【虚弱体質 2】



「沖田さん?大丈夫ですか?」
「もうホント、いっそ死にたい……」
雪村医院のベッドの上でこちらに背中を向けてさらに丸まるように小さくなった総司を、千鶴は覗き込んだ。布団を頭からかぶっていて表情は見えない。
「死ぬなんて言っちゃダメですよ。吐いたことを気にしてるんですか?」
「……」
無言ということはやっぱりそれを気にしていたのかと千鶴は小さくうなずいた。「吐いちゃいましたけど、病気だからしょうがないじゃないですか。それにちゃんとトイレで吐けてえらいです」
胃腸風邪やノロがはやりまくっているこの冬、雪村医院では幼稚園や小学生の子どもが待合室や隔離部屋で吐いてしまうことが多発しているのだ。それに比べたらちゃんとトイレの便器で吐いた総司は立派だ。千鶴は手伝うこともなくて、吐いてる総司のそばで背中をなでてあげていただけだった。
せっかくほめたのに、総司はさらに布団の中に小さくなった。布団の中にくぐもった聞きづらい声で総司がつぶやく。
「もうマジで殺して」
小さくなっても雪村医院の簡易ベッドには総司は大きすぎて、足が出てしまっていたけれど。
「だからそんなこと言っちゃダメです。大丈夫ですよ、私は看護師ですから吐いたものの処理なんて慣れっこです。子どもさんにはよくあることですから」
ざしゅっという、何かが深くえぐれるような音がどこかからしたが、千鶴は気にせず続けた。
「沖田さん、もうそろそろ診療時間が終われるんですが、帰れそうですか?」
ちょうどピピッという体温計の音がして、千鶴が手を差し出すと総司が手の上に熱を測った体温計を乗せた。
「38.7度……」
この熱ではつらいに違いない。
「沖田さん、自転車で来たんですよね」
さすがに冬の夜8時にこの熱で一人で患者を帰すわけにはいかない。「おうちの人に迎えに来てもらえないですか?」
「もう、ほんと大丈夫だから。一人で帰れるし」
そうやってむっくりと起き上がった総司の顔色は真っ白だ。胃腸風邪がひどいとこうなる人は多い。きっとふらふらで自転車なんで無理だろう。
「一人では無理ですよ。どうしよう……ちょっと待っていてください」
千鶴は急いで父親のところに行くと、早めに上がって総司を車で送って行っていいか聞いた。
「薫に頼んだらどうだ」
「薫は今日遅いって。さっき連絡があったの」
「ほかの看護師さんたちはみんな自転車と電車通勤だしなあ。タクシーにのせて終わりっていうのも未成年の子に対して無責任だしな。家に電話してみたけど誰もでないし、しょうがない。送って行ってあげてくれ」
中学生のころから月1から月2の頻度で来ていた総司のことは、父親の綱道も気にしている。千鶴はうなずくと、車のキイを持った。

「沖田さん、ここですか?」
かなり大きな一軒家だが、電気が消えて真っ暗だ。
「ご家族はどなたもいらっしゃらないんですか?」
「え?」
初めて気が付いたというように、総司は千鶴の車に寄りかかって自分の家を見た。熱があがりきったせいか目がトロンとして頬が赤い。
「あー……そういえば、姉さん、出張って言ってたな……」
聞いてみるとご両親は海外在住で社会人の姉と二人暮らしのようだ。ということは、「今夜は沖田さん一人なんですか?」
「うん。慣れてるから大丈夫だよ。送ってくれてありがとう」
目を合わせずにふらふらと門をあける総司を見て、千鶴は迷った。単なるかかりつけ医院の看護師が顔を突っ込むようなことではないのだが……
だが総司とはもう3年近い付き合いだし、この前一度休日に剣道の試合を見に行ったこともある。まったくの他人というわけではないだろう。いやたとえ他人だったとしても、あれだけ熱が高く吐いている状態で一人にするのは心配だ。
「沖田さん、待ってください。一人にするのは心配です。せめて落ち着くまでそばにいさせてもらえませんか?」
総司の紺色のダッフルをぎゅっと握ってそういうと、総司の緑の瞳が千鶴を見下ろした。何かを考えているような沈黙の後。
「……うん、ありがと」
素直にそういった表情がかわいくて、千鶴の胸はきゅんと鳴った。
千鶴よりずっと背が高くて肩幅も広くて、高校生の年下なのにどうもやりづらかったが、今は年相応の子どもに見える。
玄関から上に上がりながら千鶴は聞いた。
「もう寝たほうがいいですよね。薬を飲んでからの方がいいんですが、食べられそうですか?」
広いりピングのゆったりとしたソファに、総司はダッフルコートのままドサリと横になった。
「ん……、食欲ない」
そのまま目を閉じて眠ってしまいそうな総司を見て、千鶴はついてきてよかったと思った。千鶴がいなければ総司はたぶんこのままここで寝込んでしまい、だれも帰ってこないから朝までこのままで体は冷え切ってしまっていたに違いない。
「沖田さん、頑張って起き上がってください。お部屋はどこですか?二階?階段、上れますか?」
狭い階段を総司の腕をもって一緒に上がる。
「あっ」
「あ、ごめん」
総司が躓き、千鶴にのしかかるようにして壁に寄りかかった。「大丈夫ですか?」
必要以上に総司の腕が千鶴を抱きしめているような気がするけど、きっと総司が一人では立っていられないくらいふらふらなせいだろう。
それにしても男の子の成長ははやいなあ。うちの医院に来たばっかりの頃は、背ばっかり高くて細かったのに。
千鶴は総司が自分で立てるようになるまで総司の腕のなかでじっとしていた。今はすっぽりと抱きしめられてしまうほど、がっしりとしている。
二階のつきあたりが総司の部屋だった。
朝起きたばかりのままのベットが、高校生の男の子らしくてかわいい。
「パジャマはどこですか?」
「パジャマなんて着ないよ」
総司はそういうと、ベッドに腰かけてコートと制服を脱ぎだした。千鶴は慌てて後ろを向く。
「あの、私、飲み物を上にもってきますね」
部屋を出るときにちらりと見ると、総司はクローゼットからTシャツとジャージのようなものを出して着ていた。千鶴は台所に行くと、「ごめんなさい」と誰もいないキッチンで謝ってから冷蔵庫を開けた。
「あ、スポーツドリンクがある。お水も」
コップとペットボトルをもって総司の部屋に再び行くと、総司はすでにベッドに入っていた。部屋の電気を消して枕もとの電気だけをつける。
「飲み物と薬です。何か食べた方がいいですけど、無理ならいいですよ。飲んであったかくして、ゆっくり寝てくださいね」
枕もとにペットボトルと薬を置く。
「……帰っちゃうの?」
布団の中からそう言って見上げる総司の緑の瞳がかわいくて、千鶴はほほ笑んでしまった。
「そうですね。一晩中いるわけにはいかないですし」
「どうして?いてくれていいよ。1階の客間に布団があるし、風呂とか好きに使ってくれていいし」
なんだかほんとに、おいていかれる小さな男の子みたい。千鶴は「ふふっ」と笑うと、総司の額に手を当てた。
「ありがとうございます。でも帰ります。明日また連絡しますね。あ、そうだ。朝ごはん用に何か買ってきましょうか?おうちの中に食べるもの、あります?」
総司は寝ながら腕をあげて前髪をかきあげた。
「あー……ないな……」
「そうですか……どうしましょう。近くにコンビニとかありますか?スーパーとかでもいいですけど……」
「あ、じゃあ、おかゆ」
「え?」
「おかゆ、作って行ってくれるってのはダメ?」
千鶴は枕元で立ったまま総司を見下ろした。ベッドの上で寝ている彼は無防備で、部屋は薄暗くて、なんだかドキドキしてしまう。
「おかゆですか……そうですね。ちょっと台所をあさらせていただくことになっちゃいますけど」
「全然いいよ。昔両親がまだいたころ、僕が熱をだすといつも母親が一人用の土鍋でおかゆを作ってくれてたから、きっと土鍋はあるよ。米はキッチンカウンターの下」
病気の時はお母さんが恋しくなるものらしい。体は大きくてもまだまだ子供なのだ。千鶴はほほ笑むとうなずいた。
「わかりました。おかゆになにかいれますか?」
「ネギは嫌。大根とかの辛いのも」
千鶴の笑みは大きくなった。「わかりました。じゃあお塩だけしておきますね。朝起きたらあっためて食べてください」
「うん」
総司はそういったあと、しばらく言葉を探すように視線をさまよわせた。
「……いろいろ、ありがとうね」
目じりが少し赤い。千鶴はポンポンと布団をたたいた。
「いいんですよ。……いい夢を見られるといいですね」
千鶴がそういうと、総司は苦笑した。「なんかほんとに子ども扱いだなあ。……まあ今日はあんなとこみられちゃったしおんぶにだっこだったし、しょうがないといえばしょうがないんだど」
千鶴は反省した。総司は思春期真っ只中ではないか。
「ごめんなさい。もう高校生ですもんね」
「謝られるのも傷つくけどね。まあいいや、じゃ、子どもついでに帰る前におでこに『ちゅっ』ってしてくれない?そうしたら悪い夢をみないで眠れそう」
いたずらっぽくきらめく緑の瞳に、千鶴は『めっ』という顔をして首を横にふった。
「ほんとの子どもが言うことじゃないです」
そして床に脱ぎ散らかしてある総司の服を簡単にたたんで置くと、部屋をでる。
「おやすみなさい」
「おやすみ。ありがとう」

一階のキッチンでおかゆを作りながら、千鶴は先ほど総司が『おでこにキスをして』とねだった時の顔を思い出して一人で赤くなっていた。
最近の子は、子どもなのにあんなにマセた冗談を言うのね。
相手は高校生だというのに不覚にもドキドキしてしまった自分を叱りながら、千鶴はおかゆを混ぜた。








毎月12日のおきちづの日から2日遅れてしまいました。
昨日(13日)に「え?もしかしてもう12日過ぎてる……?」って気づきまして。急いで書きましたよ。びっくりした。
まだ12月6日くらいだと思ってた(´゚д゚`)
胃腸風邪、大丈夫ですか?はやってますよね〜。私はちょっとだけかかりましたが、寝込むほどではなかったです。胃腸系は強いんですよね、喉が弱いんですけど。
皆さんもご自愛くださいね!