【HeartBreaker 説明SS-2】
社長室の重い扉を開けると、中で大久保が顔をあげた。
「千鶴ちゃん!よく来たね。さぁ入りなさい」
さぁさぁ!と千鶴を促し、社長室のフカフカのレザーのソファに千鶴を座らせた。
脇の机にあるコーヒーメーカのポットを持ち、古くなったコーヒーを備え付けの簡易キッチンに捨てると、大久保はいそいそとコーヒーを淹れ始めた。
「お、大久保のおじ様…!そんなことなさらないでください。私が……」
「いいから座ってなさい。私はコーヒーを淹れるのがうまくてね。家でもいっつも妻に淹れてあげてるんだ」
コポコポ……とコーヒーメーカーが音を立てだすと、コーヒーのいい香りが社長室を満たしていく。
大久保は社長室の机の上から書類を持つと、千鶴の前までやってきて差し出した。
「わざわざ来てもらってすまなかったね。君はうちの会社の大株主になったばかりだから何かとサインをもらわなくてはいけなくてね……」
ほぼオーナー状態だった綱道の資産を千鶴が引き継いだため、今や千鶴は綱道コーポレーションの大株主だった。綱道コーポレーションはその地道な研究活動により堅実ながらも増収増益で、千鶴は配当だけで十分暮らしていくことができた。
さらに綱道個人の資産……今千鶴が住んでいるマンションや湖の別荘をはじめとする動産不動産の資産も莫大で、千鶴は不労所得だけで高額納税者となってしまっていた。
千鶴が書類をよんで、大久保の説明を受けている間にコーヒーがはいり、大久保はコーヒーカップに注いで机に置く。千鶴はサインをしたり質問をしながらコーヒーを飲み、合間に大久保と笑いながらおしゃべりをした。その最中に、千鶴はふと社長室の壁際にある扉に目がいき、大久保に尋ねる。
「大久保のおじ様、あの、あの扉の向こうにある……」
大久保はふくよかな体をねじって後ろをふりむき、扉に気が付くと、ああ、とうなずいた。
「綱道さんが宿泊用の自室にしていた部屋だね?」
「はい。今はどうされているんですか?」
「改装して会議室にしたんだよ。ああ、でもそういえば……」
何か思い出したような大久保に千鶴は不思議そうな顔をする。
「設計図面でもあそこの部屋の壁は普通の壁のはずなのに、何故か分厚い鉄板が入っていてねぇ。なんでも銃弾も手榴弾すらも跳ね返すとか言う特殊な素材がサンドイッチになった鉄板でね。綱道さんがやったんだろうがいつどうやって工事したか誰もわからなくてね……」
千鶴は目を瞬かせた。『変わる前の世界』でやったことが、つぎはぎながらも残っていることが分かり、千鶴は不思議な気分になった。全く別の世界になったわけではなくミックスされている。そのうちこの世界でも、羅刹の特殊の頭脳によってではなく別のルートでタイムマシンが出来たりするのかも知れない。
千鶴が物思いにふけっていると、書類をチェックしていた大久保が満足気に顔をあげた。
「ヨシ!これで全部だな。どうもありがとう」
そう言って立ち上がる大久保につられて千鶴も立ち上がった。
「また何かあったら言ってください」
にっこりとほほ笑む千鶴に、大久保もウンウンとうなずいた。
「今日はこれからどうするんだい?よかったら一緒に昼でも……」
「あ、連れがいるので……」
千鶴がそう言うと、大久保の表情が少し曇った。
「……あの、前に紹介してくれた一緒に暮らしてるっていう男かい?」
千鶴は恥ずかしそうに頷く。大久保は千鶴を促して社長室を出ながら言った。
「……こんなことをいうのはなんだけど……身元は確かな男なのかい?いや、つまりね……君は若くてきれいでしかも結構な財産があるからね……」
大久保が何を心配しているのかわかって千鶴は吹き出した。
「大丈夫です。大久保のおじさま。ちゃんとした人ですよ。お金目当てとかは絶対ありえないです」
「そうなのかね……?まぁ君がそう言うのなら……。ところで今そいつはどこに?」
千鶴はエレベーターのボタンを押しながら答える。
「なんだか資料室が見たいっていうんで1階の倉庫に……」
「なんだって!?」
開いたエレベータに乗り込みながら、大久保の驚き様に千鶴も驚く。
「千鶴ちゃん、金以外にもいろいろ利益になるものが君にはあるんだよ。資料室なんて我社の企業秘密が……!」
焦っている大久保を千鶴は困ったように宥める。
「大丈夫です。沖田さんは……沖田さんが何かするとしたら私の利益にならないことはしないと思うので……」
千鶴の言葉に大久保は逆に青ざめた。
「そんなに信じ切って……」
必死になって沖田の危険性を言いつのる大久保をなだめながら、千鶴は1階の廊下をあるき資料室のドアを開けた。
「沖田さん、終わりました」
「……ああ…」
資料室の梯子に腰を掛けて何か資料を読んでいた沖田は、入り口に立っている大久保と千鶴を見て立ち上がった。
「……こんにちは大久保さん。お元気そうで何よりです」
前の世界で沖田が大久保に何をしたのかを知っている者にとっては、皮肉にも取れるような挨拶を、沖田はにこやかにした。
「……ああ、おかげさまでね」
愛想のいい大久保にしては珍しく、苦虫をかみつぶしたような顔でしぶしぶと返事をする。
「君には悪いんだが、どうも君を見ると何かこう……嫌な気持ちが……」
「ああ、僕は前にあなたを殺しましたからねぇ。どこかに記憶のひっかかりがあるんでしょう。当然の反応だと……」
「沖田さん!」
千鶴が慌てて沖田をさえぎった。真っ赤な顔をして沖田を睨んでいる。
沖田はひょいと眉をあげてにっこりとほほ笑んだ。
大久保は、わけがわからない、と言った顔でそんな二人を見て、そして言った。
「何か……有用なものはあったのかね」
猜疑心と好奇心をまぜたような大久保の声に、沖田は気にした風でもなく資料室を見渡した。
「いえ、残念ながら……。電子媒体になっているものはすべてチェックしたんで、あとは紙で保管されているものを、と思ったんですけどね」
沖田の言葉に大久保は目を剥く。
「で、電子媒体って……チェックってどうやって……」
「ああ、パスワードやFWにあけた穴は、前の世界とおなじようにここでもあったんで、それを利用して社内LANにはいらせてもらって……」
「沖田さん!」
再度の千鶴の言葉で沖田は悪戯っぽい顔をして口をつぐんだ。大久保がぱくぱくと陸に上がった魚のように口を開けたり閉めたりしている。沖田は怖い顔をして自分を睨んでいる千鶴に、楽しそうに言った。
「そろそろ帰ろうか?千鶴ちゃん悪いけど守衛室から車の鍵もらってきてくれる?」
千鶴は、まだパクパクしている大久保と沖田を二人きりにしていいものか迷いながらも、資料室を出て守衛室へと歩いて行った。
後に残された二人……
大久保は、ゴホンと咳払いをして沖田を睨みながら口を開いた。
「君はどういうつもりで千鶴ちゃんに近づいてるのか知らないが、彼女を傷つけたりしたら……」
「ああ、それはないんで大丈夫です。それより僕、あなたに聞きたいことがあるんですよね」
自分の文句をあっさり交わされ、さらに質問がある、という沖田に、大久保はつぶらな瞳をぱちくりさせた。
沖田は書庫を見渡しながら言う。
「綱道の個人的な資料は処分したっておっしゃってましたけど、本当に見事に何もないですね。ここ以外に保管はしていないんですか?」
「……」
思いもよらなかった質問内容に、大久保は目を見開いたまま沖田を見た。沖田は続ける。
「特に……綱道が昔に引き取った千鶴ちゃんとその兄の記録。養子にしたのなら公的記録がのこっているはずなのに千鶴ちゃんのしかないですよね。薫のことは、大久保さんはご存知ですよね?」
大久保の顔がみるみる青ざめる。
「な、なぜ……お前なぜ、千鶴ちゃんが養子であることを……?いやそれよりも薫君のことをなぜ……!!?」
沖田はそれには答えずにパラパラと手元の資料をめくる。
「薫の実験結果と……失踪する直前くらいでいいんで写真が見たいんです。大久保さん、薫の顔をご存知ですか?」
「……」
青ざめたまま何も答えない大久保に、沖田はさらに聞く。
「千鶴ちゃんに似てますか?」
「沖田さん、車の鍵ですよ」
明るい千鶴の声がして、資料室の緊迫した空気は破られた。
「ありがとう」
沖田は何事もなかったようににっこりとほほえみ、まだ固まったままの大久保を置いて千鶴の方へと歩いて行く。
「大久保のおじさま、さようなら。またきます」
「お邪魔しました」
沖田と千鶴の挨拶にぎこちなくうなずきながら、大久保は震える手で自分の顎を撫でた。
そしてそのまま大久保は、千鶴と廊下を歩いて行く、沖田の均整のとれた後姿を見つめていた。
車に向かって二人で歩きながら、千鶴は沖田に社長室の横の部屋の壁の鉄板について話していた。
「父様が沖田さんに壊されてから入れたっていう鉄板が、この世界でも入ってたんです。なんというか……モザイクみたいな感じで前の世界の出来事が入り混じってるみたいですね」
「へぇ?じゃあ……僕と君がやらかしたいろんなことも、もしかしたらこの世界に残ってるかもしれないんだね」
車の鍵をくるくると回しながら、沖田が楽しそうに言った。
「え?やらかしたことって?」
「ん?まあいろいろあるけど……個人的にはアレが残ってたら一番楽しいんだけどなぁ」
緑の瞳をきらめかせて楽しそうに思いを巡らせている沖田を、千鶴は不思議そうに眺めたのだった。
その頃の土方家……
近所の人々の憐みの視線の中、土方一家が立ちすくんでいる。
視線の先には何故かボロボロに破壊された我が家があって……
窓ガラスはことごとく割れて、破片が庭や1階の玄関に飛び散っていた。壁には何か液体をかけられたような後がべったりと汚くつき、ところどころ高温で焼かれたようにコンクリートが黒く焦げている。
こだわって作った庭の木々はすべて燃えて炭と化していた。
3階の部屋の中の、これまたボロボロのカーテンが風に吹かれて舞い上がっている。
海外勤務が開けてようやく日本に帰ってきた土方一家は、新築のまま残してきた自慢の家を前に、全員固まっていたのだった。