まだまだ暑いですねー
しゃり!というみずみずしい音。
口の中に広がるひんやり冷たい甘い水。
「おいしいですっ」
千鶴は、かぶりついた西瓜を飲み込み、心の底からそう言った。
「だろ?」
隣で座って食べてる平助も嬉しそうに応える。
「千鶴が暑さで参ってるだろうから持ってってやれって土方さんが、な」
左之も、井戸べりにある囲いに寄りかかり立ったまま西瓜にかぶりつき、そう言った。
「副長に感謝せねばな」
既に食べ終え口の周りを拭いている斎藤が言う。
「そうですか。土方さんが」
千鶴は土方に心の中で礼を言った。だって本当に生きかえる心地がする。冬に体があったかくなる食べ物はいろいろあるけど、夏に素涼しくなる食べ物はあまりない。
氷かきっていうのがそれなのかなって思ってたけど…
氷かきの話を昨夜したときのことを思い出して、千鶴の体温はまた上がってしまった。総司から『君を見ているとドキドキする』と言われて、女性を見るような眼で見られて、慌てて逃げ出してしまった。逃げ出してから何回も何回も思い出して夢にも見て。
今朝、普通にしようと思って朝食を食べる部屋に行ったが、どーしても顔を見られない。話しかけられないように斎藤の後ろに隠れてそそくさと朝食を食べ、さっと自分の部屋に逃げ帰ってしまった。その後から昼過ぎのいままでずっと、総司の姿を見かけては隠れたり逃げたり。
どうすればいいんだろう。このままじゃ他の人にも変に思われちゃうし、沖田さんにだって……
「あれ、いいもの食べてますね」
ふいに、ちょうど考えていた人の声が降ってきて、千鶴は西瓜にかじりついたまま固まった。西瓜にかじりついて井戸端に座っている今の状態では逃げられない。千鶴は必死に考える。
「あ、あの、私、その、台所に行って……」
「千鶴ちゃん、横の桶に置いてある食べてないの、僕にくれる?」
逃げ出そうとする前に総司にそう言われ、新しい西瓜の一切れを渡そうとしている間に隣に座られてしまった。
これでは逃げられない。
「……」
「今は逃げないんだね」
にっこりと笑いながら覗き込むようにして総司からそう言われ、千鶴の顔は青くなったり赤くなったり忙しい。
「逃げる?」「何の話だ?」左之と斎藤が聞き返し、平助も食べるのを止めてこちらを見た。
「千鶴ちゃんに手や足をむやみに出すなって言ってから、避けられてるだよね、僕。朝から斎藤君の後ろに隠れたり柱の後ろに隠れたり。廊下の反対側で見かけたらあからさまに庭の方に逃げたりさ。貧乏くじっていうか火中の栗っていうか。みーんな千鶴ちゃんにそれを言うのが嫌だって逃げ出して、僕がイヤイヤ言わされて、それで今、避けられまくってるってわけ」
皆さんを代表して沖田さんが……
千鶴は驚いた。そうだったのか。それほど目に余る格好を千鶴がしていたのに、それをわざわざ注意しに来てくれた総司に、感謝しなくてはいけないのに。
平助が気まずそうに言った。「いや、千鶴、それは総司に押し付けちまった俺らも悪くてさあ……」
「だな」左之も申し訳なさそうにうなずく。「あんま避けないでやってくれねえか。そもそもありゃあ土方さんが……」
斎藤も話に加わる。「俺はその時不在だったので知らんが、何かあったのか?」
斎藤の問いに平助と左之が、その時のことを説明しだす。
「確かに暑くなってくるのに着こんでいろというのは酷ではあるな」「でも女の子だってバレやすくなっちまうだろ?」
「まあなあ。見た目も女っぽいっ……つか女だし、仕草とか話し言葉とか、声とかなあ」
皆が千鶴の男装について話し合っている中で、隣に座っている総司がこそっと千鶴の耳元にささやいた。
「君のことを好きだって言ってる男に、その態度はないんじゃないの?」
千鶴は今度こそ全身赤くなった。きっとなってる。見れないけど。
だって燃え上がっちゃうんじゃないかってくらい全身が熱い。せっかく西瓜で涼しくなったのに。
千鶴と総司には気づかないまま、平助たちはまだ話し合っていた。
「着替えとか風呂とかだっていろいろ困ってるよなあ。なあ千鶴?」
左之に突然聞かれて、千鶴は慌てた。「えっとそれは、えっと」昨夜の、屯所の外れの井戸であった出来事を思い出してパニックになってしまった千鶴をよそに、総司がさらりと答える。
「そう思って、千鶴ちゃんが足とか腕を出さない代わりにこれから毎晩水浴びをさせてあげることにしたんですよ、僕の見張りで」
そ、そういえばそんな話をしたっけと千鶴は焦った。
その後の出来事のせいですっかり忘れていたけれど、これから。毎晩。総司と二人きりになるのか。
水浴びはほんっとうに嬉しいし、したいけれど……
左之達は口々に、それはいい案だ、千鶴も気持ちいいだろうし、総司にしてはやるじゃねえかと言ってくれた。のだが、肝心の総司が意地悪な横目で千鶴を見る。
「でもねえ、ここまで避けられまくると、僕が夜の水浴びに連れ出すのもかえって迷惑なのかなーなんて思っちゃうよね」
「え?」
左之が聞いた。「避けてるって、そこまで避けてんのか?あれか?腕とか足を見せんなって言われたのが堪えて避けてたのか?」
「いえ、そんな……それは、その、……」
避けていたのは、千鶴とみるとドキドキすると言われた時の総司に、なぜか千鶴がドキドキしてしまって挙動不審になってしまうのを避けようとして総司と顔を合わせること自体を避けていただけなのだが。
「でもそれは、皆の合意を総司が代表して伝えただけだということはもうわかっただろう?」斎藤に言われて千鶴はうなずくしかない。
「はい。男装がばれてしまうのは、皆さんにご迷惑をおかけしてしまいますし……」
「それに千鶴ちゃんだって危ないよ?女の子だってわかったら何をされるかわからないし」
総司に言われて千鶴は昨夜の井戸端での会話を思い出した。
『君も女の子だったんだなって、白い足首とか細い腕とか見ると思っちゃうんだよね。このままだと自分が抑えられなくなりそうで、正直なところ困ってるんだけど』
「……」
かああああっと音がしているのではないかと思うくらいの勢いで顔が赤くなるのがわかる。
「ま、だから総司が水浴びの手配をしてやるのが一番いいんじゃねえの?千鶴も迷惑じゃないだろ?」
「え……は、い……」
迷惑じゃない、けど緊張はする。どんな顔をして何を話せばいいのかわからない。
『君のことを好きだって言ってる男に、その態度はないんじゃない?』
ほ、ほんとうなのかな?だっていっつも斬るとか殺すとか言ってて……最初の頃だけだけど。
今は普通だけど、女の子扱いっていうよりは近所の子供たちと同じ扱いのような……
でも、それを言われた時心が浮き立つくらいざわめいて、嬉しかった。困ってしまうくらい。
昨日の言葉だって、キラキラしすぎてて直視できないだけで、本当は嬉しい。嬉しすぎて困るというか。
「迷惑そうじゃない?千鶴ちゃん、優しいからはっきり言えないだけで。平助が代わりに見張りをしたらいいんじゃないの」
「俺はこれから当分夜番。一君もだろ?」
「俺は、土方さんからしばらく近藤さんの警護を言いつかってんだよな」左之も頭をぼりぼりとかく。「だから、総司。見張りたのむわ」
「えー?まあ、左之さんに頼まれたら断れないですけど……千鶴ちゃんはどうなの?僕でいいの?」
隣に座っている総司に覗き込まれてそう聞かれ、千鶴は不自然だろうなと思いながらも視線をさけてうなずいだ。
「うなずいただけじゃあね。君の気持ちを言葉で聞かせてもらえないと、安心して水浴びの見張りなんかできないよ」
「……」
楽しそうな声。これは絶対いつものだ。
ちくちくいじめてからかって、うまく流せない千鶴をもてあそんでいる総司のお気に入りのあそび。
千鶴の反応を総司が楽しんでいるのがわかるから余計に悔しい。
……けど、ここで、斎藤や平助、左之が見てる前では、こういうしかないではないか。
「……沖田さん、お願いしま、す……」
「え?お願い?何を?あ、そうだ。男装を完ぺきにするためにもさ、ここは武士言葉で言ってみてよ。っていうかこれからずっと武士言葉で話せば?君の声はあからさまに女の子なんだしせめて言葉遣いで男だって表現したらいいんじゃない?」
「……」
また上げられたハードルに千鶴が唖然としていると、斎藤が真顔でうなずいた。
「それはいいかもしれんな。女子は武士言葉は使わんものだ。言ってみろ、千鶴」
斎藤まで。
千鶴はしょうがなく口を開いた。
「えっと……沖田さ、沖田、殿に、お願いしたい、でござる」
総司は笑いをかみ殺した顔を傾ける。
「お願い?何を?」
「……水浴びの、私の……それがしの、水浴びの見張りを、お願いしたい」
左之と平助も肩を震わせているのを感じながら、千鶴はなんとかそういった。ぶっと一瞬吹き出したが、それをこらえて総司はうなずいた。
「まあ、千鶴ちゃんがそうしてほしいなら」
「あ、ありがとうござい……ありがとうでござる」
ぶぶぶーーーー!っと総司と平助、左之が吹き出す。斎藤だけが生真面目に、「千鶴、『ありがとうでござる』とは言わん。『かたじけない』でいいのではないか」と訂正するのを聞いて、三人は今度はお腹をかかえて大笑いだ。
真っ赤になっている千鶴に、総司は涙を拭きながら言った。
「あー面白かった!楽しませてもらったから、朝から避けまくられたのは許してあげるよ」
そして立ち上がる。
「武術指導があるんで、僕はもう行くよ。西瓜ごちそうさま。……千鶴ちゃん、夜に行くから今後は逃げないようにね」
「ほら、早く水浴びをしたら?ちょうどいまは月がいい感じにでてるしさ」
こちらに背を向けて、前から誰も来ていないかを見張っている総司にそう言われたが、千鶴は服を脱ぐのを戸惑っていた。昨日はまだ、総司からそういうことを言われる前だったから意識せずに水浴びできたけど……だって総司がちょっと振り向いたら、見えてしまうではないか。
なかなか聞こえてこない水浴びの音に、総司が言う。
「何?覗いたりしないよ?島原に行けば覗きたくなるような女の人がたくさんいて優しくしてくれるからね、ここでわざわざ君を覗いたりしないって。安心して水浴びしていいよ」
島原……
その言葉にびっくりするほど胸を突かれた。
「は、はい。すいません」と虚ろに言って、千鶴は腰ひもをほどく。井戸から水をくみ上げて、頭からかけた。
『君のことを好きだって言ってる男に、その態度はないんじゃない?』
『島原に行けば覗きたくなるような女の人がたくさんいて優しくしてくれるからね』
二つの言葉が頭を埋め尽くす。
ずくずくと胸の奥がうずいて泣きたいような気持になりながら、千鶴は水浴びを終えた。
「あれ?早かったね。ゆっくりしていいって言ったのに」
「……いえ、大丈夫です」
一生懸命笑おうと思ったけど、硬い表情しかできてない気がする。総司は気にしてないようだけど。
「なんで?僕のことが信用できない?君にそう思われるのはつらいなあ」
まったくつらそうじゃない明るい笑顔。千鶴の方は昨夜から辛かったり悲しかったり舞い上がったり幸せだったりきりもみ状態なのに。
そのせいで思わず言ってしまった。甘える気持ちもあったかもしれない。『そんなことないよ』って言ってくれるんじゃないかって。
「沖田さん、私のこと好きなんかじゃないですよね」
返事はびっくりするくらい正直だった。
「うん」
傷つけてやろうなんて意地悪さもなく、気の置けない友達や近所の子どもに対するような、邪気のない。
それが余計に千鶴を傷つけた。
我慢していた涙が、瞳の奥で決壊したのを感じる。
ぼやける視界のなかで、千鶴はきっと総司をにらんだ。
「私は、沖田さんが嫌いですっ」
そう言うと千鶴は踵を返してその場から走って立ち去った。