【Can't Help Falling
Love With You 7】
幕末ですが、本編捏造がはなはだしいです。
そばにいさせて
たとえそれが罪だとしても……
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その夜、千鶴は小太刀を携え、神社へと向かっていた。
満月から幾分かだけ欠けた月が、辺りを照らしている。月明かりがあるため提灯はもたずに千鶴は歩いていた。
沖田の姿は見えないが、後ろからついてきているのだろう。千鶴が屯所を出るときの沖田は、相変わらず無表情な顔で千鶴に向かってうなずいただけだった。
もし、今日千鶴が沖田に斬られるようなことがあったら、きっとあの顔が沖田を見た最後の顔になるのだろう。
最後は笑顔がよかったな……。
千鶴は寂しそうにつぶやいた。
あの路地裏での口付けの後、醒ヶ井に向かうときも、男装に戻るのを待っていてくれた間も、そして屯所に帰るまで、二人はほどんど会話を交わさなかった。
千鶴が屯所に軟禁状態にされた最初から、何かと千鶴に話しかけ、時には意地悪をしたり悪戯をしかけたりはしたけれど、こんなに何もしゃべらないことは一度もなかった。
千鶴はそれがつらかった。
あんなことしなきゃよかった……。
自分の気持ちを伝えるとともに、自分からした始めての口付け……。
あれから全てが狂ってしまったように感じる。
でも、その後に沖田から受けた熱い口付けを知らないまま死んでいくのは寂しいとも思う。口付けをされている時だけは、沖田に全て愛されているような幸せな気分になれた。
それを思うと、自分からしたあの拙い口付けは後悔だけ、というわけでもないような感じがする。
一方沖田は、一定の距離を保ちながら千鶴の後を付いてきていた。
歩きながら思い出すのは、屯所をでる直前、土方と今夜の件について二人で最後に話しあった内容についてであった。
「お前、わかってんな?なんでもかんでも千鶴を斬りゃあいいってもんじゃないんだぞ?」
黙り込む沖田を見て、土方は言葉を続けた。
「千鶴が、いまさら俺達を裏切って、薩長となんかするたぁ思えねぇし、あいつから薩長の藩邸に逃げ込むことも、もうないだろうよ。三年の間に、千鶴と俺達の間にはそれぐれぇの信頼関係はできてると思ってるからよ」
何の反応もしない総司をみて、土方はさらに言う。
「あるとすりゃぁ、薩長側が、力でもって千鶴を奪うことぐれぇだが、お前の出番はそん時だけだ。それだって、何も相手の奴を殺さなくてもかまわねぇ。要は千鶴に危害が及ばずに新選組に戻すことができりゃぁいいんだからよ。考えられる可能性はこんぐれぇだから、あいつを斬るようなことは多分起こらねぇだろうと俺は思ってんだよ」
だから、と土方は続けた。
「あいつを斬る、というよりは、守るつもりで行って来い」
土方は、千鶴を斬らなくてはいけないことを沖田は気にして、最近神経質になっているのだと思い気を楽にさせるためにそう言ったのだが、沖田からの反応は無かった。
「?どうした。なんか質問でもあんのか」
土方が促すと、沖田はうっすらと笑って言った。
「なんだかなぁ。すっかり信頼されちゃってるんですね、あの子。新選組も、いつのまにこんなに甘くなっちゃったんでしょうかねぇ。鬼の副長からしてこれですから」
「な……っ!」
「僕は、僕の頭で、目で見たもので判断しますよ。この件を受けたときにその権限もいただいてるはずですし。彼女が新選組を裏切ったと見なしたら、斬ります」
そう言って、沖田は、唖然としている土方の返事も聞かずに、千鶴の後を追って屯所を出たのだった。
待ち合わせ場所に指定された神社の裏は、想像していたよりも広かった。
千鶴は神社裏の階段の前に立つと、月明かりに照らされた周囲を見渡した。神社の社から少し離れたところに、森、というにはまばらな木々が散らばり、そこだけ月の光が届かず暗闇が漂っている。木々の周りは手入れがされていないのか、大きな石がごろごろと転がったままになっていた。
ちらっと、その木々の間から沖田が一瞬姿を見せ、また消える。
千鶴に、自分のいる場所を知らせるため、わざとしたのだろう。声が聞こえるほど近くはないが、何かあった時にはすぐ駆けつけることのできる距離だった。
千鶴は、少しだけ解けた緊張を感じながら、月を見上げた。
相手を刺激しないように、必要な情報を引き出して、新選組の情報は漏らさず、父様のこと、羅刹のことを聞き出すーーー。
千鶴はどきどきを抑えるように、震える指を胸の前であわせ、うるさい心臓がなんとか落ち着いてくれるように、深呼吸をした。
さくっ、さくっーーー。
砂利と草を踏む足音が聞こえてきた。聞こえる足音は一人だけ……。それもとても静かなものだった。
千鶴が、はっと顔をあげると、月明かりの下、一人の男がこちらにゆっくりと歩いてくるのが見えた。
「雪村……千鶴くん、だね?」
「……はい」
「私の名前は……、多分言わない方が君の身の安全が図れると思うから、言わないでおこうか。ただ薩摩藩に縁の者とだけいえば、だいたいの立場はわかってもらえるだろう」
その人は、大小はさしていたけれど、以外なことに着流し姿で、慈しむような、優しい目をした、近藤さんと同じくらいの年齢の男性だった。
「こんな時間に、呼び出してしまってすまない。なんとか君に会えないものかと思っていたのでね」
「あの……」
「ああ、そうだね。早速本題に入ろうか。綱道さんのことだね?彼はもう今は薩摩藩に関係する場所にはいないんだ」
千鶴は、目を見開いて、その人を見上げた。
「順番に話そうか」
そう言って、その人は千鶴を促し、一緒に神社の階段に座る。
「あの……、さっき、『今は』って…」
「そう、お恥ずかしい事ながら、綱道さんをさらったのは我々薩摩の人間だ。と、いうより薩摩藩の一部の派閥の人間が、幕府に対抗するためには同じ力を持つことが必要だと思って、暴走してしまったんだ。けれども、結局今は、あんな化け物の力を使わずに、なんとか幕府とやりあおうと考えるものたちが主流になってね。それで綱道さんも、解放した。君には心配をかけてしまって、本当に申し訳なかったと思っている」
そう言って、千鶴に向かって頭を下げたその人は、とても誠実な人なんだと自然に感じられた。
「では、父は今どこに……?」
「申し訳ないんだが、それは我々にもわからない。迷惑料としてかなりの金子を渡したから、困ってはいないとは思うが…」
千鶴は、彼の誠実な眼差しや、気遣いのある話し方から、彼を信頼し始めていた。
この人は、きっと薩摩藩で今主流になっている派閥の、中心的な人に違いない。余裕のあるその素振りや包容力からきっとそうだ。そんなことを思いながら千鶴が、その男を見ると、彼は微笑みながら言った。
「そう、僕達が綱道さんを、追い出したんだよ」
そして急にその男は、真剣な表情にかわる。
「君も知っているだろう?あの羅刹とかいう化け物のことを……。今よりももっと平和で幸せな日本を造りたいと考えて闘ってきたのに、あんなモノを造り出してまで闘うのは本末転倒だと思ってね」
千鶴は顔を曇らせて、俯いた。
そのとおりだ。羅刹とはいえ、元は感情もある人間だった。でもそうするための薬を作ったのは、父様で……。
あの優しくて患者さんのことばかり考えていた私の父は、いったいどこに行ってしまったんだろう。それともあの父はすべて演技だったんだろうか。
そんな千鶴を見て、その男はためらいながら言う。
「これはね、千鶴くん。僕の個人的な見解なんだが……。綱道さんは悪くないと思っている。悪いのは彼の研究を、自分達の権力のために利用しようとした、時の権力者たちでね。綱道さんは、薩摩藩にいるときも、とても優しい方だった。自分をさらった人間たちなのに、怪我や病気をすると親身になって治療や看病をしてくれた」
「その誠実な人柄もあって、最後にはみんなにとても慕われていたんだ」
それは千鶴が江戸でずっと見ていた父と同じだった。
千鶴は胸が熱くなり、視界がにじむのを感じた。
ずっと、ずっと。何故父があんな研究をしてきたのか悩んでいた。
羅刹になって血に狂う人達を、傍で見てきたから、尚更。
「羅刹の力は、君も知っているとおり、以上なまでの治癒能力の高さだ。変若水は、血に狂うという副作用があるけれど、もしそれがなければ、すばらしい薬になるとは思わないかい?」
男の言葉に、千鶴はびっくりして、顔をあげる。
「それは、本当にそうだと、思います…けど……」
「君の父上が、最終的に作り出そうと研究していたのは、それだったんだよ。彼は変若水の治癒能力のみを抽出して薬にできないか、ずっと研究してきていた。研究費を捻出するためには、幕府に利用されることも厭わなかったんだ」
抑えていた涙が、ぽろぽろとこぼれて来るのを、男に見られないように千鶴は俯いた。
父様は、父様のままだったんだ……!
安堵と喜びで胸が一杯になる。
けれども千鶴は、今の自分の立場を思い出して、できるだけ冷静に話を続けようと努めた。
新選組にとって知りたい情報は、綱道の現在の居場所だ。
この男は知らない、と言っていて、それは嘘ではないだろうけれど、何か少しでも、居場所を想定する助けになるような情報はないだろうか……。
「私に連絡をしてくださった、ということは、私のことを父から聞いていたんですよね?」
男がうなずくのをみて、涙声のまま千鶴は続ける。
「じゃあ、父は、私が新選組にお世話になっていることは知らなかったんでしょうか?」
「いや、綱道さんは、君をたいそう心配していてね。こちらも気兼ねなく研究を進めもらうためにも、君の動向を把握して綱道さんに伝えていたんだ。だから今、京に上ってきたこと、新選組にいることも知っていた」
「でも、じゃあ何故自由になったのに、会いにきてくれないんでしょうか……?」
男は、これも私個人の意見だが、と断りながら、言う。
「君を迎えに新選組に行ったら、また羅刹を生むための変若水の研究を続けなくてはならないだろう?それに君が鬼にねらわれていることも知っていたから、多分今の状態のまま、遠くで見守るほうが君の安全のためだと判断したんだと思う。私の勘だが綱道さんは京にいて、君のことを気に掛けていると思うよ」
そして、男は懐から何か小さなものをとりだした。
「今日は、これを君に渡したくて、来たんだ」
そう言って、それを千鶴に差し出した。
月明かりに、きらっと光ったそれは……。
「お、変若水……!?」
「いや、少し違う。元は変若水だが、これは綱道さんが、研究していた最新の薬だよ」
装飾されたガラスのビンに入っていた液体は、確かに変若水とは少し違う色をしていた。
「薬…?」
「そう、完成とまではいかないが、かなりそれに近いのではないかと、考えていたらしい。彼を解放したときに、彼の研究に関するものは全て処分したんだが、どうしてもこれだけは捨てるに忍びなくてとっておいたんだ。しかし、もてあましていてね。君に受け取って欲しい」
そう言って、千鶴の手を包むと、ひんやりとしたガラスの感触が伝わってきた。
「最後の被験者数人に試したところで、研究は打ち切りになったんだが、彼らは今のところ羅刹化もしていないし、狂ってもいない。怪我は治ったし、一人は労咳だったんだが、治るとは行かないまでも進行はしていないし、通常と同じ生活をおくれている。今後どうなるかはわからないけどね」
ただ、と彼は続けた。
「吸血衝動だけは、まだ残っているんだ」
父様が、全てを捧げて造った薬……。
「ありがとうございます」
千鶴は、敵のはずのこの男に、素直に礼を言った。ほんとうにありがたいと思ったのだ。
ずっと会えないままの父と、まだかすかに繋がれているように感じることができた。
そんな千鶴を、その男は微笑みながら見ていたが、ふと静かに聞いてきた。
「君は、今幸せかい?」
「え……?」
突然の質問に、千鶴は驚いた。