シンデレラの嘘 11






「総司が?」                       
土方は、次の朝一番に社長室にきた斎藤の顔を見た。              
「はい。特に休むという連絡も受けていません。総司の携帯と家に電話をしてみたのですが出ませんでした」
「あー……」
 多分千鶴がらみだろうと、土方はすぐに思い当った。
昨日の夜が千鶴との契約の最後の夜だと言っていた。ちゃんと告白してひきとめるよう言ったが、引き止めなかったか、引き止めても失敗したのかどちらかだろう。
「今日は総司がいないとまずい仕事がなんかあるか?」
土方がそう聞くと、斎藤は少し考えてから答えた。
「……まあ大丈夫ではありますが」
「悪いな。ちょっと俺が様子を……」
 土方がそこまで言いかけた時、「遅刻しました」と総司の声が隣の幹部部屋から聞こえてきた。
土方と斎藤は顔を見合わす。
「来たようだな」
「はい。お騒がせしました」
 幹部部屋に向かう斎藤について土方も行く。     
千鶴とはどうなったのか。うまくいったのか? その答えは総司の顔を見るとすぐにわかった。
 お……
土方は目を瞠った。
 総司は意外なことにすっきりとした顔をしていた。  
「総司、お前……大丈夫か?」             
土方が思わずそう聞くと、総司はしっかりと土方と目を合わせた。                      
「何がですか? 大丈夫に決まってるじゃないですか」  
総司の緑の瞳にはこれまでになく安定した強い意志の光が、浮いていた。地に足の着いた一人前の男の顔だ。
「総司――」
 土方は、昨日あの後千鶴とどうなったのかを聞こうとして、やめた。たとえどうであろうと、今の総司なら大丈夫だ。土方は幹部部屋を後にして自分の社長部屋に戻る。
 これはミツさんや近藤さんにも言ってやらねえとな。内心ひそかににやけながら、土方は自分の椅子に座った。
男を成長させるのは、本当の恋。女だな、やっぱり。簡単にうまくいったのならあの表情はないだろう。これからが、本気で全力の総司自身が試されるのだ。
「がんばれよ」
土方は満足げにうなずくと、パソコンのメールのチェックを再開した。

「……ええ、電車の中で忘れ物を拾いまして。……はい。財布です。身分証を見たらそちらの学生さんのようでお返しできればと思いまして電話しました」
昼休み、総司は会社の廊下の端で、窓から地上の人や車を見ながら電話していた。
「……はい。名前は、雪村千鶴さんです。降る雪に村、千の鶴、ですね」
『少々お待ちください』と言われ、総司は窓の外、抜けるような秋の空を眺める。鰯雲が浮かんでおり、もうすぐ冬も近い。
 千鶴が綺麗だとはしゃいでいたセンタータワー前の広場の紅葉は、もうすっかり落ちて寒々しい景色になっていた。
『おまたせしました』
薄桜大学教務課の受付の声に、総司は電話に注意を向ける。
『申し訳ございません。データベースを探してみたんですが、うちの生徒にも職員にもそのお名前はないようです』
 総司は緑色の目を見開いた。
まさかそれもウソだとは。いやだが千鶴は八十万円を確かに薄桜大学の教務課に振り込んだはずだ。名前もウソだったのだろうか。
「……そうですか。……卒業生とか?」
『ああ、そうかもしれませんねえ。卒業生については情報は削除してしまうので残念ながら……』
「わかりました。ありがとうございます。警察に届けることにします」
 総司は電話を切った。
名前が嘘ということはないだろう。あの封筒の送り先は確かに『雪村千鶴』だった。
「……」
 総司は腕組をして、下にある街路樹を見下ろした。多分、薄桜大学の学生で八十万円を必要としていたのは別の人間で、千鶴はそれの肩代わりをしたのかなんなのか……とにかく学費を振り込まなくてはいけない立場の人間だったのだろう。当然ながら薄桜学園の学生ではないことになる。
「大学生じゃないのか。じゃあ歳も嘘かな」
 総司は苦々しく笑った。乗り越えたつもりでも、彼女に全く信頼されていなかったという事実はつらい。そして大学というツテからたどって彼女を探そうとしていたその第一歩から躓いてしまったことにため息をついた。
 まあ、いい。
そう簡単にいくとは思っていなかった。彼女の携帯電話はすでに次の日には解約されていた。そこまで避けたいのかという徹底ぶりで、総司は逆に闘志がわいた。
「待ってなよ、千鶴ちゃん」
待ってないだろうけど。でも必ず見つけ出す。
「総司! 会議だぞー」
左之に呼ばれて、総司は仕事に戻った。

 次は図書館だ。
総司は千鶴と一緒に図書館に行ったことがある。その時千鶴は慣れた感じで本を返していた。当然貸出カードも持っているはずた。今後はあれを落としてもらおう。
夕方、オフィスを抜けてまた電話をする。大学の時と同じ手だ。
『はい、薄桜図書館、鈴鹿です』
明るい声の女性が出た。
「あの、交差点のあたりで図書カードを拾いまして……はい、名前は『雪村千鶴』さんです」
『あら……』
と女性は一瞬黙り、その意外な反応に総司も『ん?』と黙った。女性はすぐにつづける。
『わかりました。今度図書館にいらしたときに、カウンターにそのカードをお預けいただきますか?』
「連絡先を教えてもらえればこちらから連絡して返しますけど」
 男の声でこんな提案をしたら明らかに怪しがられるかな、と思いつつ、このままでは何の情報もないまま電話を切られてしまうと思い、総司は敢えてそう言った。
『いえ、そこは個人情報なのでさすがに』
あっさり断られ、まあそうだよなと総司も思う。
「わかりました。じゃあ今度行った時に」
電話を切った。
 これで手がかりは全部つぶれてしまった。当然総司は千鶴の図書カードなど持っていないのだから、カウンターに行けるわけもない。                  
あとは……あの男と一緒のところを見かけた交差点で張っているぐらいしか思いつかない。
「正直ストーカーだよね」
 電話までして、もうすでにストーカーと言えなくもないと思うが、現場まで行くのは相当まずいだろう。
 だが、総司にはもう一つ考えがあった。今度総司たちの会社が図書館にシステムを導入する際、総司は図書館のデータベースに触ることができるのだ。犯罪スレスレ…というより犯罪だが、この際構っていられない。
千鶴に振られた夜、正直なところ総司はそれほど傷ついていない自分に驚いていた。いや、当然傷ついたは傷ついたのだが、以前両親を亡くした時に感じたような、耐えられない虚無感や喪失感は無かった。                         
『お前がそこまで必死に守ろうとしているもんは、そんなに大事なものなのか?』                     
守ることだけに必死になっていて、いざそれが傷つけられてみると大したことはなかった。彼女を――千鶴を失ったままこの先生きることと比べれば。             
彼女は、総司の両親とは違い生きている。そして少し冷静になって考えてみると、彼女は自分に好意を持っているはずなのだ。そこはいくら恋に目がくらんでいた総司でも間違えていないはず。ならあの男は何なんだ、なぜ正直に話してくれずに嘘ばかり? わからないことはたくさんあるが、それを一つ一つクリアしていけば、今よりも千鶴に近くなる。彼女を手に入れるのだ。何度傷つけられてもいい。彼女をもう一度抱きしめること以上に大切なことは、今の総司にはなかった。

 前向きな総司に比べ、千鶴は毎晩泣きあかしていた。昼間は、めでたく就職できた図書館の正職員の仕事で忘れることができるが、夜に家で一人になるとどうしても思い出してしまう。
『君が好きだ。……行かないで欲しい』
そう言ったときの総司の顔と声が何度も頭の中を巡る。
「沖田さんはずるい……」
 千鶴は風呂に浸かりながら、お湯に潜る。
そんなことを言われたら、あのセンタータワーへ戻りたくなってしまうではないか。
『もう終わりってこと?』と言った時の傷ついた顔。
 自分がいなくなって少しでも寂しいと思ってくれるのなら、あの最後の一週間みたいな冷たい仕打ちを受けたとしても傍にいたい。電話をして声を聴きたい。そうしないように自制するには、かなりの意志の力が必要だった。毎夜毎夜迷って、連絡を取る寸前までいって思いとどまる。
 連絡して傍に行っても、多分自分と総司では釣り合わない。あのパーティに来ていた親戚の人達の中で、嘘をつかずに素でやっていけない。一人で会話をしたりミツさんみたいにはふるまえないだろう。               
王子様と平民では、やはり世界が違うのだ。
 そう何度も自分に言い聞かせるのだけれど、寝る前の無防備な瞬間に頭に浮かぶのは、いつもセンタータワーでの総司との幸せな毎日だった。たった三ヶ月一緒にくらしただけでこんなに人肌が恋しくなるなんて。
 千鶴は顔をぶんぶんとふって水滴と一緒に総司への未練も飛ばすと、風呂を出た。
狭い洗面所に、一Kのアパート。部屋は狭く安物の家具ばかりだけどきちんと片付いている。最初に住んだアパートよりも治安が良くて便利で、今の自分にはぴったりだ。
 このもの想いは、きっと時間が解決してくれるだろう。
そしていつか分相応の人と平凡に恋ができたら、そうしたら完全に総司から卒業できるに違いない。
 風呂を出た途端、新しく変えた千鶴の携帯が鳴った。表示を見ると、千からだ。
「もしもし?」
『あ、千鶴ちゃん? 今よかった?』
「うん、どうしたの?」
『今日図書館で言おうと思ってたんだけど会えなくて。千鶴ちゃん、個人用の図書カードって落とした?』
「え? 自分の? ……ううん」
千鶴は電話を耳ではさみ、近くにあったカバンの中から財布を取り出し中を確かめた。図書カードはちゃんとある。
「あるよ。どうして?」
『今日、図書館に変な電話がかかってきてね。私が受けたんだけど千鶴ちゃんが落とした図書カードを拾ったって言う人から。直接返すから電話番号を教えてくれって』
「えー……なにそれ?」
 ちらりと、もしかしたら総司かもと思ったが、すぐに打ち消した。 彼はきっとあの別れの後も変わらず、人と――特に女性とは深くつながらず興味も持たず、傷つかないで生きていくのだ。
『気持ち悪いわよね。職員の名前カード見て変なことを言ってくる男の人もたまにいるから、もやめようって話が出ているのよ。千鶴ちゃんも気をつけてね』
「うん、ありがとう」
 電話を切った後も、千鶴は先ほどの総司がもしかして探してくれているのかもという想像にとらわれていた。
あるわけない。あるわけないけど……でも。
 もし総司が一歩でも踏み出してくれたら。
千鶴はもうきっと我慢できずに飛び込んで行ってしまうだろう。まだ総司の手の感触も甘いキスもはっきりと覚えている。
「……早く時間がたてばいいのに」
彼の甘い声を思い出せないくらいに。

 

 それから一ヶ月が何事もなく過ぎた。
千鶴も以前どおりの仕事にも慣れ、薫は無事に就職した。千鶴の給料も上がり薫の金銭的な面倒を見なくてよくなったことで千鶴の生活は一気に楽になった。
 半年前にこの余裕があればよかったのにと千鶴は思う。だってそうすれば体を売ったりすることもなく、彼に会うことも、こんなつらい思いをすることもなかった。
まだ今は記憶が生々しすぎるけど、いつかはいい思い出だったと懐かしむ時が来るのだろうか。
「雪村さん!」
呼び止められて、千鶴は書類を持って廊下で振り向いた。
「はい」
 上司の女性だ。焦ったように息を切らして小走りで千鶴に駆け寄ってきた。
「これから時間、空いてる?」
千鶴はキョトンとした。「空いてる…というか……バックヤードの書庫の整理を今月中にやらないといけないです」
「急ぎじゃないわよね」
「ええ、まあ」
「よかった! 今日一般の会社のお客様が調査にくるのよ、ほら例の特別予算の件で。でも立ち合いするはずだったうちの担当者が出張で、もうお客様入口に来てるの。雪村さん案内をお願いでいないかしら」
千鶴は勢いにのまれてうなずいた。
「それは構わないですけど、私、何をすればいいかわかりません。どこに案内してどうすればいいんですか?」
「大丈夫、前に何回も来たことがある人達だからその人達がわかってるわ。雪村さんは一応立ち合いよ、ほら部外者を図書館内部にいれるわけだから。あと鍵がかかってる部屋とか行きたい場合は開けてあげて」
 ほら、玄関に行ってくれる? とせかされて、千鶴は玄関に急ぎながらうなずいた。「わ、わかりました!」
 待たせてしまってるのなら急がないとと千鶴がパタパタと走っていくと、背の高い二人の男性が職員用入口に立っているのが見えた。千鶴は警備員に会釈をし自分の客であることを伝えた。
「お待たせしてすいませんでした!」と言う千鶴の声に、二人が振り向く。
 千鶴は目を瞠って足を止めた。
総司だ。
もう一人も斎藤ではないか。             
彼らも驚いたように千鶴を見ている。
 千鶴は混乱した。
え? どうして? どうしてここに沖田さんがいるの ?斎藤さんも? まさか私を探しにとか……それにしては驚いてる。
「斎藤君」
総司が千鶴から目を離さないまま低い声でつぶやいた。斎藤はうなずく。
 千鶴は固まったまま後ろに体をひき、総司か斎藤が一歩動けばあっという間に逃げ出しそうだ。
「ああ、わかった。俺は適当にやっておく」
「ありがとう」
 そう言うや否や、総司はバッと飛び出した。想像通り千鶴は身をひるがえして逃げようとする。その手首をつかんで、総司は低くすごむ声で言った。
「会えて嬉しいよ。話があるんだ」
社会人として、訪問してきた客を置いて逃げるなんてあるまじき行為だが、訪問先の企業の案内をしてくれる女性をつかまえようとする客も客だからおあいこだろう。
 斎藤は淡々と受付で総司と自分の分の入館申請をして名札を受け取った。千鶴をひきずるようにして連行していく総司を見送り、そのまま自分の仕事先である、以前も来たことがあるサーバルームへと向かった。

「お、お、お、沖田さん……! て、手を離して…!」
「嫌だ。離したら逃げるくせに」
「どこに行くんですか? 斎藤さんは……!」
「僕達はここには何回も来てるのに君に会わなかったね……っていうか、君……」
総司はそう言うと、ぎろっと千鶴をにらみつけた。
「嘘ばっかりだね。うそつきは泥棒の始まりって習わなかった?」
 総司は奥書庫の扉を開けると、そのまま千鶴を押し込んだ。薄暗い部屋の中で千鶴を壁に押し付け、千鶴の顔を見る。本当に千鶴かどうか疑うように。
 暗闇の中で総司の目の中にぎらぎらとした金色の光が踊る。千鶴は蛇に睨まれた蛙のように立ちすくんだ。
「んっ」
 総司が体ごと覆いかぶさりキスをしてきた。抵抗しようとする千鶴の顎を大きな手で押さえて、指で唇を開けさせる。総司のコートは冷たくて冬の匂いがした。
「!!」
乱暴なやり方に驚いて千鶴が思わず口を開けると、待ち構えていたように舌がするりと滑り込んできた。腰に腕を回され全身で壁に押し付けられて、舌が深く絡む。
「んっんんんー!」
 千鶴が総司を叩こうとしても体が密着していて隙間がない。息継ぎのために唇を離した瞬間に総司を咎めようとしたが、総司の手が千鶴のブラウスのボタンを次々外していいっているのに気が付き、叫び声をあげた。
「沖田さん! こんなところで――」
千鶴の驚きは再びキスでさえぎられた。総司の手が背中に回されブラのホックが外される。
「抵抗しないで。お願い」
息が荒い切羽詰まった低い声でささやかれ、千鶴は膝の力が抜けた。
「沖田さん……」
「やめないよ」
総司はそのまま千鶴のスカートをたくし上げて脚を割る。
「沖田さん、この部屋より、そこの奥……鍵がかかるんです。人も誰も……」
 千鶴が総司の愛撫にもみくちゃにされながら荒い息の合間にそう言うと、総司の目がキラリと光った。そのまま千鶴を抱き上げて、書庫のさらに奥にある小さな鉄の扉を開け、なだれ込んだ。後ろ手で扉を閉め鍵をかける。
 そこは三方の高い位置に窓がある、十畳くらいの広さ物置だった。三角コーンや畳、垂れ幕をまいたものがあちこちに置いてあり、真中に大きな古い机がある。総司はその上に千鶴を押し倒した。埃がたまっているだろうが今は構っていられない。
 千鶴は腕を総司の首に回し、自分からぴったり体を押し付けた。総司は両手で千鶴のウエストをつかむと、一気にブラウスをスカートから引き出す。そのまま千鶴の首筋に唇を這わせ、脚は千鶴の脚を割り腰を押し付けた。
「っお、沖田さん……」
総司は千鶴の両手に指を絡めて机に押し付ける。体を起こして千鶴の目を見た。緑の瞳には怒りが浮かんでいる。
「……君を手に入れるにはどうすればいいのかな」
「……え?」
「買えばいい?」
唐突に言われ、千鶴には理解できなかった。総司は続ける。
「一ヶ月三十万。一年で三百六十万。十年で三千六百万。二十年で……いくらかな」
「……は……」
「即金は無理だけど、一生かかってなら払えると思うよ」
総司はそう言って澄んだ緑の瞳で千鶴を見下ろした。唇はほほ笑んでいるが目は笑っていない。
「君のこれからの人生を全部買うよ」
 総司の言っている意味がわかった。驚いた千鶴が答えられないでいるうちに、カチャカチャとズボンのベルトを外す音がして総司の手が千鶴の下着を取り去った。
「あっ!」
「んっ…!」
 一気に貫かれ、千鶴は驚いて叫んだ。総司も喘ぐ。
総司はそのままやめなかった。埃っぽい倉庫の光の中で、二人の喘ぐような吐息とこすり合う体の音、動くたびに机がきしむ音が響く。だが千鶴にはもう総司しか感じられなかった。総司の荒い息、狂いそうな瞳、顎から滴る汗と我慢するような声。ふれあう肌が熱くてぶつけるような腰が激しい。
 ふわっといきなり足元をすくわれるような快感が遅い、千鶴は達した。唐突な絶頂に千鶴も驚いたが、総司も驚いたようだ。千鶴の全身の力が抜け、抵抗される可能性が全くなくなったのを見て取ったのか総司の狂乱が少し収まった。腰を動かしながら両手の指を絡め腕を広げ机に縫い付けるようにする。
 そして千鶴をじっと見つめたまま腰をゆっくりと動かした。敏感なところをこすりあげられたり、ゆっくりした動きの後に強く突いたりするたびに変わる千鶴の表情を楽しむように、千鶴の瞳を覗き込む。
 いくら人が来ないと言っても声は聞こえてしまう。千鶴は総司に突かれるたびに自然に上がってしまう声を必死で抑えた。総司がキスをして、千鶴のかみしめていた唇を総司の舌がなぞり、千鶴の声を総司が呑み込む。総司の動きが激しくなり、千鶴も二度目の快楽の階段を上り始める。
「っは…ん」
 キスのせいでくぐもった声が部屋に響く。総司の体が引き絞る弓のように硬くなり動きが早くなった。千鶴の体に一心不乱に熱を打ち込み、千鶴を二度目の頂上に押し上げるのと同時に自分も達した。

 千鶴はぼんやりと目を開けた。
この部屋、電気があったんだ……
はげかかった天井には蛍光灯が二本ついている。視界の端に、隣であおむけになっている総司のYシャツが見える。
何か言わなくちゃと思うものの、唐突な出会いといきなりのセックス。そして二回の早急な絶頂で全身の力が抜けて口を開けるのもおっくうだ。
 身じろぎをしたのは総司の方が先だった。肘をついて体を起こし、千鶴を見下ろした。ピンクとブルーのストライプのネクタイは緩み、白のYシャツは上から三つめまでボタンが取れて、たくましい胸板が覗いている。
千鶴の方は、ブラウスはかろうじて片手が袖を通っているだけで腰のあたりでくしゃくしゃになっているし、ブラもホックが外れて鎖骨のあたりにずれている。スカートがたくし上げられているのはかろうじて下ろしたが。
彼の瞳の中のぎらぎらした光は消えていたけれど、まだどこか暗い。
「返事は?」
「……返事……」
「君のこれからの時間を全部買うっていう話のさ」
総司の言葉の意味がようやく千鶴の頭に伝わった。千鶴の鼻の奥がツンとして、じわじわと涙が浮かんできた。
「……買う必要なんて、ないです……」
涙声で千鶴がそう言うと、総司の顔がなぜかさらに暗くなった。
「じゃあどうすればいいのかな。どうすれば傍にいてくれる?」
 千鶴の涙が目じりを伝ってこぼれた。千鶴は腕を伸ばす。総司は戸惑ったようだが、素直に体を寄せて千鶴に抱きしめさせた。
「沖田さんの傍にいたいです。お金をもらわなくても」
 総司の体が固くなり動きが止まる。総司は体を起こして千鶴を見た。その表情は告白を受けて喜んでいる顔ではない。千鶴は何か悪かったかのかと涙に濡れた目できょとんと彼を見た。
「……本当に?」
千鶴は目をパチパチとさせる。
「はい」
「……」
総司は探るように千鶴を見た。
「男とは別れるの? っていうかそもそもいつからつきあってたの。学費は一体誰の? 君はなんでここにいるの。ここで働いてるの?」
次々と畳みかけるように質問されて、千鶴も肘をついて体を起こした。起き上がろうとする千鶴を、総司はもう一度机に押し付けた。
「もう、嘘はなしだよ。全部ほんとのことを話して」
「はい……はい」
千鶴の目から涙がぽろぽろと零れ落ちた。なんでも話す。話したい。沖田さんが知りたいって、興味を持ってくれてる。
「君の男とはいつからつきあってたの。僕に売春を持ち掛けるときはもうつきあってたんだよね?」
総司のこわばった顔を見上げて、千鶴は首を傾げた。
「私の男って何のことですか?」
「……君が休みをもらった週末を一緒に過ごしてた男だよ」
「あれは……あれは薫です。双子の兄です」
 千鶴が慌ててそう言うと、総司の眉が不審げにひそめられた。
「頼りになる親族はいないって言ってなかったっけ? どっちが嘘?」
千鶴は視線をそらす。
「……し、親族がいないっていう方、です。すいません」
千鶴の言葉は堰を切ったようにあふれ出した。
「父が亡くなったのは四年前……私と薫――あ、薫って言うのは双子の兄の名前です――が高校三年生の時でした。話し合って……金銭的には苦しいけど四年間だけがんばろうって薫は大学に進学することにしたんです。私は就職しました」
 総司は、千鶴が周囲の大人からさんざん騙されて金を巻き上げられたと話していたことを思い出した。そのせいもあって頑張ったのだろう。
「じゃあ、あの八十万は……」
「薫の学費です。高校を卒業してからいろいろあって私はここに勤めて、ここが休みの日にパン屋さんのバイトもして、薫もバイトをして大学の寮に住んで、二人で頑張って薫の学費を払ってたんですが、半年前に私が首になってしまって。しばらくはなんとかなったんですが、まとまったお金は用意できなくて……」
「それで、あの日僕に声をかけたんだ」
千鶴はうなずいた。
「じゃあ、君は男はいないの? 僕とが初めてってのはホント?」
千鶴は赤くなってうなずいた。
「……」
 総司は大きくため息をついて、隣にゴロンとあお向けになった。
「……いったいいくつ嘘をついてたの」
「……すいません……。沖田さんはそれで、私のことを疎ましく思ってるんだと思ってました」
総司がまた顔をあげる。
「何の話?」
「三ヶ月目の最後の週……沖田さん、ほとんど家に帰ってこなかったじゃないですか。冷たかったし」
「ああ……」
総司は視線を逸らせた。
「男がいるって思い込んでたから。嫉妬して憎らしくて、でも顔見るとかわいくて抱きたくなっちゃうし……なんかもうあのころはいろいろ無茶苦茶だった。僕の感情が」
「……」
 千鶴が驚いたような顔で見ているのに気が付いた総司が起き上がった。膝をたてて座り、その上に肘をついて首のあたりをなでている。
「……何」
今度は本格的に照れている。目じりが赤い。
「嬉しくて……」
涙がこみあげてきて千鶴は言葉に詰まった。嫌われたわけじゃなかった。嘘が原因で誤解されていたのは本当だったけど……
「私も、嘘が辛かったんです。近藤さんやミツさんや……沖田さんも騙して。積み重なって重くなって、最後はもう本当に自分が嫌いで沖田さんの前から逃げたかった」
総司の瞳が心配そうに陰る。
「……今は? さっきここの入り口で会ったときは逃げ出しそうだったけど」
「今は……今は、ぜんぶ解決したわけじゃないですけど……」
 そうだ、総司との――王子様と自分の差はまだ歴然としてある。でも。
「でも、がんばりたいって。沖田さんの傍にいるために頑張ります」
 沖田さんが横にいてくれるなら頑張れる。ドレスの選び方やパーティでの会話の仕方。沖田さんが恥ずかしくないように今からだって覚えられるはず。そしてウソを言わず本当の自分のまま、沖田さんの横で胸を張って立っていられるような自分になりたい。

 決意を込めた千鶴の顔を見て、総司の微笑みが優しくなった。そっと千鶴を起き上がらせて、座って抱きしめる。
「僕も……僕も、あんまりこういう関係は慣れてないけど、頑張るよ。間違ったら君が教えてくれる?」
千鶴も、総司の広い背中に手をまわした。肩に顔をうずめて、胸の奥からほっと息をついている。
しばらく二人はそのままお互いの温もりをかみしめていた。
「……沖田さん」
「ん?」
「私、まだ嘘を言ってました」
 胸にくぐもって千鶴の声が聞こえづらい。それでもいい。ちゃんと神経を集中させて聞くから、今はこのまま抱きしめていたい。総司は再び千鶴を抱くことができた安堵で、今なら何を言われても怒らない自信があった。
「何? この際もう全部言っちゃって」
「……」
声が小さくくぐもったせいで聞こえない。総司は少しだけ体を離した。
「声が小さくて聞こえなかった。もう一回言ってくれる?」
千鶴はうつむいたままだ。
「……お金もらってここにいただけって言いましたけど、嘘でした。私、沖田さんが……好きです。とっても」
 総司が胸の中の千鶴を見ると、耳が真っ赤だ。頬もうなじも赤い。胸の奥からぷつぷつと幸せな泡が溢れてくるような感覚がして、総司は思わず笑ってしまった。
「お、沖田さん…!」
何で笑うの? という顔で千鶴が総司を見上げてくる。
「ごめんごめん」
総司はまた笑うと、ぎゅむっと千鶴を抱きしめた。    
ああ、ほんとに幸せだ。かわいい。いとおしい。
そうか、幸せな気分になると笑いたくなるのか。
 初めて知った自分の感情に、総司は驚きながらくすくすと笑い続けた。
 きっとこれから……そう何十年も、彼女と一緒なら自分の知らない感情を知っていくことになるだろう。こんな楽しいことばかりじゃない。身を斬りたくなるような嫉妬も、それでも憎めない苛立ちももう経験した。考えたくないけど、彼女を失うかもという恐怖もずっと持ち続けなくてはいけないのだ。
 それでも。
 それでも一緒にいたいと総司は心の底から思った。彼女が与えてくれる幸せな感情もつらい感情も受け止めて楽しみたい。何の感情もない平穏な人生よりもよっぽど楽しく生きている実感のある人生になる。
 そして彼女にも与えてあげたい。総司が持っているもの、あげることができるすべてを。
 そこまで考えて総司はふと、始めて千鶴を紹介した時に近藤が総司に言っていたことを思い出した。
『人にはもっと、深い喜びや感情があるもんだ。それは人との、特に女性との、人生をかけてもいいと思うような深い付き合いでないと気づかないものでな』
 そうか……人と、感情を……人生を分け合うこと。
近藤さんはこれを僕に知ってほしいって思ってたんだ。
そしてシャクだが土方があのパーティの時に言っていた言葉も思い出す。
『そこまで必死に守ろうとしてるもんは、そんなに大事なものなのか? 自分を守ることより大事なものってなあ、あると思うぜ』

 総司の胸の中で千鶴が顔をあげた。
「沖田さん?」
 至近距離で見降ろしたその顔が愛おしくて、総司は本当に不本意だが、今回ばかりは土方に白旗を上げた。
これも千鶴と知り合って初めて知ったことだと、総司は小さく笑う。
 これまでは意地でも負けを認めたくなかった土方相手に、あっさりと白旗を揚げられる自分に総司は驚いた。
 そう、負けるが勝ち。
結局千鶴を手に入れればすべてはことも無し。負けかもしれないが、幸せなのだ。
 不思議そうに総司を見上げている千鶴。         
僕の人生の鍵は、この女の子が握ってる。
 少し前の自分なら自分の人生を左右するほどの力を他人が持つことにおびえ、我慢がならなかったに違いない。でも今は、この小さな白い手がずっとその鍵を握ってくれている運命が楽しみで仕方がない。いいことも悪いことも、彼女と二人でなら楽しめる。                 
人を受け入れるだけで人間は……人生は、世界はこんなに変わるのか。近藤も土方も、そしてミツも。皆が言っていたことを総司はようやく理解した。
そして感謝を込めて、総司はそっと千鶴にキスをした。                                   





 2015年10月12日発行
掲載誌:シンデレラの嘘


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