖田さん!」
苦しんでるのかと思ったのか、千鶴は、いまにも総司が死ぬのではというようなおびえた声をあげた。
「あーっはっはっはっは!!!」
とうとう総司はお腹を抱えて大笑いをした。だめだ、もう我慢できない。「あはははははっ千鶴ちゃん……!必死だね」
さっきまでぐったりしていた体を折り曲げて大きな声で笑っている総司を、千鶴は目を見開いてみている。
「沖田さん……?」
「あはははっ!あー面白かった!千鶴ちゃん、僕を嫌いなくせに。死にそうになると優しくしてくれるんだね」
目じりの涙を拭きながら千鶴を見る。ようやく事情がわかったのか、千鶴の顔がみるみる赤くなっていった。
「だ、だましたんですか?」
「だましたっていうか。君が勝手に誤解したんでしょ。『沖田さん!』なんて心配そうな声でさ。大けがしたら優しくしてもらえるんなら、最初っから死にそうになってればよかったのかな」
千鶴の顔が、今度は青ざめていくのを見て、総司は今の発言が失敗した事を悟った。案の定、千鶴はパッと立ち上がると駈け出す。
過去二回。
目の前から逃げ出されおいていかれた経験をしていればもう慣れたものだ。総司の対応は早かった。立ち上がり追いかける。わかってさえいれば、体格差や運動神経からいって千鶴に逃げられることなどないのだ。
総司は千鶴の腕をつかんだ。

「待って待って!ちょっと待って」

握ってみて驚くほど細い千鶴の腕にたじろぎながら、総司は顔を背けている千鶴の顔を覗き込む。
「ごめん、今のは僕が悪かった」
千鶴の大きな潤んだ目が総司を見上げる。総司は、心臓が身震いするようにドクンと鳴ったのを感じた。
千鶴と目を合わせたのは久しぶりのように感じる。

こんなに……こんなに……

その後に続く言葉を、総司は混乱していて思いつかなかった。
握っている千鶴の細い腕。華奢な肩。白くて滑らかなうなじ。大きな瞳を縁取る長い睫。
今まであまり注意して見たことのなかったパーツが総司の目に飛び込んでくる。
こんなに……はかないかんじだったっけ?守ってあげたくなるような感じだっただろうか?じっと目を見るとドギマギと視線をそらしたくなるようなそんな感じだっただろうか。
総司は目をそらして、千鶴を握っていた手を離した。
「えーっと……謝りたいんだ。今回の件もだけど、前のも。仲直りをしたい。ごめんね」
「……」
千鶴は黙ったまま総司に向き直った。
総司は居心地の悪さを覚える。これまでの力関係が逆転したような心細さ。千鶴の次の一言で、総司の立場が極楽か地獄に決まるような感じ。なぜ彼女がその決定権を持っているのか総司にはさっぱりわからないけれど。

「……どうして、何に、謝っているんですか?」

謝罪を拒絶するでもなく受け入れてくれるわけでもなく逆に質問されて、総司はさらに居心地が悪くなる。正直なところ、総司にも千鶴が何にそんなに怒っているのかわからないのだ。
「うーん……何かな。よくわからないけど。でも千鶴ちゃんと、昨日とか今日みたいにぎくしゃくするのは嫌なんだよね。やっぱり君は笑った顔の方がかわいいし。だから、逆に何に怒ってるかを教えてくれれば、ちゃんとなおすよ」
総司にしては破格の譲歩だと思うのだが、千鶴は更に瞳を見開いて総司を見つめるだけだ。
「何?ほんとだよ。僕は嘘は嫌いだし」
疑われてるのかと、総司が両手を開いて何も後ろめたいことはないと意思表示をすると、千鶴は怒ったように首を横に振った。
「……違うんです」
そう言ってうつむいた千鶴の雰囲気が少し緩んだような気がして、総司は千鶴の顔を覗き込んだ。
「何?本当に言ってくれればなおすよ」
千鶴は困ったように総司を見て笑った。総司の好きな笑顔だ。……少しだけ苦いものが混じっている笑顔だったけど。

「違います。……沖田さんは本当にずるいなって」

『ずるい』とはいうもののもう怒っていなさそうで、総司はほっと肩の力を抜いた。
「ずるくないよ」
「ずるいです」
「ずるくないって」
首を横に振る千鶴に、総司はため息をついて小さく伸びをした。
「まあいいや。よくわからないけど、仲直りはできたんだよね?」
総司がそう聞くと、千鶴は微妙な表情であいまいにうなずいた。総司はにっこりとほほ笑むと、千鶴に左腕を差し出す。
「じゃあ、仲直りのしるしに、手当してくれる?」
千鶴は総司の笑顔をを見て、左腕の小さな傷を見て、そしてあきらめたように笑った。

「はい。もちろんです」