ひととせがさね 7




いつとせ 




《冬 原田左之助》

ふわりと白いものが舞って、左之は空を見上げた。
吸い込まれそうなほど暗い夜の空。どこから落ちてくるのかちらほらと雪が北風に吹かれて、あちらこちらへと踊りながら落ちてきている。
「さみーはずだぜ……」
 左之は腕を組むようにして、ぶるっと体を震わせた。そして廊下の向こうから歩いてくる小さな人影に気づく。
 相手も気づいたようで、ぺこりと頭を下げた。
「よっ。寒いな」
「雪が降ってきちゃいましたね」
 千鶴も首を傾げてにっこりほほ笑む。
 左之は千鶴が手に持っているお盆を見てふと口をつぐんだ。千鶴が持っていた丸盆には水と薬包、包帯がのっていた。この先には総司が寝ている部屋がある。
「……江戸についていくんだってな」
 療養のために新選組と別行動をとる総司に千鶴はついていくと、土方から聞いた。
 千鶴はこくりとうなずいた。
「あいつは……」
 言いかけて左之は口を止めた。千鶴を傷つける言葉かもしれねえが言っておいてやった方が親切だろう。
「あいつはお前の気持ちにこたえちゃくれねえかもしれねえぞ」
 泣くかと思いながら言った言葉だったが、意外にも千鶴は小さくうなずいただけだった。
「おまえ…それでいいのか。その……」
 新選組から、総司から、今の千鶴なら離れられる。土方も近藤も、千鶴は誰か信頼できる人物に預けて京に置いて行こうかと話していた。娘盛りをなにもこんな男たちと過ごすこともないだろうと。
「いいんです」
千鶴はにっこりとほほ笑んだ。
左之は苦いものがわずかに混じった微笑みを浮かべると、くしゃっと千鶴の髪をかきまぜる。バカな選択だとは思うがその真っ直ぐさが千鶴らしい。
「まーったく! こんないい子に思われてあいつは幸せもんだな」
 『あいつ』の名前は口に出さなくても当然わかっている。
『あいつ』は自分が手にしているもんの大事さに気づいてもいないだろう。
 いつも前ばかり見て近藤さんの後ばっかり追っかけて……いや、気づいてるのか?
左之はふと首を傾げた。
 気づいていて応えてやらないのかもしれねえな。あいつはああ見えて性根はくそまじめなところもあるし。
 そんなことを考えていた左之は、ふと千鶴を見てぎょっとした。
 千鶴の大きな瞳からはぽろぽろと涙がこぼれている。
「なんだ? どうした。何か悪いこと言ったか?」
 泣くなら先ほどの『あいつはお前の気持ちにこたえちゃくれねえかもしれねえぞ』の言葉かと思っていたが。
 千鶴は首を横に振った。
「わたし、いい子なんかじゃないです。だって嬉しくて……喜んでるんです」
 千鶴はそういうと涙を拭いて、左之を安心させるためか笑った。泣き笑いのような表情になる千鶴を、左之は驚いたまま見ていた。
「かばってもらって、隊命で堂々とそばにいることができて、私、とても嬉しくて。沖田さんはそのせいで命が危ないかもしれないのに。近藤さんだって新選組のみなさんだって大変な時なのに、とっても嬉しくて幸せなんです、私」
 千鶴はくしゃっと笑って左之を見上げた。
泣き笑いと苦笑いのまじったような顔。これまで左之がみたことのない表情。
「沖田さんの方が、こんな私にそばにいられて迷惑なんじゃないかって思います。実際そんなようなことも言われたこともあるし……」

 それでも、私は傍にいます。

 ガキだ、子どもだと思っていた千鶴は、いつまにか『女』になっていた。
きっぱりとした意志のこもったまなざし。
雪を含んだ冷たい風に揺れる黒髪。
左之はそれを初めて見る女性のように見つめた。

 俺が口を出す筋合いじゃねえが、総司もこいつも、なんとかうまく幸せになれるといい。

 試衛館の時代から総司を知っている左之は、そう思った。
親から捨てられ誰からも顧みず、自分の力で生きてきた総司。思うようにならない人生を、それでもギリギリで投げずに必死に抗っている。
 千鶴も同じだ。
新選組に軟禁され誰も助けてくれる人がいない中で、自分で生きる道を切り開いてきた。そして今、初めて自ら自分の道を選んだのだ。

 多分ここで、左之たちと道は分かれるだろうという予感が左之にはあった。

 でもそれでいい。
ここで出会えて千鶴があいつに惚れたのも何かの縁だ。
少し寂しいが、こいつらはこれからは二人で同じ道を歩くんだ。総司は、もしかしたら振り向かねえかもしれねえが、千鶴はあきらめずに引っ付いてくだろ。
今の新選組の状況や総司の怪我と病じゃあ、幸せになれそうな道筋は俺にはみつけられねぇ。それでも千鶴のこの強い思いが、きっと道を拓けてくれるんじゃねえかと信じたくなる。
これまでみたいに前に近藤さんや土方さんは歩いちゃいてくれねえ、総司と二人で切り拓いていく二人の道を。

 左之は無言で、空から舞い落ちてくる雪を見上げた。

 

《冬 沖田総司》

頭がいたい。ほっぺたがあつい。
さむい。さむい。
あしがいたい。体が動かない。
 また熱があがっちゃったかな……
おかみさん、手伝いできなくて怒ってるかな。近藤先生は待っててくれてるかな。最近ようやく剣をおしえてもらえるようになったのに、風邪なんかで稽古をお休みして、もうおしえてくれなくなったらどうしよう。
 ああ、頭が痛いよ。喉も乾いた。お水を汲みに行かないと。がんばって瞼を開けようとしただけで、鋭い痛みがこめかみに走った。
 痛い!
総司はこわごわとまぶたを開けた。涙なのか熱のせいなのか、妙にぼやけた視界のなかで最初に見えたものに焦点を合わせる。
 それは女の人だった。
二十歳くらいの。黒い髪がきれいだ。
 誰だろ、この人……周斎先生のお知り合いの人かな……どうしてこんなに心配そうに僕を見てるんだろう。大きな目だな……
 姉さんもこんな感じだった。
総司は熱に浮かされた頭で、おととしに最後に見た姉の顔を思い浮かべようとした。しかしもうぼんやりとしか思い出せない。
 総司は悲しくなった。
忘れたくないのに。総司が忘れてしまったら、きっと姉も総司のことを忘れてしまう。いつも一緒に寝てくれて、風邪をひいたらこうやって傍で心配そうに見ていてくれた。考えているうちに姉がなつかしくなって、うわーん、と声をあげて泣き出しそうになった時、ひんやりとした気持ちいいものがおでこにあたる。またうっすらを目を開けると、さっきのきれいな女の人が身を乗り出していた。
 ああ、これはこの人の手のひらだ。熱が高くて心配してくれてるんだ。早く良くならなきゃ、心配かけちゃう。
そのあたりから総司の思考はどろどろとした記憶のマグマに絡めとられてはっきりしない。熱に浮かされて過去と現在、そして多分未来をいったりきたり。
 しばらくしてそこから何とか浮上したが、まだ熱の支配からは逃れられない。しかし今度の熱は風邪ではなくはしかだった。体も大きくなり少年と青年の間の年齢特有のひょろりと背ばかり伸びるころ。
 熱も高くて体中の関節が痛い。
今月は出稽古の予定が詰まっていたのにこれじゃあどうしようもないな。近藤先生も忙しいから僕の代わりに行くのは無理だろうし……
 総司は気怠いからだで寝返りを打った。体の芯がうずくように熱くてじっとしていられないのだ。
 僕以外に稽古をつけられるヤツはいないし……ああ、土方さんがいるけど……
 総司は顔をしかめる。あの人は嫌いだ。近藤さんと仲がいい。いつも総司にはわからない話を二人で楽しそうに話し、総司を置いて出かけて行ってしまう。天然理心流の出稽古の役目まであの人にとられたら、総司の居場所がなくなってしまう。近藤さんにも、もういらないと思われたくない。早く治さないと。
 カタンという微かな音がして、総司は薄目を開けた。はしかのせいで離れに一人。昨夜は近藤さんが一人で見舞いに来てくれて昔話をしてくれたけど、今日はだれもいないはずなのに……?                  
布団の横には女性が座っていた。桃色の着物に白袴。男の格好だが女性にしか見えない。
 だめだ……熱にうかされて幻覚まで。近藤先生の家にはおかみさん以外女の人なんていないのに。……でも、きれいな女の子だ。きれいというよりはかわいい、かな? まだ若いからかな。僕よりも年上か同じくらい。近藤や土方に色街に連れていかれることは何回かあったが、そこの商売女よりもよっぽどきれいだ。
 総司は気になってもう一度薄目を開けた。
 いた。
幻覚なのにまだいる。こんなかわいい幻覚が見れるならはしかもいいもんだな。それにしても喉が渇いたな……
「起きましたか? お水、飲めますか?」
 幻覚がしゃべったが、熱で朦朧としていた総司はそれを素直にうけいれてうなずいた。優しい声だ。聞いていて気持ちがいい。吸い口がそっと唇に当てられて、 びっくりするほど冷たい水が口の中に流れ込んでくる。総司が飲める量を慎重に量りながら、その女性は少しずつ水をくれた。
 ああ、おいしい……
ごくごくとはいかないが、少しずつかなり長い時間をかけて総司は水を飲み干した。
「ゆっくり寝てくださいね」
 はだけてしまった布団がまた肩に賭けられる。さっきまで気怠かった全身が今は心地よい。ゆっくり寝てられないんだ、早く治さないと、僕はまたおいてかれてしまう……   総司の意識はそのまま途絶えた。
掌一面の血。鮮やかすぎて目の奥に焼き付いた。続けて二度、三度と咳をすると、喉の奥からぐう、とせり上げるものがありたまらず吐き出す。屯所の畳に血を付けるのはまずいので袖で口元を覆ったら袖が真っ赤に染まった。
 ああ、だめた。だめだ、だめだ。死病はだめだ。剣がふるえない。剣がなければ、僕には何の意味もないのに。新選組にもいられない、みんなの中に入れない、近藤さんの傍にいることもできない。また置いてかれる。僕だけ一人残して、みんな。
 雨が作る水たまりの輪。その中に皆がいるのを、僕は外で見ているだけなのか。そして一人で……ずぶ濡れだ。
寒い。寒い。……いや熱い。燃えるように熱い。息苦しい。濡れて気持ちが悪い。
 ひんやりとしたものが、意識の外にあった総司の手をつつんだ。どこまでも落ちていくような感覚の中で、その冷たさだけが実感を伴い、総司は思わず握り返す。冷たい布が額を伝うのを感じ、総司の意識はゆっくりと覚醒した。
「……具合はどうですか、沖田さん」
 あの女の子だ。心配そうに僕を見ていたきれいな……
「うん……。昨日よりは楽になったかな」
「無理してません?」
 少年時代、試衛館時代、新選組の時の自分と、今の自分が頭の中で繋がらない。総司は混乱したまま機械的に答えた。でもこの子のことは知っている。とてもよく。
「……大丈夫だよ」
 彼女に支えられて起き上がり、ようやく総司は一息ついた。そうだ、これは千鶴ちゃんだ。どうして彼女がここに?ここは……僕は……
 眼だけで部屋を見渡して、最後に千鶴を見て、総司はようやく現代に戻ってきた。
「……あのさ、千鶴ちゃん」
「はい」
「聞きたいことがあるんだけど、いい?」
 キョトンとした彼女の顔を、総司は初めて見る人のようにまじまじと見た。
 実際子ども時代に戻っていた時は、初めて見る女の人だと思っていたのだ。
 どうして彼女はここにいるのか? 彼女の兄にはめられて撃たれて……以降、傷口の炎症からくる熱に浮かされてあまりおぼえていないけれど、船で江戸まで戻りそのまま松本先生の用意してくれた家で療養することになったというのは土方から説明を受けていた。
 彼女がついてくるとは聞いていたかどうか、記憶は定かではない。でも、彼女はついてきたのか。新選組のみんなとは別れて、僕に。
 何故?
 あの心配そうな顔をみればわかる。屯所を抜け出して薩摩藩士を殺しに行った夜と同じだ。           
あの時、彼女が自分の身を挺して僕を止めた理由。    
熱を測る冷たい手。                 
寝ずに看病してくれていたのが分かる真っ赤な瞳。
「僕が目を覚ます時、必ず君がいるのはなんで?」
彼女の口からききたくて聞いたのに、彼女は無言だ。
「なんで?」
彼女のへどもどした顔が面白くて、総司の微笑みは深くなった。
 聞かせて。君が僕を置いて行かなかった理由を。僕の傍にいてくれる理由。
「……駄目、ですか?」
想像していた答えと違って、がっかりだった。
でも自分でもちょっと驚くほど心が浮き立っているを感じる。
 彼女は僕を置いて行ってしまわなかった、ただそれだけで。

 

《冬 山崎烝》

山崎は桶の中の冷たい水に血の付いた布片を入れ、包帯の準備をした。千鶴がすぐに手にとれる場所に置き、今度は清潔なはさみで傷口にあてる布を小さく切っていく。
「雪村君、炎症を起こしている傷にはこちらの軟膏を……」
「はい。沖田さん、後ろを向いてもらえますか?」
「はあい」
 京では泣く子も黙る新選組一番組長が、素直にそう言って布団の上に座った状態のまま背中を千鶴に向けた。
 山崎もちらりと総司の背中の傷跡を見て怪我の経過を観察する。だいぶ乾燥してきている。あとはこのまま清潔に保ち安静にし、毎日二回軟膏を塗って包帯を取り換えれば……そう、あと半月もすれば完全に治るだろう。
 千鶴が膝でにじり寄って、手に持っている軟膏の入れ物から指で総司の傷跡に薬を塗っていく。しばらく乾かした後に当て布をし、体の前と腕にも同じようにし、包帯を巻くのだ。
 はさみが布を切っていく静かな音が冬の朝の部屋に響く。外はしんしんと冷えるが、この部屋は千鶴がかき集めてきた火鉢が三つも置いてあるので暖かい。結核だった総司のためにその上に水の入ったやかんも置いてあり、この部屋だけは快適だった。
「……そういえば、僕が熱に浮かされて寝てた時にね」
 後ろを向いておとなしく薬を塗ってもらっている総司が、ふいに話し出した。
「はい」
 千鶴も相槌を打つ。総司の声の大きさや口調から、山崎に話しかけているのではないことは明らかだったので、布をすべて切り終えた山崎はだまったまま今度は飲み薬を調合していた。
「夢を見てたんだよ、ずっと」
「夢…ですか」
「うん、それがさ。子どもの時に風邪で熱を出して近藤さんのところで寝込んでる夢だった。もう少し大きくなった頃にはしかになったこともあるんだけど、その時の夢も見た」
「夢の中でも病気だったんですか?」
「そう。熱がでて頭痛くてさ。で、その夢の中にかわいい女の人が出てきてね。ほんとかわいい人だったんだよ。大きな目で心配そうに僕を見てて、オデコに手を当てて熱を測ってくれたりして、誰かさんと違ってすごく優しくて」
「……はあ」
 千鶴は微妙な感じで返事をしている。
 いたずらっぽい総司の声に、山崎はちらりと総司の顔をのぞき見た。楽しそうな笑顔だ。誰かさんというのは当然千鶴だ。薬を飲みたがらない総司に、千鶴が厳しく言うときがあるからそれを皮肉ってるのだろう。
「冷たい水を飲ませてくれたりして、ああ、こんな天女みたいな女の人ってこの世にいるんだなあって、熱で少年時代に戻ってた僕は感動したんだよね。その頃の僕が知ってる女の人って、周斎先生のおかみさんくらいだったしさ」
「……よかったですね」
 千鶴は棒読みだ。
「で、目が覚めて、ああ夢を見てたのかって思って。それで気が付いたんだけど、その女の人って千鶴ちゃんだったんだ」
「え?」
「君、僕の傍でずっと看病してたでしょ? 熱に浮かされたまま布団の脇にいる君を見てそれが夢にでてきたんだよね。それでなんだ千鶴ちゃんかあ、ってがっかり」
「なっなんでがっかりなんですかっ」
千鶴が見事に総司のからかいにひっかかって、ぽかぽかと総司を叩く。
「あっいたたたっほら! 夢の中にいた優しい女の人はこんな乱暴なことを病人にしないからさ」
「なっそっ、だっ…だってそれはっ! 沖田さんが……」
「ほらほら! そんなに怒るとクスリをこぼしちゃうよ。僕の傷を治すために必要なんでしょ?」
「あっ…きゃあ!」
 膝立ちだった千鶴はバランスを崩して総司の上に倒れ掛かる。総司がそれを抱き留めて千鶴が真っ赤になって、総司が優しく耳元で「ほら気を付けて」とかなんとか言って。
 ようするにいちゃいちゃらぶらぶ。きゃっきゃうふふというやつだ。山崎は表情を変えないまま、調合した飲み薬を薬包に小分けにした。
「沖田組長、後ほどこの飲み薬を飲んでおいてください。湯呑に白湯を入れておきます」
 山崎がそう声をかけると、「あれ、山崎君もいたんだっけ」と総司は初めて気が付いたように言った。
 山崎はフッと遠い目で笑った。
 最初から知っていたくせに。自分がここにいるからこそ、ことさらに千鶴をからかっていちゃいちゃしていたのだ、牽制のために。
 この屋敷には総司と千鶴、そして山崎が住んでいる。千鶴と山崎が二人きりでいることを総司がよく思っていないこともビリビリと伝わってくるのだ。だからこそのこの子どもっぽい嫌がらせだろう。
 京での総司は千鶴の気持ちに応える様子は全くなく、山崎は、これは千鶴の完全な片恋で総司にはその気はないのだと思っていたが、どうやら江戸に来て総司の気持ちに変化があったようだ。
 山崎は、総司に包帯を巻いている千鶴を見た。腕を回しても総司の胸の前で両手が届かない千鶴にとってはたいへんだろうと、最初に山崎が手伝おうをしたのだ。しかし。
『あ、山崎君はいいよ』
と、あっさり総司に断られた。言い合いしてまでどうしても総司に包帯を巻きたいわけではないので、山崎は鼻白みながらも千鶴にまかせた。今も千鶴は総司に後ろから抱き付くようにして包帯を巻いている。
「……」
 山崎は無言で、桶や薬、軟膏を片付けると、千鶴の手当てが終わるのを待って二人で総司の部屋を辞した。
部屋を出るとピリリとした冬の空気に包まれた。先ほどの甘ったるい空気が消え、気持ちも引き締まる気がする。庭は冬のせいで枯れ枝ばかりだが、それも趣がある。
 寒いものの日がずいぶん上まで上って、気温も上がってきている。この外廊下も、太陽が当たる所は暖かかった。
「今日は昨日より暖かそうですね」
 千鶴はにこっとほほ笑んで山崎を見る。
 山崎は、歩きながらしばらく考えていた。
「………君はなぜ沖田組長が好きなんだ?」
 ピタッと千鶴の脚が止まり、目が大きく見開かれ見る見るうちに顔が赤くなった。
「な、なにを……私、はっそんな、沖田さんが…」
「いや、もう皆知っているからごまかさなくてもいい」
 千鶴の目がさらに見開かれ、口がぱくぱくと開いたり閉まったりする。
「み、み、み、みんな、知ってるって知ってるって……」
「知らないと思っているのは君ぐらいだろう。副長も局長も、他の組長もわかっている。もちろん沖田組長も」
「……」
 今度は口が開いたまま固まってしまった。しょうがないので山崎も桶や薬の道具を持ったまま千鶴に向き直った。ふと千鶴の頭越しに総司の部屋の方で何かが動くのが見えた。総司の部屋からここは内側で続き部屋になっている。総司が近くまで来てこちらの様子をうかがっているのかもと思ったが、山崎は放っておくことにした。これで山崎が千鶴に手を出すようなことは決してないと総司にわかってもらえるのなら、それはそれで手間が省ける。
「で、どうなんだ。沖田組長の事を何故好きになったのか」
「え、え……えーっと……」
 千鶴は、自分の恋心が新選組の全員、とりわけ総司にもばれているという驚愕の事実に頭が混乱しているようだったが、律儀にも山崎の質問に答えようと口を開いた。
「あの、新選組に来たばかりの頃に……金平糖をもらって」
「ああ、それで?」
千鶴はキョトンと山崎を見た。
「それで? って……それで、です」
 今度は山崎の口がポカンとあいた。ふすまの向こうで聞いている総司も同じだろう。
「……金平糖をもらったから、好きになったのか?」
山崎の詰め寄り方に驚きながらも、千鶴はうなずいた。
「……はい」
「……」
 これは山崎の想像を超えていた。女性というのはやはり何を考えているのかさっぱりわからない。物をくれたからというのなら、原田組長も藤堂組長も頻繁に団子やら組紐やらをあげていた。近藤局長だって何かと彼女を気にかけてせんべいやら果物やらをあげていたのに、なぜその中で沖田組長を? ……いや、金平糖だからよかったのか?
「……そうか」
それしか言えない。
「はい」
 千鶴は、何をそんなに驚いているのかという表情だ。
しきりに首をひねりながら、山崎は仕事に戻った。

 そのあとすぐに出かける用事が出来たので、山崎はしばらく不在になる事を伝えに総司の部屋へ行った。
「起きていらっしゃいましたか」
「……まあね」
 視線を合わせず微妙な顔をしている総司に、山崎はピンときた。なるほど、先ほどのアレか……
 珍しくいたずら心が山崎の中に湧き出てくる。
「……この先の白田屋という甘味処で」
 ふいに全然違う話をしだした山崎に、総司は「うん?」とこちらを見た。
「最近金平糖も扱うようになったと聞いています」
「……」
「雪村君はいつもがんばってくれていますし、金平糖が好きなようなので、買ってきて彼女に上げようかと」
「駄目」
 即答だった。やっぱりあの時の会話を聞いていたのかと山崎は心の中で笑いが止まらない。そりゃあ、金平糖をくれた人を好きになると公言されたらその反応しかないだろう。しかし山崎はそ知らぬふりで首を傾げた。
「何故沖田組長に止められるのかわかりかねます。自分の給金を好きな様に使うのに何の問題もないと思いますが」
「駄目と言ったら駄目なんだよ」
山崎は今度は本当に鼻で笑った。
「駄目と言われましても……。僭越ながら今の沖田組長では俺を止められないでしょう?」
挑戦的な山崎の表情と言葉に、総司の目がきらりとひかった。枕元の刀置きに手を伸ばす。
「……いい度胸だね。止めれるかどうか試してみる?」
 山崎はさっと後ろに下がり、懐の短刀と脚の脛にあるクナイに手をかけた。総司が山崎から目を離さずにゆらりと立ち上がり、剣を抜く。さすが新選組で一、二を争う剣客。この距離で刀を持たせた時の威圧感が圧倒的だ。
「……ですが、屋内での刀は不利ですよ。しかもあなたは怪我人だ」
「もうすっかり治ったよ」
 鞘を放り投げ、総司が刀を上段に構えた時。
「なっ何やってるんですか!二人とも!」
 スパーン!と襖が開き、沖田と山崎はとっさにそちらに構えなおした。
 怒りに顔をまっかにした千鶴が仁王立ちしている。
「沖田さん! 刀なんか持って立ち上がって! せっかくふさがりかけた傷が開いちゃうじゃないですか! はやく刀置いてください! 山崎さん! 副長の用事があるん じゃないですか? こんなところでなにやってるんですか二人とも! もー! どうしてケンカなんて! しかもそんんな危ないもの持って! また看病しなくちゃい けなくなるじゃないですかしかも二人も!」
 すごい勢いで怒鳴られ、あっという間に総司は無理やり刀を下げて布団に入れられ、山崎は仕事に行くよう追い出された。
 その後山崎は、白田屋の前をとおるたびに金平糖を買いたくなる誘惑に耐えた。               
まだ命は惜しい。

 

 

8へ続く


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