【LOVE
STORY】※SAMPLE※
ドキドキと痛いくらい打つ心臓の音を意識しながら、千鶴は月明かりの下、人気のない屋敷へ向かって走った。
痛い位の寒さのせいで空は澄み、まるで夜空に穴をあけたように満月がくっきりと見える。
広い敷地の反対側からは、かなり遠いにもかかわらず盛大な茶会のざわめきが聞こえてくる。このあたりには誰もいないのは確認済みなのに、誰かに見られているのではないかという焦りが千鶴の脚を速める。
思った通り今日はいつもはいる監視の武士がいない。他藩の殿様や家老を大勢呼ぶ今夜の茶会で、例え別棟の使われていない屋敷の前だとしても武骨な武士の見張りが突っ立っているのは見栄えが悪いと、容保様が言ったとうわさに聞いている。
容保様の敷地の片隅にあるこの小さな建屋は、正面玄関は厳重に鍵をかけられているが、その横の小さな通用口は開いているのだ。
千鶴は素早く左右を確認して建物の中へ滑り込んだ。
まだ肌寒いと言っていいくらいの気候なのに、千鶴の額にはじっとりと汗がにじみでていた。緊張でガクガクと震える脚に力を入れて、千鶴はわらじを履いたまま板張りの床の上へあがった。昔は普通に人が暮らしていたのだろうが、いつのころからか――千鶴の推測が正しければ多分一年前から――この屋敷は牢として使われており、各部屋の間仕切りも畳も取り払われている。
満月を見ながらの茶会が催されている夜だけあって、雲一つない見事な満月が空にかかっていた。
薄暗く不気味な牢屋敷にも、満月の冴え冴えとした光がさしこんでいた。吐く息が白く浮いて暗闇の中に溶けていく。その中を千鶴は、痛い位打つ心臓の音を意識しながら周囲の気配に耳をそばたて、建物内へと進んでいく。
暗く湿気った牢の中には灯りらしきものは無く、中はよく見えない。が、獣のような息遣いや時折聞こえるうめき声で何かがいるのはわかった。
多分薫が教えてくれた『羅刹』なのだろう。塗り壁に鉄の鎖でつながれて、かつては日々の実験に使われていた……
すえた臭いが鼻をつき千鶴は吐き気を我慢して息を止め、足早に牢の前を通り過ぎた。目指すは建物の一番奥にある実験室だ。
そこは一段高い板敷になっていた。千鶴はそっと襖をあけ中をうかがい、誰もいないことを確認すると部屋の中へ入る。
そして部屋の隅に置いてある文机と隣にある書棚に近寄った。
満月の光が入るように窓を少しだけ開けて、千鶴は膨大な量の書物が収められた書棚を見上げ、文机の上においてあった紙をまとめた台帳のようなものを手に取る。パラパラとめくると『綱道』と言う名前が目に飛び込んで来た。
……!父様だ……!
思わず食い入るように紙を覗き込んだ瞬間。
千鶴は何かの気配にはっと後ろを振り向いた。
部屋の隅、薄暗い角の辺りに何か――
千鶴が息を止めてそこを見ていると、暗闇の中にゆっくりと赤い光が二つ灯った。一瞬何なのかわからず、千鶴は目を眇める。
……目……!!
分かった瞬間に千鶴が飛びのくのとその塊が飛びかかってくるのとが同時だった。
「きゃああ!」
思わずあげた叫び声。飛びのこうとした千鶴が、床板のはがれたものに足をとられ尻餅をついてしまったのだ。
その塊は人間離れした速さで先程前千鶴が居たところめがけて飛びかかった。
ガシャン!と激しい音がして書棚とそこに置いてある書物や筆、筆記具、その他よくわからない実験用具の様なものが飛び散る。
頑丈な作りに見えた書棚は、粉々に壊れて中に立てかけてあったものが辺りに散乱していた。
転んだおかげであの化け物の一撃を防ぐことができた。
千鶴は、息を荒げながら立ち上がる。そして震える手で腰を探った。
そこには父、綱道からもらい江戸からここ京までの長旅の間千鶴を守ってくれた小太刀がある。千鶴はそれを抜くと、書棚からゆっくりとこちらに向き直った『それ』に向かって構えた。
窓から入る月明かりで、千鶴ははじめて『それ』を見ることができた。
……髪が……白い…目も赤いなんて……
虹彩も白目もない単調な赤い色の瞳が、闇の中で光っている。口元はだらしなく開き、よだれのようなものがつたっていた。
姿かたちも着ているものも、人間の男……だと思う。しかし前のめりになっている姿勢も、理性を全く感じない表情も、人間というよりは獣……それも狂った獣の様だ。
千鶴は小太刀の柄をギュッと握った。
小太刀どころか、大ぶりの日本刀でも勝てないかもしれない。男が突っ込んだ書棚はバラバラで、跳躍力も獣の様だった。
千鶴は瞬きもせずバケモノを見つめながら、唇をぎゅっと噛み、小さく首を横に振った。
このままこの化け物に嬲り殺されるわけにはいかない。はるばる江戸から京まで単身やってきたのは、こんなところでこんな化け物に殺されるためではない。行方が分からなくなった父と兄を探すためなのだ。
目の前の化け物が、ゆらりと揺れる。
「くくくくく……」
何の声かと思ったが、それは化け物の笑い声だった。妙に甲高い酔っぱらいのような声。千鶴が勝てないのを笑っているのか。
千鶴がぐっと眉尻をあげて化け物をにらみつけると、『それ』は再び腕をのばして、今度はゆっくりと千鶴に近づいてきた。
千鶴は後ずさりをしたが、すぐに背中に壁がつく。
後ろは壁、目の前は化け物。
大人しくやられるくらいなら、と千鶴は一歩前に踏み出した。そして小太刀を振り上げて斬りかかる。
千鶴の一太刀はあっけなく化け物に振り払われた。軽く腕で払っただけなのに、千鶴は吹っ飛び壁にぶち当たる。
「うっ…!」
一瞬息が止まり、視界が霞んだ。化け物が笑いながらとびかかってくるのが見えて、千鶴はもう駄目だと思いながらもかろうじて小太刀を構えた。
かなわないにしても抵抗もせずに殺されるままなんて嫌だ。
白く弾けてしまいそうな意識を必死につなぎとめて、千鶴が小太刀を振りかざしたとき――
千鶴の耳に、カチャリと硬質な音が小さく聞こえた気がした。
そして直後に目の前が真っ赤に染まる。
千鶴の目の前には、後ろから心臓を一突きされた『羅刹』があった。
『羅刹』の胸から突き出ている銀色の刀が月の光を反射して、血の隙間から怪しく光るのを、千鶴は茫然と見つめる。
そして一瞬後にはそれは抜かれ、支えがなくなった『羅刹』は崩れ落ちる様にして大きな音とともに床に転がった。
「っ…!」
血まみれの体が千鶴の方に転がり、千鶴は声にならない悲鳴を上げて体を起こした。
床に転がった羅刹の背中からは禍々しい黒いシミがどんどん着物に広がっていっていた。
そして倒れた羅刹の向こうに、足が見える。
先ほどまでは羅刹の体のせいで見えなかったが、どうやらこの人が羅刹を殺して千鶴を助けてくれたらしい。
千鶴は震える体を起こして、その人を見上げた。
あちこちにはねた髪。着崩した着物に二本差し。冬なのに驚くほど薄着だ。
そして羽織っている羽織は京に来たばかりの千鶴でも知っているだんだら模様……
結ってはいるものの緩やかに束ねただけの柔らかそうな髪は、彼のすっきりした額にかかっている。
月明かりのせいで陰影が濃く見えるその顔は、若い男性ですっきりと整っていた。
少し大きめな瞳も柔らかそうな髪も、普通の人よりは色が薄くそれが彼を華やかに明るく見せている。
しかし今千鶴を見ている彼の表情は、一月の夜の空気よりも冷たかった。助けてくれたのかと千鶴が礼を言おうとしたとき、千鶴を見下ろしている男の唇が動く。
「……こいつが君を殺しちゃうまで黙って見てれば、僕たちの手間も省けたのかな?」
水の珠が転がる様な艶やかな声。
しかし彼の言っている意味がわからず千鶴は目を見開いたまま固まっていた。すると実験室のさらに奥、千鶴が気づいていなかったところから襖を開けて、もう一つの静かな声が聞こえてくる。
「さあな。……少なくとも、その判断は俺たちが下すべきものではない」
「え……?」
その声の内容と、暗闇から現れた全身黒ずくめの上に同じだんだら模様の羽織を羽織っている男性に驚いて、千鶴は視線をそちらに移す。
その時不意に、左側からふっと影がさした。
月明かりが入り込む窓側に三人目の誰かの姿が見える。
カチャリという鯉口を切る音と共に、スラリと千鶴の目の前に白銀にきらめく刀の切っ先がつきつけられた。
そして現れた第三の男は、ちっといまいましそうに舌打ちをすると、千鶴に冷酷に告げた。
「いいか、逃げるなよ。背を向ければ斬る」
**** 中略 ****
総司は、枯れた下草を踏みながら脚を緩めゆっくりと近寄っていく。
「新選組の隊規では脱走は切腹ですよ。わかってますよね?」
「友達に誘われて入隊しただけなんだ!しかしその友達も……!」
「殺されてしまいましたね。それで怖くなったんですか?」
妙に丁寧な総司の言葉に、千鶴は彼の顔を見た。総司は刀に手もかけておらず、うっすらとほほえみを浮かべている。そんな総司を見て、近藤が心配していたような『暴走』はなさそうだと千鶴は思った。
佐々木はガバッと土下座をした。青ざめた必死の顔で総司を見る。
「頼む!見逃してくれ!俺が新選組に居たのはたったの半月だ。給金もまだもらっていないし入隊自体なかったことにしてもらえないだろうか…!」
総司は足を止めて溜息をついた。
「しょうがないですねえ…。そんな様子じゃあ隊に連れ戻しても一人で切腹なんてできそうにないですし……」
総司の言いように、まさか見逃してあげるのかと千鶴が驚いて彼を見た瞬間、総司がすらりと剣を抜いた。
「屯所で僕が始末するのとここで僕が始末するのと、結局は同じことになると思うんで」
「ひっ…!」
佐々木が驚いて後ずさりするのと、千鶴が「沖田さん!」と叫ぶのが同時だった。
「ダメです、沖田さん!土方さんは生きたまま連れて帰るようにと……」
「うるさいなあ」
そう言いながらちらりと千鶴と見た総司の瞳を見て、千鶴は立ちすくんだ。
凍えそうな程冷たい瞳。虹彩の色はあの夜のように透明に近い薄い色になっており、何の感情も表れていない。
人を殺すときの目だ……
千鶴は直感的にそう思った。
これまで同じ部屋で笑ったりからかわれたりしていたときの総司ではない。
総司はその瞳で千鶴を見たまま口を開いた。
「……君は利用価値があるから生かしているだけで、別に新選組の隊士でもなんでもない。長生きしたいんなら黙っていた方が良いよ」
「……」
青ざめている千鶴から視線を外して、総司は再び佐々木に向き直った。
「脱走者の佐々木さんが抵抗して斬りかかってきたせいで雪村千鶴は斬られて死にました。佐々木さんは僕がその場で殺しました」
総司はどこか楽しそうにそう言うと、刀を振り上げる。
後はあっという間だった。
驚いた佐々木が声を上げる間もなく、白い光が彼の首から真っ直ぐに振り下ろされる。
「!」
血が吹き飛び、見開いたままの佐々木はそのままゆっくりと前のめりに倒れる。
ドサッという音共に地面に伏した佐々木がもう二度と動かないのを確認してから、総司は千鶴の方を向いた。そして血の付いたままの刀を千鶴に突きつけた。
「……僕が土方さんや近藤さんにそう報告すれば済む話なんだよ。君さ、自分がすごく危うい立場にいることをちゃんとわかったうえで行動した方が良いよ」
「……」
血で斑にそまった白く輝く刀と、透明なほど薄くなった総司の瞳。
どちらも凍えそうな程冷たくて、千鶴は喉の奥が締まったようになって声を出せなかった。
怯えた瞳のまま固まっている千鶴を見て、総司はつまらなそうに視線を逸らし刀を下した。
懐から懐紙を出して刀の血を拭い鞘に納め、そのまま歩いて行ってしまう。
千鶴はその場に立ちすくんだまま、地面に倒れてこと切れている佐々木と、歩き去る総司と背中とを見比べた。
**** 中略 ****
「沖田さんはどうしたんですか?近藤さんのお使いでお出かけって聞いていましたが…」
「うん、それは今終わって帰ってきたんだけどさ、歩いててふっと思い出したんだよね。千鶴ちゃん、風邪の時に一緒に寝たでしょ!?」
不意打ちの質問に、千鶴は以前のように平然としらをきることができなかった。
「えっ……え…そ、それは……」
明らかに怪しい感じで赤くなっている千鶴に、総司は嬉しそうに歩み寄った。
「やっぱり…!なんか本当にふいにさ、降りてきたって感じであの時の感じとか匂いとかを思い出したんだよ。あれってなんなんだろうね?別に同じような体験をしたわけじゃないのにさ。まあそれはいいんだけど、その時に千鶴ちゃんの……」
「寝てません!」
思い出してすっきりしたのか妙にテンションが高い総司に押されていた千鶴は、ここできっぱりと否定した。総司は当然ながら不審顔だ。
「……ほんと?」
「本当です。私は、そりゃあ夜中も様子を見たりしておでこに触れたり汗を拭ったりはしましたけど、いっしょになんて眠ってないです。沖田さん熱がとても高かったですしそれを勘違いしたんじゃないですか?」
「でも……千鶴ちゃんの着物ほとんどはだけてて、僕千鶴ちゃんの胸を見た気がするんだよね」
「!!な、何を……!!!」
千鶴は飛び上がる。両腕を庇うように胸の前で合わせてて身を守るようにして総司を睨んだ。全身から嫌な汗が噴き出る。
動揺のあまり何を言っているのかわからなくなっている千鶴のことは気にせず、総司は腕を組みながら思い出すように頭を傾けた。
「ねえ、ちょっと抱きしめさせてよ」
両手をひろげながら近づいてくる総司に、千鶴は後ずさりした。
「何を…お、沖田さん、ちょっ…」
「胸を見せてとまでは言わないからさ。抱きしめた感じで腰の細さとか、あと首筋の匂いとかであれが夢だったかどうかわかると思うんだ。どっちもものすごく鮮明に覚えてるんだよ、だから実際に同じことをしてみてどうなのか比べてみれば……」
部屋の隅に追い詰められそうになった千鶴は、「きゃあ!」と叫んで総司の横をすり抜けて廊下の方へと逃げ出た。
「おっ沖田さん!おかしいですよ!そんなこと……」
「そんなこと実際になかったのなら別にやらせてくれてもいいじゃない。それでやっぱり僕の夢だったって僕が納得したらそれでこの話は終わるんだし」
「や、やらせてくれてもとか、そういう…!そういうことは、その、普通はしないんです!」
「でも君はしたでしょ?あの夜。僕の布団の中で」
「〜〜!!だからそんなことしてません!!」
千鶴と総司が言いあいをしていると、表庭の正面玄関の方から近藤が歩いてきた。そして傍から見たら仲良さ気にじゃれているように見える二人をニコニコと見ている。
「あれ、近藤さん」
「近藤さん…!」
変な所を見られて気まずいが、無理やり総司に抱きしめられてうなじをくんくんされるのは避けることができたと、千鶴はほっと肩の力を抜いた。
「何かありましたか?」
総司が嬉しそうに中庭に下りると、近藤は頷いた。
「ああ、トシと山南さんと話したんだがな。そろそろ雪村君にも綱道さんを探してもらおうかと思ってな」
「えっ?」
「この子に?」
驚く二人に近藤はにこにこと説明した。
「そうだ。、もともと雪村君は探しに行きたがっていたが、こちら側の人員不足でな。申し訳ないが我慢してもらっていたんだが、この前の隊士募集でかなりの人数も集まったことだし、そろそろいいんじゃないかと話し合ったんだ」
「ありがとうございます!」
千鶴は嬉しさのあまり中庭におりて、頭を下げた。これで父を自分で探すことができる。新選組を信用していないというわけではないのだが、何もできない自分が歯がゆかったのだ。
総司はもろ手を挙げて賛成という訳ではないのか、冷めた顔で千鶴を見ながら頭をかいている。近藤がそんな総司の様子に気づいた。
「なんだ、総司は反対なのか?」
「反対じゃないですよ。近藤さんたちが決めたなら従います。だけど、どうやって探すんですか?この子と護衛を一人か二人つけて?襲われた時にこの子が逃げ出そうとしたら対応できないんじゃないですか?」
「逃げ出したりなんて……!」
そんなことするわけないではないか。そりゃあ最初は新選組がどんなところでどんな人達の集団かわからなかったせいもあって、逃げ出そうかと考えたこともあるがしばらくいるうちにある程度の信頼関係はできてきたと思っていたのに。
総司はまだ千鶴が逃げ出すと考えているのだろうか。
いろんな意味で距離が近くなった感じていたし、かんざしをもらったことでウキウキしていたのだが、そんな風に思っていたのは自分だけだったのかと千鶴は悲しくなった。
**** 中略 ****
『なんだ千鶴、また泣いてるのか』
『あ、薫…!』
台所に入ってきた薫に驚いて、夕飯の味噌汁を作っていた千鶴は慌てて涙を拭いた。薫は千鶴の涙を嫌うのだ。
『父様、どうしてるのかなあって思ったら不安で…』
『……泣いたからってどうにでもなるわけでもないだろ』
薫はかまどの前に行き、湯気を立てている味噌汁を眺めた。
『……俺は、京に行ってみようと思う』
『え?』
『綱道さんからの文が途絶えてもう一年になる。見よう見まねで医者の真似事をしてなんとか暮らしているけどいつまでもこのままって訳にはいかないし、綱道さんには恩がある。このまま行方不明にしておくわけにはいかないだろ』
綱道が実の父ではないと教えてもらったのは、千鶴と薫が十二歳の時だった。
千鶴と薫の本当の両親が死んだとき、薫と千鶴は五歳。その後薫は四国の南雲家へ養子にだされ、千鶴は綱道に引き取られた。しかし南雲家ではお家騒動が起こり、薫は十二歳の時に行き場をなくして再び綱道のもとに返されたのだ。その際、綱道は千鶴に、本当の両親は死んだこと、薫は千鶴の双子の兄であること、二人は鬼の直系であることを教えたのだった。
なんとなく小さいころいつも一緒に遊んでいた存在については覚えていた千鶴は、その話をすんなりと受け入れることができた。薫はやはり突然現れた綱道を父親とは思えないようで、『綱道さん』と呼んでいたが。
薫は鍋に蓋をして、隣に立っている千鶴を見る。
『お前もこのままいつまでもこの家で泣いてるわけにもいかないだろ。京に綱道さんを探しに行って見つからなかったらもういないものと考えて俺たちは俺たちの生き方を考えなくちゃいけないんだ』
『……そうだけど……』
薫と違ってかなりの時間二人で父娘として暮らしてきた千鶴は、綱道がもういないものと考えるのはつらい。できれば生きて帰って来てくれればと待ち続け、こんなに時間がたってしまったのだが。
『お前もしばらくは一人で大丈夫だろう?暖かくなったらすぐにでも京に行ってくる。文もだすし……そうだな二、三か月探して見つからなければ帰って来るよ』
薫はそう言うと、不安そうな顔をしている千鶴の頭をポンとたたいた。
『すぐ帰って来るよ』
しかし薫は帰ってこなかった。
京について一か月は頻繁に千鶴のもとに薫からの文が届いていたが、『羅刹』や『変若水』が綱道の失踪にかかわっているらしいということを文で知らせてきた以降、薫からの文はぱったり途絶えてしまった。
毎日毎日、文が来ないか薫の姿が見えるのではないかと家の前に何度も出て、京へつながる方向を見続けていた千鶴は、ある日決意した。
実の両親、そして育ての父親、双子の兄……
次々と家族が居なくなっていく状態に、千鶴はもう待つのはやめようと思ったのだ。
自分も京で父と兄を探す。女の一人旅は危険なのはわかっているし、京でのつてはほとんどない。でもこのままここでずっと待っているのはもう嫌だ。
千鶴は伸ばしていた髪を肩の長さでばったり切り、体型も少年のように隠して男装をして京に入った。
しかし、すぐに新選組に掴まってしまい捜索らし捜索は結局できず……
――たが、それも今日までだ。
「沖田さん、こんな感じでどうでしょう?」
千鶴は、動きやすいように袴を短めに履いて草履ではなくわらじにして、小太刀を差した姿でくるりと回って見せた。
今日は初めての巡察同行なのだ。
**** 以下続く ****