【夏と海と冒険と 夢のサガリバナツアー】
「じゃー僕、今日はもうあがるね」
総司がそう言って、『きらきら青い海』の事務所のドアを開けようとしたとき、斎藤に呼び止められた。
「待て、総司。そういえば頼まれていたチケットを取っておいたぞ」
「ああ……」
総司はそう言うと向きを変えて斎藤の机まで歩いていく。
「ありがとう。簡単にとれた?」
「まあ、もうシーズンも終わりだし、あのホテルはうちが前にも利用していたホテルだしな」
ソファに寝転んで漫画を読んでいた平助も話に加わる。
「あ、あれだろ?千鶴と行くサガリバナ」
飛行機のチケットと宿泊チケットを斎藤から手渡された総司は、それと見て「あれ」と首をかしげた。
「ホテルの部屋、二部屋とったの?」
「……」
微妙な話題に、斎藤と平助は顔を見合わせた。しばらくして斎藤が口を開く。
「……まずかっただろうか?その……千鶴が内地に戻ったのは一ヶ月前でその間お前たちは会っていないし、千鶴も特別にとった休暇で一週間だけまたこちらにくるだけだし……」
千鶴が那覇空港で総司からプロポーズをされて一ヶ月。
あの時、千鶴は当然ながら総司を置いて一人で飛行機に乗って東京へと帰っていった。職場に退職願をだし仕事のケリをつけ、家族や家のことをきちんとしてからまた戻ってくると約束をして。
それからの総司は、友人である斎藤と平助から見ても相当ウザかった。四六時中スマホを覗き込んでLINEのやり取りを千鶴としている。『返事がない』『なんか冷たい』『千鶴ちゃんって発想がかわいいよねー』等々……。聞きたくもないのに聞かされる日々。千鶴も相当我慢していたことだろうと、斎藤と平助は同情していた。
結局千鶴は年内まで勤めて欲しいと職場から言われたことと、遺産の処理や不動産の対応に時間がかかることがわかり、沖縄に移住できるのは来年になってしまった。一週間後にはもう千鶴と一緒に沖縄で暮らすつもりだった総司は、文句たらたらで、千鶴にも相当わがままを言ったらしい。とうとう総司は千鶴に、有給消化という名目で、あの空港での別れから一ヶ月後に一週間休みを取らせ、沖縄に来るよう説得したのだ。
総司とふたりで念願のサガリバナを見て、帰りは沖縄本島に二泊して斎藤や平助とも会う予定になっている。
そんな状況だからこそ、当然のように斎藤はサガリバナを見るための離島のホテルは二部屋とった方がいいかと思ったのだが……
「ふーん……まあいいか。ありがとね」
総司はそう言ってチケットを掲げて斎藤に軽く挨拶をすると、鼻歌を歌いながら出て行った。
その背中を見て、斎藤と平助は再び顔を見合わせる。お互い何か言いたいが口にするのもなんだかな、という顔をして、再び仕事にもどったのだった。
「沖田さん!」
空港で会った久しぶりの千鶴は、沖縄の太陽よりも輝いていた。
「千鶴ちゃん!」
思わず駆け寄って抱きしめたくなったが、恥ずかしがり屋の千鶴が困るだろうと思い、総司は我慢する。あの前の、那覇空港でのキスについても、あとでLINEで『人前でああいうことをするのはちょっと……』と千鶴に言われていたのだ。
総司だとで千鶴に嫌われてでも人前でしたいわけではなく、できるんだったら人前だろうと二人きりだろうとどちらでもかまわないのだ。
二人きりになるまでの我慢我慢、だね。
ニヤニヤと緩みそうになる頬を引き締めて、総司は千鶴の手荷物を持つと、フェリー乗り場へと向かった。
島につき、ホテルからの迎のリムジンにのりチェックインを済ませたが、その間ウズウズしている総司が待ち望む時間はなかった。
ホテルで別々の部屋のカードキーを渡したときも、千鶴は特にさみしそうな顔も残念そうな顔もせずに受け取って、総司をがっかりさせた。
……まあ、でもこれからこれから
これからの四日間は、もう移動もないし毎日毎時間が二人だけのイチャイチャタイムだ。二日目の夜はサガリバナを見に行くが、島の個人ガイドにそれ用のカヌーや装備を借りたし夜中で二人きりなのだ。そして甘く匂うサガリバナの香りに漆黒の暗闇。少しだけ怖くなった千鶴が総司に体を寄せ、総司はそれを優しく抱きとめる……
カヌーでのエッチはしたことがないけど、キスぐらいまでならいけるよね。そのあとは、ホテルに帰ってから広いベッドでゆっくりと……
楽しい妄想に心を躍らせながら待ち合わせのロビーに降りていく。千鶴はもう先に来ており、ロビーの端にある売店で何かを買っている。
「何買ってるの?」
「沖田さん!……小さなバナナがあったんで食べてみようかと思って」
島バナナだ。本土にもあって沖縄では特に珍しいものではないが、千鶴は初めてなのだろう。
売店の人が皮をむいてくれて、千鶴が一口食べてみる。柔らかそうなピンクの唇が白いバナナの果肉にかぶさるのを見て、総司は思わず生唾を飲んだ。
「千鶴ちゃん……」
「おいしい!沖田さん、これ美味しいですね!バナナっていうより……なんだろう?爽やかで!」
「え?あ、ああ、うん。おいしいよね」
千鶴がキラキラと目を見開いて喜んでいる顔を見て、沖田は思わず毒気を抜かれてしまう。
ホテルの裏にある海へと二人でのんびり歩き、人気がいない時を見計らって総司は「千鶴ちゃん……」と切り出した。
せめて抱きしめさせてくれるとか、『会えなくて寂しかったです』とか何かそういう……そういう甘い展開を望んでいたのだが、千鶴は「ああ、沖田さんもこれ、食べますか?」と残りのバナナを差し出しただけだった。
もうこなったら実力行使で…!と総司が思いつめたとき、千鶴は何か気がついたようにパッと頬を染めた。
「あ、あの……」
真っ赤になって手に持っていたバナナの皮をむくと、恥ずかしそうに総司に差し出す。
「『あ、あーん』です……恥ずかしいですね、こういうの」
でもやってみたかったんです…、と照れ照れで差し出されたバナナを、総司がにやけながら食べたのは言うまでもない。
四日後―――
「おー!!千鶴!」
「平助君!斎藤さん!」
「久しぶりだな」
ドキドキ二号(ワゴン)で那覇空港に迎えに来てくれた二人と、千鶴は久しぶりに再会をした。
「サガリバナは見れたのか?」
荷物を受け取りながら斎藤がそう聞くと、千鶴は嬉しそうに頷いた。
「沖田さんが連れて行ってくれたんです。とっても綺麗で……行くまでも夜で真っ暗なのにてきぱきと用意してくださって、すごかったです。植物とかもいろいろ教えてくれたり、星飲み方とかも……沖田さんってすごいんですね!ありがとうございます」
総司のしたことは、沖縄でツアーガイドをやっている者なら誰でも知っているし、逆にできないと困ることなのだが。ハートがあたりに飛び散っているような千鶴のムードに、斎藤と平助は少しだけたじろいだ。一ヶ月前のお堅い学者先生とはエライ違いだが、まあ総司と千鶴がうまくやってくれるのは嬉しい。
総司は、と見ると好きな女の子から『すごい』と言われ、尊敬されて、見るからににやけている。
(まあ、うまくいっているようでよかった。)
(だな。四日一緒にいただけで喧嘩してたら、来年一緒に暮らすのも難しくなるもんな)
(水と油かと思っていたがな)
(意外にお似合いなんじゃねーの)
平助と斎藤は目線でそんな会話を交わし、皆で駐車場のドキドキ二号へと向かう。
「とりあえず事務所に向かうのでいいだろうか?」
斎藤がそう言うと、千鶴が「あ」と声をあげた。
「私、今夜と明日の夜のホテルをとっていないんで、申し訳ないんですが前泊まったホテルに先に寄ってもらえないでしょうか?」
斎藤は二回瞬きをした。
「あ、ああ、もちろんかまわんが……」
総司の家に泊まるのではないのか。
後半のセリフはそのまま飲み込まれる。後ろから歩いてきた総司を、斎藤はもの問いたげに見た。
「……何」
総司がやや不機嫌そうに言う。となりにいた平助が、前を行く千鶴に聞こえないように総司に聞いた。
「いや、その……おまえんち、別に綺麗じゃね?」
独身の男の独り住まいと言ったら人を泊められないような汚い部屋もあるが、基本総司の部屋はきれいだ。恋人同士で四日間も二人きりで旅行をしたのなら、本土でもホテルになど泊まらないだろうと当然……
「……何もなかったんだよ。聞いてればわかるでしょ?」
やけっぱち逆ギレ気味に総司はそう言った。斎藤と平助は思わず立ち止まる。
「何もないってお前……だって…」
「一緒に旅行していたのだろう?」
総司はギロリと二人を見ると、早く行くよ、とせかす。
「サガリバナ旅行のハイライトは、島バナナをあ〜んで食べさせてくれたことだったね」
「……」
唖然とした顔をしている二人を置いて、総司は大股で千鶴を追いかけた。
純粋培養で育ってきた千鶴は手ごわかった。
わかっていて拒絶をするのではなく、まるで、ほんとに、なにも、まっったくわかっていないのだ。
今は15歳の中学生同士のカップルのような関係で、それだけでも千鶴はかなり嬉しそうで楽しんでいる。それが総司は楽しくないかといえば、まあ……楽しい。というか、千鶴がかわいい。この年齢になって18禁なんてとっくに通り越している自分の方も引きずられて、島での観光の時も手をつなぎたくてドキドキして荷物を持つ手を変えてみたりして。
「千鶴ちゃん。おなか減らない?」
駐車場で千鶴に並んだ総司がそう言うと、千鶴はニッコリと微笑んで総司を見上げる。
「減りました。何か食べましょうか?」
「そうだね、何が食べたい?沖縄料理でもなんでもいいよ」
総司がそう言うと、千鶴は幸せそうな顔をしてぽっと頬を染めた。
「沖田さんと一緒なら、私もなんでもいいです」
「……」
ズキューーーーンと射抜かれた音がまた聞こえる。
総司は苦笑いをしながらため息をついた。
「……そっか、僕もだよ」
そうして、ドキドキする胸を抑えて、千鶴に手を差し出す。
「手、つないでいい?」
「……え?」
そう、実は四日間のサガリバナの旅行でも、手は繋げなかったのだ。
手をつなぐというからには中学生は卒業して、十六歳ぐらいには成長したことになるだろう。
柄にもなく脈拍が早くなり耳が熱くなるのを感じながら、総司は千鶴が内地に帰ってしまう前までになんとか十七歳くらいにまでは成長したいと思っていたのだった。
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