【青は藍より出でて藍より青し 7】
SSLではありません。が、似ている設定も多々あります。そして長いです……。
作者は剣道、その他について未経験者です。内容については信用せずフィクションとしてお楽しみください。
人の話し声で、総司は浅い眠りから覚めた。
武道館の裏にほとんど人がこないにもかかわらず、何故かベンチがある。総司はそのベンチを木陰の傍まで勝手に移動させ、いつも気が乗らない時には練習をさぼってそこで昼寝をすることにしていた。今日は梅雨の谷間の晴天で、湿気はあるけれど木漏れ日が気持ちいい。
総司がまだぼんやりしたままあくびをしていると、先ほどの話し声がまた聞こえてきた。その一方の声に、どうも反応して目が覚めてしまったようだ。
たぶん、この声は……。
総司はそのまま足音をさせずに、その話し声の方へそっと近寄る。と、総司が思ったとおり、植え込み越しに千鶴の背中が見えた。もう一人は、千鶴と同じクラスで剣道部の小林という生徒のものだった。
総司はすぐにピンとくる。人気のない武道館の裏、小林と千鶴二人きり、ときたらもう決まりだ。
小林の視線はいつも千鶴を追っていた。何かと機会をつくり千鶴との接点を持とうと努力していることにも、総司は気が付いていた。
それがわかっていて、総司は何故か小林が近づく前に千鶴に話しかけてからかったり、重い防具を千鶴のかわりに運んだりしてしまっていた。そして一に、さぼるなと叱られていたのだが……。
今回も思わず、話しかけて邪魔しに行きたくなる衝動をこらえて、総司は二人からは見えないところで、何の罪悪感もないまま当然のように会話を盗み聞きする。
「あ、洗濯機二つともあいてる!よかった〜。最近雨ばっかりだから、なかなか洗濯できなくて……。小林くん、洗濯もの運ぶの手伝ってくれてありがとう」
にっこり笑って小林を見上げる千鶴の笑顔が、総司からも見える。ギリッという音に、総司は自分が奥歯をかみしめたことに気がついた。
「別に…。いいよ。たいして重くなかったし。それよりお前さ、今週末の地区大会、来るの?」
「うん!もちろん。二年生はもう終わって次は7月の関東大会だけど、一年生は今週末だもんね。小林君もがんばって」
千鶴は洗濯ものを洗濯機につめ、洗剤をいれて、スイッチを押す。そして千鶴は武道場へと帰ろうとするが、小林が動こうとしないため立ち止まって、小林君?と呼んだ。
「おれ……おれさ。雪村が応援してくれれば頑張れるからさ……。応援してくれる……?」
顔を真っ赤にして、地面を見ながら言う小林に、千鶴は無邪気に、うん!もちろんだよ!と返している。
にっぶいなぁ。千鶴ちゃん……。
総司は呆れた。小林の態度も表情も話す内容も、このシチュエーションすべてが、今が告白タイムであることを告げているのに。
「うーん……。つまり……雪村のことが好きって言いたいんだけど」
とうとう小林がストレートに言った。
「え?」
千鶴は、目を見開く。その表情から、彼女は小林の気持ちにまったく気づいていなかったことがわかる。一瞬ののち、千鶴の顔が真っ赤になった。
「あ、あの……」
「雪村、今付き合ってる奴いるの?」
小林は頬を赤くしながらも、千鶴の顔を見て聞いてきた。千鶴はぶんぶん!と顔を横に何度もふる。
「じゃあ、おれとつきあってみてくれない……かな……?」
小林は息を詰めて千鶴の返答を待つ。それを見ていた総司も、なぜか息をつめて彼女の反応を待っていた。
しばらくの沈黙の後、これ以上赤くなれないほど真っ赤になった千鶴が、下を向きながら、つっかえつっかえ言う。
「え、えと…。ごめん……なさい。私……」
「他に好きな奴がいるの?」
「え……。わたし……」
千鶴は言葉につまり、沈黙のあと。
「わ、わからなくて……」
とつぶやいた。
「じゃあ、おれ、おれのことを好きになるかもしれないだろ?誘うからさ、休みの日とか学校帰りとかに一緒に遊びにとか行かない?」
小林の提案に、千鶴は困ったような顔をした。
「ご、ごめんね。でも……たぶん……」
好きにならないと思うから……
そのあとの言葉は、人を傷つけることの嫌いな千鶴には言えなかった。しかし、小林は千鶴の言いたいことに気が付いたようだ。
「そっか……。ごめん。おれ……」
そう言って下を向く。
千鶴は潤んだ目で、何も言えないまま。うつむいた。小林は、気分をかえるように、ぱっと顔をあげて、無理やり笑いながら言った。
「これまで通りに、してくれる?ごめんな、変なこと言って」
無理に笑顔で言ってくれる小林に、千鶴は涙をためながらも、うん、とうなずいた。そんな千鶴を、少し切なそうに見つめて、小林は武道場の方と一人で走って行った。
「あ〜あ、可哀そうに。小林君」
突然後ろから聞こえてきた声に、小林のことを考えていた千鶴は、文字通り飛び上がった。
「お、おお沖田先輩……!?」
植え込みをかき分けて出てきた人物に、千鶴は二重にショックを受ける。
「き、聞いていたんですか…?」
「うん、聞いちゃった」
にこっ。
まったく悪びれずに、さらっと言う総司に、千鶴は顔を真っ赤にしながらパクパクと口を閉じたり開けたりする。
千鶴は、以前平助と話して、好きなのかな、と意識し始めた相手だけに、総司には一番聞かれたくなかった。
いたたまれなくて、うつむいてしまう。
「なんで断っちゃったの?彼、さわやかで結構イケてると思うけど?」
「だ、だってそんな風に見たことなかったですし……」
「今がそうでも、つきあっているうちに好きになるかもしれないじゃない?」
なぜだか自分と小林とをつきあわせようとしているかのような総司の発言に、千鶴は胸が痛むのを感じた。いじけた気分になって総司をちょっとにらむように下から見上げて言う。
「沖田先輩は……、そういう…ふうにつきあうんですか?」
「僕?……うーん。そうだね。っていうか、僕のこと好きって言ってくれて、まぁかわいければそんなにこだわらないかな。逆に好きだからつきあうっていう方がよくわからないなぁ。これから好きになる可能性にかけてみるのは、悪いことじゃないでしょ?何をもって『好きになる』っいうのかがよくわからないけど、気に入って楽しければ十分じゃないかな。これまでの付き合い方で、僕は満足だし」
そう言って、総司は千鶴の目を見つめ、優しくゆっくりと言った。
「ね?千鶴ちゃん。わかる?」
千鶴は目を見開いて、総司を見つめた。
わかった……。
私、沖田先輩が好きなんだ……。
平助くんと話した時は、まだ気持ちがあいまいで。気になる先輩として好意は持っていたけれど。
今わかった。
好きだから、沖田先輩の言葉にこんなに傷つくんだ。
私には沖田先輩みたいな付き合い方は無理で。沖田先輩には私みたいな付き合い方は無理で。たぶん無理してつきあうような事があったとしてもきっとどちらも幸せになれない。
沖田先輩は、私が先輩に惹かれてることにきっと気づいてて。
それで、わざわざそれを言ったんだ。
でも。
前に平助くんと話したみたいに、二番目に好きな人とつきあうなんて、私には無理だってことも、今わかった。小林君のことは友達として好きだけど、でもつきあえない。心の中にはもう沖田先輩がいる。きれいなものをみたら、沖田先輩と見たいって思うし、おいしいものも先輩といっしょに食べたいって思う。悲しいことも楽しいことも、いっしょに感じていきたいのはただ一人で。
こんな私とつきあったりしたら小林君にも失礼だ。だってこんなに誰かを思っている彼女なんて、小林君を幸せにすることができるはずがない。二番目に好きな人と……なんて言っていた私は、なんて傲慢だったんだろう。
そして、好きだと気づいた途端ふられちゃった私は、なんて滑稽なの。
気づいた感情が突然で、とても深すぎて、千鶴は涙もでてこなかった。
飄々とした様子の総司を見て、千鶴はこの人は一生振り向いてくれないんだろうと思うと、切なくなった。
でも一方で。
少しほっとしている自分もある。片思いはつらいけれど、安心でもある。一方的な思いは、迷惑さえかけなければ傷つけられることもない。総司に想いを預けて、想いを重ねたうえで傷つけられたとしたら、きっと一生癒えることのないものになるだろう。総司のこれまでの女性との付き合い方を見る限り、傷つけられずにすむことはないようでもあるし。幸せな約束程度でおびえる自分に、危険物のような総司と付き合っていける自身は全くなかった。
ピーッピーッピーッ
突然の電子音で、二人を包む沈黙が破られた。洗濯機が、終了を告げる。
「あ……」
「終わったみたいだね」
じゃ、と総司はあっさりと千鶴に背を向けて武道場へと歩いて行った。
千鶴は、一抹のさみしさと、少しの安堵とを感じる。
今さっき気づいたばかりの感情をどのように扱えばいいのか、自分との折り合いをつけたかった。
沖田先輩が好きで。幸せで。どきどきして。話せるとうれしくて。
沖田先輩にふられて。胸が痛くて。切なくて。苦しくて。悲しくて。
沖田先輩にとって自分はちっぽけな存在で。傷つけられなくてほっとして、でもさみしくて。
せめて迷惑はかけたくないから、気持ちをさとられないようにしないと……。
気持ちがすべて顔に出てしまう千鶴には、無謀な決意だったが本人は気づかずに、密かに切ない気合いを入れていたのだった。
一方総司の方も、武道場へと歩きながら、複雑に絡まった自分の感情について考えていた。
図らずも千鶴が他の男から告白されているのを見て、千鶴が他の男のものになるかもしれない可能性に気が付いた。あの優しい瞳も、困ったような顔をしながら受け入れてくれるほほえみも、全部一人の男のものだけになるかもしれない。
千鶴が自分に好意を持ってくれていることに気が付いていた総司は、平助と話したとおり、牽制の意味もこめて千鶴の想いを自らつきはなしたのだが、かといってそれが誰かほかの奴のところにむかうことを想像すると、変な焦りが腹の底に生れる。
自分がとんでもない間違いをおかしてしまったような、手のひらから零れ落ちてしまった水を茫然と見つめているようなそんな気分だった。かと言って、千鶴を自分の彼女にしてしまうのには、戸惑いがあった。総司にとって「彼女」とは、あくまでも自分の人生の中心にくるものではなく、その時その時の、息抜き、というか娯楽にすぎなかった。総司にとっての千鶴は、すでにそんな扱いではない。女性としてだけではなく、人間としても、興味を持ち、もっと知りたい、自分のことも知ってほしい。たんなる「剣道部の先輩」としてだけでなく、一人の特別な存在として。
どうすればいいのか、よくわからないな……。
でもとりあえずは、我慢我慢、だよね?
嫌われないように、でもつきあうようなことにはならないように。僕から離れて行ってしまわないように、でも近づきすぎると傷つけてしまうから、近づきすぎないように。めんどくさいけど、彼女からもらえる楽しさや心地よさは、その価値がある。
関係が終わってしまわないようにするためには、我慢しなきゃ。
こうして、総司の辞書に、初めて「我慢」が書き込まれたのであった。