【今度いつ会える? 5】









 


 
 
 千鶴と総司が帰ってから2時間後……。
「うっす!左之さん」
「邪魔するぞ」
ディナータイムが終わって飲みにシフトした客層の中に、平助と斎藤がやってきた。ディナータイムはさすがに左之とは長くしゃべれないが、もうすぐ日付もかわりそうなこの時間は、オーダーもほぼお酒とおつまみ系に移っているせいで従業員だけでも対応可能で、平助たちはよくこの時間に左之としゃべりに来る。
「お、いらっしゃい。残業終わったのか?」
「うん、あ、俺ビールとナポリタン!」
だからお前の言うナポリタンはケチャップスパで、イタリアンじゃねーっつってんだろ!、と言いながらも左之は特別にいつも通り作ってやる。
「俺はラザニアと焼酎をお願いする」
「はいよ」

 カウンター越しに渡されるお手拭を受け取りながら、平助は聞いた。
「総司来たろ?」
左之は、おや?という顔で二人を見た。
「知ってんのか?」
知っていたのなら、平助は『抜け駆けしやって』とぶーぶー言いながら入ってきそうだと思っていた。いつもなら、どんな女の子だったか、総司はどんなだったか半分冷やかし、反部分好奇心で食いついてきそうな話題なのだが、意外に二人は微妙な顔をしている。
「まぁ……あいつのことだから大丈夫だとは思うんだけどさ」
と、平助。
「いい大人なのだから俺たちが立ち入る話ではないだろう」
出された焼酎を飲みながら斎藤が言う。
「そーだけどさー。あいつ初めて見るくらい浮き足だってんじゃん。まわりが全く見えてないっつーか」
平助の言葉に、左之はうなずけるものがあった。

 「確かに店に来たとき、足が3ミリ浮いてたな」
左之の言葉に平助はビールを噴出した。
「ぶっ!ドラえもんかよ!」
「……ドラえもんは足が浮いているのか」
「そうだよ。一君知らんかったの?半重力作用で浮いてんの。だから靴がいらなくて……」
「おいおい、ドラえもんはいいからよ。何がそんなに心配なんだよ」
左之の言葉に、平助は真顔になった。
「まぁ、あいつも別に隠してるわけじゃないみたいだから言っていいと思うんだけど、今日女の子連れてきたろ?」
左之は千鶴を思い出しながらうなずく。
「その子、他の男と婚約してんだってさ」
平助の言葉に、さすがの左之も驚いた。

「はぁ!?そんな子に見えなかったぞ。それに二人とも無茶苦茶いいムードだったし…。っていうか総司はわざわざそんな子に手ぇださねぇだろ」
今日の二人は……左之にも覚えがある、恋が始まったばかりの濃密な雰囲気だった。彼女を見る総司の瞳は夢中になっている男のそれで、デザートを持って行った時彼女がパッと赤くなって手を離したのにも、左之は気が付いていた。確かに総司は周りが見えないくらい彼女にほれこんでいるのだろうが、もともと総司は人の恋路を邪魔してまで手に入れようとするほど、恋愛や女性に執着するタイプではないと左之は思っていた。

 「それがそうでもねーみてぇ。もう出してるみてーだし」
出されたナポリタンスパゲッティに粉チーズをどばどばかけて、平助が言う。
「おいおい……。そりゃまずいんじゃねーの?」
左之は総司にも驚いた。総司はそんな間男みたいな役回りに甘んじるような男じゃない。千鶴も、ちょっと話しただけだがしっかりした、落ち着いた女性だと思ったのだが……。
「まぁ、うまくいくかどうかはわかんねーけど、総司が狂ってるからさ。それだけがちょっとひっかかって」
もぐもぐ食べながら言う平助に、左之も茫然としながらうなずいたのだった。

 

 

 土曜の朝、千鶴が洗濯をしていると家の電話が鳴った。総司からかと思い急いで電話をとると、電話の向こうから聞こえてきたのはマニラにいる婚約者の声だった。
「あ……。おはようございます…」
婚約しているのに全く頭になかった事をひどく後ろめたく感じながら、千鶴はぎこちなくあいさつをした。
「いえ、特には…洗濯してました。マニラはどうですか?」
「はい。……そうなんですか。大丈夫なんですか?」
「……ええ。特に何の連絡もないです」

なんだか業務連絡みたい……。

千鶴はそう思いながらも、かといってこんな状況になっている今、変に馴れ馴れしいことを言うこともできないし、逆に会って話すと決めていることをにおわすわけにもいかない。マニラでの生活や結婚式に向けての準備について何も知らないまま気安く話してくれる婚約者に、千鶴の胸は痛んだ。
「…そうですね……。あの…。来週、日本に帰って来るんですよね?はい、はい…」
「いえ、式場で待ち合わせる前にどこかでちょっと会いたくて……。ダメですか?」
千鶴が話しているとき、隣の机に置いてある携帯が鳴りだした。

びっくりして表示を見ると、総司から……。
着信音が聞こえたのか耳にあてた受話器の向こうで、出なくていいの?という婚約者の声が聞こえてくる。千鶴は少し迷ったものの、大丈夫です、と言いながら鳴り続ける携帯をベッドの枕の下に入れた。

 何事もなかったように話を続ける自分を、冷めた目で見ている自分がいる。

 

 こうやって総司を苦しめて婚約者を裏切って。

 そこまでして自分は何をしたいんだろう?

 社内で不倫をしている男性を知っているが、千鶴はそうやって自分の我儘を通すことで彼女も奥さんも不幸にしているその人のことを、心の奥底では軽蔑していた。今でもその関係を認めるつもりは全くないし考えは変わっていないが、結局は自分も同じ穴のムジナだ。
そして平気な顔でそんなことができてしまう自分が吐き気がするほど醜いと思う。

 

 でも、どうしても自分の気持ちを曲げることはできないのだ。
千鶴にとってこんな感情は初めてだった。これまではあまり嬉しくないことがあっても、しょうがない、とあきらめ受け入れることで何事もなく生きてこれたのだが、このことは……総司だけは、どうしてもあきらめることができない。
 それに……。勝手な言いぐさだとは思うが、婚約者の彼にとってもこんな女を妻にしないほうがいいと心から思う。あの人は優しくて素敵で……、もっとちゃんと彼本人を心から愛してくれる人が似合う。これまで彼がそんな人と出会う機会を自分という存在が奪ってしまっていたことを彼に申し訳なく思うが、結婚をする前にわかってよかったとも思う。

来週ちゃんと話すまで……。それまで……

千鶴は唇を噛み、心の中で婚約者と総司に謝った。


 枕の下からの携帯の着信音は途絶えた。
千鶴は婚約者とそれからしばらく近況報告をかわし、共通の知り合いについての他愛もない話をし、来週末式場に行く前に話し合う機会を作ってもらう約束をした。結婚にむけていろいろ決めなくてはいけないことがあるため、式場に行く前に話したい、という千鶴の言葉は特に疑われることもなく了承された。


 婚約者との電話を切った後、千鶴は総司にかけなおすかどうかしばらく迷って。
男性を渡り歩くような行為が嫌で、総司にはかけずに洗濯物を干すことにした。

 

 総司はあきらめて携帯をきった。
千鶴の家電話にかけたら話中で。土曜日の朝、ゆっくりと誰と話しているのか想像するのは簡単で。
なんだかムキになって携帯にかけたけれど、呼び出し音が続くばかりで千鶴はでなかった。

 僕とそいつとどっちを選ぶの?

千鶴の携帯にかけたとき、そんな気持ちがなかったとはいえない。

「結果はこれ……か……」
携帯ををベッドに落として、仰向けに倒れこむ。
いつまでもかかってこない電話に切なさがつのる。

 何をそんなに長い時間話してるの?
 僕の事、少しでも考えてくれてる?
 二人の事をやっぱりなかったことにしようと思ってるんじゃないの?

 千鶴に愛されてることは総司にはわかっていた。好きな女性のあの表情を読み間違えることはない。けれども、千鶴の性格が心配だった。
彼女は……、自分のことより人のことを考えてしまう傾向がある。
3年もつきあって、結婚の約束までした男のことは、総司に対するような思いではなくてもそれなりに人として好意は持っていたのだろう。
その彼を傷つけたいとは思っていないはずだ。
しかし総司と夜を共にしたこと、デートでキスをしたことで、千鶴は彼に対して多分とても申し訳なく思っている。

 婚約者への罪悪感やら義理やらで、千鶴が総司ではなく婚約者の方を選んでしまうことは……。
無いとは思いたいけれど……あるかもしれない。
婚約者に対する申し訳ない思いから、はっきりいえないまま結婚式へのレールから降りる機会を逃してずるずると……。


 そこまで考えて総司は勢いよく起き上り、頭を振った。
不安に包まれて、思わず千鶴の家へと走ってしまいそうになる。あいつと何を話したのか、自分のことをどう思っているのか、彼女を問い詰めてしまいそうだ。そんなことをしても千鶴を苦しめるだけなのに。

「あと一週間……」

これまで生きてきた中で、一番幸せでつらい一週間になりそうだった。

 

 

 結局我慢比べに負けて電話したのは総司の方からだった。
お昼ちょっと前、かかってこない電話にしびれを切らして再度千鶴の携帯を鳴らす。
『……はい』
愛しい女性の柔らかな声を聴いて、総司は知らず知らず固くなっていた体からほっと力が抜けた。
「電話、終わったの?」
触れないのが大人の対応だとは思うけど、どうしても一言嫌味を言わずにいられない。
『……ごめんなさい……。』
「電話終わったんなら、なんでかけなおしてくれないの?」
『……どんな顔をして電話をすればいいのかわからなくて……』

 申し訳なさそうな千鶴の声に、総司の心臓にささっていた小さな刺はあっさりと抜けた。
「あーあ…。……会いたいなぁ……」
思わずこぼれた総司の本音。


 『……会いたいなぁ……。』
電話の向こうから聞こえてくる総司の切なそうな声に、千鶴は黙り込んだ。
彼の望みはなんでもかなえたくなってしまう。自分にできることならなんでも……。

 走り出してしまいそうになる体を、千鶴は必死に抑えた。

 今から行ってもいいですか?

 そう一言いえば、総司は喜んで迎えてくれるだろう。自分もなにもかも考えずに飛び込んでしまう。そして結果、あの優しい婚約者をさらに傷つけてしまう……。千鶴は喉もとまで出かかっている言葉を必死に呑みこんだ。
しかし溢れる心は止められず、千鶴は思わず言葉を紡いだ。

 「……総司さん。私……私、総司さんが好きです……!誰よりも好きです」

顔を赤くしながら千鶴が必死に伝えた言葉に返ってきた返事は、至極あっさりしたものだった。
『知ってるよ。』
「……え……?」
勢い込んだ分、拍子抜けして千鶴は間の抜けた声を出す。

 『君は好きでもない男とあんなことするような女の子じゃないし。全力で君に集中してるから、君の表情や仕草でそれぐらいわかるよ。』
「あ……、そう……です……か……」
『まぁ、でも君の声で聴けて嬉しかったかな。』


 総司は笑いそうになる口を手のひらで覆って隠しながら、そう言った。
我ながら今の自分の顔は盛大ににやけてるだろうな、と思う。耳も妙に熱いから、きっと赤くもなっているんだろう。

「僕も君が好きだよ」

甘くささやくと、電話の向こうは沈黙した。
きっと真っ赤になって固まっているだろう千鶴を想像して、総司はとうとう声に出して笑った。


 



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