【Blue Rose 5−1】
『青は藍より出でて藍より青し』の続編です。前作を読まないと話がわからないと思います(スイマセン……)。
作者は剣道、その他について未経験者です。内容については信用せずフィクションとしてお楽しみください。
僕は肩に触れる千鶴ちゃんの小さな手を意識しながら自転車をこいだ。もうそろそろ僕も剣道部を引退だし、こんな風に部活帰りに一緒に帰れるのもあと少しだろう。僕の自転車の後輪には座るところがついていないから、千鶴ちゃんは僕の肩につかまって、自転車に跨って立って乗ってる。ちょうど千鶴ちゃんの顔の位置が僕の頭の位置の近くになって、話がしやすくて楽しい。
涼しくなってきた風に吹かれながら赤信号で止まると、僕は前から気になっていたことを千鶴ちゃんに聞いた。
「千鶴ちゃん、生理きた?」
「……はい?」
聞き間違いだと思ったのか、千鶴ちゃんは聞き返してくる。
「生理。そろそろでしょ。来た?」
僕がもう一度繰り返すと、千鶴ちゃんは固まった。返事がないので、僕は振り返って千鶴ちゃんの顔を見る。
「来たの?まだなの?」
「……ま、まだです……」
千鶴ちゃんは茫然としながら返事をした。信号を見ると青になっていたので、僕は、来たら教えてね、と言ってまだ自転車をスタートさせた。
あの日、『千鶴』との間に起ったことは千鶴ちゃんは覚えていなかった。
あの後、眠ってしまった彼女の横でいろいろと考えを巡らせていた僕は、デートの時の電車の中でのキスは、もしかしたら『千鶴』だったんじゃないかと気が付いた。あの時電車から降りた千鶴ちゃんはキスのことを全く覚えていなかった。だからもしかしたら千鶴ちゃんは朝起きたらさっきのことを何も覚えていないかもしれない。そう考えて、僕は明け方に障子の向こうの自分の布団に戻った。何も覚えていない千鶴ちゃんだとしたら、朝起きてびっくりするだろうから。
そして実際彼女は何も覚えていなかったんだ。
変な後ろめたさと安堵の気持ちと一抹のさみしさ。
千鶴ちゃんの意識がないまま体だけを抱いてしまったこと。なんとなく『千鶴』と浮気でもしてしまったような感覚。あの心を通わせ会ったひと時をなかったことにされてしまった寂しさ。
千鶴ちゃんに言った方がいいのか散々迷ったけど、僕は結局何も言わなかった。千鶴ちゃんはなんだか下腹に違和感があるような感じで不思議そうだったけど、まさか意識がないまま初体験したとは思わなかったみたいで(普通誰も思わないよね)、特に僕には何も言わなかった。千鶴ちゃんの内腿にある僕がつけたキスマークも、千鶴ちゃんの爪がつけた僕の背中の傷も、彼女は知らない。だけどあの夜は本当にあったことで、千鶴ちゃんの妊娠もあり得るんだ。
ゴムはつけたけど使い方は間違ってた。ってゆーか、あの状態でいったん抜いて、またつけて、また抜いて、またつけて、なんてあり得ないでしょ、普通。でもそれが保健体育でいう、いわゆる正しい装着方法。そもそもあのビニールの小さい包み紙は開けにくいし。特にあの最中なんて頭は朦朧目はうつろ、下手すると手だって震えてるしさ。とにかく僕は夢中で、いわゆる『正しい避妊』ではなかったんだよね。千鶴ちゃんの生理がこなければ、あの時の子ってことになって……千鶴ちゃんとしてはどうなるんだろう?記憶がないわけだし、キリストみたいに処女懐胎?まぁさすがにそうなれば、僕も事情は話すけど、まだ魂に傷のある千鶴ちゃんに前世の話をして無理に記憶を思い起こさせるのはできれば避けたい。つらい記憶も多いだろうし思い出さないならその方がいい。
子供については……フクザツ。現世の僕がまだ高校生で、養っていくにはお金やら就職やらいろいろ必要で。そういうことは頭ではわかってるんだけど、僕の気持ちとしては僕と千鶴ちゃんの子供が欲しい。これは脳で考えていることじゃなくて、たぶん遺伝子というか本能が勝手に求めてることだと思う。
前世でも、実は欲しかった。羅刹の体で、労咳にもかかってて、甲斐性もなくて、たぶん先に死んでしまう身で、とてもじゃないけど自分からは言えなかったけど。でも、千鶴との……何かしっかりした絆が欲しかった。僕がちゃんと生きていたっていう印を世界に、千鶴に残したかったんだ。そんなの無い方が、僕が死んだあとの千鶴は生きやすいだろうというのはわかっていたから、言わなかったけど。
今も実は同じように思ってる。千鶴ちゃんとの消すことのできないしっかりとした関係が欲しい。彼女がどこかに行こうとしても行けないくらいの、天女の羽衣みたいなものが欲しいんだ。僕たちの子供ができたとしたら、この先たとえ何があっても千鶴ちゃんの子供の父親が僕であることは一生ついて回る。千鶴ちゃんが天に帰ってしまわないように、僕に縛り付けておくものが欲しかった
まぁ、でもこれは僕の勝手な思いやりのない欲望だってことはわかってるよ。でも男なんて大なり小なりこんな自分勝手なこと思ってるんじゃないのかな?彼女の幸せのために、自分の身を引く……なんてのはきれいごとだと思うけどね。特に現世の僕には身をひかなくちゃいけない理由なんてない。千鶴ちゃんの幸せを心から望んでいるのは本当だけど、その幸せは僕があげるものじゃなくちゃ意味がない。
僕が傍にいて、僕が彼女を幸せにしたい。
これはもう今は誰にも譲る気はないんだ。
家の前で千鶴ちゃんを降ろすと、彼女は奇妙なものを見るような目で僕を見てた。
生理のことなんて聞いたから不気味に思ってるのかな。まぁ、でも気にしない。僕はいつも通りのさわやかな笑顔を彼女に向ける。
もうちょっと顔を見ながら、手でもつないで一緒にいたい。
僕のそんな気持ちを全くスルーして、彼女はあっさりとお礼を言って家の中に入ろうとする。
「ちょ、ちょっとまって。千鶴ちゃん。もうちょっと……なんていうか、別れを惜しもうよ」
「?また明日会えるじゃないですか」
千鶴ちゃんはキョトンとしてる。こういうところ、あっさりしてるんだよねー、彼女。僕って愛されてないのかなぁ。
軽く溜息をつく。
「……まぁ、いいや。ちょっとこっち来て」
自転車越しにおいでおいでをすると、千鶴ちゃんが寄ってきた。僕は警戒させないようにしながら、不意打ちで彼女に唇に軽くキスをした。
ぼぼぼっと音がするくらいの勢いで彼女の顔が真っ赤になる。大きな黒目がちの目がさらに大きく見開かれて、僕を見てる。僕はちょっと優位に立てた気がしていい気分だった。
「じゃあね。また明日」
真っ赤になったままの千鶴ちゃんに手を振って、僕は鼻歌でも歌いたい気分でUターンをして自分の家へと自転車を走らせた。
「総司、早く歩け」
一君の声に僕はいやいや足を動かした。
「ああ〜、なんかだるいなぁ。千鶴ちゃん、今日は部活さぼってどっか遊びに行こうよ」
隣を歩いている千鶴ちゃんに僕は言った。
ほんとにそうしたいなぁ。平日も土曜日も部活で千鶴ちゃんとほとんど一緒にいられない。10月いっぱいで僕は部活を引退するけど、千鶴ちゃんはマネージャーを続けるだろうし、会えないのは変わらないんだよね。部活の帰りとか部活中にちょっと話すことはできるけど、まわりには邪魔者がいっぱいいるし、べったりいちゃいちゃはできないんだ。そしたらもう部活をさぼるくらいしかないよね?でも千鶴ちゃんは真面目だから……。
「ダメですよ。ちゃんと行かないと。先輩が来ると来ないとでは部の雰囲気が全然違うんですから」
……やっぱりね。
千鶴ちゃんは僕と二人きりになりたくないのかなぁ。いちゃいちゃしたくないのかな?
……ああ、またダメだ。思考が後ろ向きに……。最近こうなるとどんどん落ち込んでうつうつしちゃうんだよね。
「千鶴ちゃんは冷たいよねー。僕と部活とどっちが大事なの?」
思わず恨みがましく言うと、千鶴ちゃんは困った顔をした。後ろで一君の溜息が聞こえる。
「そんな……比べるようなものではなくて……。でも、私は沖田先輩に部活に出て……欲しいと思います……」
「なんで?僕は千鶴ちゃんと二人きりがいいのに千鶴ちゃんは違うの?」
僕がそう聞くと、千鶴ちゃんは何故か真っ赤になった。
「……剣道しているときの、沖田先輩が、すごく……か、かっこいい、から……見てるのがすきなんで…す…」
俯いて真っ赤になっている千鶴ちゃんを見て、僕は目を瞬いた。
「なぁ、総司なんであんなに張り切ってんの?」
部活も終盤にさしかかったころ、平助が一に聞いた。
「……バカだからだ」
一の返答に、平助はキョトンとしたのだった。
妙に部活を頑張ってしまった僕は、部室でぐったりしていた。なんか……わざとじゃないんだろうけど、千鶴ちゃんにいいように転がされた感じ……。まぁ自分から進んで転がっちゃったんだけどさ。
結局、部活と僕とどっちが大事なのか返事は教えてくれなかったし。
僕なら迷わず千鶴ちゃん。比べる対象じゃないとか、そんな細かいことは関係なしで千鶴ちゃん。
……だけど、千鶴ちゃんは真面目……というか固いから……なぁ。そんなところも好きなんだけど、好きなんだけど……。
不安になって寂しくなる。
特に、『千鶴』に心も体も受け止めてもらったあの経験の後だと、落差がつらい。
焦らずゆっくり、ってわかってるんだけど。
そんなことを考えながら制服に着替えてると、部室の外で平助と千鶴ちゃんがしゃべっているのが聞こえてきた。
「千鶴!さっきありがとな!腹減って死にそうでさー。助かったよ」
「でもあんな少しじゃ対してお腹のたしにならないでしょ?」
「まぁそうだけど、でも家までもつよ。千鶴の卵焼きうまいし」
「ふふ、ありがとう。今日調理実習でよかったね、平助君」
「卵焼きしか作らなかったのか?」
「あと肉じゃがつくったんだけど、クラスの子たちと食べちゃった」
「ええ〜!俺も食べたかった〜!」
「また調理実習あるから、そしたら平助君にもあげるね」
僕はシャツのボタンを留める手を止めて固まった。
たかが卵焼き。たかが調理実習。
僕が頼めば、千鶴ちゃんはきっと家まで来て僕のためだけにつくってくれるだろう。
でも。
たぶん平助が頼んでもきっと作る。
一君にも頼まれれば作ってあげるだろう。
そういえば帰りの教室で一年と付き合ってる奴が彼女と何か食べてた。
つきあってるなら、ほんとに卵焼きが食べたいかとかお腹が減ってるか、とかじゃなくて、それをネタにいちゃいちゃするもんじゃないの?
これまでの彼女たちも、そういえば調理実習の時は恥ずかしそうに作ったものを持って来てくれてた。