穀雨
四年目 春 藤堂平助
御領衛士に行く前の話。
平助は雨の音で目が覚めた。
目の前は真っ暗。バタバタと大粒の雨が屋根を打つ音が響いている。一度耳につくと気になって再び寝入るタイミングを逃してしまった平助は、ついでだからと腹のあたりを掻きながら厠へと行くために立ち上がった。
この雨で桜も散ってしまう。春とはいえ雨が降ると冬に逆戻りしたようだが、この雨が終わればまた季節が変わり一段と暖かくなるのだろう。
平助は身をすくめながら部屋を出ると、滝のように屋根から滴っている雨を見ながら厠へと向かった。
厠を済ませて戻ろうとすると、廊下の端に何か黒い影があるのに気が付いた。
ん?なんだありゃ?
寝ぼけてるのかと目をこするがそれは消えない。全く動かないが……
「……総司?」
それはゆっくりと振り向いた。
やっぱり総司だ。暗闇に慣れた目には顔が見えた。
厠に行っている間に起きだしてきたのか。廊下に座って柱に寄りかかって庭を……いや、雨を見ている。
「平助。どうしたのこんな夜中に」
「いや、厠。おまえこそ」
「雨の音で目がさめちゃった。昼間寝てばっかりだし動かないから眠れないんだよね」
「あ、そっか」
最近また風邪で微熱が続いて、総司は隊務を休んでいたのだ。
平助はそういうと、総司の横に立って雨粒を避けながら空を見上げた。廊下や屋根に当たった雨粒がはじけた雫が、パラパラと脚や顔にあたる。
しばらく無言で二人で雨を眺める。
「いついくの」
「え?」
「御領衛士。いくんでしょ?」
「ああ……その辺は伊東さんが近藤さんと話してっから」
「ふーん」
平助は横目で総司を見た。
思えば総司とも長い付き合いだ。一緒に京に出てきて共に苦労しながら新選組をここまで大きくした、同志と言えば同志だ。少しばかりだが後ろめたいような、裏切ったような気がしなくもない。
平助は何か……たとえば謝罪のようなものを言った方がいいかと思ったが、総司の顔を見てやめた。総司は全く何も気にしていないような普段通りの表情で雨を眺めている。
まあそうだよな。そういうのこいつのガラじゃねーし
「ま、でも今日明日じゃねえよ。明日、俺巡察だしな。ああ、そういえば千鶴連れてくんだっけ」
「ふーん」
興味無さそうに合図内を打つ総司。
千鶴って言やあ……
平助は再び総司の顔を見た。
こいつ、ほんとのところ千鶴のことどう思ってんだろ。千鶴のためにひと肌ぬいでやろうかと、平助は聞いた。
「そういや、あの二条城で襲ってきたやつら、ホラ池田屋でも会ったじゃん、あいつら最近見ねえな」
「そうだね」
「聞いたか?千鶴を狙ってるとか言ってたらしいじゃん」
「うん」
「お前もこの前の巡察で、またあの怪しい女と会ったって言ってただろ?千鶴に似てるっていう……」
「まあね」
「なんか心配だよな」
「そう?」
「……」
まったく乗ってこない総司に、平助は話題を変えることにする。
「そういやさ、前左之さんが島原からの手紙を総司に渡したろ。あの例の千鶴が潜入した時のさ。あれで総司、島原ですごい人気になったけど、千鶴もなんだぜ」
初めて総司が平助の顔を見た。「あの子が?」
平助は、ようやく!という気持ちで楽しくなる。
「そう。『あの沖田総司が守ってた芸者は誰だ』って。酌してもらったやつ等が覚えてて君菊経由で文をいくつももらったってさ」
「……」
総司の反応を楽しみにしていたのだが、総司は「ふうん」と言っただけでまた雨に目を移してしまった。
「結構しつこい客もいてさ、旦那になりたいから連れてこいって言ってたらしいぜ」
旦那という言葉に反応して、総司はまた平助を見た。しかしまた庭に目を移して興味がなさそうな顔になる。
「へえ、物好きだね。あんな子どもに」
そういう総司に、総司を見る千鶴のまなざしを思い出し、平助は思わずイラついてしまった。
「子どもじゃねえよ!」
総司が少しだけ目を見開いて平助を見る。
「もう十八だぜ?子どもじゃねえよ。世間じゃ嫁に行ってんのが当然の年齢だし、好いた男ぐらいいるのが普通だって!」
「……子どもでしょ」
「違うって!だから……だから、総司……だからさ」
総司はいぶかしげに平助を見る。「だから?」
「だから総司、もっと優しくしてやれよ」
総司は、驚くわけでもなくもちろん反省している風でもなく平助をじっと見ていた。
ああ〜まずったかも。なんかいろいろ失敗したかも……ってか失敗したよな、これ。俺のバカ!!
「お、おれ……俺もう寝る!おやすみ!」
平助はそういうと後ろを振り向かずに自分の部屋へと大股で帰って行った。
背中にひしひしと感じる総司の視線が痛かった。
次の日。
朝餉を食べた後巡察のために集まっている中庭で、平助は千鶴を見つけると駆け寄った。
「あ、平助君!今日はよろしくね」
平助を見た途端パッと輝くような笑顔になった千鶴に、平助の罪悪感はさらに大きくなる。
「ごめん!」
平助は千鶴の前で両手を拝むように合わせて頭を下げた。
千鶴は驚きポカンとして平助を見ている。
「ごめん、なんかわかんねーけど……ごめん!」
何を謝ってるの?という千鶴には話せない。
総司の性格上昨夜のあれはまずかったと、平助は大反省していた。
今はもう千鶴に謝り倒すことしかできないけれど。