白露
四年目 秋 南雲薫
総司が変若水を飲むイベントの前
鋭くとがった三日月が雲に隠れるのを待って、薫は繁みの中から屯所へとすばやく移動した。
使われていない納戸。
隅の天井板を外し屋根裏に上る。
空気が乾燥しているせいで、月の光も鋭く物音もよく響く。
薫は慎重に足を進めた。
目星をつけていた沖田の部屋に差し掛かると、薫は足を止めて下をうかがう。
「……いつまで許されるのかな。戦えない僕が新選組の……、みんなのそばにいること」
沖田の、珍しく弱音を吐いた声が聞こえてきた。
それに続いて千鶴の必死な声も。
「ずっとです!ずっとそばにいられます。沖さんが望む限り、ずっと……!」
三文芝居を聞いたような白けた嘲笑が、薫の顔に浮かんだ。
さんざんぐずって甘えたことを言いやがって。
千鶴も千鶴で、文句も言わずに甘やかしている。それをいうのなら新選組すべてがそうだ。
なんのかんの言って沖田を気にかけている土方も、戦力にならない沖田をいつまでも新選組で面倒を見ている近藤も。それに異を唱えない他の隊士たちも。
見ていて、聞いていて、吐き気がするほどいらつく。
薫は気を乱して気づかれないように、静かに深呼吸をした。
今日は沖田と妹の猿芝居を見に来たのではない。
風間達に協力するよう薫たち土佐の鬼に強く要請があり、屯所襲撃に適した日時を探りに来たのだ。
新選組の羅刹隊に一般の隊士、さらに鬼にとってもかなり手ごわい組長級が屯所にそろっている時では、いくら鬼とはいえ苦戦するだろう。風間の狙いは羅刹隊の殲滅と千鶴の誘拐。
余計な手間はかけないほうがいい。
幸い新選組は伊東派とのいさかいが激しくなってきている。
多分ちかいうちに何らかの動き……新選組による伊東派殲滅の襲撃があるに違いない。その方法と日を知るには、こんなところで沖田と千鶴の寝言を聞いていても意味がない。
そっと立ち去り、近藤や土方たちの部屋へ行こうとした薫は、聞こえてきた声に足を止めた。
「他に居場所なんてないのに、どこにいけばいいんだろう」
その言葉は、薫の奥底に抑え込んでいた強烈な憎しみに火をつけた。
千鶴が何も言えないまま静かに立ち去るのにも気づかなかった。
居場所だって?
あるだろう、お前には。山ほど!!
新選組にも一番組組長としての席は空いたままだし、近藤や土方達試衛館からの仲間という場所もある。実家で弟を思っている姉から季節の折々に着物や食べ物が届くとも聞いている。そして千鶴がいる。
京の町で、屯所で見かけた千鶴の視線の先には、いつも沖田がいた。そして今でも傍にいて泣き言を聞いてくれているじゃないか。
薫は南雲に行ってからの日々を思い出し、血が出るほど唇をかんだ。
千鶴は、薫との幼い日々を忘れた。薫は忘れなかった。
父さまと母さま、千鶴がいたあの幸せな日々を、折檻の最中や痛みで眠れない夜、飢えに苦しんでいる毎日にいつも思い出して自分を慰めていたのだ。あの思い出がなければ心が折れてしまっていた。そして自分を恨み南雲を恨み、鬼を恨んで千鶴を恨んだ。その恨みを晴らすため。
そのためだけに今、薫は動いているのだ。
雪村の再興。
誰にも気づかれないように、綱道はもうすでに雪村の里にいる。後は西の鬼に協力しているふりをして千鶴を新選組からさらい、それをさらにさらって雪村の里へつれていくだけだ。養父も兄もいれば、千鶴も雪村家の再興に協力するに違いない。
もうすべての手筈は済んでいる。
あとは西の鬼たちが新選組屯所を襲う、その日を調べればそれで終わり。
だが、薫はどうしても我慢が出来なかった。
甘えた沖田に。
その沖田を心配している千鶴に。
当初の予定では、羅刹隊か風間かに沖田は殺され傷心の千鶴を連れて雪村の里へ行く予定だったが……
やめた。
薫はどこか苦しそうに笑った。千鶴に似た優し気な風貌が、まがまがしくほほ笑む。
このまま沖田を、はかなく散った新選組最強の剣士などに祭り上げてやるものか。そしてそんな沖田を美しい思い出として懐かしむ千鶴にも我慢できない。
恵まれた甘えたあいつらには、俺と同じ思いをしてもらうよ。
薫は足音に気を付けながら屯所を後にした。
さてどうやって苦しめようか。
伊東を襲撃する日はわかった。やはり野良犬のような新選組にふさわしく、伊東を呼び出し酔って帰す夜道で奇襲をするという姑息な策だった。
酔って油断しているところを。さらに一人対多数で。夜に不意打ち。
「くっ」
夜道を急ぎながらも薫は吹き出してしまった。
あれで『武士だ』って言ってんだから笑っちゃうよ。鬼もまがい物、武士もまがい物。あそこにいるのはまがい物の奴らばかりだね。
西の鬼たちの屯所襲撃は、当然伊東襲撃の夜にするとして……
千鶴の目の前で沖田を殺そうか。いや、沖田に殺される方があいつには応えるかな?
近藤を助けてやる代わりに千鶴を殺せって言ったら、沖田はどうするかな。千鶴を殺すよね、たぶん。
まあもちろん目当ての千鶴を殺されちゃあ困るから、本当に殺す前に沖田を殺すだろうけど。でも千鶴はその一瞬で、殺意のこもった沖田の目を見るはずだ。好いた男が自分のことを虫けらのようにしか思っていないという現実も知る。
「千鶴の人間への未練も断ち切れていいかもね。でもそれじゃあ沖田があっさり死んでつまらないなあ。千鶴を殺すか近藤を見殺しにするかで葛藤してくれればまだ楽しいけど……」
薫が見る限り、あれは千鶴の完全な片思いだ。沖田は特に悩みもせずあっさりと千鶴に刀を上げるだろう。
「沖田を苦しめてさらに千鶴も苦しめるには……」
思いを巡らせる薫の横顔を、秋の月が冴え冴えと照らしていた。
「選ぶのはあなたです。戦いたいと叫ぶだけか、これで羅刹となるか」
沖田が変若水を口にしたのはおそらく、自分のため。
薫は、羅刹となってまさに悪鬼のように羅刹隊を斬り伏せていく沖田を見ながら冷静に思った。
薫と同じだ。
結局あいつも俺も、最終的には自分のことしか考えていない。自分の居場所をつくることしか。
沖田は、それを剣士である自分でなくては作れないと考え、変若水を飲んだ。新選組最強の剣士であるために。新選組局長である近藤の役に立つ自分であるために。
千鶴のことなど眼中にない沖田。
部屋中に飛び散る血しぶきの中、茫然と沖田を見ている千鶴を見て、薫はいい気味だと思った。
求めても求めても受け入れられることがない感情を、妹も味わっているのかと思うと胸がすく。
そしてこれからさらに千鶴には地獄の日々が待ち受けているのだ。目の前で愛しい男が血にくるった化け物になっていくのを見守ることしかできない日々。ああ、そうだ。それに変若水を飲むきっかけになったのは千鶴のせいだと言うのも加えてやろう。千鶴が沖田を好きだから……千鶴が傍にいるから。だからそいつを苦しめたかったんだよと言えば、千鶴はさらに苦しむだろう。
千鶴は自分の血をやるかもしれない。でもそれによって沖田はさらに血に狂う。
できれば沖田もそこでみっともなくあさましく生にしがみついてくれればなおいいんだけどね。
こんな体になったのは千鶴のせいだと責め立ててくれれば。
お前は諸悪の根源だと、疫病神だと、出会わなければよかったと言えばいい。沖田にそう言われるのが千鶴は一番傷つくだろう。
自分の存在や性質を憎み、自分を憎むだろう。自分の存在すら消してしまいたいと思うほどに。
「くくくっ」
沖田の斬った羅刹隊の血が薫の頬に飛ぶ。沖田はもう血まみれだ。千鶴も血だまりの中力なく座り込んでいるのが見える。
汚れてしまえ。
俺と同じに。