小雪
四年目 冬の初め 平助
総司が羅刹になったその後
「気にしてるんでしょ?僕があれを飲んだこと」
夜、見回りをしていた平助は、総司の声が聞こえて足を止めた。
屯所の壁の端から声がした方を見ると、総司と千鶴が庭に立ったまま話しているのが見えた。
「気に病むことはないんだ。僕が決めたことで、僕は悔やんでいないんだから」
総司がそう言っても、千鶴は納得してないみたいだった。
そっか、千鶴のやつ……気にしてんのかな。総司が変若水を飲んだ時傍にいたって話だから。
このままだと盗み聞きになってしまう。平助は立ち去ろうかどうしようか迷ったが、その場にとどまった。
総司のやつ、羅刹になったヤケで千鶴にあたったり、なんか嫌味とか傷つけるようなこととか言わねえよな……
総司は千鶴に向き直って真顔になる。
「君はもう、僕にかかわらない方が良いと思うな」
うわ、きっつ…!
平助は千鶴の気持ちを思って首をすくめた。総司のことを思ってる千鶴にはこれは応えるだろう。だけど、これでもう千鶴は、総司のことはあきらめて傷つきながらも引き下がるかもしれないと平助は思った。その方が千鶴にとってもいい。そういう意味ではこのきつい言葉は総司のやさしさなのかもしれない。
だが。
「嫌です」
驚いたことに千鶴は、総司と同じく目を見返して、真顔できっぱりそう答えた。
その返事が意外だったことは、総司の驚いた表情を見ればわかる。
その上千鶴は、総司は総司だとか、総司が千鶴の役に立つから傍にいたわけじゃないとか、いろいろ叱り飛ばしている。
千鶴の逆襲にぱちくりとさせている総司はこんなときでなければ笑える光景だっただろう。新選組一の剣士が、肩までしかない身長の女の子につけつけと言いつのられてタジタジとなっているのだから。
それでも総司はあきれたように、「やれやれ……そこまで言うなら、好きにすれば?」と、また突き放すようなことを言った。
平助は心の中で舌打ちをする。
もー!!なんでそうくんだよ!心配してくれてありがとうくらい言えないのかっての!千鶴が可哀想だろ!
しかし、平助が千鶴のことを心配する必要なんてなかった。
「ええ、好きにしますとも」
千鶴はふんぞり返ってそう答えて、平助も目が点になる。総司は負けたというように苦笑いだ。
「なんか君、変わったよね。そんな性格だっけ?」と言う総司に、「そりゃこれだけいろいろあれば変わります。沖田さんだって変ったじゃないですか!」と言い捨てて、のしのしと千鶴は夜の闇の中へ立ち去った。
「あーあ……」
千鶴が去ってもその場から動かないで、総司は空を見上げてつぶやいている。やれやれ、と思いながら平助は声をかけた。
「どうすんの?」
総司が振り向く。「何が?」
「千鶴。……わかってんだろ?」
総司は、ここにも世話焼きが一人という呆れ顔をして平助を見た。
「なんで平助が気にするのさ。千鶴ちゃんのこと好きなの?」
……こういう風に変にからかってるみたいに聞いてくるのが総司なんだよなー……と、付き合いの長い平助はスルーして真顔で答える。
「ちげーよ。いや、そりゃ好きだけど、そういう好きじゃねえし」
総司は苦笑いをして真っ暗な空を見上げた。
平助も見上げる。今日は月がなくて星明りだけだけど、羅刹の目にはよく見える。寒くなっている季節なのに寒さもあまり感じない。
もう人間じゃないんだよな……
チクンと痛む胸を平助は無視した。総司はそういうの、気にしてんのかな…と総司の顔を見るが、相変わらず何を考えているのかわからない。
「なんでそんなに人のことを気にするの?平助なんて僕が千鶴ちゃんをどう扱おうが関係ないよね」
「そりゃそうだけど……。千鶴はいい子じゃん。悲しい思いをしてほしくないっていうか……」
仲間のことを心配するのってそんなに変か?
総司は小さく笑った。
「平助は……千鶴ちゃんもさ、余裕があるよね」
その言い方にトゲがあるような気がして、平助は総司の顔を見た。想像した通り冷たい色の瞳をしている。
「あいにく僕は自分のことだけで精一杯なんだよ。自分と……近藤さんのこと。それと剣。それ以外は迷惑」
あからさまに拒絶をされて平助はひるんだ。
「め、迷惑って……おまえのことを思って……」
「勝手に思ってるだけならいいけど、それに対してお礼が欲しいとか気持ちを返してほしいとか気にかけてほしいとか、そういう事を望まれても迷惑だよ。僕にはそんな余裕はない」
「おまえ、どうしてそういう……」
「こういう人間だってわかっててちょっかいをかけてきてるんじゃないの。拒絶されて傷つくのが嫌なら近づかなければいい」
カタン、と音がして、平助は振り向いた。
千鶴が去って行った方、幹部棟につながる庭先の奥で何かが暗闇の中で動く。人間の目ならわからないけれど、今の羅刹の視界でははっきりと見えた。千鶴だ。
「ち、千鶴…!」
戻ってきたのか、なんで!?ってか今の話……
千鶴は、傷ついた泣きそうな顔で言った。
「すいません、おやすみなさいって言おうと……」
「戻ってきたんだよね」
総司がわかってたように千鶴のセリフの後半を引き取る。
「総司、お前、知って……」
「せっかく平助が話を振ってくれたんだし、ちゃんとわかっておいてもらった方が良いと思って」
なんでおまえはそうなんだよ!
平助がかっとなって思わず本気で総司にそう怒鳴ろうとしたとき。
泣くかと思っていた千鶴は、平静な声で言った。
「お礼とか気にかけてほしいとか、思ってません」
「ち、千鶴……」
俺があんな話を総司に振ったせいて、俺のせいで……
おろおろしている平助とは好対照に、千鶴は落ち着いていた。
総司は肩をすくめる。
「そっか。それなら別に気にしなくていいんじゃない?」
「ええ、気にしません」
千鶴はそういうと、立ち去ろうと一歩二歩と歩き出してからもう一回振り返った。
「おやすみなさい!」
そう言うと、足早に再び立ち去った。
「総司〜……」
いいかげんにしろよと総司に文句を言おうと平助が一歩詰め寄ると、総司は降参、とでもいうように両手をあげた。
「あとで聞くよ。今はちょっと行くところがあるから」
「何言ってんだよ、こんな夜中に行くところなんかないだろ!それより千鶴のこともっと考えてやれよ!総司は千鶴のことなんにもわかってな……」
「だからさ、その千鶴ちゃんのところに行かないと」
「そうだよ!千鶴になんであんなこと………え?千鶴のところに?」
平助が目をぱちくりさせていると、総司は軽く片手をあげて踵を返した。
「そ。たぶんあそこでまたぐちぐち一人で悩んでる気がするんだよね」
そう言って小走りに去っていく総司の背中を、平助はポカンと眺めた。
あそこ……ってのは、よく千鶴が泣きに行って総司と会うっていう秘密の場所だよなたぶん……
二人の関係がわからなくなって、平助はしきりに首をひねる。
わかったのは、平助のおせっかいなんて不要だと言うことだけ。
「はあ……」
平助はまたも心の中で千鶴に謝った。