宵蛍









『こら!総司、捕まえたりするんじゃない!』

川岸に立った近藤が、あわてたように少年を呼び止めた。
『えー?なんでですか?近藤さん、これたくさん捕まえて籠にいれたら、きっと提灯みたいで帰り道が明るいですよ』
そう言って見上げる小さな総司の頭に、近藤は優しく手を置いた。
『蛍の命はな、一週間くらいなんだ。その間に一生懸命光ってつがう相手を見つけて、そして死んでしまう。今お前が捕まえたりしたらその蛍は相手を見つけられず、子供を残すこともできず、無駄に光って死んでいくことになるんだぞ。』
近藤はそう言うと、優しく総司のまだ小さな手をとった。

『帰り道が暗いのなら、ほらこうやって手をつないで行こう。』
総司は、暖かく大きな近藤の手を見て、にっこりと微笑む。
『はい。・・・・でも、蛍っておかしな虫ですねぇ。一週間しか生きられないのに、つがう相手を探すことしかしないなんて。』
僕はそんなつまらない人生ごめんだな。と言う総司に、近藤は苦笑いをした。
『・・・まぁ、お前も大きくなって女性を好きになればわかるだろう。愛する人を見つけて命をつないで行く、というのは理屈じゃないんだよ。』
『・・・僕はそんなことわからなくていいですよ。近藤さんの傍にいて、近藤さんと同じ方向を見て、近藤さんの役に立てればそれでいいんです。』

『はははは・・・!頼もしいことだ。』

近藤の豊かな笑い声が、気持ちのいい夏の夜に溶けて響いた・・・。

 

 


 バリバリバリッ!
ボリ!ボリボリボリ!
胡瓜の漬物を噛んでいる音が、蝉のうるさい泣き声と混じって夏のじっとりとした空気を揺らした。
総司はぼんやりと真っ青な空に生えている入道雲を見上げながら濡れ縁の柱によりかかって、胡瓜をぼりぼりと食べる。まだ出来上がる前の漬物樽に入っている胡瓜をこっそり持ってきたせいか、漬物にもかかわらずいい歯ごたえだ。

 千鶴に見つかったらまた怒られるかな・・・・。でも暇なんだよね〜。裏の川で洗濯してる千鶴のところに遊びに行こっかな・・・。

総司が欠伸をした時、向こうから子供の声が聞こえてきた。
「総司〜!!」
「なんだ、また来たの?今日は稽古の日じゃないだろ?」
暑い中、走ってきたらしく汗びっしょりの男の子に、総司はけだるげに言った。ただし、後半部分は辺りを気にして声をひそめながら・・・。

この男の子は、年のころ10歳くらい。総司と千鶴の家のご近所さんだ(と、言っても歩いて20分はかかるが。)。
総司達が住んでいる雪村の里がある山の、中腹あたりにある結構大きな寺の息子だった。何故か総司にとてもなついており、ひょんなことから総司は彼を含む、寺にいつも遊びに来ている村の男の子たちに無料で剣を教えているのだ。
そしてそのことは千鶴には内緒。
だから男の子は、総司の言葉に焦ったように辺りを見渡して、シーッっと人差し指を自分の口に当てて総司をにらんだ。

「ナイショなんだろ?シーッ」
そう言う男の子に、総司も小さな声で答える。
「大丈夫だよ。千鶴は裏の川で洗濯中。それで何しに来たの。」
「剣と碁は、一人で練習しても上手くならないんだって。上手くなるのに一番いい練習方法は、自分よりうまい人と試合うことなんだって。」
前の道場の先生が言ってたんだ、という男の子を総司は横目で見る。
「・・・・で?」
「だから総司!木刀で試合してよ!」
「やだよ。」
即答した総司に、男の子は頬をふくらませてぶーたれる。
「なんで〜!?」
「だいたいさぁ、君程度の腕でこの僕に一対一の稽古をつけてもらおうなんて贅沢すぎだよ。あの辺の友達と試合してればいいだろ。」
「それじゃあ上手くならないんだよ!なぁ〜!頼むよ総司ぃ〜!」
「あのねぇ、僕は、か〜な〜り強いよ?試合なんかしたら、例え木刀でも君死んじゃうよ。」
「だから殺さない程度に稽古つけてくれよ〜!」
ねだるように総司に訴えていた男の子は、突然何かを思い出したように、あっ!と言って嬉しそうな顔をした。そして勢い込んで言う。
「そういえばさ、友達に聞いたんだよ。例の泉の場所!だいたいしか覚えてないらしいんだけど、そこならもしかしたらいるかもよ?教えてあげるからさ・・・。」
総司は片眉をあげて、少年を見た。
「・・・・それ、確かな情報なの?」
男の子は、交換条件として総司に気を持たせればいいにもかかわらず、バカ正直に、う〜ん、と困った顔をする。
「そいつも、その泉を見つけたのは道に迷って偶然見つけたらしいし、結構前だし・・・。どれだけ本当かはわかんないや。でも、そいつだけなんだよな、実際その泉を見たことがあるのって。あとはおばあとかの昔話で昔からうちの村に伝わってるだけ。そいつはその泉で、小魚が泳いでいるのを見たって言ってた。あと水辺にはいろんな虫がいたって。だから今の季節ならその泉にきっといると思うんだよな。」

少年の言葉に、総司は腕組みをしながら片手で顎を撫でて考える。




少し前にふいに思い出した近藤との幼いころの思い出。
川辺に一面にひろがる、小さな光を放つ蛍。静かに、音もなく瞬いて、今思い返しても夢のような美しさだった。
その話を何の気は無しに千鶴にしたところ、なんと千鶴は蛍を見たことがないと言う。父親の鋼道が医者として忙しく、そのような場所に連れて行ってあげたり、蛍狩りや蛍籠といった遊びもしてくれなかったらしい。
その時は、ふーん、と言ってそのまま会話を終えた総司だったが・・・・・。

ふと、千鶴と一緒にあの美しい光を見たい、と思ってしまったのだ。
千鶴は喜ぶだろう。自分も・・・・、幼いころに見たあの景色をもう一度見てみたい。

 今度は愛する人と一緒に。


そう思って、寺の男の子にこのあたりで蛍の見れる場所を聞いたのだが、帰ってきた返事は驚くものだった。

東京から来た偉い学者さんが言うには、この山はなんだか特殊な石でできていて、川にはその石からながれでた成分が混じっている。
それは結構強いものなので、そのせいで小さな生物・・・、小魚や水辺の昆虫たちはそこに住むことができないそうなのだ。
実際この山は昔からめだかもいないし、川辺にはヤゴやアメンボなどの虫もほとんどいない。さらにこの山の湧水を飲むと万病に効く、という言い伝えが古くからあり、ふもとにある山から流れ出た水場には、近隣からやってくる水汲みの人々が絶えない・・・。

それを聞いた総司は、頷けるものがあった。
羅刹の血を薄めるという雪村の里の水・・。きっと山の上の方にある雪村の里は、その川の水の上流、源泉に近いのだろう。だからきっとその特殊な鉱石の効力も強く、羅刹という濃い血をも薄めてくれるのではないだろうか・・・・。そしてその反作用として、小さき者はこの水では生きていけないのだろう。
と、いうことはもちろん蛍もこの山にはいない、という事になる。
そうなんだ・・・とがっかりした様子の総司に、寺の男の子は気を使う様に言った。

 この山のどこかに、隣の山から来ている水がわいている泉がある。昔、隣の山で雨で増水した川に落ちた男が、流され水に揉まれ気が付いたらこの山のその泉に出ていたらしい。その水には強い石の成分は混じっていないので、メダカやイワナが泳ぎ、水辺には虫がたくさんいるそうだ・・・。

しかし肝心の、その隣山から来ている泉の場所がわからない。寺の男の子は、それとなく村のヤツに聞いておくよ、と言ってくれていたのだ。




「・・・・いいよ。じゃあ、今からその場所に行ってみようか。それで、虫とか魚がいる泉を見つけられたら、稽古つけてあげるよ。みっちりね。」