遠花火






チャイムの音で玄関を開けた千鶴は、目の前の総司を見て目をぱちくりさせた。
「……沖田先輩……?」
千鶴の恰好を見て、総司の顔が嬉しそうに輝く。
「千鶴ちゃん。かわいいね」
総司の言葉に、千鶴はかぁっと首筋まで赤くなった。

千鶴の恰好…
これから行く花火大会のための浴衣姿だった。
生成りの白地に様々な色合いの青色で乱菊が描かれており、しっとりと涼しげで、華やかさはないものの静かな色気もあり、千鶴にとても似合っている。
唯一残念なのは髪が下したままだということ。やはり浴衣と言ったらうなじもあらわなアップだろう。しかしそれも無理もないのだ、だって……

「沖田先輩、待ち合わせはあと二時間後ですよ?」
「うん、わかってるけど待ちきれなくて」
総司は、にっこり笑ってさらっと嘘を言う。待ち合わせは午後七時。『待ちきれない』などということがあろうはずもない。だって総司から言いだした時間なのだから。
花火大会は六時頃から始まるから七時じゃ少し遅いんじゃあ…?というみんなの言葉を押し切って待ち合わせ時間を七時にしたのは総司だった。そして、それはもちろんこのため。
なかなか二人きりで遊びに行けず、いつも大勢での団体行動になってしまう千鶴とのデート(?)に、少しでも二人きりの時間をつくりたくて…

「先輩、それに待ち合わせ場所……」
「うん、駅だよね。それもわかってたけど待ちきれなくてさ。ゆっくり準備してよ、待ってるから。それから一緒に行こう?」
待ち合わせ場所は、千鶴と平助の家の最寄駅。そこで一や左之、新八達と待ち合わせをすることを決めたのも、総司だった。そしてその場所に決めた理由は…もう言わなくてもわかるだろうが、このためだった。

 

 家にあげてもらって、お茶をだしてもらい、花火大会に行く準備をしている千鶴とおしゃべりしながら、総司は千鶴の身支度を待つ。
総司自身は普通の洋服で、素足にサンダル、色の褪せたブルージーンズに古着風のTシャツというくだけた格好だった。

「え?花火嫌いなの?」
千鶴の意外な言葉に、アイスコーヒーを口に運んでいた総司の手が止まった。

 千鶴は先ほど自分の部屋で髪をアップにしてきていた。ゆるくラフな感じにあげて後れ毛を幾筋がたらし、浴衣に合わせた薄い青色の花の飾りをつける。清潔感も色気もあって総司は千鶴の後姿から目が離せなかった。
そんなことには気が付かないまま、千鶴はリビングの反対側で、ストローバッグに携帯、財布、ハンカチ…と持って行くものを入れながら答える。
「はい。あまり…その時はとっても楽しいんですが終わると寂しくって…子供のころは家の前で平助君と花火をするたんびに最後に泣いてたんで、とうとうやらなくなっちゃったんです。こういう花火大会みたいなのはまだいいんですけど、でもこれも…、寂しいですよね、終わっちゃうと。儚いと言うか…」
「へぇ…じゃあ夏祭りとかも?」
来月の夏祭りも誘おうと思っていた総司は聞く。千鶴は、今度は双子の兄の薫と父の鋼道に花火に行ってくる旨の置手 紙を書きながら、少し考え込んだ。
「……夏祭り…はそれほど寂しくない…かな?なんででしょうか?…なんだか、花火の夜空に光って一瞬で消えていく感じが余計寂しい気持ちになる、というか…、落ち着かない気分になるんです。そして終わると無性に寂しくなって…」

千鶴の言葉に、総司は少し考え込む。
総司が前世で千鶴につけた『魂の傷』。
花火嫌いはそれに関係しているのだろうか……

「沖田先輩、お待たせしました。少し早いですけど平助君を誘って駅まで行きましょうか?」
「あ、平助は今日近藤さんの道場で小学生クラスの受け持ち。だから多分道場からそのまま駅に直行すると思うよ」
これもあらかじめ総司が手配していたことだった。小学生クラスが終わるのは五時。普段なら余裕で家まで帰ってこられるのだが、総司は小学生たちにこっそりと言い聞かせておいたのだ、平助に個人指導をつけてもらうようお願いしろ、と。五人の子供たちがのってくれたから、ひとり十五分程度としても道場を平助が出るのは六時半近くになるだろう。

 総司の言葉に、千鶴の瞳の奥がかすかに不安に揺れるのがわかった。二人の関係を進めることを怖がっている千鶴に、総司の胸はほんの少し痛むけれど、ゆっくりゆっくり…、と自分に言い聞かせて、にっこりと千鶴に微笑んだ。

「駅まで二人で行こうか?…ゆっくりとさ。時間があれば途中で軽く腹ごしらえでもして」
総司の言葉に、千鶴はおずおずとほほ笑んで、頷いた。

千鶴の家から最寄駅までは、歩いて二十分くらい。バスで二駅だけれど、気持ちのいい夏の夕暮れを浴衣姿の千鶴と
二人で歩くのもいいな、と総司は千鶴の白い手に自分の手を伸ばす。
総司の手が千鶴の手に触れるか触れないか…といった瞬間、千鶴がパッと手を挙げて前を指差した。
「あっあの!!あそこ!バス停です!乗ります?」
「……」
そのわざとらしい焦り方に、総司は横目でチラリと千鶴と見た。千鶴は総司と視線を合わせないように不自然に前を見 ている。顔が真っ赤で何を考えているのか丸わかりの千鶴の様子に、総司は小さく溜息をついた。
「バスね……千鶴ちゃんが乗りたいなら別にいいけどね…」
どうでもいいように総司が言うと、千鶴は、べっ別に乗りたいわけでは……、とごにょごにょと口ごもった。
 二人はそのまま奇妙な沈黙を保って歩く。もちろん総司の手はお行儀よく自分のジーンズのポケットにつっこまれていた。

「剣道部の夏合宿、千鶴ちゃんどうするの?」
あたりさわりのない総司の話題に、千鶴はほっとしたように答えた。
「学園でやるんですよね?」
「うん、一週間ね。学園の道場設備が一番整ってるから毎年ここでやってるんだよね。今年はせっかく千鶴ちゃんもいるんだから、どこか景色のいいところとか、海とか行きたいんだけどな。…それで?学園に千鶴ちゃんも泊まるんだよね?」
「土方先生とも相談したんですが、女子が一人だけで泊まるのは意味がない上に何かと面倒だ、ということで…」
総司は、目を見開いて立ち止まり、千鶴を見た。
綺麗な緑色の瞳が、自分をまっすぐに見つめているので、千鶴はなんだか恥ずかしくて頬が赤くなってしまう。

「じゃあ、千鶴ちゃん、夏合宿参加しないの?」
ショック……という顔で言う総司に、千鶴は慌てて言った。
「いえ!参加します。しますけど、夜は自分の家に帰ることになりました。だから今と一緒ですね、通いで参加します」

 千鶴の言葉に、総司はかなりがっかりだった。もちろんそんなそぶりは見せないが。
なかなか二人きりになれない今の状態。合宿で四六時中一緒なら少しはその機会もあるかと思ったのだが…
夜中にこっそり抜け出して、千鶴を誘い出して、あれやこれや…という幸せな妄想もすべて一瞬にして消えた。
 
 だから土方さんは嫌なんだよ……

100%やつあたりだが、総司は心の中で愚痴る。総司の楽しい夏合宿を、なんの面白味もない地獄の合宿にたった今変えたのは土方だ。
先ほどの、手をつなぐのを拒否られたのとこれとで、総司にとってはダブルのダメージだった。

駅に着いたのは待ち合わせの四十分も前だった。
だんだんと暗くなっていく夕方の駅は、花火大会に行くのだろう浴衣姿の女性やはしゃいだ若者たちが行きかっている。その駅は高架になっているため、総司と千鶴は階段をのぼり、待ち合わせ場所でもある二階部分にある広い駅前広場の張り出し部分から、遠くの花火大会の会場の方を見た。
「まだ始まってないみたいですね」
千鶴は言う。かなり遠くだが、さえぎるものがないのでここからも花火が見えるのだ。
「いっつも遅れるんだよね、始まるの」
総司は自分の隣で欄干に手を置いて遠くを見つめている千鶴を見降ろす。
群青色の空気の中で、千鶴の白い肌が浮き上がるように見える。
欄干におかれた白い手と、柔らかそうなピンク色の唇…手を伸ばせば、頭を傾げればすぐそこにある千鶴に触れたくてうずうずするけれど、先ほどの千鶴の反応を思い出して総司は我慢する。
ちょっとは二人きりになれるかな…と総司は、二人の周りを囲んでいる人波をチラリと見てから、千鶴に言った。
「待ち合わせまでまだ時間あるし、どこか店にでもはいって軽く食べる?」
「いっいえ!花火大会でいろいろ食べると思いますし…!」

総司と二人きりで向き合って食事をする……と考えただけで千鶴は汗が噴き出した。
今日の総司はラフな感じですごく…大人っぽかった。まだあまり男性のことを知らない千鶴は自分では気が付いていないのだが、実は総司の色っぽさにドキドキしていたのだった。

 なっなんだか勢いで、沖田先輩とは手をつないじゃったり、抱きしめられたり、キッキスとかしちゃったけど…
でも、つきあおう、とか特に言われていないから…あの、優勝したときの『好き』も、あのあと特にいつも通りだったし…きっと沖田先輩は、もてるし、ああいうことを誰にでも普通にしちゃう人なんだよね…

千鶴と先に進みたくてうずうずしている総司にはまっったく気が付かず、千鶴のステータスはまだこんな状態だった。

 ほんの少しの下心をまぶした提案を、またもや即座に却下されて総司は髪をかき上げて溜息をついた。
「ご、ごめんなさい…」
千鶴が総司の溜息に気が付き、おずおずと見上げて言う。
総司は髪をかきあげたまま千鶴を見降ろした。
上目使いで、頬を少し染めて、浴衣姿で髪をあげている千鶴はかわいくて…総司のすべての不満やら愚痴やらを吹き飛ばす破壊力だった。
「……いいよ、別に」

 謝るってことは、僕がいろいろやってることを拒否ってるってわかってるってことかな…

ゆっくりゆっくり…呪文のようにそう言い聞かせて、総司は笑顔をつくった。
「千鶴ちゃんとこうやって二人でいられるだけで、僕は十分楽しいし」
総司のその言葉に驚いたようで、千鶴は初めて総司の眼をまっすぐに見上げた。

千鶴の大きな瞳が揺れる。
総司はその瞳に呑まれるように、真剣な表情になる。

  そのまま二人で見つめあう。

そして、千鶴の瞳の色に促されるように総司の頭がゆっくりと下がり、千鶴の吐息が総司の頬に触れ……

「お――――!早いな!待った!?」

お約束の平助と一の登場に、総司はがっくりとうなだれたのだった。

 

 すっかり暗くになった駅前の広場で、千鶴、総司、平助、一、左之は、最後の一人新八を待っていた。先ほど携帯から連絡があり、もうあと少しで到着するらしい。
五人は新八を待ちながら、駅前広場の欄干から遠くに見える小さな花火を見ていた。
「おー!あがってる!」
「やはり音がないからいまいち盛り上がりに欠けるな」
「盛り上がりっていったら、音だけじゃなくて夜店もだろー?」
「だな。あとは人ごみと……」
のんびりと話している一と平助、左之の後ろで、千鶴と総司は黙りがちでたたずんでいた。
なんだか感情が溢れて、上手く表情をつくったり気軽な会話ができない自分を、総司は意識していた。
駅構内の灯りも、この駅前広場の端まではあまりとどかない。そのせいで表情を見られないことに、総司は少しほっとしていた。
ちらりと千鶴を見る。千鶴も駅の方を見たまま緊張した面持ちで黙っている。

「俺ちょっと下まで見て来る!」
平助はそう言うと、総司の後ろに置いてあった自分のタオルをパッと掴んで持ち上げた。その瞬間、タオルの下にあった携帯の液晶が光る。

「「あ……!」」

総司と千鶴は同時に声をあげた。そして二人とも、まるで空を横切って行く蛍を探すように視線を泳がせる。

「何?なんかいた?」
キョトンしたように言う平助に、総司と千鶴は無言で顔を見合わせた。
「どうした?」
左之も声をかける。別になんでもない、という総司に、平助は不思議そうな顔をしながらもそのまま駅前広場から降りる階段へと駆けだして行った。

 新八のことを話している一と左之の後ろで、総司は千鶴を見る。
「……なんだと思ったの?」
「え?」
「さっきのさ。平助のタオルの下、何があったと思ったの?」


 総司の頭には、昔の…前世の甘い記憶がよみがえっていた。

 そうだ。あの夜、泉の脇で僕の着物をとろうとしたら、下から蛍が……

総司は、泉一面にひろがっていた美しく舞う光を思い出す。あの夜は記憶の中にある千鶴との生活の中でも、一、二を
争う甘い記憶だった。
夏の暑い夜、ひんやりとした泉の中で、蛍の淡い光に照らされながら千鶴を抱いた。千鶴の、濡れた髪をかき上げて、水のせいで体に張り付いて透けている千鶴の着物の下に手を這わせた。蛍たちの光に、総司の千鶴に対する思いも切なく強くこみ上げて……
彼女に、自分のことをずっと覚えていてほしいと強く思ったのだ。こんなにも彼女を想っている事を、自分という存在がなくなってしまってもこの想いだけは覚えていてほしいと思った。

「……蛍かと思って」

千鶴の言葉に、総司の心臓はドキリと跳ね上がる。
全く過去の記憶のない彼女。でもどこかに、かすかにひっかかってくれているのかもしれない。

総司は緊張を押し殺してさり気なく言った。

「千鶴ちゃん、蛍はどう?蛍も…、夜に光って儚く消えちゃうけど、蛍も花火みたいに…キライ?」

薄暗闇の中で、千鶴が総司を見上げる。その彼女の表情に、総司のドキリとする。千鶴は妙に真剣な瞳で、自分の心の奥を覗き込む様な表情をしながら、口を開いた。

「蛍を見ると……」
「…見ると?」
「クマを思い出すんです」

  …………

「……は?」
「なぜなのか私もわからないんですけど…何故か蛍っていうと、こう…パッとクマが…」

 ……あ、そっち?

まぁ…ね…、確かに蛍を見る前にクマに襲われたけどね。
なんとなく覚えてくれているんだね…それはわかって嬉しいけど……
そっちですか。僕の恋心とか蛍の美しさとかじゃなくて…
そっちね……

 嬉しいのか悲しいのかよくわからないまま、総司は頭の後ろを掻いた。
「……じゃあ結局蛍もあんまり好きじゃないってことだね」

「そうですね…、これまでも見に行く機会は何回かあったんですが、あまり…行きたくなかったです」

 がっくり……

 そんな音が聞こえそうな程、総司は脳内で肩を落とす。
 
 僕にとっては最高にいい思い出だったんだけどなぁ…『千鶴』にとっては思い出したくないってことですか…っていうか『クマ』だしね…

「でも、沖田先輩となら見に行きたいです」

さらっと言われた千鶴の言葉に、総司は目を見開いて一瞬固まり、千鶴の顔を見た。
今日の千鶴のつれない態度からすると、幻聴ではないかと疑うくらいの言葉に、総司はそのまま彼女を見つめる。
総司の表情から千鶴は自分の言ったことの意味に初めて気が付いたようで、ぼぼぼっと顔を真っ赤に染めた。
「あっあの…、すいません。何か、ふと…あの…」
真っ赤になってどもっている千鶴を、総司は見つめる。
と、一の冷静な声が聞こえてきた。

「総司、耳が真っ赤だぞ」
総司はバッと両手で耳を抑えて言った。
「僕も、平助の様子を見に行ってくるよ」
「いや、わざわざお前が行かなくてももうくるだろ……」
「行って来る」

左之のもっともな台詞もきかず、総司はそそくさとその場所を後にした。自分の背中を見ている千鶴の視線を感じながら、総司は大股で駅前の広場を横切る。


あんな一言で、天に昇ってしまうのではないかと思うくらい幸せな気分になっている自分にあきれながら。                               

                   




2011年6月発行
2013年11月発行
掲載誌:青は藍より出でて藍より青し


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