小満2

四年目 初夏 雪村千鶴
千が屯所を訪ねてきて、千鶴は千たちと一緒に行くのを断ったその後のころのお話。






多分あそこじゃないかと思っていたところに、総司はやはりいた。
千鶴がいつも泣くときに行く場所。総司が金平糖をくれる場所。


総司はこちらに背中を向けて大きな石に寄りかかるように腰かけていた。石の上には、いつもここにいる黒猫が今日もいる。
最初に来た時はまだ仔猫だったが、今はもう貫録十分の成猫だ。

「沖田さん」

恐る恐る呼びかけたが、総司は振り向かない。
「何。一人でいたいんだけど」
冷たい声だ。
千鶴はひるんだが、総司の背中がどこかさみしそうに見えてその場に踏みとどまった。
「……私が一人でいたい時も、沖田さん、いなくなってくれませんでした」
千鶴が泣いてても沈んでいてろくに返事をしなくても、総司は気にせずこの石に座り込んであれやこれやとうるさく話しかけ金平糖を千鶴の口に勝手に放り込み、いつの間にか千鶴の機嫌を直してくれていた。

総司は頭だけ動かして、ちらりと千鶴を見た。
「……土方さんに言われて探しにきたの?」
「土方さんに言われてっていうか……沖田さん、ちゃんと寝てないとだめですよ」
千鶴はそういうと、総司に歩み寄った。
そして、腰かけているせいでいつもより少しだけ近くにある総司の額に、熱をはかろうと手を伸ばす。
総司は、ハッとしたように後ろに体をひいて千鶴の手を避けた。

「あ、ごめんなさい。触られるの、嫌ですか?」
千鶴は空中で止まった手を所在なさげに揺らす。総司の瞳に浮かぶ警戒するような色を見て、少しだけ胸が痛んだ。なかなか触らせてもらえない、後ろにいるネコと同じだ。
ふいに総司が小さく笑う。
それとともに、警戒で冷たく薄い色になっていた緑の瞳が、柔らかく若葉色ににじんだ。

「……君ならいいか」

そういうと素直に額を千鶴の手に合わせてきてくれた。
柔らかな茶色の髪が千鶴の手の甲をくすぐり、手のひらには総司の滑らかな額の感触。
そういえばこんなに近くに来て顔を見合わせて触れるのは初めてかもしれない。
千鶴の顔が赤くなる。胸がどきどきして、耳が熱くて、触れている手のひらがとても敏感になったように思える。

わあ…。髪が……柔らかい。猫の毛みたい……

湯上りの髪を拭いた時は濡れていたせいで、この手触りまではわからなかった。そういえばあの時も総司は驚いたみたいで、途中でもういいよって言ってたっけ。やっぱり触られるのは好きじゃないのかな。
総司の長いまつげがすぐそばに見えて、千鶴のドキドキが強くなる。まつ毛も黒ではなく、でも髪ほど茶色でもなくこげ茶だろうか。ぼーっとしてみていると、そのまつ毛が上がり、上目遣いの緑の瞳と至近距離で目があった。
「熱はある?」
総司の声に、千鶴はハッとした。「い、いえ。無いみたいです」
「でしょ?なのに土方さんはいちいちうるさいんだよね」
ふいっと総司はまた体を起こし、千鶴の視界から総司のきれいな緑色の瞳が遠ざかってしまった。
じんじんとしているような感じがする自分の手のひらを、千鶴はそっと握って、なぜか体の後ろに隠す。手のひらで感じたドキドキが、総司に伝わってしまいそうな気がして。

「土方さんは……心配してるんですよ」
動揺を隠しながら、総司の言葉にとりあえず答えると、総司は首を横に振った。
「まさか!あの人はそんな人じゃないよ。新選組のことしか考えてないんだから」
「……」
千鶴は総司の顔を見た。
「そんなこと……ないと思いますけど……」
さっき土方さんは、そりゃあ沖田さんの体が心配なんだ、なんては言ってないけど。でも普通に聞いたら新選組の仕事よりも沖田さんの体調を気遣ってるってわかるよね。

しかし総司はきっぱりと首を横に振った。
「千鶴ちゃん、まだまだ土方さんのことをわかってないね。あの人はそんな人じゃないよ。僕のことを心配してくれるのは近藤さんみたいな人ぐらいかな」

人から気にかけてもらうのを嫌がるところがある

千鶴は先ほど土方が言った沖田の性質についての言葉を思い出した。
嫌がってる……のかな?ううん、嫌がるっていうか……

「わ、私だって……沖田さんのこと、心配してますよ……?」
千鶴がそう言うと、総司は相変わらずほほ笑んだまま千鶴を見た。
「そりゃあ君は僕の秘密を知ってるし。お医者さんの娘だから養生の仕方についていろいろ気になるんでしょ」
「……」
「ありがとね。でも気にしなくてもいいんだよ」

違う。
嫌がって拒絶してるわけじゃない。

総司の笑顔を見ながら、千鶴はようやく気が付いた。
土方も、たぶん近藤すら気づいていないのかもしれない。

沖田さんは、自分を心配する人はいないって思ってる。

土方が総司に横になるように言うのは、新選組の剣である総司が体調を崩してばかりだと困るから。
近藤が総司を心配するのは、近藤が心が広く優しい人格者だから。
そして千鶴が総司を心配するのは……労咳を知っていて、医者の娘だから……

沖田さんが大事だから熱やしんどい思いをしてほしくないから、ずっと元気に笑っていてほしいから、ずっと一緒に生きたいから、だから心配してるんだなんて思ってもいないだ。
どうして?

たぶんガキの頃に家を出されたこととか、道場のやつらに折檻されたことがかかわってるんだとは思うんだが

そうなのか。それ以外にも理由があるのかもしれない。
千鶴は初めて総司を見るような気持ちで、あらためて目の前の彼を見た。総司は自分の後ろで、ネコがのびをしているのを見ている。
「話し声がうるさくて起こしちゃったかな」
「その猫も…いつもここにいますね」
何か言わないといけないような気がして、千鶴はそう言った。
「そうだね。別にお互い特に構わないのに、なんかいると安心するよね」
「沖田さん……」

心配するのはその人が大事だから。
愛しているから。

沖田さんは、自分が他人から愛される存在だって思ってないんだ。

拒絶されているわけではない。嫌われているわけではない。
単に総司の目には千鶴は映っていないだけ。誰も映っていない。

千鶴は足元から冷たい水にひたひたと浸かっていくような気持ちになる。
総司も哀しい。
そして、千鶴も。
でも総司には、その水が冷たいなどと思う感情もないのだろう。
こんなに近くにいるのに。手で触れられるくらい。

千鶴は無意識のうちに手を伸ばしていた。
先ほど熱を測った時のように、総司の額に触れる。総司は少し驚いたように緑の目を見開いたが、今度は何も言わず千鶴が触れるがままでいる。

「……どうしたの?」
総司が、優しい口調で聞いた。
「え?」
千鶴が聞き返すと、総司は困ったように笑った。

「なんか泣きそうな顔してるからさ」
「……」
喉の奥に大きな塊が仕えているようで、千鶴は言葉が出なかった。
にじんでくる視界を必死で我慢する。

総司は何も言わずに、そんな千鶴を見ていた。