【HEART BREAKER U】 ※SAMPLE※







  ・
  ・
  ・

 大久保と千鶴と沖田が、コーヒーを飲みながら他愛もない話をしているとき。

ふと思いついたように、沖田が聞いた。

「大久保さん、聞きたいことがあるんですけどいいですか?」

大久保は、苦手な沖田から話しかけられて一瞬ひるんだ。

「あ、ああ。もちろん。なんだい?」

「薫のことなんですけど。千鶴ちゃんの双子の兄の」

沖田がそう言った途端、大久保の顔からさっと血の気が引いた。真っ白になった大久保の顔を見て千鶴は驚く。

大久保は目を見開いたまま千鶴の顔を見て、次に唇を震わせて沖田に言った。

「な、何を……君は何を……ち、千鶴ちゃんには兄なんて……」

沖田はあっさりと手を振って大久保の言葉をさえぎる。

「千鶴ちゃんはもう知ってますよ。自分に双子の兄がいる――いたって。僕たちが一階の資料室でずっと探しているのは、薫の資料なんです。前聞いた時ははっきりした返事はもらえなかったけど、どうなんです? どこにあるか知っていますよね?」

大久保は目を見開いた蒼い顔のまま、千鶴へ視線を向けた。『知っているのか』というその表情に、千鶴はうなずく。

「ちょっとしたことで知ったんです。おじさま、知っているのなら教えてください。全然覚えていないですけど、もし兄がいるのなら私は会いたいです」

大久保は、目を見開いたまま強張った様子で首を横に振った。

「し、知らない。………本当に知らないんだ。私は、……薫君がいたことは知っていたが、そのプロジェクト……いや、彼には私はかかわっていなかった」

『プロジェクト』という言葉に、沖田の目がきらりと光る。

「薫が何をされていたかもあなたは知らなかった?」

大久保の震えがひどくなった。持っていたコーヒーカップがカチャカチャを音をたて出し、大久保は慌てたようにそれを机に置く。

「…………」

答えは無かった。

しかし逸らすようにして目を合わせない大久保の様子が、答えのようなものだ。

 

暫くの沈黙の後、沖田はソファから立ち上がった。

「……資料の場所について、何か思い出したら千鶴ちゃんまで連絡ください。千鶴ちゃん、帰ろうか」

  ・
  ・
  ・

「ようやくお目覚めみたいだね。敵の中でものうのうと眠っていられるなんて、俺の妹は意外に図太いんだな」

ぼんやりと覚醒に向かっていた千鶴は、いきなり聞こえてきた声にぱちりと目を開いた。

落ち着いた白い天井。そして白い壁。ホテルの部屋のような内装をバックに、男が一人千鶴を覗き込んでいた。

 

……男の人…だよね?

 

身体つきや全体の雰囲気は男性なのだが、一瞬戸惑うほど顔の造りが繊細で肌のきめが細かい。男の人というよりは少年の方があっているような線の細さ。そして顔は……どこかで見た顔。パーツは全然違うのに面影というのか雰囲気というのか、それが……

「似てるかい?」

その男性はそう言うと立ち上がり、千鶴のベッドから離れて壁際にある机の方へ歩き出す。

男の動きに合わせて千鶴は部屋を見渡した。そこは目を覚ました時に感じたとおり、どこかのホテルの一室のようだった。広いベッドに豪華な調度品。かなりの高級ホテルだ。部屋にはその男と千鶴だけ。

千鶴は恐る恐るベッドの上に起き上る。

「あなたは……」

男はベッドの向かい側にある机に浅く腰かけると、千鶴を見つめた。

「俺の事、知ってるだろう? 会ったのは物心ついてからは初めてだけど、顔を見てさすがに何か気づくんじゃないの?」

「……」

皮肉っっぽい笑顔を浮かべてそう言う男は、黒いスーツを着ていた。ネクタイは締めていない。

そして男の後ろの壁に、大きな鏡が埋め込んであり、そこに男越しに千鶴の顔が映っている。

千鶴は鏡に映る自分の顔を見て、それから男の顔を見る。

「……薫?」

「そう。……ぼんやり生きてきたにしては自分の兄の名前をちゃんと知っていて偉いね」

刺のある返しに、千鶴は驚いて目をまたたいた。

「……私をさらったのは薫なの? どうして? ここはどこ?」


  ・
  ・
  ・

そこまで考えて、沖田はふと気配を感じた。銃が隠してある枕元に手を伸ばす。沖田が気配のする窓の方へそれを構えると、カーテンがゆらりと動いた。

「……出ておいでよ」

沖田が静かに言うと、病室の窓のカーテンが更に大きくゆらいで、後ろから人影が現れる。

「ここ、十階なんだけどね。できれば廊下から来てくれればまだ見舞いに来てくれたと思えるのにな。まあどっちにしろこんな時間に来るなんで非常識でしかないけど」

 

現れたのは、黒ずくめの薫だった。

黒いシャツに黒のズボン。細身の体のせいか、千鶴と同じ二十歳のはずなのに少年のようだ。

「起こすと悪いと思ってね。……かわいい千鶴は寝てるみたいだけど」

窓から室内に入った薫は、沖田と距離をとったまま両手をあげる。

「銃を下してくれないか。俺はおまえたちのために組織を裏切ってわざわざ来てあげたんだよ?」

「……」

沖田はそれには答えず、相変わらず銃口を薫に向けていた。薫は諦めたように肩をすくめると千鶴の方へ歩き出す。

「近寄らないでくれるかな」

沖田はそう言うと、銃の安全装置を外した。薫は脚を止めて嘲るように沖田を見て笑った。

「番犬みたいだね。飼い主様の危機には敏感ってわけ?」

沖田は無言のまま銃の照準を薫に合わせていた。薫は狙われているのを気にした風でもなく続ける。

「でも、その番犬、役に立つのかな? とびかかる力も食いちぎる牙も、もう無いんじゃないのか?」

「……何が言いたいのかな。回りくどいのって嫌いなんだよね。言いたいことを早く言って出て行ってくれない?」

薫は、今度は沖田の方を向いた。

「せっかちだなあ。……今日はね、これをお前に届けに来てあげたんだよ。番犬には必要なものなんじゃないかと思ってさ」

薫はそう言うと、腕を差し出した。

 

彼の人差し指と親指には、ガラスの瓶が挟まれていた。病室の薄暗い灯りを反射して、ガラスが鈍く輝く。

綺麗に装飾を施されたしっかりした作りの小瓶だった。しかし中のに入っているのが赤い液体で、沖田は不審そうに薫の差し出したものを睨む。

「……それは?」

薫は身体を乗り出して、沖田のベッドの上にそれを置いて自分は一歩退いた。そして楽しそうに沖田を見る。

 

「変若水だよ」

 

沖田の顔色は変わらなかった。薫はつまらなそうに唇を尖らす。

「……なんだ、あまり驚かないんだね」

「……これは、すぐに狂ってしまうっていう粗悪品? 君が綱道の研究所から抜け出すときに持ち出したっていう初期のヤツ?」

薫は首を横に振った。

「違う。これは一応適合者から作った改良した変若水だよ」



  ・
  ・
  ・


薫がすごむような笑みを浮かべて沖田に向き直った。

部屋の暗い灯りで顔の半分が影になり、黒い目が不気味に光る。うっすらと微笑んでいる唇。

「選ぶのはお前だよ。守りたいと叫ぶだけか、『それ』で羅刹となるか」

沖田が黙ったままでいると、薫が何かをベッドの上に放った。

「ほら、最後のプレゼント」

ベッドのシーツの上でギラリと生々しく銀色にナイフの刃が光る。沖田は硬い表情でそれを一瞥した。

多分戦闘用の、軍隊が使うような専門の……対人殺傷専用のナイフだ。シンプルなデザインがそれの使用目的を明らかにしている。

刃渡りは三十センチはあるだろうか。みるからに肉食な、てらてらと光るナイフ。

「迷ってるお前にいいことを教えてあげるよ」

薫は、ベッドから離れ、窓に再び歩み寄ってカーテンを開けた。

「もうすぐここに、千鶴をさらいに組織の人間がくる。俺が入手した情報が正しければ、人間三人に……できそこないの羅刹が二体。俺は反対したんだけどね、お前が弱ってる今が好機だって聞き入れてもらえなかったんだ。そこで優しい兄としては、組織を裏切ってまで、妹を守るお前に情報と力を与えにきてやったってわけさ。プレゼントの変若水を飲むか飲まないかはお前の自由さ。でも、飲まずに千鶴を守りきれるかな?」

そして窓を開けて、脚をかけて外へと身を乗り出す。

「銃も持っていないかと思ってナイフまで持ってきてあげたんだよ。ああ、でも銃はここでは使わない方がいいな。一般の病院で銃なんか使ったら関係のない人間も殺してしまう。大きな問題になってお前が日本の警察に拘束されてしまったら、千鶴を守るどころじゃなくなるからね。……じゃあ俺は帰るよ」

薫はそう言うと、最後にもう一度振り向いた。

「……また会えるのを楽しみにしてるよ」

夜風とともにカーテンが舞い上がり、次の瞬間に薫の姿は消えていた。

沖田は知らず知らずのうちに張り詰めてた気持ちを、ため息と共に緩める。そして病室の暗い明かりに鈍く光る、ガラスの小瓶を見つめた。

 




**** 以下続く ****