虚弱体質





「総司は今日、休みか?」
竹刀の打ち合う音。気合いの声。踏み込む足音。
騒がしい高校の体育館で、斎藤は平助にそう聞いた。
先に一年生とともに素振りを済ませた斎藤は、少し息を弾ませている。
「あーなんかそう言ってたぜ」
平助と総司は同じクラスなのだ。
「風邪か」
またか、と斎藤が鼻を鳴らす。総司は、ガタイはいいくせによく体調を崩すのだ。
「いや、今日は違うってさ」
「ではなんだ」

「インフルエンザの予防注射」



「インフルエンザの予防接種ですね」
病院の受付の女性はそういうと、インフルエンザの予防接種用の問診票と体温計を総司に渡した。
薄桜学園の明るいブルーのジャケットとスラックス、黒のスクエアリュック。平日昼間の午後、子どもが多い病院の待合室の中で、背の高い総司は目立っていた。
総司はきょろきょろと周囲を見渡した。
いない……多分奥で仕事をしてるのかな?
込み合っている待合室の椅子へ向かおうとすると、後ろから別の声がかかった。

「あ、今日は予防接種の人はこっちで……」

『ゆきむらちづる』ちゃんの声だ。
総司が振り向くと、ちょうど奥から千鶴が出て来たところだった。白いナース服に紺色のカーディガン、ズボンにナースシューズ。彼女はそのまま総司を見て、受付を通り過ぎた奥を指さした。
「今日は風邪の患者さんが多いので、予防接種の人はこっちで待っていてもらえますか?」
待合室で風邪をもらってしまうのを避ける配慮だ。
毎月と言っていいほどこの病院に通っている総司にはその部屋の場所はすぐわかるけれど、千鶴が受付を回り込んで総司の前に立ちその部屋の扉を開けて電気をつけてくれるのを黙って待っていた。中二の時点ですでに千鶴より身長は高かった。高校に入ってから肩幅が広く厚くがっしりしてきて、そのせいか千鶴が近くにいるとその華奢さに、すっぽりと抱きかかえたらどんな感じなんだろうと妄想せずにはいれない高校生男子だ。細い手首。遅れ髪が一筋二筋垂れているうなじは華奢で、でもその先の頬は柔らかそうで、絶対いい匂いがするはず。
ごくり
思わずつばを飲み込んでしまった総司は、千鶴に下から見上げられて目を瞬いた。
「いらっしゃい……ていうのも変ですね。今日はインフルエンザの予防接種ですか?」
「うん」
「そうですか。混んでるからちょっとかかるかもしれません」
「はーい」
中学二年生から4年間。冬は風邪、春は花粉症、夏はお腹を壊し、秋は咳……何かと理由をつけて毎月一回は通ったかいがあって、今はすっかり総司と千鶴は顔なじみだった。
隣町の雪村医院。
中学時代に風邪をひいたとき、たまたまいつも行ってる病院が休みでしょうがなく行った病院だったが、アタリだった。
先生が丁寧で注射もそれほど痛くなく、病院もきれいだし行きやすい場所にある。そして何より看護師さんがかわいい。
体力バカともいえる高校生男子でインフルエンザの予防接種を受けるヤツは少ない。総司自身も毎年、斎藤や平助から、自ら進んで注射しに行くなんて奇特なヤツという目で見られている。が、全く気にしていない。

今日はラッキーだな。

総司は鼻歌でも歌いたい気分で、隔離された部屋の長椅子に座った。その部屋は診察室のすぐ裏にある多目的の部屋で、入ってすぐの右側には、採血をする机とその奥には看護師さんたちが作業する作業台がある。そしてそこの壁一面は上の方まで棚になっていて、小さな箱やら器具やらが置かれていた。入った正面の奥行きは広く、簡易ベッドが三台、それぞれ目隠し用のカーテンに囲われてあり、入って左側には、総司のように待合室から隔離された人用の小さな待合スペースがあった。
そんな部屋なので、看護師さんたちが入れ代わり立ち代わりこの部屋の右手にやってきて作業をしている。この医院は個人医院だから看護師の数もそれほど多くない。受付の女性を除けば3人。その中には千鶴も入っている。
今日の千鶴はノートを取り出し棚に積み上げている小さな箱の塊をガサガサとあさっていた。結構時間がかかりそうだ。
「今日、混んでるんだね」
総司が話しかけてみると千鶴は作業の手を一瞬とめ、待合室の方を見るようなそぶりをしてから答えた。
「そうなんです。急に寒くなったからですね。沖田さんはこんなに早い時期に予防接種をちゃんと打ちに来てえらいですね」
いささか子ども相手のような言葉に思えなくはないが、褒められたことに総司の胸は膨らんだ。思わずゆるみそうな頬を、それでも思春期男子の意地で保つ。
「来週末に大会があるからインフルエンザにかかりたくないんだよね」
「大会?部活ですか?何をやってるんですか?」
「剣道」
総司がそう答えると、千鶴は手を止めて驚いた顔で総司を見た。
「何?」
「いえ……、なんとなく今の子はサッカーとかバスケットとかそういうのをやってるのかなって思ってたので。そうですか……剣道やってるんですね」
今の『子』……
これはまったく『男』として見られていない。わかってたけど。看護婦さんなんで『男』とか『女』の前に患者として扱う「われるのは当然なんだけど。
モヤモヤとしている総司には気づかず、千鶴はまた作業を始めながら話している。
「私の……身近な人も剣道をやってたので、思わず反応しちゃいました。沖田さん、背も高いですし強そうですよね」
ピピッという音で体温計が熱を測り終えたことを知らせる。総司は体温を問診票に書きながら、千鶴の言葉について考えていた。

身近な人……ふうん……

「彼氏?」
総司がストレートに聞くと千鶴は驚いたように笑った。「いいえ、違います。兄です、双子の」
ほっと胸が楽になった。「そうなんだ。看護婦さん、双子だったんだね」
そして心が軽くなったそのままのノリで言った。
「そうだ、来週の大会見に来てよ。そのお兄さんと一緒でもいいからさ」
作業を終えた千鶴は、出した箱とノートを片付けながら総司を見た。いきなり誘われたことに驚いたようだ。「沖田さんも出るんですか?」
「うん」
「そうですか。どこでやるんですか?」
市の体育館で10時から。日曜日開催について話すと、千鶴はほほ笑んでうなずいた。「予定がなければ行ってみます」
社交辞令かもしれないけれど、総司は飛び上がるほどうれしかった。心の中でガッツポーズをする。わざわざ痛い思いをしに予防接種を打ちにきてよかった。誘えるとは思っていなかったけど、誘えたらいいなとは思っていたのだ。
絶対優勝してやる。
もともと優勝候補だ。千鶴が観にきてくれるのなら勝つしかない。





結果は個人でも団体戦でも優勝した。
場内に何度もアナウンスもされたし表彰式にも出たから、千鶴ももし本当に観にきていたらわかったはず。
だが残念ながら、総司の方からは千鶴は見つけられなかった。出場者と観覧席は完全に隔離されていて、個人戦にも団体戦にも出る総司はいろいろと忙しかったのだ。それでも隙を見つけて抜け出して、広い体育館の観覧席の方に行ってみたりはしたけれど、千鶴には会えなかった。
結構な人数が来ていたし、市の体育館は本当に大きいのだ。
がっかりだったが、もしかしたら千鶴が観てくれているかもと思うだけで、その日の総司は強かった。
『優勝なんてすごいですね!』と、見直した表情で褒めてくれる千鶴の顔が観たかったけれど。



「あーあ、見ててくれたのかなあ」
大会から一週間後。
総司は高校の中庭。昼食の最中の小さなボヤキは、平助の盛大なくしゃみにかき消された。
「あー……鼻かみてえ。で、なんだって?総司」
ズルズルッと鼻をすする平助を横目でにらんで、総司は「別に何も」と、サンドイッチをくわえた。
もし来てくれていたらかっこいい所は見せられたと思うけど、それすら確かめるすべはない。医院の電話番号は知ってるからそこに電話して雪村千鶴ちゃんを呼び出して聞いてもいいけど、さすがにそれは非常識だろう。医院への出入り禁止とか変な風に警戒されたりするのは嫌だ。
通勤途中で偶然を装って勤務時間外に会う……とかできたら最高なのだが、あいにく雪村医院の同じ敷地の隣に、立派な家がある。多分あそこが自宅だろう。
つまり千鶴の勤務時間内で、看護師と患者という関係で、勝負をつけなくてはいけないのだ。
「風邪でもひかないかな……」
予防注射をしたのでインフルエンザにはならないだろうが、風邪をひく余地はまだある。春なら花粉症の薬をもらいに行くことができるんだけど。
となりで、ぶえーくしょん!と平助がまたくしゃみをする。先週からずっとこれだ。うつるかも、と少し期待したが一週間たっても総司は元気なので、うつらないか、うつったけど症状が出る前に治ってしまったかだろう。
「いいかげん病院行って治しなよ」
「だからこれはアレルギーだって。おれは秋ごろ毎回こうなんの。そういえば総司、春の花粉症最近よくなったよなあ」
ずるずる言いながら平助が言う。
「まあね、いい病院見つけたから」
雪村医院だ。アレルギーも診てくれるのだ。
「どこ?俺も行こうかな」
「平助んちからだと遠いよ」
「そっか、総司んち、うちと反対方向だしな」
平助の家からは遠いが高校からは近い。だが、平助に雪村医院を教える気はない。あそこは、千鶴は、総司だけのオアシスなのだ。
皆に公平にオアシスを分け与えるなんて馬鹿な事、するわけないではないか。


そんな心がけがよかったのか悪かったのか。
その日の帰り道、総司は頭痛と悪寒を感じた。熱が上がりそうな気配だ。ナイス平助!と心の中で平助に礼を言って、総司は雪村医院にうきうきと出かけた。
自動ドアを開けて一番に目に入る受付に、千鶴はいた。総司の心臓が踊る。が、できるだけ表情は変えないようにして保険証と診察券を出した。
「こんばんは。沖田さん、風邪ですか?」
「うん、多分」
「今日はすいてますからすぐですよ。待合室で待っててください」

……大会、来なかったのかな?

千鶴の言動はいつも通りだ。……まあ仕事中でしかも受付のカウンター越しじゃあ言いにくいのかもしれないけど。
おじいさんが一人だけの待合室で、総司は首をかしげながらソファに座った。
……たぶん来なかったんだろう。患者から誘われることなんて看護師ならたくさんあるだろう。前におばあちゃんの患者が近所の集まりに千鶴を誘っているのを見たことがある。社交辞令で返して、いちいち行ったりなんか……
「……しないか」
浮かれてた自分がバカみたいだ。
気分が落ち込むと風邪もひどくなったような気がする。総司はどうでもよくなって病院の壁にもたれて目をつぶった。

「検査の結果がでるまで10分くらいかかりますのでね。隣の部屋で待っていてください」
予防接種はしたけれどインフルエンザの検査を一応しておこうかという話になり、医者からそう言われて総司は隣の部屋に行った。前に隔離された部屋だ。
微熱とはいえ熱があってしんどかったので、総司は長椅子ではなくベッドに腰かけそのまま横になる。そして目を閉じていると。
「大丈夫ですか?お布団かけます?」
ふいに柔らかい声でそう聞かれ、総司は飛び起きた。千鶴ちゃんだ。
「……いえ、……いや、……ううん。いいです」
ずっと悶々と考えていた相手と急に二人きりになって挙動不審になってしまったが、千鶴は気にしていないようだ。
「そうですか?後少しで検査の結果がでますから」
そういうと、また部屋の反対側にあるいろんなものがうず高く積み上げられているところに行ってガサガサと何か作業を始める。
「……」
総司はしばらく迷ったが、結局言うことにした。「……大会、来なかったの?」どこか拗ねたような口調になってしまった。
「行きましたよ。沖田さん、大活躍でしたね」
「え?来てくれたんだ」
驚いて思わず声が大きくなってしまった。千鶴は振り向くとにっこり笑って頷いてくれた。「もちろんです。それに有名な人だったんですね。私の兄も沖田さんのこと知ってました」
確かに中学のころから近隣の大会ではいつも上位だ。
「すごーくかっこよかったです。会場の上の方で見てたんですけど、周りの女の子たちが沖田さんが出てくるときゃーって言ってました」

『すごーくかっこよかったです』
『かっこよかったです』
『かっこよかったです』……

脳内で千鶴の言葉がエコーする。総司は頬が熱くなるのを感じた。
「そうなんだ……来てくれたんだ」
さっきまで灰色だった世界が一気に明るくなる。
「面白かった?大会」
「はい。兄が剣道をやっているときにはよく見にっていて……久しぶりに思い出しました。竹刀の音とか緊張した雰囲気とか、いいですよね」
「じゃあさ……」
総司は言いかけて一瞬口ごもる。ああ、でもまあいいや。無茶かもしれないけど行動あるのみだ。
「じゃあ、今週末、別の大会が同じ場所であるんだ。高校生のじゃなくて一般のやつなんだけど。一緒に行かない?」
千鶴の目が大きくなった。「え?」
「看護婦さん……雪村千鶴ちゃん、でしょ?千鶴ちゃんと一緒に行きたいなって」
「沖田さんが出るんですか?」
「ううん。今回は僕は出ない。でも通ってる道場の先輩とかは出るから見に行こうと思ってるんだよね」
「……でも、沖田さん、風邪……」
「多分インフルエンザじゃないから、今日薬もらえば1日で治るよ。日曜日、10時から」
戸惑っている千鶴をみて失敗だったかなと総司は少し後悔した。もう少し仲良くなってから誘うべきだったかも。
「……私となんか一緒に行くより、お友達とかと行ったほうが……」
「千鶴ちゃんと行きたいんだけどな」
まあ、どこのだれかもわからない患者、しかも年下の男といきなりでかけたりはないか。いや、どこのだれかは保険証でわかるけどさ。
半分あきらめながらも、総司は最後にもう一度だけ聞いてみる。
「ダメ?」」
千鶴の唇が返事をするために微かに開いたとき。

「雪村さーん!千鶴ちゃん?ちょっとこっちお願い!」

「あっはい!」他の看護師からの声がかかり、千鶴は返事をする。ちらりと総司をみてよばれた方を見てどうしようかと考えたようだが、謝るように総司に軽く会釈をするとパタパタと立ち去ってしまった。
「……あーあ……」
今のは多分『ごめんなさい』のぺこりだろう。勇気を出して誘ったのに。しかもあからさまに脈ナシ……というかそもそも男としてまるでみられていない反応だった。
「デートに誘われた……なんて思わないよねえ、この状況じゃ」
看護師と患者。社会人と高校生。
でもしょうがないではないか。そんな状況なのに出会ってしまったのだ。

検査結果はやっぱりインフルエンザではなくてただの風邪。会計を待ちながらスマホを眺めていたら、名前を呼ばれた。
「沖田さん、会計です」
千鶴だ。
黙々と処方箋と領収書、保険証と診察券を返される。気まずい。
誘わなかった方がよかったかな、もうこの病院に来にくくなるかな、と思いながら、総司から受け取ったお金をレジにいれている千鶴の顔を見る。そして、やっぱり好きだと実感した。
やり方がへたくそだったのかもしれないけど。次はもう少し……
考えながら返された診察券を財布にしまおうとすると、その裏に小さな紙がくっついているのに気が付いた。
ポストイットだ。
何か書いてある。

『日曜日、9時半に駅の前で待ってます』

驚いて千鶴の顔を見ると、千鶴はにっこりとほほ笑んでうなずいてくれた。
「ほんとに?」
茫然と聞く総司に、千鶴はいたずらっぽく笑うと何も言わずにカルテを閉じる。
「お大事に」

病院の外で、総司はまた診察券の裏を見て髪をかき上げた。
「夢……じゃないよね」
まあ、頬を染めたり恥ずかしそうにしたりなんて素振りはなくて、デートとかはみじんも思っていなさそうな千鶴の態度ではあったが、それでも大進歩ではないか。
「あー……熱あがりそ」
いやいや、熱なんか上げてる暇はない。日曜日は三日後だ。きれいさっぱり治さなくては。
にやにやと、千鶴の字で書かれたポストイットを眺めながら、総司は雪村医院を後にした。



【終】




意味不明なタイトルになってしまいましたが。
これは、毎月病院にくる総司のことを雪村医院の先生や看護師さんたちがそう呼んでるという妄想です。
「沖田さんとこの総司君、体も大きいし健康そうなのに毎月来るわねえ」「虚弱体質なんじゃないの」からの、「ほら、あの虚弱体質の……」「ああ、沖田君ね」となっている的な。

私の本で何処かのあとがきに沖田さんが花粉症でなおかつ毎年インフルエンザにかかるタイプだと良い、と書いたんですがその妄想です。

私も秋の花粉症で……目がかゆい!!鼻もかゆい耳もかゆいんですよ!あと、なんていうの?あの口の中の上のとこ、そこがかゆい〜〜!!雪村医院に行きたいです。